気まぐれ流れ星二次小説

はるかぜ・あどりびたむ

のどかな暖かさが眠気を誘う昼下がり。真っ直ぐに延びる木造の渡り廊下には、橙色を帯び始めた日差しが斜めに差し込んでいる。

その道を抜けた先にあるのは円形のホール。細長い窓が壁の代わりにぐるりと張り巡らされた開放的な作りであり、その窓ガラスごしに、暖かな光の淡い束が室内の細かなチリを輝かせながらホールの中を通り抜けていた。

その場所にはとりたてて特別な設備は置かれておらず、他の似たような位置にあるホールと同じように、通行人がちょっと立ち止まってベンチでくつろいだり、高所からの景色を楽しむくらいの目的しか考えられていなかった。しかしいつの頃からか、ここにはとある楽器が置かれたままになっている。

三本の長い脚を持つ、真っ白な浅い箱。その楽器は午後の日差しに染められて、静かなホールの中で窓の向こうの遠景を見つめたまま、まどろむように佇んでいる。

たった一つの楽器が置かれただけのそのホールが誰からともなく“音楽室”と呼ばれるようになったのも、それがやってきたのと同じ頃であった。

玄関の大ホールから階段を真っ直ぐ昇った先にあり、居館である主塔へとつながる見晴らしの良い長廊下。

いつもであればファイターが行き交う大路のようなこの廊下も、そのときは不思議なほどにしんと静まりかえっていた。ほとんどの住人が試合のために、各地のステージへと出払っていたのだ。

名も知れぬ絵画を収めた額縁や、どこの世界のものとも分からない彫刻、そして季節を通じて青々と茂る鉢植えの植物も。廊下にある何もかもが穏やかな色合いに満たされ、どこかその静けさをもてあましたかのように、温かい空気に満たされてゆるやかに静止している。

平和そのものといった静寂の彼方から、ふいにかすかな物音が聞こえてきた。小さなゴムまりが弾むようなその足音は絨毯の上でもかき消されることなく、彼の上機嫌ぶりを示して廊下の高い天井に淡くこだましていく。

一歩一歩はねるようにして駆けていくピンク玉。窓と窓の境目にできる光と影の間を次々に駆け抜け、いつになく嬉しげな顔をしてまっしぐらに走っていく。彼は、その片手に何かひらひらとした緑色のものをしっかりと掴んでいた。

階段を駆け上り、渡り廊下を走り抜け、いくつもの曲がり角を迷いもせずに駆けていく。彼の周りで廊下はだんだんと様相を変えていき、いつの間にか足元には象牙色をした大理石ではなく緑色の格子模様になった毛足の短い絨毯が広がり、天井は心持ち低く、壁の照明も吊り下げ式の古風なランプから星型の大振りなものに置き換わっていた。

そこは、“城”の実に四分の三を占めると言われる居住空間の一つ。ありとあらゆる世界の要素が混じり合うこの世界に来ることになったファイターたちが自分の故郷との差に疲れ果ててしまわないように、そしてホームシックに罹らないように。そんな心遣いをもって招待主たちがファイターたち一人一人のために造り上げた特別な空間だ。

実際に住むかどうかは当人の自由となっているが、城であれば物件探しや炊事洗濯の苦労をすることなく最初から衣食住の全てが用意されており、なおかつ大乱闘を見に来るような観光客に邪魔されず静かに暮らせるため、ほとんどのファイターは城で起居している。

しかし、この世界がまだ小さかった頃から来ているカービィにとってはこの光景も特に珍しいものとは映らず、勝手知ったる他人の家といった顔で広間へと駆け込んでいった。

と、先客に気づいた彼はぱっと顔を輝かせる。

「あっ、デデデ!」

大王はちょうど、自分の部屋につながる、他の二人よりもちょっと豪勢な装飾の扉を開けようとしていたところだった。

「ん? なんだお前か。どうしたんだ、そんなに嬉しそうな顔をして。何か良いことでもあったのか?」

「えへへー。ぼく、すごいかいものしちゃったんだよ。見て見て!」

そう言って掲げて見せたものを、デデデはしげしげと眺める。

「……あー、そりゃ虫食いの葉っぱか?」

「葉っぱじゃないよ! いまは葉っぱだけど!」

よーく見てて、と言うなり、彼は手にした葉っぱを放り投げた。薄っぺらい見た目にも関わらず葉っぱは素直に弧を描いて床に落ちていく。その軌道をカービィと一緒に目で追っていた大王は、次の瞬間、驚いた声を上げて後ずさってしまった。

床につく寸前、葉っぱが煙に包まれたかと思うといきなり、ぼわんという音を立てて大きく膨らんだのだ。そこにあるのはもはや虫食いの葉ではなく、つやつやとした上品な白さに塗り込められた家具だった。

家具であることは確かだ。おそらく。大王はそこまで推測できたが、何であるかということに関しては全く検討もつかなかった。

長い脚で支えられた台であるところを見ると机にも見えるが、台の部分がずいぶん分厚く、お腹の窮屈さを我慢しなければ座れそうにない。だとすれば、この頑丈そうな台はベッドだろうか。それにしてはマットレスも敷かれておらず、平らな上面はいかにも固そうな光沢を持って広間の照明を反射している。加えてその台は長方形ではなく一カ所の角がなめらかに大きく欠けており、上で眠るにはいささか具合が悪そうだ。それに、あまりにも脚が高すぎる。眠るためにはいちいち小振りなはしごでも掛けて上り下りしなければならないだろう。

「かっこいいでしょー!」

褒めてほしそうな様子で、自慢げな顔をしているカービィ。それには気づかず、隣の大王はぽかんと呆気にとられてこう聞いた。

「カービィ、こりゃ一体何なんだ? 第一、買い物と言やぁお前、リンゴの苗木を買ってくるって言ってなかったか?」

“すま村には一日で実をつける果物の木がある”と聞き、おやつの時間が終わるや否や駆けだしていったのは他ならぬカービィである。デデデに言われて初めて、彼は「あっ」と口を開けた。どうやら忘れていたらしい。

「んーとね。そうそう、売ってなかったんだ」

「あの店は日替わりで売り物が変わるぞ。いつ入荷するか聞かなかったのか?」

いかにも普段から買い慣れているような口調で大王は言ったが、実際にはお使いに行かせている家臣のワドルディから聞いた情報である。デデデに言われてカービィはしばらく考え込み、やがて合点がいった様子でぽんと手を打った。

「……その様子だと聞かなかったな?」

「だってこれが目にはいっちゃったんだもん」

「お前が食い物以外に興味を持つとは思わなかったなぁ」

「ひどいな~。ぼくだってみんなみたいに、お部屋にいろいろおいてみたいんだよ。まくらとかベッドとか“れいぞーこ”とか」

「で、手始めにこれを買ったと」

「うん!」

元気よく頷く。

「それで、これは何なんだ?」

「んー……わかんない!」

「分からないのに買ったのか!」

「だってかっこいいでしょ。白くてピカピカしてて、ドラグーンみたいでしょ?」

そう言っていたカービィは、ふと家具の一点に目を留めた。

「あ、待って! わかった!」

家具に備え付けられていた、少し背丈の低い小さな台を一人で引っ張ってきたかと思うと、彼はその上にひょいと飛び乗った。それから謎の家具の天板に手を掛けると、ぐいと持ち上げる。どうやらそこは開く設計になっていたらしい。台の上がそっくりそのまま蓋のように開き、それを片手で押さえてカービィはこちらを向いた。

「これ、入れ物だ!」

「入れ物? それにしちゃずいぶん浅そうだな」

大王はそう言って家具の傍に近寄り、もっとよく見ようと蓋を押し上げた。台の底は空っぽではなく、なにやら金属の線がずっと張り巡らされている。どういう意味があるのかはさっぱり分からなかったが、外見のシンプルさから想像していたよりもその中身は精巧で、この家具は思っていたよりもずっと価値があるものらしい、ということだけは漠然と理解できた。

彼はしばらくその金属線を眺めていたが、やがて不意にこんなことを尋ねた。

「カービィ。これが入れ物だとして、お前は何を入れるつもりだ?」

「え? うーん……たべものとかおやつとかかなぁ」

その答えを聞き、大王はにやりと笑う。

「ふふん、やはりそんなものか。残念だがカービィ、これはどうやらお前に縁のないものだったようだぞ。ほら、見てみろ」

そう言ってミトンをつけた手で示したのは、台の底に平行線を描いて張り巡らされた金属の糸。

「これは下に入れたものが動かないように押さえつけておくものだ。そしてこの下に入るほど平べったいものと言えば二つしかない。服と書類だ。お前はそのどっちにも用がないだろう?」

「しょるいならデデデも用がないでしょ」

「失礼な、わしは一国を治める主、大王だぞ?」

「だっていつもそういうしごと、ワドルディたちに――」

「ともかく! お前は着る服もないし書く紙もない。したがってこの家具はお前が持っていても無用の長物だ。わしがもらってやるから有り難く思え」

「えーっだめだよ! デデデだってきっとおやつとか入れるつもりでしょ、ワドルディにないしょで!」

「入れるとしてもお前ほど適当には入れん。つぶれたり味が混ざらないように、きちんと考えて入れるぞ」

「またきめつけるー! てきとうじゃないよ、ぼくだってかんがえて入れてるよ、食べたら同じだもん!」

果てしなく脱線していきそうな口げんか。それを断ち切るようにして、三人目の声が広間に響いた。

「何をしている。他の階に迷惑だろう」

少なからぬ時間のつきあいがある二人には、基本的には冷静な彼の声にわずかな煩わしさがあるのを聞き取っていた。同時に口をつぐみ、似たり寄ったりな表情とともにそちらの方を向く。

先に口を開いたのはカービィだった。

「ねぇねぇきいてよメタナイト! デデデったら、ぼくの買った入れ物とろうとするんだよ!」

「なにっ、取るだなんてひと聞きの悪い! またお前はそうやってひとを引き込んで味方にしようと……話はややこしくするもんじゃないぞ!」

やってきた同郷の仲間をそっちのけにして、再び言い争いを始める二人。広間の入り口に佇む一頭身の剣士は一人、仮面の奥で呆れた顔をしていた。やってきたばかりの頃はとにかく、二人がいつ他の世界の勇士たちに迷惑を掛けるかと気が気ではなかったのだが、この世界では二人の張り合いでさえも埋もれてしまうほどの非日常的現象が不定期で勃発するので、些細なけんかならいちいち止めるのも面倒になっていた。

彼にはどちらの味方をするつもりもない。今にもとっくみあいを始めそうな気配の二人から視線を逸らし、そこで初めて、彼らの後ろに置かれているものに気がついた。

つかつかと歩み寄り、カービィが移動させていた踏み台に飛び乗って家具の蓋を開ける。真鍮色のフレームが骨組みを作り、その下に鋼線が整然と並ぶ様をしばらく訝しげに見ていた彼の目に、ふと何かを思い出したような光が宿った。すぐさま彼は踏み台の上を移動し、階段のように一段低くなった側に手を掛け、持ち上げた。

「あっ、そこも開くんだ!」

案の定とっくみあいを始めていたカービィだったが、その手をとめ目を丸くしてそう言った。大王もカービィにつかみかかろうとしていた格好のまま、ぽかんと口を開けている。

細長いもう一つの蓋。持ち上げられたその下にはつややかな白い板と、そこから山のようにぽこぽこと顔を出す黒い段がきれいに並べられていたのだった。

メタナイトは何も言わずに手袋をした手で白い板にふれ、それを押し下げる。と同時に音が鳴った。どこか金属的なその高音は静かに響き渡り、音が広間に吸い込まれやがて消えていくまで、大王とカービィは揃って呆気にとられた顔をしていた。

「これは入れ物ではない。楽器だ」

この判定に対して、しかし二人はあまり納得が行かなかったようである。

「がっき?」

「それにしちゃ変な音が鳴ったな。楽器ってなぁ、もっとこう……なんか、混じりっけのない音がするもんじゃないのか?」

「それは私が弾いたからだ」

少し気を悪くしたような声で彼は答え、自分の手を見せた。

「この楽器は我々が弾けるようには作られていない。この世界に来ているだいたいがそうであるような、指が五本もあるひとびとのためのものだ」

「なんだ、器用な連中じゃないと使えないってことかぁ」

入れ物ではないと聞いて途端に興味を失ってしまったのか、デデデは大きくため息をついた。飾りとして置いておくという手もあるにはあるが、せっかく楽器として使えるものを自分で楽しめないのでは面白くない。

「それで、これは誰の買い物だと?」

「ぼく!」

ここまでのやりとりを全く意に介していない明るい顔で、カービィは手を挙げた。

「……お前が買ったのか? まさか、天変地異の前触れではあるまいな」

「もー、きみまでそんなかおする!」

「正直な感想を述べたまでだ。ともかく、これはお前が持っていても仕方の無いものだ。お前の部屋で埃を被らせるより、もらったところに戻してくるべきだと思うがな」

「もらったんじゃないよ、買ったんだ」

「……それなら、買ったところに戻してこい」

そのとき、抑えられた声音の裏から現れ始めたわずかな炎の閃きに気づいたのは、この場では大王だけであった。デデデは目を瞬かせて二人を見比べたかと思うと、彼らを、主には騎士を刺激しないようにそっとその場から後ずさっていく。そんな彼の様子には全く気づかず、カービィはこう言い返していた。

「やだよ、ぼくが気に入って買ったんだもん」

「強情を張るな。第一お前がどうやってこれを弾くと言うのだ」

「がんばってれんしゅうする!」

「練習してどうにかなるものではない。分からないのか、お前の手はこの鍵盤の一つだけを押さえられるほど小さくはないだろう。せいぜい黒鍵が限界だ」

「けんばんとかこっけんとか、またむずかしいこと言ってー! ぼくがわからないと思ってるんでしょ」

「お前は分かっていない。分からないから返そうとしないのだ」

「きみだってわかってないよ、なんでできないって決めつけるのさ」

「それは自明のことだ。なぜいつもお前は現実を――」

言いかけて、そこでようやく我に返ったらしい。かぶりを振り、メタナイトは言葉を継いだ。

「……ともかく、お前には無理だ。これを売って、代わりに食べ物でも買うが良い」

いつもの声に戻したつもりだったのだろうが、それはまだ少し、棘を含んでいた。

彼はそのままきびすを返して広間を出て行ってしまい、後には気まずい空気と、何も言わなくなったカービィと、何も言えずにただ仲間の背中を交互に見やる大王が残された。

さすがに打ちのめされてしまったのだろうか。デデデにも鍵盤や黒鍵といった単語の意味は分からなかったが、自分たちの手では明らかに弾けない楽器だということは分かっていた。ここまで言われれば諦めざるをえないだろう、たとえカービィといえど。

「……きめた!」

出し抜けに聞こえてきた声は、思いの外強い決意に満ちていた。

「何を決めたんだ、カービィ」

思わず問いかけた大王を振り仰いだ彼は、まったく落ち込んでなどいなかった。どころか、近年まれに見るほどのやる気に満ちあふれた顔をして、こう答えたのだ。

「ぼく、この楽器、ひいてみせるよ!」

「ぴあの……?」

リビングのふかふかの絨毯に腹ばいになって、その姿勢でカービィは今し方聞いた言葉を繰り返した。

「そう。これ、きっとピアノだよ。それもたぶん……グランドピアノっていうのじゃないかな」

そう言って、ネスは改めて白い楽器の方を見やった。

「ネスってもの知りだね~!」

「これ、僕のところなら結構あちこちにあるよ。学校とかにあるのはだいたいが形の違うやつなんだけどね。こういうのは高いらしいよ」

「たかいって、どのくらい?」

「え? いくらかなぁ……。分からないけど、よっぽどの大金持ちでもないと、誕生日プレゼントでもめったに買ってもらえないと思う」

この言葉にカービィはきょとんとした表情を返したが、周りの子供たちが感心したようなため息をついたのを見て価値の程度が分かったらしく、ちょっと誇らしげな顔をした。

「だけどおまえさ、名前も知らない楽器をよく買う気になったよな」

呆れるというよりもむしろ感心したような口調で猫目のリンクが言う。

「だってかっこいいでしょ?」

「まぁ、きれいっちゃきれいだけど」

あぐら座りしたところから純白のピアノを振り仰ぎ、彼は首の後ろをかいた。

「で、おまえはこれを弾きたいって、そういうことなんだな?」

「うん! ねぇねぇ、だれか、ひきかた知ってる?」

期待に目を輝かせて見渡したが、その場にいる友達はみんな揃って顔を見合わせるばかり。そこでカービィは、最初にこの楽器の正体を当ててみせたネスの方に顔を向ける。一途な視線を向けられて、ネスはちょっと戸惑ったように眼を瞬いた。

「……ほんとに簡単な曲しか知らないよ。学校で休み時間とかにみんなで代わりばんこに弾いたりするような曲だし、こんな立派なピアノで弾くのは何だか……気が引けちゃうな」

「だいじょうぶだよ、これぼくが買ったピアノだもん。だれもきにしないよ!」

そう言うやいなやぱっと起き上がり、カービィはグランドピアノの長いすを引いてスペースを空ける。そのいそいそとした様子につられて立ち上がっていたネスは、そこで周りからの期待するような眼差しに気づいて照れくさそうに笑った。

「そんなたいした曲じゃないよ」

彼はそうして長いすに腰掛けると、改めて白と黒の鍵盤に向き直った。教室に置かれているようなピアノとは何もかもが違っていた。いつもなら目の前にそびえ立っているあの分厚い板はなく、そこには真っ白な平原が遠くまで広がっている。鍵盤には傷一つ無く、学校のそれとはまったく別の素材で作られているかのようだ。

「ねえ、やっぱりこれ……」

振り向いてそう言いかけたが、いつの間にかみんなに長いすの後ろへと回り込まれてしまっており、逃げ道はふさがれてしまっていた。

「大丈夫だって! 別に本番じゃないんだからさ」

「リラックス、リラックス!」

「おもいっきりひいちゃって!」

そう言って彼の背中を手で叩いたり、声援を送ったりしてなだめすかしてしまう。帽子の少年はようやく踏ん切りをつけて、グランドピアノに向き直る。

両手をかざし、曲を思い出すための少しの間をおいて、彼は弾き始めた。

黒い鍵盤を舞台にして5本と5本の指が踊る。最初は控えめに、しかし、押すべきキーを思い出すにつれてだんだんと自信をもって、朗らかに明るくなっていく。それは確かに、ピアニストが弾きそうな曲ではなかったかもしれない。左手は一度に一つの音しか押さず、右手と左手が同時に別々の動きをすることもない。だがそれでもこの曲の楽しさを伝えるには十分だった。ネスがやがてひょうきんな終わり方で曲を締めると、それまで聞き入っていたカービィたちは歓声を上げ、一斉に拍手を送った。

「そんな曲じゃないってば」

照れ隠しか、笑いながらもちょっと声を大きくしてそう言い、ネスは長いすから降りた。

「すごいよ! どうやってやったのー?」

カービィがそんなことを言うので、トゥーンリンクは思わず吹き出してしまった。

「おいおい、ちゃんと見てたか? あの板を押せば良いんだろ」

その横ではポポとナナが興味津々といった様子で背伸びし、鍵盤を見つめている。

「たぶん、なにか順番があるんだよね」

「一回見ただけじゃ分かんないなぁ」

それを聞いたネスが後ろの方でこんなことを言っていた。

「僕、もう一回は弾かないからね!」

アンコールをしたそうなリンクたちの傍らでいきなり、カービィが張り切った表情で手を挙げた。

「じゃあ次はぼくのばん!」

弾むようにして長いすに飛び乗り、真っ先に目に付いた場所に手を置く。しかしピアノから響いてきたのは疑問符のような、訝しげな不協和音だった。

「あれー……?」

体を傾げたカービィの左右から友達が顔を出し、再び熱心に鍵盤を観察し始める。やがてトゥーンリンクが思い切って左の手を伸ばし、人差し指で板の一つを押した。すると、低くはあるが混じりけのない、先ほどのネスの演奏で聞こえていたようなきれいな音が鳴り響いた。

「カービィ。これ、いっこだけ押せないとだめやつだ。板の一枚が音一つと結びついてるみたいだぞ」

「いっこ?」

カービィはそう繰り返して、リンクの手と自分の手を見比べた。まん丸な自分の手は白い板を大雑把に押しつぶしており、一度に五枚くらいの板を押してしまっていた。諦めたくない彼はその手でぺしぺしとでたらめに鍵盤のあちこちを押してみたが、どこを押してもきれいな音は見つからない。

むきになって鍵盤を叩いていた彼は、ふと声を掛けられて振り返った。そこに立っていたのはリュカ。

「カービィ、これならどうかな?」

彼はリビングに置かれているおもちゃ箱から持ってきたものを差し出した。それは、おもちゃの鉄琴を叩くための小さなマレットだった。

共通の区画である主塔から副塔へとつながる渡り廊下。昼食を終え、満ち足りた心持ちで歩いていた大王はふと、どこかから聞こえてくる音に気がついて足を止めた。小手をかざして行く手を見れば、副塔のホールに何か大仰なものが置かれており、どうやら音はそこから聞こえてくるらしい。

各自の居住空間でもないのにファイターが私物を置くとは珍しい。デデデは軽い好奇心からそちらへと向かっていった。

近づいていくにつれてホールに置かれたものが陽光の中ではっきりとしたシルエットをとり、分厚い板をもつ机にちょこんと向き合う丸い影を見たところで、彼は数日前に目の前で交わされたのっぴきならぬやりとりを思い出した。

「なんだお前、まだ諦めてなかったのか!」

第一声はそれであった。その声に、カービィははたと手を止めて振り向いた。

「あー、デデデー!」

良い笑顔を見せ、マレットを持った片手を大きく振ってみせる。

彼は長いすを椅子としてではなく、踏み台のようにして使っていた。子供たちでちょうど良いくらいの小柄なピアノではあるのだが、それでもカービィにとっては手に余るものらしい。

「聞いて! ぼく、もう一曲マスターしちゃったんだよ」

カービィと音楽という取り合わせに大王は反射的に後ずさりかけたが、こちらの返事も聞かずに始まった演奏を聞き、それを思いとどまった。

ゆっくりと、たどたどしく、ときにもどかしいほどの間が空きながら、音符がとつとつと綴られていく。マレットが鍵盤の上を滑って違う音を叩いてから、ちょっと考える間があって正しい音を探り当てる。それでも彼の演奏は旋律を辿れないほど遅くはなく、辛うじて音楽と分かる形を保っていた。

気づけば最後まで聞いていた。長いすに立つカービィが得意げに頬を上気させてこちらを向いている様子を見た大王は、感想を求められているのだと気づいて一つ咳払いをする。

「あー、悪くはないな。音楽っていやぁ、たった一つお前が苦手なもんだと思ってたが」

「おんがく……? ぼく、うたうのとか大好きだよ?」

心の底から不思議そうな顔をし、きょとんと体を傾げる。

「ああ、そういうことじゃなくてな……ま、まぁ、ともかく良かったじゃないか! これでお前も晴れてこの楽器が弾けるようになったってことだ」

デデデはそう言ってカービィの背中を景気よく叩いたが、相手からの反応は思っていたほどでもなかった。見れば、さっきまで自慢げにしていたのが嘘のように、腕組みらしき仕草をしてなにやら難しい顔をしている。

「そうなんだけどねぇ。なんかちょっと足りないんだよね。ぼく、もうちょっとすごいのをひきたいんだ。きいたひとがおどろくような曲」

「そりゃ大した心意気だが……できるのか?」

尋ねかけると、カービィは珍しく、ちょっとむきになって言い返した。

「できるよ! すごい曲をしってるひとを見つければいいもん。この曲でやったみたいに」

凄い曲と言って、どのくらいのものを想像しているのか大王には予想もつかなかったが、正直なところ先ほどの曲であのくらいの出来上がりが限界なら、これ以上に難しい曲に挑戦するのはいささか無謀と言うほかない。しかしそれをそのまま言うのもかわいそうだったので、彼は代わりにこれだけを言った。

「まあ、お前はなんだかんだ言って器用だからな。で、あてはあるのか?」

カービィは笑顔でかぶりを、横に振った。

「デデデ、しってる?」

「なにーっ、ひと任せか! お前というやつは全く、ほんとに脳天気なやつだな。わしが知ってるわけがないだろう? お前の買ってきたこのシロモノが何なのかも知らなかったのに」

「えー、デデデはおうさまなんでしょ?」

「王様ではない大王だ! まったくこんなときばかりそれを持ち出しおって……。そしてそいつはお前の質問と何の関係もないぞ。だがまぁ……そうだな、大王としてのありがたい知恵を貸してやらんこともない」

もったいをつけるために、そして言うべきことを思いつく時間を稼ぐために、おほん、と咳払いを挟む。

「……まず、売り物というのはその道のプロが売っているものだ。肉も野菜も、ケーキもそうだな。だから売り物について尋ねれば、だいたいの答えは返ってくる。で、その楽器はすま村の店で買ってきたのだったな? であれば、それを売った店の者ならおそらく、いやきっと、その楽器の使い方を心得ているはずだ」

普段はほとんど使われることのない大王としての威厳を発揮し、重々しく宣言されたこのお告げに、カービィは純真に目を輝かせて頷いた。

「え……? 商品の使い方を教えてほしい……?」

所変わって、すま村のデパートにて。豪華な店内の装いに合わせた紫色のスーツを着込んだ店長は、どこか眠たげにも見えるいつもの顔で戸惑ったように首を傾げた。この世界では知らぬ者のいないほどの有名人であるファイターの一員を前にしても、まったく動じた様子がない。

「てんちょーさんはお店のぷろでしょ? しょうひんのことならなんでもしってるってデデデが言ってたよ」

「ボクの名前は『てんちょー』じゃなくてたぬきちなんだも。それと、確かにボクはこの店を切り盛りしてるけど、詳しいのは商品をいつ、どう売り買いするかっていうことであって、どう使うかっていうことじゃないんだなも。だから申し訳ないけれど、カービィさんのその注文には応えられないんだも」

「そんなぁ」

わざわざ持ってきた家具の葉っぱを手に、しょんぼりとうなだれるカービィ。その様子を見ていたたぬきちは、ふと頭の中でこんなことを考えた。飾るためだけに楽器を買っていく住民も多い中、ここまで真剣に本来の使い方を知りたがるお客は珍しい。自分としても売った商品を大切に扱ってもらった方が嬉しいし、ここで希望を叶え、満足させることができたなら次の購入にもつながるかもしれない。

「……でも、詳しいかもしれないひとなら、心当たりあるだなも」

「ほんと?!」

途端に目を輝かせて顔を上げる。

「この村にはときどき、流しのミュージシャンがやってくるんだも。そのひとなら、もしかしたら知ってるかもしれないだもよ。もしかしたら、お客さんだったら今まで見たかもしれないけど、ステージでもギターを持って……」

という言葉を最後まで聞かずに、

「あ、ぼくわかった! てんちょーさん、ありがとね!」

言うが早いか、カービィはデパートの玄関から飛び出していってしまった。

「だからボクの名前は……まあ、いいか」

どんどん小さくなっていく後ろ姿に一人呟いて、店長は後ろで手を組み、軽く肩をすくめた。

ひつじ雲の流れる青い空を天井に、すま村のステージは今日ものどかに浮かんでいる。試合の行われていない今は特別席とステージを区切るロープもなく、ステージの向かい側に同じような高さで浮かぶ半円型の観客席も、無数のシートをもてあまし気味に空に向けていた。

その日、ステージには喫茶店が設けられていた。いつもは博物館の地階に店を構えている店主だが、いつの頃からか不定期でステージにも出向くようになっていた。のんびりとした時間の流れる村の、空に浮かぶ純喫茶。元々の常連である村の人々だけでなく、時には乱闘の息抜きにと訪れるファイターがいるのも道理であった。

カウンターでは今日も、小さな丸めがねをかけたハトの店主が黙々とコーヒーカップを磨いている。向かいでスツールに座り、コーヒーを片手にクルーから送られてきた日課報告の通信を読んでいたフォックスはふと顔を上げ、向こうの方に目をこらした。

ステージの端から、なにやら小型の風船が浮かんでくる。そのピンク色の風船には目があり、口は空気を溜め込んでおくためにぴんと引き結ばれていた。彼は両手をはばたかせ、見ているうちに難なくステージの上までたどり着く。

ぽん、と景気の良い音を立てていつもの大きさに戻ったカービィを、フォックスは笑顔で迎える。

「なんだ、下から自分で昇ってきたのか?」

「さっきまでデパートにいたの。そのままのぼっちゃったほうが早いでしょ?」

デパートと聞き、フォックスはちょっと意外そうに片眉を上げた。

「ここで買い物なんて珍しいな。売ってるものっていっても確かほとんどインテリアじゃなかったか? ああ、何かデデデにおつかいでも頼まれたのかな」

「ちがうよー、ぼくのかいもの! それに今日はかったものについててんちょーさんに聞いてきたんだから」

大まじめにそんなことを言うので、思わず笑ってしまいながらも彼はこう返す。

「へぇ、それで君は何を買ったんだ?」

「えっとね、グランドピアノ! まっ白なの!」

「ピアノ……?」

聞き慣れない単語に眉根を寄せる横で、ちゃっかりとカービィが座った。それを見た店主が注文を聞こうかどうか決めかねているうちに、カービィの方からちょっとカウンターに身を乗り出してこう言う。

「ぼくにもおなじのちょうだい」

かしこまりました……、と渋い声で返して店主が準備を始めた横で、フォックスはカービィのおそらく耳があるだろう部分に耳打ちした。

「これがなんだか知ってるのか? 苦い飲み物なんだぞ。君、飲めるのか?」

「知ってるよ? コーヒーでしょ」

きょとんと目を瞬いてそう返した様子からすると、どうやら承知の上で頼んだらしい。背伸びしているのかと思ったが、考えてみれば誰も彼の正確な年齢を知らないのだ。それでも一応フォックスはこう教えておいた。

「砂糖とミルク使うなら、あとでここのマスターに頼むんだぞ」

「うん」

どこか上の空の返事なので彼の方を見ると、彼はステージの中央あたりに顔を向けて何かを探すような素振りをしていた。

「どうしたんだ?」

「んー? がっきのひと、今日はきてないのかなぁって」

「楽器の人……」

しばし宙に視線を向け、ほどなく彼は思い出す。

「もしかして、とたけけさんのことか?」

「うん、そのひと!」

「あの人が来るのはだいたい夜だぞ。曜日も決まってた気がするな」

「あれっ、そうだったの?」

すっとんきょうな声を上げて振り返るカービィ。その前にそっとコーヒーカップが置かれる。

「お待たせしました……」

カップに添えた手をそのままに、純喫茶のマスターは続けてこう言った。

「……彼、ここに来るのは、土曜日の8時以降ですから……」

「わあ、そうだったのかぁ……フォックス、今日はなんようびだっけ?」

カレンダーなどを見ることもなく、彼はすぐに答える。

「火曜だな。しかし、彼に会ってどうするんだ? その様子だと演奏を聴きたいだけじゃなさそうだが」

「うーん。ぼくねぇ、かっこいいきょくを習いたいの」

「……ああ、なるほど! もしかして、さっき言ってたピアノって楽器の名前だったのか。それで、君はそのピアノで曲を演奏したいというわけだな」

フォックスがそう確認すると、カービィは黙って頷いた。珍しく、少し気落ちした様子である。

「土曜なんてすぐ来るさ。それに、この世界で音楽ができるのは彼だけじゃない。曲を探してるなら今の間に他の場所にも行ってみたらどうだ?」

「フォックスはどこか良いとこしってる?」

「え? そうだなぁ……」

考えあぐねて腕を組み、彼は天を仰ぐ。故郷に帰ればいくらでも当てはあるが、この世界から向かうのではちょっとした旅行になってしまう。カービィもそこまでしたいとは思っていないはずだ。そうではなくこの世界で、なるべく近場で。そう考えていた彼の頭にふと良案が浮かんだ。

食べ物を山のように積み上げたトレーが、テーブルの間を縫って進んでいく。頭の上に載せ、小さな手でトレーを支えている食いしん坊は、他ならぬカービィである。

カレーライスにハンバーガーとフライドチキンが相乗りし、コーンスープの皿のすぐ隣にはおにぎりとサンドイッチがひしめいている。山のてっぺんに乗ったリンゴは一歩カービィが歩むごとに今にも落ちそうな様子であちこちにふらついていた。が、しかし。バランス感覚と食に対する執念によって彼は一つたりとも食べ物を落とすことなくテーブルにたどり着くのだった。

「いただきまーす!」

律儀に手を合わせてから、すぐさまフォークとスプーンを手に取る。両手を交互に使って次々に食べ物を掻き込み、飲み込むようにして口の中に放り込んでいく。トレーに雑多に盛られた食べ物が瞬く間に片っ端から消えていく様は、居合わせた人が思わず食事も忘れて目を奪われてしまうほどの早業である。

「ごちそうさまー!」

食器しか残っていないトレーを再び頭の上に支えてぽんと椅子から降りる。自分の身長を超えるほどの食べ物をお腹に収めたにも関わらず、彼は食事前と変わらぬ身軽さで走っていき、トレーを返しに行った。

入れ違いで食堂にやってきた子供たちが彼に気がつき、挨拶をする。

「もうお昼食べたの? ずいぶんはやいね!」

「おれたちも早めにすませて遊びにいくんだ。カービィも来ないか?」

しかし彼は、その横をぽてぽてと駆け抜けていきながらこう答えた。

「うん! でもぼくピアノれんしゅうするから、先にいってていいよ!」

いつも呑気に暮らしている彼がこれほど一つのことに熱中しているのは珍しい。顔を見合わせている子供たちに、遅めの朝食を取っていたファルコが同じように不思議そうな顔をしてこう声を掛けた。

「おい。あいつ、何かあったのか? ほとんど吸い込むみたいにして飯食ってったぞ」

答えたのはトゥーンリンク。彼は頭の後ろに組んだ手を載せてこう答えた。

「楽器の練習だってさ。三日であきると思ってたんだけど、これが案外続いてるんだ」

ポポとナナもそれに続く。

「そうだよねー。もう……一週間になるかな、もっとかな?」

「でもわたし、ネスが弾いてたあの曲しか聞いたことないよ。一生懸命練習がんばってるみたいだけど……」

ナナは気を遣ってその先を言わなかったが、周りの子たちもそれについては同じ意見のようだった。彼らのそんな様子を見比べて、ファルコがこう言う。

「ああ、こう言っちゃなんだが、あいつはケタ違いの音痴だからな……自分がうまく出来てるかどうか分かってないんじゃないのか?」

途端に子供たちは口々に抗議した。

「そんなことないよー!」

「ゆっくりかもしれないけど、間違わなくなってきたんだから」

「見ただけで覚えてたんだ、きっと楽器と歌は別なんだよ」

ちょっと慌てて、羽のような手で押しとどめるファルコ。

「分かった分かった! 悪かったな。……でもなぁ、なんで練習なんかしてるんだ? いかにも風来坊っていうか、なんにしても気が向いたときだけってやつなのに。特訓とかトレーニングとか、そういうタイプじゃないだろ」

「そりゃあ……確かにそうだよなぁ。なあ、だれか知ってるか?」

「ううん、僕は何も」

「そういえば聞いたことなかったね」

その場にいる誰もが一人としてその理由を知らなかった。ああでもないこうでもないと言い合っている友達の輪の中にいたネスはふと、後ろを見やった。カービィが駆けていった先、廊下の向こうに目をすがめて彼は一人、何かを考えているようであった。

同じ頃、カービィは自分が噂されていることなどつゆ知らず、いつもの明るい顔で一階の廊下を走っていた。そこは食堂などの衣食住のためのスペースが集まった区画と、各地のステージにつながる転送装置やトレーニングルームなど乱闘に関係する部屋が固まった区画を繋いでいる廊下の一つであり、深夜を除けば、一日を通してほとんど人の途絶えることがない通路だった。

カービィは、ここの廊下から横に広がる形で設けられたホールにピアノを置きっぱなしにしていた。音が響くので練習にちょうど良いのはもちろんのことだが、それとは別にもう一つ大事な理由があった。

走るうちにやがて視界が開け、暖かみのある色調のフローリングが一面に張られたホールが目にはいってきた。ピアノの辺りの様子を見たカービィはあることに気がつき、さらに顔を輝かせる。

「わぁ、フォックスの言ってたとおりだ!」

折しもピアノの前に立ち、鍵盤を指で押そうとしていた色黒の偉丈夫はその声に訝しげに顔を上げた。

「なんだ? これは貴様のものだったのか」

「ガノンのおじさん、この楽器しってるの?」

横までたどり着いたカービィが期待の色を浮かべて見上げてくる。それを、魔盗賊ガノンドロフは鼻先でふんと笑った。

「似ていると思っただけだ。名前は知らん。音が気に入れば持って帰ろうかと思っていたぞ」

当然本気ではないのだろうが、カービィは真剣にこれを受け取った。

「だめ! ぼくが買ったんだもん」

「ほう、貴様が?」

「そうだよ。ぼくのへやにおくの」

「ではなぜこんなところに置いている。そもそも、貴様はこれが何をするものか知っているのか?」

「もちろん! さっきも言ったでしょ、これは楽器。ガノンさんしらないみたいだから教えてあげるけど、これグランドピアノって言うんだよ」

「ピアノか。”グランド”までは良いが、どうにも華奢で軟弱な名前だな」

そう言ってからようやく、彼は止めていた指を鍵盤に下ろす。少しくぐもった単音が箱の中から生まれ、ホールに淡く広がっていった。その音に耳を澄ましていたガノンドロフはなにやら眉をひそめていたが、やがて指をそのままに、視線を前に向ける。

「なるほど、そういうことか」

手をピアノの蓋に掛けて軽く力をかけてみて、それからピアノの横に回り込むと身をかがめて何かを探し始めた。カービィが何も言わないうちに、彼はピアノの蓋の縁を探し当てると片手で押し上げてそれを開き、続けて箱の中を手で探っていたかと思うと支えらしき棒を見つけ出し、蓋の裏にあてがってしまった。

そうして再びピアノの前に回り込み、鍵盤の一つを押し込む。途端に響き渡った音はくっきりと明瞭で、それでいて柔らかく豊かな含みを持っており、高さも同じ音のはずなのに先ほどのそれとは全くの別物のように聞こえた。今度は満足がいった様子でガノンドロフは含み笑いをし、一つ頷く。

目を丸くし、ついで歓声を上げて拍手をするカービィ。ピアノの前に立つ盗賊の王は呆れたように首を振った。

「使い方も知らんのに買ったのか? まったく、過ぎたことを」

「さいしょはしらなかったけど、今はしってる! ぼくだって、そこのたたくのでひけるんだからね」

「これか……?」

カービィが指した先、長いすの上に置かれていたものを見たガノンドロフは思わず目を疑った。二本のマレット。しかも大きさと色からすると、どうやら子供のおもちゃのようだ。

「面白い。そこまでして貴様が弾こうとするのは何故なんだ」

「んー……」

見ると、相手は難しい顔をしていた。何かを必死で思い出そうとしている様子だ。

「……“しょうめい”するんだ。ぼくができるって」

「ほう?」

彼は口の片端をつり上げたが、それ以上は尋ねようとしなかった。代わりに、鍵盤の方に顔を戻してこう言う。

「ここに置いてあるということは、誰が弾いても良いということだな」

「うん! あ、でも、だいじにつかってね!」

「安心しろ。こういう類の扱いは心得ている」

おもむろにマントを片手で払いのけ、彼は悠々と長いすに腰掛けた。余韻を持ってマントが降りていく中、彼は目をつぶり、両手を鍵盤の上で構える。たった一人の観客が固唾を呑んで見守る前、しんと静まりかえったホールに幾ばくかの時が流れ――

力強く、最初の和音が響き渡った。

両の手の五指を存分に使い、生み出された音たちは互いに混ざり合い、厳めしく、聞く者の足をすくみ上がらせるような威圧をもってホールの隅々までを占拠していくようだった。が、やがてその和音は魔王の指の動き一つで様相を変え、気づけば音楽は重々しく主旋律を奏でだしていた。

それはカービィが今まで弾いていた曲とは全く趣向の違う曲だった。一度に飛び込んでくる情報の量からして桁が違う。重厚な響きの曲だったが、グランドピアノの前に座る奏者はあくまで必要以上の力は込めておらず、抑えるべきところでは抑え、語るべきところでは語り、ただ決められた音を弾くだけではなく音によって心の内を表現するべく、そういう意思を持って指に意識を向けているようだった。

一音たりとも間違えることなく弾いていたガノンドロフは、ちらりと横に視線を向ける。いつの間にか長いすに登っていたカービィがこちらの腕に手を掛けて身を乗り出し、真剣な表情で鍵盤をつぶさに観察しているのだった。それを認めた魔王はただ一つ笑っただけで特に下ろそうともせず、そのまま自分の音楽を奏で続けた。

窓の外はすっかり暗くなり、城のぐるりを囲む森は深い藍色をした夜空の下に黒々と影をなして沈んでいた。ホールの照明はほの暗い橙色に揺らめいていたが、どういう仕組みか、近づいてくる人の動きを感知すると目を覚ましたように再び明るく火を灯し始めた。

「あ、やっぱりここにいたのか。おまえもホント物好きだよなー!」

トゥーンリンクの第一声に、ピアノの鍵盤にもたれかかって眠っていたカービィは顔を上げた。まだ寝ぼけ眼をした彼の背から焦げ茶色の毛布がずり落ちる。

「……あれ、いまなんじ?」

あくび混じりにそう言ってから彼はようやく毛布に気づき、どこかぼうっとした顔のまま不思議そうにそれを手に取る。そんな彼にリュカがこう伝えた。

「もう7時だよ。一緒に遊ぼうと思ってたけど、暗くなっちゃったから帰ってきたんだ」

「しちじ? それって夜の?」

予想外の質問にリュカがきょとんとしていると、横から猫目の少年が口を出した。

「なーに言ってんだ、あたりまえだろー! 窓の外見てみろよ、もう月だって出てるんだぞ」

その言葉に窓の方を見て、カービィは純粋な感嘆の声を上げる。

「わぁぁ!」

と、長いすの後ろにいたピカチュウがふとカービィの手元を見上げ、ひょいと横に飛び乗るとじっとそれを見つめた。いつの間にかカービィはマレットだけでなく、およそ手に入る手頃な棒、色鉛筆やらお箸やらをその手に握っていた。

「ピィカ?」

尋ねるような様子でカービィの顔を見るピカチュウ。それに気づいた彼はちょっと得意げに笑った。

「えへへー。ぼく、一曲おしえてもらったんだよ!」

そう言うと彼はさっそく両手に持った種々の得物を構え、昼頃に聞いたばかりの曲を演奏し始めた。

それは、しかし残念ながら曲として聞くことができるほどの繋がりを持っていなかった。彼自身は次に弾くべき音をちゃんと覚えているようなのだが、その和音を押せる形に棒を持ち直すために手間取ってしまい、そのせいで次の音が押されるまでに前の和音が伸びきってほとんど聞こえなくなるほど時間が掛かってしまうのだった。

「なぁ、悪いこと言わないけどさ……」

さすがにじれったくなったトゥーンリンクが口を挟むと、カービィは目を瞬いて手を止めた。

「もうちょっとこう、別の曲にした方が良いんじゃないか?」

「そうだよ、いきなりそんな難しそうなの弾かなくたって……」

ネスがそう言いかけたが、カービィはむきになって頬を膨らませる。

「ひけるもん! ひけるようになる、ぜったい!」

そのとき彼の心の表層に浮かび上がってきた、言葉以前のイメージ。形を取ったのはほんの少しの間だったが、ネスは彼がここまで必死になっている理由の一端を掴んだように思った。一つ決心し、こう提案してみる。

「カービィ。君にはもうちょっと似合う曲があると思うよ。今思い出したんだけど、僕の知ってる人に音楽やってる人がいるんだ。後で聞きに行かない?」

「ほんと? うん、いく!」

さっきまでむすっとしていたのが嘘のようにぱっと表情を明るくするカービィ。しかしそこで間髪入れず、彼のお腹が賑やかに音を立てて鳴った。

「あ……そういえば、ぼく、きょうのおやつ食べるのわすれてた……」

そんなことを深刻な面持ちで言うので、その場にいた子供たちは思わず笑ってしまった。

「よっぽど集中してたんだな! でも、もうおやつって時間じゃないし、晩ご飯食べに行こうぜ」

そう言った金髪少年の先導で、子供たちは一団となって廊下をぱたぱたと駆けていった。

ホールには白いピアノと、長いすの上に緩くまとまった毛布が残されていた。

静かになった廊下に軽い靴音が響き、照明が息を吹き返す。やがてホールに姿を現わした一頭身の剣士は、ピアノの傍に誰もいないことを確認するためにしばし立ち止まり、それから長いすの所まで行くと毛布を回収した。

毛布を片手にまとめ、そのまま歩み去ろうとした彼はそこで、不意をつかれたように足を止める。その背に呑気な声がこう言ってよこした。

「どうするんだ? あいつ、火が付いちまったみたいだぞ」

「私の知ったところではない」

「まぁたそんな口をききおって……」

仕方のないやつだと言いたげにため息をついて現われたのは、赤いガウンを羽織った自称の大王。こちらに背を向けたままの相手にむかって、腕を組み、こう続ける。

「お前もよく知ってるだろう、あいつはひとたびこうと決めたら絶対にへこたれないとな。どんなことがあろうとも、何が何でも引き下がろうとしない」

「だが“これ”は不可能だ」

振り返り、強い口調で言って傍らのピアノを手で示す。デデデはそれに重ねるようにして言い返した。

「だから問題なのだ。これでいったい何日目だ? あいつがおやつの時間をすっぽかすなんてありえん、わしには信じられん事態だ。お前も言ってやったらどうなんだ、弾けなくても良いからお前の好きなように部屋に置けって――」

「それでは意味がない」

一点の曇りも無い純白のピアノを見上げ、そこに映り込んだ自分の眼差しに気がついて彼は少しの間沈黙を挟む。

「……彼はそろそろ学ぶべきだ。取り返しの付かぬ事態に陥る前に、理解しなくてはならない。確たる思考や歴とした思想も無く、みだりに動いていればいつかは行き詰まる。望む全てが思い通りになるほど、現実は甘くはないのだと」

そのまま返事も待たず、剣士は毛布を手に、マントを翻して歩み去ってしまった。心なしか、その靴音はいつもより尖った音を立てているように聞こえた。残された大王はぼやくように一人つぶやく。

「そんな難しく考えるこたぁないと思うんだがなぁ……」

流れるように風景が通り過ぎていく中で、こちらの手を繋いで走る帽子の少年の背だけが変わらずそこにあった。城の長い廊下が次第に溶けるように薄れていき、やがて姿を現わしたのは夜の摩天楼。

「着いたよ。ここに来るのはちょっと久しぶりだよね」

「うわぁ……どこだっけ、ここ!」

そう言いながらカービィはビルディングのてっぺんを追ってどこまでも視線を上げていき、後ろにひっくり返りそうになっていた。

「ほら、フォーサイドだよ。下から見るとまた違って見えるでしょ」

前の時はステージとして、かの世界に組み込まれていたイーグルランド随一の大都市。今は向こうとは切り離されており、歩行者は歩道の途中に突然現われた少年と、彼が連れている喋るぬいぐるみのような生き物を初めて見るような顔をしてまじまじと見ていた。

ネスの言葉にこの大都市を思い出したカービィであったが、それについて何かを言う前に別のものに気を取られてしまった。

「あ、あそこパン屋さんあるよ! いこうよネス!」

「後でね。ほら、僕ら演奏を聴きに来たんでしょ。急がないと、そろそろステージが始まっちゃうよ」

辺りでは街灯やショーウィンドウが煌々と輝き、街には夜空の星がかすむほどの光があふれていた。忙しげにせかせかと歩く大人たちの間をぬい、ネスはカービィの手を引いて目的の劇場へと走っていく。

どこかの神殿にも似た、厳かでいて高級感のある白い建物。TOPOLLOという文字が掲げられた入り口をくぐる辺りでネスはこんなことを言った。

「カービィ、ちょっと目をつぶって、動かないでいてね」

「え、どして……」

「しっ!」

人差し指で静かにするように合図をしたので、カービィは不思議そうな顔をしつつもそれに従った。

そのままネスはカウンターに向かい、受付の男の人に「チケット、一つください」と伝える。男の人はちらっとネスの後ろを見たが、そこにいるのがぬいぐるみだと分かると視線を戻し、愛想の良い笑顔でこう言った。

「30ドルになります」

ネスはポケットから必要なお金をだし、代わりにチケットを受け取る。

受付の係員はチケットでシアターに入っていく少年を何気なしに見送りつつ、スポーツ少年でもぬいぐるみを欲しがることがあるのだろうかと少し不思議に思っていた。

シアターの中に入ったネスはカービィの手を引き、薄暗い客席の間を縫ってさらに奥へと進んでいく。歩きながら、小声でこう言った。

「OK。もう喋って良いよ」

「……ここ、入るだけでおかねかかるの?」

つられて小声になって尋ねるカービィ。それでもこそこそ話をする彼らに、客席に座る身なりの良い大人たちはお上品にそこはかとなく、たしなめるような視線を向ける。

「うん。演奏を聴くところだからね、ここ」

それから彼は辺りを見渡し、まだ演奏が始まるまで少し時間がありそうだと判断するとカービィについてくるように言い、シアターの最奥部にある扉の前まで歩いて行った。扉の前にいた係員は子供と未確認生命体の来客に戸惑っていたものの、ネスの言った何かに合点がいったように頷くと二人を通してくれた。

「なんていったの?」

「僕の名前。僕、“トンブラ”のちょっとした知り合いなんだ」

「え、テンプラ?」

カービィが聞き返した向こうで、陽気な声が上がった。

「よお、ネス! えらいひっさしぶりやなぁ、元気しとったか?」

そこにいたのは揃いの黒服を着こなした6人の男たち。だいたいがサングラスを掛けており、揃って屈託のない笑顔を見せていた。だいたいのメンバーは楽器を持っており、見るからにミュージシャン然としているが、先に声を掛けてきた大人も含め、前にいる2人だけは見たところ手ぶらである。手ぶらのもう一人の男も続いてこう言った。

「お前は変わらないな、その赤い帽子も縞シャツも。だがこっちはずいぶん変わったぜ。お前たちのおかげで今じゃ毎日あっちにいったりこっちにいったり、CDも作るそばから飛ぶように売れていくのさ」

「みんな元気そうでよかった。今度はオーナーさんにだまされちゃったりしてないよね?」

冗談めかしてネスが聞くと、細身の男の方がカッカッカと笑う。

「そやそや、そんなこともあったなぁ!」

「もちろん忘れちゃいないさ。あのときはお世話になったな。カオスシアターのときもそうだ」

「きみはぼくらのでっかい恩人さ!」

「こがいな気前のええ青少年、どこ探したっておらんけぇの」

メンバー全員がひとしきり口々に褒めそやしたところで、金ぴかの楽器を持った赤いサングラスの男がふと気づいてこう尋ねてきた。

「ところで、そのお連れさんは新顔かい?」

「僕の友達なんだ。トンズラブラザーズの演奏を聴いてもらいたくって」

「はじめましてー!」

ようやく喋ることができたので、張り切って挨拶するカービィ。

「へえ、それはそれは。フォーサイドまでよく来たね!」

「なんや、かわいいやっちゃなあ」

「よしきた! 我らが恩人とそのご友人に、今夜はとびっきりご機嫌なステージをプレゼントしてやるぜ。おれ達の出番はもうすぐだから、客席に行ってくつろいでな」

照明の落とされた広いホール。最前列の席に案内されたネスたちは座席があまりにも大きかったので、一つのシートに2人で座っていた。舞台にはすでに楽器を担当する4人が上がっており、暗闇の中で楽器に息を通したり、弦の具合を確かめたり、そういった動きがぼんやりと見えている。その様子に目をこらしながらカービィがこう聞いた。

「ピアノのひとっていないの?」

「キーボードならピアノの親戚みたいなものだけど。まぁ、まずは演奏を聞いてみてよ」

そのネスの言葉の最後に被さるようにして、シアターに拡声された司会の声が響き渡り、ショーの始まりを告げた。2人は口を閉じ、ステージの上に目を向ける。

一曲目、出だしのフレーズを聞いただけで観客が期待と驚きにどよめいた。この曲を知らないカービィも、聞こえてくる音楽の中にある、何か新鮮で今まで聞いたことのないようなものに気づき、知らぬ間に身を乗り出していた。

ゆっくりとスイングするような伴奏に合わせて、ステージの両端から残る2人のメンバーが姿を現わす。俯いた顔を帽子で隠し気味にし、後ろ歩きで一歩一歩、肩で調子を合わせ、互いに近づいていく。

じらされ、徐々に高まっていく緊張感。伴奏が一つの区切りに至る前触れを見せたかと思うと、歯切れの良いアタックとともに手前の2人がこちらに顔を向け、ステージに照明が弾けた。途端に伴奏はテンポを上げて賑やかに、メインの男たちも小粋にステップを踏んで踊り出す。明るく賑やかに、それでいてヘビーでパワフルに。まるで夜の摩天楼、今日のフォーサイドにぴったりのサウンド。

やがて、踊っていた流れのままに2人はステージの前の方に置かれたマイクスタンドにたどり着く。軽快なダンスに対する観客の拍手が未ださめやらぬ中、伴奏がまた別の曲に移り変わり、そして彼らは歌い始めた。

ネスにとってそれは旅の途中で何度か聞いた歌ではあったが、それでもこの曲はいつ聞いても自然と楽しくなってくる。組んだ手の上、気づけばリズムに合わせて指が動いている。そこで気づいてふと隣を見ると、カービィもまた楽しげに手拍子を叩いていた。彼の表情がすっかり明るくなっているのを見て取ったネスは、ちょっと安心したように笑うと、再びトンズラブラザーズの演奏に目を向けた。

「君は弾かなくて良いのかい?」

ホールに置かれた真っ白なグランドピアノ。一曲弾き終えた赤い帽子の小柄な男は閉じられたピアノの屋根を見上げ、そこにいるピンク玉に尋ねかけた。彼は腹ばいになって両手で頬杖をついたまま、こう答える。

「ぼくはいいの。けけさんにどんな曲たのもうか、きめなきゃいけないんだ」

こっちと向かい合わせになって難しげに眉間(らしきところ)にしわを寄せていると思ったら、マリオの演奏とは別のことを考えていたらしい。

「おっと、そうだったのか。じゃましちゃったな」

「ううん、じゃまじゃないよ! だいじょぶ。マリオはそのままひいてて!」

「そうかい?」

今度はピアノの上で仰向けになり、ホールの天井を見上げて再び考え事に没頭し始めたカービィはそのままに、マリオは次の曲を弾き始めた。ところが数小節弾いたあたりで目の前にいるカービィががばっと身を起こし、こちらを向いた。

「あれ、その曲なんていうの?」

「えーっと……題名は忘れちゃったな。たしかラグタイムとか、ラグとか、そんな感じの言葉が入ってた気がする。ジャンルとしてもその辺りだよ」

「じゃんるってなに?」

「そうだなぁ。食べ物で言うなら果物とか野菜とか、似たもの同士を大雑把にまとめて言うための、そういう言葉ってとこかな」

「じゃあ、けけさんに言ったらそれで通じるね!」

そう言って彼は再び腹ばいになって身を乗り出し、鍵盤を眺める格好になった。演奏を見せるためにマリオは途中から弾き始める。しかしまたもや、少し弾いたところでカービィがため息をついた。

「うーん……でも、これもむずかしそうだなぁ」

マリオは弾きながら視線で聞いていることを伝え、その先を促す。

「ぼく、ここにピアノおいていろんなひとにみせてもらったけど、やっぱりかっこいい曲ってゆびがたくさんひつようみたいなんだ。どうしたらはやく、いっぱい一度におせるのかな」

「そいつは難題だなぁ」

「マリオは何でもできていいね~。くるまも乗れるし、いろんな“すぽーつ”知ってるし、もの直すのとくいだし……」

この言葉を聞き、マリオは意外そうな顔でピアノの上にいるカービィを見上げた。思わず手も止まってしまう。

「君にそう言われるなんて思ってなかったな。何でもできると言えば君のことじゃないか」

ちょっと笑いつつ言ってみたのだが、カービィは変わらず、深刻な表情を崩そうとしない。その様子を見ていたマリオは弾きながら少し考えていたが、やがてその手を止める。静かになったホールの中、彼は明るい眼差しを向けてこう言った。

「僕は僕。君は君さ。君には君の得意なことがある。つまりそこには君にしかできないことも、君でしか見つけられないものもあるってことだよ。どうしても進めないと思ったら、別の道を探してみるのも良いんじゃないかな?」

「ほかの……みちかぁ。んー……」

カービィは難しい顔をしつつも、贈られた言葉を一生懸命かみ砕こうとしていた。

たどたどしく練習を繰り返し、またピアノに興味を示したファイターの演奏を聴き、そうしているうちに土曜の夜はあっという間にやってきた。

その日のすま村での最終試合が終わり、メタリックなザコ敵たちが黙々とステージのロープ柵を外し、担いで運んでいく。表彰の済んだファイターたちも和やかに雑談をしていたり、次の試合に備えて城に戻っていったりとめいめい散らばっていった。そんな中、自分よりも背丈の高い人たちの足元を縫い、片付けも待ちきれずに駆けていく小さな丸い影が一つ。

「けけさーん!」

その声に、ステージの中央、切り株を模したお立ち台でギターのチューニングをしていた白い犬のミュージシャンは、おやと眉を上げてそちらを向いた。

「やあ、良い夜だね。キミは……ときどきここで試合してるひとかな。今日は一曲聴きに来たのかい?」

切り株ステージの縁に登り、カービィはひょっこりと顔を覗かせる。

「んーとね、ちょっとちがうの。ぼく、曲をおしえてほしいんだ」

「教えてほしいって?」

とたけけは意外そうに目を瞬かせる。

「そう! あ、でも見せてくれるだけでいいよ」

と、そこでカービィはあることに気がついて声を上げる。

「わぁ……おいて来ちゃった、ピアノ……!」

このところグランドピアノはずっとホールに置きっぱなしにしており、それが自然なことになってしまったために、今日という日に持ってくることを忘れてしまったのだ。落胆のため息とともにうなだれ、すっかりしおれてしまった彼に、とたけけは少し考えてからこう声を掛けた。

「キミが教えてほしいのはピアノの曲なんだね。でもぼく、どっちかというとギターの方が得意なんだ」

「ギターって?」

「ほら、ぼくが持ってる楽器のこと。これがギターだよ」

そう言ってとたけけは、洋ナシやひょうたんのようにも見える形をした楽器を膝の上に載せ、手で撫でるように弦を優しくはじいてみせる。響いた和音はピアノとはまた違った深みと味わいを持ってステージの上に広がり、ざわめく雑踏の中にゆっくりと消えていった。

「いい音だねー!」

それまでがっかりしていたのが嘘のように目を輝かせてそう言ったので、とたけけも笑って頷き返す。

「分かるかい? このギターは昔、ここに住んでる人からもらったものでね」

そうして短いフレーズを軽くつま弾き、それから彼はこう続けた。

「どうやら、キミは音楽が大好きみたいだね。なんとかしてキミのリクエストに応えてあげたいけど、今日はあいにくギターしか持ってきて無いからな……よかったら、また来週来ておくれよ。キミのピアノも一緒にね。そのときまでに練習しておくからさ」

「うー、わかった!」

勢い込んで頷くカービィ。

「それじゃ、決まりだ。なにかリクエストはあるかい?」

「たのしい曲! えーっと……ラ、ラングド、じゃなくて……」

「……ラグタイムかな?」

「そう、それ!」

「わかった。ちょうどぼくのレパートリーにもあることだし、ピアノ用に編曲しておくね。今夜はその前に、どんな曲か聴かせてあげよう。さ、席について」

気づけばステージの片付けも終わっており、日中はファイター達の闘っている往来もすま村の住人や、演奏を聴きにわざわざやってきた観光客などで賑わい始めていた。ザコ敵たちによって切り株を囲むように並べられていく椅子、その一つにカービィはちょこんと座り、白いギタリストが演奏を始めるのを今か今かと待ち受ける。

深夜のホール。

白いグランドピアノの周りには思いつく限りの道具とおもちゃが散らばっていた。ドラムのスティックにハリセン、うさぎずきんといった穏便なものから、スーパースコープやリップステッキ、ゴールデンハンマー、果たしてピアノにこんなものを使っていいのかというものまで揃っている。

椅子に座る丸いファイターは、ほとんど目をつぶりそうになりながらも手にした箸で鍵盤を繰り返し押し、その具合を確かめていた。かつかつと当たる音がしていたのがやがて止み、箸でキーを押し込んだまま彼は眠ってしまう。

体重の掛かった箸が滑り、鍵盤から外れ、がくりと前に倒れ込んで初めて目を覚ます。大あくびをしてから丸い体で背伸びをし、ぼうっとピアノの鍵盤を、白と黒の羅列を眺めた。

疲れた様子で小さなため息をつくと、彼はピアノの椅子から降りる。

そうして暗い廊下の中とぼとぼと、自分の部屋に向かっていった。

「あれ、今日は練習しなくて良いのか?」

サッカーボールを持って振り向く猫目のリンク。彼がちょっと驚いた顔をして見る先には、子供たちに混じって走ってくるカービィの姿があった。

「うん! ぼく、“もさく”してるんだ!」

どこで習ったのか、彼はそんなことを笑顔で言った。

「もさく?」

「ほかのみち探してるんだけど、なかなかむつかしくて。だからちょっときゅうけい」

そう言った彼の表情には後ろ暗いところなど見あたらなかったが、それでも猫目の少年はちょっとの間返す言葉を探していた。

「まぁ、なにごとも楽しくやるのが一番だもんな」

やがて、トゥーンリンクは笑みを返し、彼に頷きかける。

子供たちが向かっていくのは城の裏庭とも言える場所。庭園の広がる入り口側とは違い、そこにはほどよく刈り込まれた芝生だけが広がっていた。しかし、サッカーボールを持った子供が駆け込んでいくと、途端にうっすらと地面に白線が引かれていき、然るべき位置に忽然とゴールポストが出現した。子供たちは慣れた様子でそのままコートの真ん中まで走っていく。

ここは、乱闘以外にもスポーツを楽しみたいというファイターの要望に応え、マスターハンドたちがポケモンスタジアムの仕組みを応用して作り上げた多目的対応型のフィールドである。

サッカーボールを小脇に抱え、友達の人数を数えていく猫目のリンク。

「5、6、7……7人か。どうしたもんかな」

「ぼくら、2人で1人分で良いんじゃない?」

ポポがそう言ったが、隣のネスはこう返す。

「そういうわけにもいかないんじゃないかな。乱闘ならそれでも良いかもしれないけど」

二人の顔を見比べていたリュカが提案した。

「ねぇ、誰か交代で休憩するのはどう? それか、点数を覚えとくとか」

「でもなぁ、それじゃあ誰か一人がヒマすることになるよな……」

皆の意見を聞き、腕組みをして考えていたリンクは、視線の先に現われたものを見て声を上げた。そのまま口の横に両手をあてがって大きな声で呼ぶ。

「おーい、レッドー! ちょうどいいとこに来てくれたな、ちょっと力貸してくれよ!」

その声に、城の外回廊を歩いていた赤い帽子の少年は立ち止まり、小手をかざしてこちらを見る。返事は聞こえなかったが、リンクの様子を見たところでは良い反応が返ってきたらしい。やがて、レッドはこちらまで走ってきた。

「僕一人で良い? リザードンたち、サッカーのルールはまだ知らないから」

「4対4なら、まぁ十分じゃないかな」

「わかった。それじゃあコートの外で見学させるね」

そう言って彼は三つのモンスターボールを軽く放り、手持ちの三匹を外に出してやった。彼らはセンターラインに立つ自分たちのトレーナーに、応援するようにそれぞれ手や蔓やらを振って見せる。ゼニガメは向こうにピカチュウがいるのに気づき、嬉しそうに両手を振った。ピカチュウもこれを見て笑顔で手を振り返す。

三匹の観客が言葉ならぬ声で熱烈に応援する中、若きファイター達は白黒のボールを巡って駆け引きをし、奪い合い、走り回っていた。

トゥーンリンクは子供と侮ることのできない脚力と機転で追っ手をかわし、同じチームのポポとナナは息のあった連係プレイでボールを繋いでいく。一瞬後には流れががらっと変わってしまうような状況でもキーパーのネスは焦らずに相手の思惑を読み、リュカもダスターから教わった足技を活かして小柄な体に見合わない勢いのシュートを打ち込む。ピカチュウは足でのドリブルはできないが、走りながら器用に電撃でボールを運んでいた。

初めこそ相手がほんの少し年下だからと手加減していたレッドも、今では本気になってこの試合に打ち込んでいた。

「ピッカ!」

ほほ袋から放たれる電撃で勢いをつけ、ピカチュウがカービィへとパスを渡す。大きな弧を描いて飛んでいったボールを身軽に飛び上がって受け止めて、地上に落ちたそれをドリブルで運んでいくカービィ。そこにすぐさまトゥーンリンクが追いすがる。

「へへっ、遅いぞー!」

すかさず横から割り込み、ボールを取り上げる。しかし間髪おかずにボールは妙な軌道を描いて独りでに離れていってしまった。目を瞬いて振り向き、それを見つけたリンクは抗議する。

「あっ、おい! すいこみはずるいだろ!」

「手つかってないもん。ハンドじゃないもんね~!」

吸引力でボールを奪い返したカービィ。ところがその前に、今度はポポとナナが立ちはだかった。二人は互いに顔を見合わせて頷き、カービィを挟むように向かってきた。右に逃げれば右に、左に逃げれば左に。このままではどちらかが隙を突いてボールを奪ってしまう。

迷っていたカービィはとっさの判断でドリブルを中断し、何を思ったか天高くボールを蹴り上げた。ポポとナナはこの動きを読み切れずに少し走りすぎてから止まり、揃ってぽかんと口を開けてボールの影が小さくなっていくのを見上げていた。

「リュカ、まかせたよー!」

「……えぇっ、ここから?!」

思わずそう返しつつも、リュカは自分に出来る限りの走りでバックから駆けていく。おおむね追いついたところでPSIで補助を付け、ふわりと高く飛び上がった。ようやく我に返ったポポとナナもそれを見て協力技のジャンプで追いすがろうとしたが、ほんの少しリュカの方が早かった。

くるりと宙で一回転し、天地逆さまの格好で思い切りサッカーボールにキックをたたき込む。勢いづいたボールは流れ星のような輝跡を描いてまっしぐらにゴールへと向かっていった。これを待ち受けるレッドは、内心で腰が引けてしまいそうになるのを押さえながら、炎をまとうボールを見据え、そして跳ぶ。

カービィもその場面を見ていた。真っ直ぐに伸ばされたレッドの腕、その先の両手が何とかボールを捉え、自分たちのチームのシュートは惜しくも防がれてしまった。しかし勢い余ったボールは僅かに後方に飛び、ゴールポストにぶつかっていく。

次の瞬間、澄んだ音がコートに響き渡り、それを聞いたカービィははたと足を止めた。

斜めに弾かれたボールがぎりぎりゴールの中に入り損ねたのを見届けてピカチュウやリュカが残念そうな声を上げているのにも、セーブしきったレッドがしりもちをついているのにも気づかず、金属の響く音が余韻を残して空に消えていくのを半ば放心したような表情で追いかけていた彼だったが、不意にはっと目を見ひらくと一目散に駆けだした。

「えっ、おい、どこ行くんだ?!」

思わぬことにすっとんきょうな声が出てしまう猫目のリンク。しかしもはやその声はカービィには届いておらず、彼はそのまま外回廊の中に走り込んで姿を消してしまった。

彼の脳裏によぎったのは先週のとたけけの演奏と、最初にデデデが示して見せたピアノの中身だった。自分は今までピアノの鍵盤にしか注目していなかった。白か黒の板を押し込めば音が出るもの。そういうものだと思っていた。

迷うことなく件のホールにたどり着いたカービィ。ピアノの前にはちょうどピーチ姫がやってきており、試し弾きをしようとしていたが、もの凄い勢いで駆け込んでくる足音に気がついてちょっと驚いたように顔を上げた。

「あら、ごきげんよう。練習をしに来たの?」

すでにこの白いピアノがカービィの買った物であることは、ファイターの中では知れ渡っていた。

「そう! あ、でも、そうじゃないの!」

ぽんと鍵盤の上に飛び乗り、足で黒鍵の和音を奏でながら彼はピアノの蓋をぐいと持ち上げる。

「ねぇピーチ、そこの“つっかい”でおさえて!」

「えぇと、これのことね」

どこか似たところがあるためだろうか、彼女はさほど戸惑うこともなくカービィを手伝っていく。蓋が固定されたのを見て、カービィは次にぽんと一足飛びにピアノの中に飛び込んでいった。弦を踏むこともなくその向こう、奥の真鍮の板だけがあるところに着地する。

そこから振り返り、彼はこう言った。

「いいよ! ひいてみて!」

「あら! ふふ、いったい何を思いついたのかしら?」

目を輝かせてこちらを見るカービィの様子が可笑しくて思わず頬笑みながらも、ピーチは改めて椅子に腰掛ける。そのまま彼女は、白い長手袋をした手で優雅なワルツを奏で始めた。右の手は軽やかにフレーズを歌い、左の手は厚みのある和音を贅沢に紡いで伴奏を担う。まるで舞踏会で流れるような、ピアノの代わりを呼ぶとすればちょっとした管弦楽団が入り用になりそうなほどに豪華な舞曲。

カービィは鍵盤の方を見に行くでもなく、その手前を、ピアノの内部に広がる弦の平行線をじっと見つめていた。鍵盤に近い側の端、弦の下で時折三角形のハンマーが動き、弦を短く叩く様子に、そして弦を上から抑えている四角いスポンジのようなものが不規則に動く様子に見入っていた。

かと思うとぱっと起き上がり、ピアノの縁を器用に渡って椅子に飛び降りると、今度はピーチの手元を観察し始める。ハミングで旋律をまねて歌い出したが、幸いにもごく小さな音だったので隣にいる姫はそれに気づかず、そのまま最後まで無事に弾ききることができた。

「すごいよ、じょうず! なんだかわくわくする曲だねー!」

「そう言ってもらえるとうれしいわ」

「ね、もうちょっとひいてよ。でも、ちょっとかんたんなの……あ、そうだ。こんどはぼくがおねがいする通りにひいて!」

「ええ、よろしくてよ」

金色の髪をふわりと揺らし、姫は気前よく頷く。

「まずはその、そこの音……そうそう! あ、おしっぱなしにして! いま見にいくから」

ピアノの外と中を行ったり来たりし、押すべき場所を手で示してはピアノを中から見つめ、真剣に観察する。カービィは飽きもせずにそれを繰り返し、ピーチ姫もそれを面白がってつきあってくれた。

「うーん……なんで上がるのかな、これ……。あ。ねえ、ピーチ。いまのとおんなじ音、いろんな長さでおしてみて!」

「わかったわ」

彼女はそれに応えて、スタッカートからレガートくらいまでのバリエーションで弾いて見せた。短いところから徐々に長く、そしてもう一度、だんだん短く。最後にずっと押しっぱなしにし、音が消えてもそのままにする。

そうしていたが、彼女はふと思いついて鍵盤から手を離し、ペダルを踏み込んでみた。

「わぁ! いまのどうやったの?」

「ピアノには足で踏むペダルもあるのよ。音を響かせたり、反対にくぐもらせたりする時に使うの。ちょっと見ていて」

それからピーチは先ほどのワルツで何度か出てきたフレーズをペダルを踏まずに弾き、続いて三種類あるペダルを順々に踏みながら弾いてみせた。同じフレーズであることは音を聞いて分かったが、ペダルの効果で様々に顔を変え、洞窟に響いたようにも、またドアを閉め切った向こうから届くようにも聞こえるのだった。

カービィはペダルが押されるたびにピアノの中で起こる物事に集中し、一音一音が押されるたびにどこが動き、どこが震えるのかを見極めようとしていた。

その日を境に、ホールから白いピアノは姿を消した。

ある人はようやく飽きたのだろうと言い、またある人は取材が十分に済んだから自分の部屋に持ち帰ったのだろうと言った。そしてこの場合は後者が当たっていた。

プププランド出身の者たちが暮らすフロア。そこそこの広さをもつホールにノックの音が響いていた。ハンマーを肩にのせ、空いた片手でカービィのドアを叩いているのは平和な国の自称大王。

「おーい、カービィ。寝とるのか?」

そしてまたノックしようとし、そこで彼はその物音に気づいた。こちらがまだ叩いていないにも関わらず、ドアからかすかな音が聞こえてくるのだ。デデデは怪訝そうな顔をし、ドアに耳のあるあたりを近づける。

初めは雨漏りでもしているのかと思えた。その音はまるで、雨だれが樋に当たってでたらめな音を奏でているように聞こえたのだ。しかしここは最上階ではなく、上のフロアが何らかのアクシデントで水浸しになったのでもなければ雨漏りなどするはずもない。

ちょっぴり心配になって、大王はドアを押し開けた。すると途端に音はやみ、きょとんとした顔のカービィがこちらを向く。ベッドの上にクッションやら枕やらで山を作り上げ、その上に乗っかる彼はなぜか草でできた冠のようなものを被っている。リーフのコピー能力だ。

「あーっ、かってに開けないでよ。もー! いまれんしゅうちゅうなの!」

むくれるカービィ。部屋には葉っぱの名残がはらはらと舞っている。

「練習ぅ? こりゃあ一体全体、なんの練習なんだ。組み体操か?」

「みればわかるでしょ。ピアノだってば」

「ぜんぜん分からん。第一、なんでそんなとこにおるのだ」

確かにピアノは置かれてあるのだが、カービィはその椅子の前に座ってさえいないのだ。さっきまでふくれていたのが、もう自慢げな顔になってカービィはこう言う。

「えへへ、ひみつ! あててみてよ、デデデ!」

「なぞなぞに付き合ってるヒマはないぞ」

渋面を作って腕組みをする大王。

「まったく、わしの不戦勝になっても良いのか? おやつばかりか試合まですっぽかすなんて、呆れかえるほどのんきなやつだ! ま、わしはお前が棄権しようと何しようと、全然これっぽっちも気にせんけどな」

この言葉にカービィは目をぱちくりさせていたが、やがて大きな声を上げて立ち上がる。

「……あーっ、わすれてたぁ!」

途端にベッドの上のふかふかの山は崩れ、てっぺんに乗っていたピンク玉も弾むように転げて床に着地し、一目散に走り出す。

「こーら、コピーは捨てていけ! ステージには持っていけんぞー!」

置いて行かれたデデデは、ぐんぐん小さくなる背中にそう声を掛けた。

すま村の夜は今日も穏やかで、地上の家並みからほのかに料理のかおりや音楽が立ち上るなか、空を見上げれば澄んだ空気の彼方に透かして満天の星が見渡す限りに広がっている。

「こんばんわぁ~」

その声に、ギターの調律をしていたとたけけは顔を上げた。

「やあ、一週間ぶりだね。頼まれてた曲、できてるよ」

そう言って彼がギターケースから差し出した紙束を、カービィは不思議そうな顔をして受け取った。そこに描かれているものとにらめっこし、難しい表情になる。

「これが曲なの?」

「……もしかして、楽譜は読めなかったのかな」

「がくふって何?」

「どんな音を、どんな風に弾くのかを記したものだよ。共通のルールで書かれているから、違う国の曲だって、かなり昔の曲だって弾いたりできるわけさ」

「ぼく、これよめないや」

あまりにも素直に言うので、とたけけも思わず笑ってしまった。

「そうみたいだね。まあ、記念にとっておいてよ」

それからギターを椅子に立てかけ、彼は立ち上がるとステージから降りてくる。

「楽譜の代わりに僕が模範演奏してあげようと思うんだけど……そういえば、キミがどのくらい弾けるのか聞いてなかったね。うっかりしていたよ。今夜、ピアノを持ってきているなら、ちょっとここで見せてくれるかい? キミに合わせて曲の難しさを変えてあげるからさ」

この言葉にカービィはほんの僅かな間きょとんとした表情をしたが、すぐに張り切って大きく頷いてみせた。

「いいよー!」

彼がまず行ったのは、あの白いピアノを出すことではなかった。思わぬ組み合わせにとたけけは止めることも思いつかずただただ呆気にとられていたが、やがて始まった演奏を聞いてその表情はすぐに軽い驚きへ、そして面白がるような笑顔に変わっていく。

やがて一曲弾き終わり、得意げな顔でこちらを向いた桃色のファイターにとたけけは惜しみなく拍手を送った。

「ぼくが心配するまでもなかったね。どうやら、このままの編曲で渡しても大丈夫そうだ」

「ごーがい、ごーがーい!」

アーチ状の高い天井に淡くこだまして、すこぶる脳天気な声が響く。そこは城の真ん中を貫く、大通りとも呼べそうな幅を持つ廊下。手作りのビラを振り回すカービィを先頭に、同じようなビラを持たされたザコ敵数名がどことなく当惑した様子で付き従っている。

ビラは画用紙か何かにペンやクレヨンで書き付けたものであり、何人かの友達が手伝ってくれたのか筆跡にはバリエーションがあった。それでも豪勢にまき散らすほどは用意できなかったらしく、こうして手に持ったまま練り歩いているというわけだ。

この珍妙な行進が、廊下を行き来するファイターの目を引かないわけがなく、遠くで立ち止まり小手をかざして見る人もいれば、わざわざ歩いて行ってビラをもらいに行く人もいた。

彼らのために行列を止めさせて、カービィはその場で手持ちのビラを配り始める。

「なんだ、新聞じゃないのか」

内容を分かったうえで軽くからかわれる。

「うん。おしらせだよ」

「号外ってのは普通、新聞を配るときに言うんじゃなかったか?」

「え、そうだっけ?」

全く心当たりのない顔をしているカービィの頭上で、また別の人がこう言った。

「まあまあ、細かいことは気にしないで。それで、君は発表会を開くつもりなの?」

「そうだよー! みんな見にきて……あっ、聞きにきて、ね!」

それぞれに返事がばらばらと上がる後ろからも、興味を持った他の仲間がやってきた。カービィは彼らにもビラを渡しに走っていく。

ある人は押しつけられた紙を何も言わずに受け取り、紙面と配り手の顔を見比べて、にやりと笑って去っていった。またある人はこの内容をずいぶん喜んでくれた。

「まあ! それじゃあ何か良いアイディアを思いついたのね」

「えへへ、まーね!」

こうしたやりとりを続けながら行進は少しずつ廊下を進んでいき、後にはビラを持ったファイター達が何人かずつ固まって残っていた。事情を知る者とそうでない者の間で交わされる会話がわずかに反響しながら辺りに広がり、混じり合っていく。

「――なんか楽器を始めたって噂は聞いてたが」

「一月くらい前じゃなかった? もう忘れかけてたよ」

「さて、どうなることやら……」

「わりと真面目にやってるみたいだよ。聞いた話では――」

「ええ。この間も、もう一度曲を見せてって頼まれたわ」

「信じられないなぁ……ホールが吹き飛んだりしないよね」

「マスターにも連絡をとるか」

「それがさぁ、彼が見たいって言ったのは鍵盤じゃなかったんだ。熱心に見てたのは――」

「――これがその楽器? 絵だと大きさ分からないけど……」

「わかった。ミュージシャンのコピーでもするんじゃないか?」

やがて彼らも紙を手に話しながら散っていき、廊下は再び、ファイターがそれぞれの歩調で行き交ういつもの様相を取り戻す。

人がはけていった向こう側から、堂々と廊下の中央を歩いてやってくる赤いガウンの大王が一人。ちゃっかりもらっていたビラを手にとり、にんまりと笑って頷いていた。

「ほーう……そうか。どうやら何か思いついたらしいな。あいつめ、いつの間に」

ハンマーの柄で肩をぽんぽんと叩き、彼はそう独りごちる。眺める紙面にはピアノやらコンサートやら、色も形も様々な文字たちが絵と一緒になって賑やかにひしめき合っていた。誰かがリサイタルと間違えたのか、リサイクルという単語も混じっている。

そんな中、日時と場所を示す文字だけは行儀良く中央下寄りに並んでおり、それが示す日付は今度の土曜日となっていた。

昼下がりの日差しが、今日も木張りのホールを暖かく染めている。

主館の四方を守るように建つ副塔。その最上階にほど近い円形のホールは見晴らしも良く、また窓を開ければ心地よい風も入ってくる。バルコニーから出て外を眺め、鬱蒼と茂る森と、その向こうに広がるこの世界の箱庭めいた眺望を堪能することもできるし、窓とは反対側の円周にぐるりと用意されたベンチに座って本を読みふけることもできる。

ファイター達が主に使っている区画からは少し離れたところにあるため、普段はほどよい静けさが保たれているこのホール。しかし今日だけは少し雰囲気が違っていた。

ベンチに腰掛けたり、木目の床に座り込んだり、思い思いの格好でファイターが集まっているのだ。決して満員になっているわけではないのだが、居心地の良さを求めて廊下に立っている人までいる。雑談をしたり、一人考え事にふけったり、そうして彼らが視線を向けている先には一台のピアノが置かれてあった。

蓋の閉じられた純白のピアノ。午後の日差しを受けて輪郭が淡く輝いており、新雪のように無垢で触れがたいその白さを一段と際立たせていた。

何人かが腕時計や通信機器にちらちらと目をやり始めた頃、ようやく奏者がぽてぽてと走ってやってくる。

「うわぁ、いっぱい! みんなききに来てくれたの? えへへ、うれしいなぁ~」

のんきにそう言ってホールの中央に向かっていくピンク色のファイター。

彼の向かう先にある楽器を見て、今し方遅れてやってきた鳥顔のパイロットは近くにいた隊長に耳打ちした。

「おいおい、ビラに載ってたピアノって“あれ”か? あいつが前に買ったっていう」

「ああ。ほら、一階のホールにも置かれてたことあっただろ?」

「ホントか? ……気づかなかったな」

そう言ってファルコは少し疑わしげな目を白いピアノと、その前の椅子によじ登ろうとしているカービィに向けた。その仕草を見ていたフォックスはふと気になって、辺りの仲間の様子を窺ってみた。単なる好奇心や、面白いもの見たさで来ている者、奏者を信じ切って落ち着いている者、色んな顔が揃っていた。しかしそこには誰一人として、彼が本当に弾けるかどうかを知っていそうな者はいなかった。

フォックスもまたその一人だった。弾けるとしても、一ヶ月ほど前に一階のホールでたどたどしく練習していたあのレベルからほとんど進歩してはいないだろうと思っていた。

――そうだとしても、大したものだ。

フォックスはそう心の中で思い、腕を組む。その向こう、ホールの床に直に座っている子供たちは互いにこんな話をしていた。

「なあ、誰かあいつが練習してるとこ見たか?」

「ううん。そういえばしばらく見てないなぁ……」

「ネスの曲、まねっこしてた時くらいだよね。あの後は見てないよ」

「おれ達にも見せないなんてなぁ」

そう言って眉根を寄せていた猫目のリンクは、少ししてこうきっぱりと続ける。

「きっと、よっぽどとっておきの作戦があるんだな!」

これを聞いて、隣にいたリュカは黙って頷いた。彼はカービィに向けて、なにか真っ直ぐに信じるような視線を向けている。それはネスも同じだった。

「うん。あれでこそだよね」

嬉しそうに、半ば自分に言うようにして呟く。

ここに集まったファイターはたいてい、似たような思いを持って集まっていた。

誰もが多かれ少なかれ、カービィがここ最近打ち込んでいるものがあることを知っている。協力したから見届けたい、ここのところ退屈していたからちょうど良い、半信半疑だが興味はある等々。動機がどうあれ、ここに来た者たちはその結果を、成果を知りたいと思っていた。

そんな彼らを前にして、開会の挨拶もなく、もったいぶった仕草もなく。仲間がまだざわめいている中で椅子の上のカービィはこう言って片手を振った。

「じゃあひくよ~」

次に彼が手を掛けたのは、手前の蓋ではなかった。鍵盤が下に隠れているその蓋にぽんと飛び乗ったかと思うと、上の大きな蓋の方を開けにかかったのだ。ピアノがどういうものであるのかを少なからず知っている人たちはこれを見て戸惑ったような顔をしていたが、カービィはそんな仲間の視線も知らずに着々と準備を進めていく。

独特の形をした薄い屋根を固定すると、ピアノの箱と呼べる部分の真ん中あたりに浅い台が固定されているのがちらりと見えた。彼は迷わずそこに飛び乗り、ピアノの中にしまってあった帽子を頭に乗っけると何かの道具を取り出す。それはぐるぐる巻きにした縄のように見えた。

幅の広いつばがぐるりと囲む、革製の浅い帽子。改めてそれをかぶり直すとカービィは道具の具合を確かめ、そしてそれを勢いよく、ピアノの内部めがけて振り下ろした。

短く驚きの声を上げた者も、思わず立ち上がりかけた者も、次の瞬間にはそうしようとしたことも忘れてしまっていた。

皆の耳に聞こえてきたそれは、紛れもなく音楽だった。

楽しげに弾むアップテンポなリズム。伴奏とメロディが一緒になって身軽にステップを踏み、聞いているこちらまで、つい誘われて足踏みや手拍子を加えたくなってくる。フレーズが踊るように、時に変則的なステップを踏んで音程を行き来する後ろでは、それを裏方から支えるようにして和音がしっかりと四つの拍子を刻み続ける。目を閉じれば、ステージでスポットライトを浴びて軽快に踊るダンサーと、その後ろで伴奏を受け持つバンドメンバーが見えてきそうだ。

聴衆は、みな揃って感心と当惑とが半々に混じった表情を浮かべてこの演奏に耳を傾けていた。目の前の光景と、耳に聞こえてくる音楽とがどうしても一致しないのだ。いったいなぜ、こんな調べが聞こえてくるのか。誰もがそう思いながらも、立って見にいくことすら思いつかずその場に留まっていた。

奏者だけは最初の気ままな様子と少しも変わらず、片足で楽しげにリズムを刻みながら手にしたウィップを操っている。ずいぶん練習したのだろうか、もはや慣れた様子で目をつぶり、振るう先を見ずに演奏していた。ホールに響く曲調も相まって、次第に彼がピアノの上で踊っているようにも見えてくる。

曲が一巡しそうな頃になり、彼はふと思い至って目を開ける。周囲の仲間の呆気にとられた様子に気がついてこちらもきょとんとしていたが、やがて何か企むようないたずらっぽい笑顔になり、最後のステップを踏むと身振り一つで音楽の舵を切った。

聞こえてきたフレーズに、誰かが思わず驚いたような声をもらす。それはいつの日かマリオが弾いてみせた別のラグタイム。この日聞きに来ていた彼は驚いていたのもつかの間、やがて嬉しそうな顔をして腕を組み、頷いた。続いて移り変わった曲に、遅れて向こうで別のファイターがおやと眉を上げる。

曲は入れ替わり立ち替わり、次々に切り替わっていく。明確に一曲のフレーズが聞き取れることもあれば、二曲以上が素早く交代し、絶妙に混じり合っていることもあった。のびのびとした長調、重々しく厳格な短調、ワルツにマーチ、ボサノバ、ブルース、室内楽、それからジャズ。誰が教えたのか、ピアノの音色でもロックやテクノらしく聞こえる部分まであった。

新しいものも古いものも、地域も歴史も問わず縦横無尽につなぎ合わせれば普通はどこかに違和感が生じるものだ。ところが不思議なことに、彼の演奏は奇想天外でありつつも決して聞きづらいものではなかった。自由気ままに思いついたフレーズを次々に弾いていっているはずなのだが、どこかに一本芯の通ったところを感じさせるのだ。

ホールの周辺にいる誰もが身じろぎもせずに演奏に釘付けになっている中で、カービィは疲れた様子もなく流れるようなアドリブで次々とメロディを奏で、楽しげな笑顔のまま最後までピアノと共に踊り続けた。

魔法のような十数分はあっという間に終わってしまい、拍手の余韻が静まる頃、円形のホールには再び賑やかなざわめきが戻ってきた。誰もが今の演奏に満足していたが、それと同じくらい不思議に思っていることがあった。子供たちがまず立ち上がったのをきっかけにして、好奇心を抱いたファイターたちがピアノへと近づいていく。

「なあ、どうやったんだよ」

「手品なの? ぼくらにも教えて!」

「そのヒモで何か、中の叩いてたんだよね」

友達は皆、カービィがピアノにはまりだした頃から様子を見ていたにも関わらず種が分からないことがじれったくもあり、また素直に感心しているようでもあった。これを見たカービィは大してもったいぶることもなく、こう手招きした。

「んー? 見てみる?」

彼は自分の後ろに回り込むように示していたので、何人かはカービィと同じくピアノの中に渡された板に登り、あぶれた他の子はピアノの椅子を移動させてそこからのぞき込むようにした。背丈の足りているファイターたちはその後ろから、軽くつま先立ちになって眺める形になった。

カービィが再び鞭を構える。

「あぶないから、ちょっとだけはなれててね~」

そう言ったかと思うと、やはりいきなり演奏を始めた。とたけけから教えてもらったラグタイム。今日のコンサートの初めに弾いていた曲だ。

相変わらずカービィの操る鞭は変幻自在にしなり、メロディとは一見なじまないようなスピードで動いていた。しかし次第に目が慣れてくるとその下、鞭が当たって震える弦が音の高さに対応していることが分かってきた。

カービィの隣にいた猫目のリンクは、観察するうちに弦の長さと音の関係を理解し、ぱっと目を輝かせる。

「へぇ、そっか! そーやって音が出てたんだな、ピアノって!」

「それだって一本指で十本の代わりをしてるようなものだよ。良くやるなぁ……」

後ろからそう返したのはネスである。

注意深く観察すれば、同時に複数の音を出さねばならない時にはカービィの持つ鞭も素早く動き、ほぼ同じタイミングで目的の弦を叩いていた。しかしその動きにはタイムラグがあり、よくよく聞けば和音がいちどきには押されていないことが分かる。

「あ、ちょっとずれてたんだ」

そう言ったリュカの声を拾ってカービィがこう返した。

「ほんとはね、もっと速くできるよ。でもね、ぴしってなるからやらないの」

「その白いのは?」

鞭が振り上がった時にその先端に白いものを見つけ、ポポが指さす。

「あ、これね。わた! こうした方がいいおとでるんだ」

答えたところに被せるようにして今度はトゥーンリンクが尋ねる。

「あれ、カービィ。そっちの細いひもは何なんだ?」

鞭を持たない側の手に握られた、細いテグスのような糸。カービィはその紐も折に触れて引っ張っており、ほぼ透明で見えにくいほど細いがずいぶん頑丈そうなそれは、天板に付けられた滑車を挟んで下に向かっていた。

「えーと、これはね~」

ちょっとの間どう説明するか考えていたようだったが、彼は実際に見せた方が早いと判断し、細い方の糸を持った手を休めさせた。途端に音符は短く細切れになり、こつこつとした窮屈な音になってしまった。

「あのスポンジがね、ほんとは“けんばん”といっしょにうごくんだ。だから、これはその代わりなんだよ」

そう言って、再び細い糸を操り始める。確かに糸が引っ張られると、弦を上から押さえている四角い部品が一斉に持ち上がり、それが短い音では少しの間、長い音を出す時はしばらくの間保たれていた。

その部品は本来、鍵盤が押された弦でのみ動くものである。それが一度に全て持ち上がってしまうため、耳を澄ませば少し前に叩いた関係のない音がごくかすかに混じり込み、背景のどこか遠くに漂っているのが分かった。

ここまでの種を明かされてもなお、不思議と耳に聞こえてくる音楽は初めと変わらぬ良さを持って響いていた。課せられているはずのハンデを微塵も感じさせることもなく、ピアノの周りに残っている仲間たちから感心の色が薄れることもなかった。それはひとえに努力のたまものか、それとも天性の才能か。

ラグタイムが本来の締めくくりにたどり着くと、大人も子供も一緒になって拍手し、口々に賞賛と労いの言葉を贈る。

「すごいや! カービィってほんとに何でもできるんだね~!」

「なんだか感動しちゃったなぁ」

「まったく、大したモンだ」

「ああ。とうとうやり遂げたな!」

「やっぱり、君はすごいよ」

さすがのカービィも、これには照れたような笑顔を見せた。一度にこんなにたくさんの人から褒められるなんて、彼ほどのひとでもなかなか無いことなのだ。帽子の上から頭の後ろをかいて、彼はちょっぴり頬を赤らめてこう言った。

「えーと、どういたしまして!」

「そこは『それほどでも』とかだろー?」

さっそく突っ込まれてしまい、ホールにどっと賑やかな笑い声が咲く。

やがて仲間たちも三々五々、それぞれの日常へと戻っていき、即席のコンサートホールもいつもの静けさを取り戻していった。室内を満たしていた人いきれと熱気は吹き抜ける風に薄れ、傾き始めた陽とともに夕方の涼しい空気がホールを満たしていく。

橙色の日差しに長く延びる自分の影を引き連れてカービィが後片付けに取りかかろうとした頃、靴音と共にもう一つの影が視界に入った。シルエットで誰であるかをすぐに気づいたカービィはぱっと目を見ひらき、振り返る。

「あれ、来てたの?」

そこにいた同郷の仲間は、少し戸惑ったように立ち止まる。彼にとってどこかが、予想していたような反応では無かったのだろう。彼が何も言えずにいるうちにカービィはこう言った。

「ね、ぼくの言ったとおりでしょ」

そしてにこにこと笑い、相手の言葉を待つ。

夕日を背に立つ仮面の剣士、メタナイトは逡巡の後、決心を付けて真正面からこう返した。

「認めよう。私の負けだ」

静かなホールにその声は淡く反響した。これに、今度はカービィが戸惑いの表情を見せる。

「まけ……?」

全てが刻々と橙色に染められていく中、背丈の変わらない二人の影がその場に凍り付いたように留まっていた。

待ちかねて、やがて剣士が沈黙を破る。

「……覚えていないのか? お前がこの楽器を買ってきた日、私はそれを売り戻してこいと言ったはずだ。お前には弾くことができない、だから持っていても無駄だと」

「うん。だから、言ったとおりだよ。むりじゃないでしょって」

彼は笑っていた。その笑いはただ純粋に嬉しげであり、どこにも勝ち誇ったり、小馬鹿にするような様子は無かった。それを見て取った上で剣士はややあって目を伏せ、ため息をつく。

再び顔を上げたとき、その瞳には最初の時ほどの険しさが無くなっていた。

「そうだな。お前はその楽器の所有者として相応しいだろう。もう私は止めるつもりもない。好きに部屋に飾ると良い」

そう言ってきびすを返しかける。これで決着を付けたつもりだった。しかし相手の反応は予想の上を行っていた。

「うーん、それより……ここにおいとく!」

「なんだと?」

思わず振り返る。

「楽しかったから、ぼく、ここにおいてくんだ。そうすればみんなで楽しめるでしょ?」

彼が思い返していたのは一ヶ月近くの練習の日々。一人で弾き続ける日もあったが、彼の思い出の中では仲間たちと共に頭を捻り、模範演奏をせがみ、熱心に聞き入り、自分でまねてみる、そんなひとときの方が長く色鮮やかに感じられていた。

我ながら良いことを思いついた、そんな様子の笑顔を見せ、へんてこな歌をハミングしながら楽しげにピアノの周りをくるくると踊り回る。彼はそのままの流れで、友達を置いてホールを出て行ってしまった。

後にはすっかり呆気にとられた様子の剣士が残された。

「な? わしの言う通りだったろう」

振り返るとそこには、バルコニーで夕日を浴びるデデデの姿があった。

彼は開け放たれたガラス戸越しにこちらを眺め、にやにやと腕組みをしてふんぞり返っている。これに少し咎めるような視線を向けるメタナイト。

「……いつからそこにいた。それに第一、大王は『彼ができるようになる』とは断言していなかっただろう」

「むむ。なんだと、記憶力の良いやつめ……」

「せいぜい、彼は諦めないと言った程度だったな」

「よい、もうよい。はあ……まったく。お前もつくづく、負けず嫌いなやつだな」

「お前『も』……?」

これを聞きつけ、詰問するように繰り返したので、大王はちょっと慌てて片手でそれを追い払った。

「ああ気にするな!」

わざとらしく咳払いを挟んで話をごまかす。

「それより、ずいぶん思い詰めていたようだな。わしがいるのに気づかないとは。おかげでここで待ちぼうけをくらってしまったぞ」

「それは悪かったな」

言葉の割にはさほど重大なことをしたとも思っていない様子でそっぽを向く。そのまま彼は宙を見上げ、こんな言葉を呟いた。

「彼は……最初から私とは立つ次元が違っていたようだ。あれほどまでしていたというのに、ただ単に証明したかった、それだけだと。……勝つだの負けるだの、そういった取るに足らぬ物事に拘っていたのは私の方だったのか」

「ほんとのところはどうだか分からん。だが、無理だと言ってきたお前に見せたかったのもあるんじゃないか?」

「何事もそう簡単に諦めるなと?」

「そんなとこだろう。とは言ってもなぁ、わしはお前にゃ言われたくないとも思うがな!」

大王はそう言って豪快に笑う。

「まったくだ」

剣士は素っ気なくかぶりを振ってそう返したが、口調の端にはどこか安堵したような、そして呆れたような感情が顔を覗かせていた。そのまま彼は純白のピアノを見上げる。

「……私もまだ未熟だな」

「その『も』はどういう意味なんだ?」

大王はその呟きを拾って問いかけたが、相手はピアノに目を向けたまますでに一人思いにふけっており、答えは返ってこなかった。彼は夕日の映り込む曲面に目を細めながら、先ほどの名演奏を、春風の旅人が起こした奇跡を思い返していた。              

裏話

 「あどりびたむ」は"ad libitum"から来ています。正確に読みを反映するならアドリビトゥムなんでしょうけど、ひらがなだと何か変で、かといってカタカナで書くと今回の内容に対してそれっぽくない感があったので。

 思いついたものの、「良いオチが出てこない」「流れが見えてこない」「そこまでそそられない」等の理由で貯蓄しているアイディアはいくらかあります。今回の話もそんな貯蔵庫の中から、ここ最近急に成長してきたものです。ネタが無いな~という時にがさがさやっていたので忘れてはいなかったのですが、実に数年越しの発芽でした。取っておくもんですね。

ちなみにアイディアが降ってきた頃はショートショート並で書くつもりでいて、解決法も「鏡の大迷宮の時に増えた他の三色カービィを呼び出し、4人連弾する」というものでした。そしてここまで真剣な話にするつもりも無かったという…(

 そういえばもう一つ気になってることが。スマブラで書いてるのに乱闘要素ほとんど出てこないというのが、私の場合どうしても多くなりがちです。それ以前の、「全く世界の異なる人々が一堂に集まる」というシチュエーションからもう色々走らせちゃってるんでしょうね。自分の妄想を。

でも面白いんですよ~……同じ状況に対してこのキャラはどう反応するか、あのキャラならどうかと考えるの。あるいは接点のできるはずがなかった人同士の友情とかぶつかり合いとか。また顔見知りの仲であっても、慣れた世界とは違う人や物に囲まれたときにどう変わりうるか、何を発見するかとか……(以下無限に続く)

 余談:書き終えてpixiv用の表紙を描く頃に聞いていた今回の曲はラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」。この曲を思い出したのは書き終える頃だったのですが、もしかすると“ウィップ”を使うという解決法はどこか無意識のルートを経てここから来ていたのかも?

もう一つ余談。この曲の第3楽章、なんかゴジラのテーマが聞こえる……と思って調べてみたら、伊福部さんがラヴェルのファンで、オマージュしたらしいんですね…!

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気まぐれ流れ星

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