気まぐれ流れ星二次小説

レスト・イン・パラダイス

「おい、あんた……ここの人間か?」

突然、背後で耳慣れない声がして、甲冑に身を包んだ戦士は反射的に動きを止める。

驚かされたのは、第一に予想もしない近さで声を掛けられたこと。そして第二に、予想もできないほどの距離に接近されるまで、自分が気づきもしなかったことだった。

サムスは片腕に荷物を抱えたまま、背後へと向き直る。相手は船外、タラップのそばに立ってこちらを窺っていた。逆光に暗く沈んだひげ面、やけに屈強な体をぴったりとした戦闘服に包んだ男。年のころは、自分の世界の物差しで測るなら三十代前半といったあたりか。

彼女はそこまでを見て取ったところで、バイザーの陰で微かに眉をひそめる。どうにも好かない顔だ。

相手のほうはサムスの様子には当然気づかず、「向こうにいる存在は、果たして人間なのだろうか」とでも言いたげに訝しげな顔をして目を細め、こちらを眺めている。

そこで、彼が馴れ馴れしくもタラップの支柱に腕を預けていることに気がつく。サムスは空いている側の右腕を横に払ってみせ、どけろと身振りで伝えた。

「ああ、こいつはあんたの持ち物なんだな。悪かった」

男は数歩下がったが、まだ立ち去る様子はない。そのまま彼はこう尋ねてきた。

「なあ、あんた。知っていたら教えてくれ。『城』というのはどこにあるんだ?」

そういう質問をしてくるあたり、どうやら彼もファイターのようだ。サムスはゆっくりと荷物を下ろし、金属の床に靴音を響かせてタラップへと向かった。さすがに威圧されたのか、ひげ面の男はこちらを避けるようにさらに後退した。そんな彼の様子にバイザー越しに一瞥をくれてやると、サムスは黙って森の方角を指さしてみせる。

午前の日差しを受けて明るく染め上げられた草原の向こう。良く晴れた青空の下、深緑に生い茂る木々の絨毯の中からぽつんと突き出た小さな塊。城の遠景だ。

「……あの森に行けばいいんだな?」

彼は確認するように聞く。こちらから反応を引き出そうとしているようにも思えた。サムスはあくまで黙ったまま、頷いて見せる。

「分かった。……ありがとう」

男は礼を言いつつも、最後までその顔から警戒心を消さなかった。あの生ける甲冑には口があるのか、そもそも、中に人間が入っているのだろうか、彼はそんな顔をしながら去っていく。

彼の背中が十分に遠ざかるまで、サムスは船外に立っていた。

『この世界』では、いずれ自分の素顔は分かってしまう。今も隠すつもりはなかった。だが彼の顔を見たとき、長年の勘が自分に注意を促したのだ。油断するな、隙を与えるなと。

故郷でも、スーツを脱ぎ、女性としての姿を現している自分を見かけた場合、はかない望みを抱いて誘いをかける男性がいる。大抵は適当にあしらえば諦めてくれるが、時には妙な自信とともに馴れ馴れしく踏み込んでくる者もいる。自分で対処できないこともないが、手加減しなければならないのが厄介であり、騒ぎになって周囲に要らぬ被害を及ぼすのも面倒だった。あっちであれば場所を変えれば済む話だが、ここではそうもいかない。

戦闘服を着た男の後ろ姿は、すでに森の色に紛れてほとんど見えなくなっていた。広大な草原を一陣の風が吹き抜けて、そこでサムスはようやくタラップを上がっていく。照明の落とされた船内にあって、バイザーの緑色の光に映し出された彼女の顔は少し気づかわしげに眉を曇らせていた。

しばらくはこの世界にいることになる。いつもは休暇のつもりで来ているのだが、今回は少しばかり状況が違ってくるかもしれない。せめて他の者を巻き込むような波乱がなければいいのが。

少しの間彼女はそうして船内に佇んでいたが、やがて迷いを断ち切るように足を踏み出すと、床に置かれた忘れ物を左腕で抱え上げた。

閃光。爆ぜる火花、重々しい打撃の音。

風が吹き抜け、矢が飛翔し、刀身を鋭くきらめかせて剣が舞う。

ステージの上を縦横無尽に駆け巡る"対戦相手"の姿、背格好も様々な影がバイザーで区切られた視界に見え隠れする。ある者は互いに剣や拳をぶつけ合い、またある者はこちらに武器を向け、立ち向かってくる。

観客の歓声や応援の掛け声は今この瞬間もスタジアムに満ちているはずだが、大乱闘に集中する彼女には遠く潮騒のように、しかしそれでも、自らの鼓動と一体となって聞こえていた。

試合はおおむねの趨勢が見極められそうなほどには進んでおり、この試合での彼女は四人の中でも劣勢ともいえる状況にあった。それでも彼女の表情は、バイザーに隠されたその素顔は一切の曇りもなく、目の前の試合にすべての神経を集中させていた。

また、ここに戻ってきた。その言葉を胸の内でかみしめている。

不意に観客の声がどよめき、広大なスタジアムがしんと静まり返った。戦士の青い瞳が、そして他の三人のファイターの瞳が上空へと向けられ、それを捉える。虹色の輝きをまとった金属質の球体。重力を無視し、まるで鬼火のようにステージの上を漂うスマッシュボール。

切り札への切符。それが誘うように動く様を目だけで追っていたのも束の間、四人のファイターは一斉に動き出した。

緑の勇者が跳躍し、長剣を大上段から叩きつける。弾かれた球を、地上の天使が弓矢をつがえ的確に迎え撃つ。欠片を散らすが未だに壊れる様子は無く、細かく震えながらもゆらゆらと浮かび上がっていく。ファイター達の追撃を危ういところでかわし、波に揺られる海中の泡のようにステージを離脱しようとしたとき、その行く手を橙色の甲冑が塞ぐ。アームキャノンにミサイルを充填し、至近距離から三発を浴びせた。

甲高い音とともにボールは砕け、サムスのバイザーに新しい表示が加わる。片手をついて着地し、長年の習慣からその表示に素早く目を通した彼女は、そこでわずかに眉をひそめた。

視界の向こう側では、対戦相手の三人が動きを取りあぐねていた。まだ『この世界』が新しくなってから日も浅く、誰がどのような『最後の切り札』を持っているのかを知らないのだ。彼らはそれぞれに、とにかく遠ざかろうとしはじめる。接近した一撃がトリガーとなる切り札があることも考えると、それはあながち的外れな動きではなかった。

しかし――

心を決めたサムスが銃口を構える。その様子から攻撃のパターンを予期したファイター達は、急いで回避行動に移ろうとする。だが、一足遅かった。

極大のレーザーがステージの上を駆け抜け、そのまばゆさに一瞬、辺りは白と黒のモノクロームに激しく燃え上がる。人の背丈をはるかに超える口径で放たれた光線は他のファイターを飲み込み、いとも簡単に吹き飛ばしていった。

一方、ステージに残ったファイターの方にも変化が現れていた。サムスのパワードスーツが解除され、水色のゼロスーツ姿が露わになっていく。故郷とは違い、パーツごとに分解して身体から剥がれ落ちる様に彼女は少し怪訝そうなまなざしを向けていた。

その瞳が不意に猛禽の輝きを取り戻し、前方を見据える。パラライザーを構えた先、ステージのくぼ地から人影がふらふらと立ち上がる。まだ生き残りがいた。どうやら壁を遮蔽物としてレーザーを避けようとしたらしい。しかし、光線が地形を貫通してくるとは思わなかったようだ。

それが誰であるかに気づいたとき、サムスは端正な眉をわずかにしかめる。

切り札が続く間ステージの壁と床に押し付けられていたであろう彼は、さすがにふらつきを隠せない様子で頭に手を当てている。その顔がようやくこちらに向けられ、そこで彼は頬を叩かれたような表情を見せた。

サムスは口の片端で苦笑する。

――完璧なリアクションだ。

パラライザーを手に、彼女は敢えて接近戦に打って出る。相手が態勢を整えないうちに制し、畳みかけるために。そして、スーツが無くとも自分の本質は変わらないことを、相手の心に教訓として刻み込むために。

洗いたてのシーツのように白く、柔らかな光。やがてカーテンが翻るように視界から外れ、その向こうから城の一室が現れる。緑色の布地が張られた長椅子が並び、穏やかな曲調の音楽がどこからともなく流れている様子はどこか宇宙港の搭乗待合室にも似ている。ここは、ファイター達の晴れ舞台である各地のステージと、共通の設備がそろった城とを結ぶ部屋だ。

部屋には何人かファイターがおり、ステージの上とは打って変わってくつろいだ様子で椅子に座り、各地の様子を映し出すスクリーンを眺めたり、雑談をしたりしている。

彼らのうちの数人から挨拶され、彼らに軽く頷き返して部屋を出ていこうとしたとき、後ろからこんな声を掛けられた。

「まさかあの冷たい甲冑の中に、こんな美人が隠れていたとはな」

気に障る言い方をする奴だ。サムスは相手に一瞥をくれて歩き去ろうとする。しかし、相手は悠々とした足取りで歩調を合わせ、ついてくる。

「この古めかしい城に住むのは、だいたいファイターだけと相場が決まっている。しかし一人だけ、これまで試合では見たことのない顔があった。輝くような金色の長髪、それを後ろで束ねたスレンダーな女。だが、目を見れば分かった。これは戦士の目だとな。そいつが一体何者なのか、ずっと気になっていた」

彼はあくまでついてくるつもりのようだ。これでは撒けそうにないと諦め、サムスは話に乗ってやることにする。ただし、適度に距離を保って。

「話しかければよかっただろう」

「物事には適切な時機というものがある」

「そうか」

男のもったいぶった言い回しに、サムスは少し呆れたような笑いをもらす。どんな男でも、酒か自分自身に酔っぱらっていない限り、こちらに話しかけてくるまでに最低でも二度か三度は躊躇い、こちらの視界の端をコソコソとうろつくものだ。彼もそうだった。

君も勇気が無かっただけじゃないのか、と心の中で返す。

「そうだ、あのときはすまなかったな」

不意に彼がそう言ったので、サムスは怪訝そうに眉を上げる。問いかける顔の彼女に、男はこう続けた。

「あんたに最初に会った時だ。ろくに挨拶もせずに立ち去ってしまった」

「私がこの姿だったなら、挨拶をしていたとでも?」

「そうだな。恭しくお辞儀をし、あんたの美貌を褒め称えたうえで、たおやかな手の甲にキスでもしていただろう」

こちらの顔をやや上から見下ろし、男はそう言ってにやりと笑う。

「そんなことでもしてみろ。片手で胸倉をつかみ上げ、そのまま外に放り投げてやるからな」

見上げる形になるのが少し癪だったが、サムスは眉をしかめてそう言い返した。

「あの怪力はスーツのおかげじゃないのか?」

「試してみるか?」

「いや、遠慮しておく。荒唐無稽な闘いは、"ステージ"とやらの上だけで十分だ」

彼はそう言ってサムスの顔から視線を外し、苦々しい表情で天井を見上げる。先ほど派手に吹っ飛ばされた場面を思い起こしているのだろう。

「あの様子だと、まだ君は慣れていないようだな」

「頭が固くなるほど年を食ったつもりもないんだがな……しかし、ご覧の有様さ」

「皆最初はそのようなものだ」

「だといいが」

そう言ってから、彼はふと何かに気がついてこうつぶやく。

「……生身の人間に重火器を向けることを躊躇わなくなるのも、それはそれで問題だな」

「私のことを言っているのか?」

これを聞いて、顎に手を当てていた彼は少し意外そうな顔をした。

「いや、俺自身のことさ」

それから、良いことを思いついたというように口の片端を上げ、

「他人の闘い方に文句をつけるつもりはない。例え相手が武装した俺に向かって、見事に着飾ったドレス姿で掛かってこようと、古ぼけた中世の武器と鎧で掛かってこようと、同じように闘うだけだ」

と返してくる。サムスは片眉を上げてみせた。

「それで文句をつけていないつもりか? 第一、私からすれば君の装備だって、恐ろしく時代がかったものに見えるが」

「そりゃ、あんたからすればそうだろう」

たいして堪えた様子もなくそう言ってから、彼は続けてこんな調子で尋ねかけてくる。

「で、あんたはどこから来たんだ。火星かタイタンか、お隣のアンドロメダか? それともアルファ・ケンタウリか?」

「さあな。君の知らないどこかの惑星だろうさ」

さすがに、くどさを感じてそうあしらう。彼はそれ以上は追求せず、しかし口にはシニカルな笑みを浮かべたまま、何も言わずに視線を前に戻した。

気持ちはわからないでもない。まだ相手は『この世界』に来たばかりなのだ。さらに、彼の装備から推測する限りでは、他の知的存在に出会えるほど発展した文明ではない。だとすれば、あまりにも多種多様な種族と文化、そして荒唐無稽な物理法則が入り乱れるこの場所に放り込まれれば、かえって自分の生まれ育った世界の常識に固執してしまうような、ある種の反動が出てしまうのも道理というものだ。

そこまで考えたところで視界が開け、考え事から引き戻される。三階分の吹き抜けがある大ホール、この城のエントランスだ。男は玄関の方に足を運び、そこで立ち止まると半身をこちらに向ける。

「俺は外に出る。あんたは」

「いや、私は城内に用事がある。散歩か?」

「ああ。気分転換にな……。それじゃあ、ここでお別れだな」

踵を返しかけて、そこで彼は思い出したように足を止める。くるりと向き直り、外からの光を背中に受けた格好で彼はこう言った。

「そうだ。まだ名前を言っていなかったな。俺のことは"スネーク"と呼んでくれ」

「よろしく、スネーク」

眉一つ動かさず、サムスはそう返す。

そこで終わらせそうな様子の彼女を見かねたか、男はややあってこう言った。

「で、あんたは……」

「サムス・アラン」

「そいつはバウンティ・ハンターとしてのコードネームか?」

「いや、本名だ」

短く返してから、サムスはふと怪訝そうな顔をした。

「……待て、なぜ私がバウンティ・ハンターだと知っている」

「俺の友人には物知りなやつがいるのさ」

男はそう言って、こめかみのあたりを指さしてみせる。

「……」

「しかし、それが本名だったとはな。きっと名付けの親は強く育ってほしいと思ったんだろう。男勝りなくらいにな」

「一言余計だ」

鋭くにらみ返したが、相手はあまり効いた様子もなく肩をすくめて笑うだけだった。

リビングルームには、子供たちのにぎやかな声が響いていた。床に置かれたおもちゃの山を囲み、包装をはがし、自分の手に取り、動かし、持ったまま追いかけあい、そうやって飽きる様子もなく遊んでいる。

子供であってもファイターはファイター。ステージの上では皆対等な戦士だが、ひとたび城に戻ってくれば誰もが年齢相応の子供に戻り、こうして屈託のない表情を見せる。

サムスは彼らの様子を遠くから見守りながらリビングルームを横切り、椅子に座った。彼女がやってきたことに何人かの子供が気づき、他を誘ってこちらに駆けてくる。

「サムス! お土産ありがとう!」

これまでに彼女と共に選ばれたことのある子は、まっすぐな瞳と笑顔をこちらに向けてそう言う。

初めて会う子供たちは少し後ろにいて、遠慮と好奇心がせめぎあう目でこわごわとこちらの様子を窺っている。しかし中には度胸の据わった子もいて、

「あれ全部、あんたが買ってくれたのか? すっごいな!」

くりくりとした目を輝かせてそう言ってきた。彼の勢いにつられたか、そこで金髪のくせ毛の子も勇気を振り絞って頭を下げる。

「あ、あの……おもちゃ、ありがとうございます……!」

肩を並べ、にぎやかに騒ぐ子供たちを見渡し、サムスは頷いてみせる。

「皆、仲良く遊ぶように。それと、あのお土産は私からだけではない。その人たちにもお礼を忘れないようにな」

試合での彼女とは打って変わって穏やかな表情で微笑み、そう言って聞かせる。子供たちは口々に元気よく返事をし、またばらばらとおもちゃのもとに駆け戻っていった。

どこで遊ぼうかと話し合う彼らを遠くから見守っていると、背後から声を掛けられた。

「驚いたな。あんたでもそんな目をするのか」

少し間をおいて、サムスは戸口の方に目をやる。

「……君は趣味が悪いな。陰から他人の様子を覗き見るのがそんなに楽しいか?」

「別に盗み見ていたわけじゃない。あんたが不用心なだけさ」

戸口の彼は、まるで最初からそこにいたかのような自然さで腕を組み、そこに立っていた。これほどの背丈と筋骨がありながら気配を消してしまえるさまは、ステルスか擬態の能力でもあるのではないかと疑いたくなってしまうほどだ。

「その才能を大乱闘でも活用したらどうだ。隠れてやり過ごせば、格好はどうあれ最後まで生き残れるだろう」

驚かされたのが少し癪でもあり、彼女はそう皮肉を言った。座ったままで彼に向き直ると、椅子の背もたれに片腕を預ける。戸口に立っていた彼も、こちらに歩いてきた。

「さすがにそいつは無理だ。元からこっちに気づいている相手を誤魔化すのは至難の業だ。それに第一、それじゃあ俺の見せ場がない」

「君はどこまでも伊達男なんだな」

「古今東西、種を問わず男はそうやって女を捕まえてきたものさ」

「賢い生き物ほど、あからさまな罠には掛からないものだ」

「そうか? 賢いからこそ、その知性に対する過信が足を引っ張ることもある。あるいは生き物としての本能が、思わぬところで顔を出すことだってある」

サムスは何か言い返そうとしたが、部屋を出ていく子供たちのうちの幾人かがこちらに手を振ってきて、それを見送っているうちに忘れてしまった。

「ほら、その目だ」

「……くどいぞ」

「こういうの、メイ・リンはなんと言っていたかな……鬼の目にも涙、か?」

壁によりかかり、サムスの傍らに立つ男はそう呟いて顎に手をやった。

「それはどういう意味だ」

「忘れたな」

「オニというのは?」

「ああ、それはだな……」

スネークは答えあぐねるが、サムスはその様子には気づかなかった。

「いや、待ってくれ。思い出した。子供たちがよくやる"かくれんぼ"の、探す役の名称だろう? だが、その目に涙というのは……?」

「隠れたやつが見つからなくて泣いているんだろうさ」

適当に切り上げようとしているのが明らかな口調で、彼はそう言う。何か都合の悪いことでも隠しているのではないかと思いつつ、サムスはいぶかしげに見上げるだけに留める。

彼は話を切り替えた。

「ともかく。あんな表情ができるんなら、もっと周りに見せてやったらどうだ? 子供たちにだけじゃなく。そうすればあんただって、とっつきやすい人間だと分かってもらえる」

「余計なお世話だ。私は今のままで満足している。それに、君が言うほど私は付き合いの悪い人間じゃない」

「どうやら今は、俺と話す気分じゃないようだな」

「そういうことだ。分かったらそろそろ解放してくれないか」

それを聞いてスネークはあきらめた様子で肩をすくめる。

「やれやれ。第一印象が悪かったかな」

「まだそのことを言っているのか?」

「誰だって物珍しげにじろじろと見られたら、良い気分にはならないだろう」

「それに、君は全く遠慮せずに私のパーソナルスペースに立ち入ろうとしたしな」

「ああ。全く、過去に戻れるならあの時点からやり直したいくらいさ。くれぐれも"レディー"に失礼がないように――」

その言葉を耳にした瞬間、サムスの目の色が変わった。

撃鉄が上がるような素早さで右腕が動いたかと思うと、右の手が男の胸に突き付けられていた。その手は彼女がパワードスーツを着ている時にそうであるように、架空のトリガーに掛けられている。

「私を"レディー"と呼ぶな」

男は思わず息を止め、胸に突き付けられた不可視の銃口を見下ろしていた。

が、やがて溜めていた息をつき、両手を肩の横あたりまで上げてみせる。その口には苦笑いを浮かべていた。

戦士はようやく右腕を下ろす。それでも毅然としたまなざしを崩さぬままこう告げた。

「あのスーツは決して仮初の姿ではない。私に対する印象は、君が最初に感じたもので間違っていないんだ。得体の知れない異星人、遠未来のロボット、物言わぬ甲冑……なんであれ、スーツを脱いだ私を見て、私の全てを分かったとは思わない方がいい」

リビングルームには彼女のほか人影はなく、窓から差し込む午後の光が室内の空気を温め、木製の棚や机などをまどろむような色合いに染め上げていた。

古めかしい時計の音を聞きながら、サムスは一人、机についた手で顎のあたりを支え、その姿勢のままじっと考え込んでいた。手元には本が置かれていたものの、先ほどから彼女がそのページをめくる様子はない。

この心にある感情は、後悔ではない。

そう言ってから、彼女は自分でこう返す。だとすれば、なんだ?

自分は正当な反応を返した。言葉と行動で、明確な自分の意見を相手に開示した。それでも、まだ心の中に何かが残っている。

いつだったか、昔もそんな日々を繰り返したような気がする。

記憶をたどっていた彼女の脳裏に、不意に懐かしい人々の顔がよみがえった。おおむね男が多かったが、誰もが皆、銀河連邦軍の制服に身を包んでいた。彼女もかつては同じ服を着て、彼らとともに戦っていた。

幼いころに実の親を、そしてその後に親代わりとも言える人々をも喪い、わずか十代前半で軍に所属してきた娘。内心の感情を自ら封じ込め、硬く張りつめた表情で訓練に明け暮れ、我が身を酷使して戦い続ける。そんな彼女を、周りの同僚はいつまで経っても子供のように、あるいは妹のように扱った。そのたびにサムスは反発し、強い口調で言い返したものだった。

心の中では分かっていた。彼らが自分を案じてくれているのだと。

あの伊達男の場合は、どうだか分からない。まだ推し量れるほど彼を見ていない。しかし少なくとも、向こうがこちらをある種の同類だと思っていることは確かだった。そしてそれは、こちらも同様だった。戦場で命を駆け引きし、時には個を潰して、より大きな集団あるいは非戦闘員のために行動する。そういった経験が人格に与える影響は、今も昔も変わらないらしい。

だが、たとえ彼が軍人か、あるいは"元"軍人だったとしても、譲れないことはある。

『異論は無いな? レディー』

任務中は勿論、平時も決して警戒を崩さず、冗談など決して口にしない男。司令官であり、サムスの上司であった彼の声がよみがえる。ブリーフィングの後に彼が決まって、改めて彼女だけにそんな呼びかけをしたのには特別な意味が込められていた。

それを、こちらの事情も知らない男に軽々しく呼んでほしくはない。そんな感情が、自分をして年甲斐もない行動に駆り立てたのかもしれなかった。

縦長の目が描かれた白いサンドバッグ。吊り下げられたそれを対戦相手に見立て、素早く拳を打ち込む。

今の彼女はゼロスーツではなく、よりトレーニングに適した格好をしていた。黒のタンクトップに濃い灰色のショートパンツ。髪はいつものようにポニーテールに結んでいる。

ジャブを続けていた彼女だったが、不意に半身をひねり、狙いを定める。黒いスポーツタイツが鞭のようにしなったかと思うと、白い砂袋の横腹に深々とめり込む。くの字に折れ曲がり、今にも吹き飛んでいきそうになるサンドバッグ。しかし、つなぎとめている金具がピンと張りつめ、かろうじてそれを食い止めてくれた。

がしゃがしゃと騒々しい音を立て、受けた衝撃を消費するサンドバッグを眺め、サムスは一息つくと姿勢を戻し、背を向ける。彼女が向かっていく先には休憩スペースがあった。

タオルを首にかけ、彼女の基準からするとおそろしく旧式な自動販売機を操作してボトル飲料を買う。汗と運動によって消費された分を補う、適切な組成のイオンと糖分が含まれた――いわゆるスポーツドリンクだ。

ボトルのキャップをひねって開け、よく冷えた飲料を口にする。故郷では飲んだことの無い味だが、ここに来るたびについつい選んでしまうせいだろうか、少しずつ馴染みの味になりつつある。いつの時代であっても、人が快いと感じるミネラルや糖分の組み合わせは変わらないのかもしれない。

休憩スペースには先客がいた。手すりに腕をもたせかけ、背を丸め気味にして立つ男。彼もまた手に缶飲料を持っていたが、遠目で見ても先ほどの自動販売機には並んでいないはずのパッケージであるのが分かる。あれは"缶コーヒー"だ。

城で飲み物を売っている場所はそれほど多くない。また、大人も子供も行き交うこの場所では、ラインナップは自然と限られてくる。水かジュースかスポーツ飲料。かろうじて"コーヒー牛乳"というものが並んでいたこともあるが、カフェイン含有量の高い飲み物、コーヒーや紅茶の類は見たことがない。飲みたければ自分で買ってくるか、街に行くかしかない。とすると、彼はわざわざ城の外に出てまで缶コーヒーを探し求めたことになる。

缶飲料の蓋は開けられていた。しかし、スネークはそれに口をつける様子もなく、トレーニングルームにいる他のファイター達を眺めている。まるで遠くのものでも見るように目を細め、それによって彼の顔は一層険しい表情を帯びているように見えた。

「ホームシックか?」

そう声を掛けると、彼は虚を突かれたように目を見開く。

「……あんたから声を掛けてくるとは珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」

「ただの気まぐれだ。あまり変な期待はしない方が良い。それに、賑わう部屋に一人、捨てられたペットのような目をして立ち尽くす奴がいたら君だって気になるだろう?」

「それがあんたのような美人なら特にな」

いつもの調子に戻ってきたらしく、彼は口の片端に笑みを見せてそう言った。彼の言葉を聞き、サムスは呆れたように笑って首を横に振る。

「君は諦めが悪いな! 残念だが、私は『この世界』に来て長い。君のようにホームシックに罹ることは無いだろう」

「俺はホームシックじゃないぞ」

「そうか? では、君の言い分を聞かせてもらおう」

彼の横に、適度な距離をおいてサムスも並ぶ。

組んだ両腕を手すりに預けた彼女に、スネークはバンダナの陰から一瞥をくれる。それからその視線を再び向こうへと向け、少し間を持たせてから、声を低くしてこう言った。

「あんたはあの様子を見てどう思う」

彼が見る先にはトレーニングルームの賑わいが、色彩多様な戦士たちが行き交う様があった。サムスはそれほど真面目には捉えず、それでも見て思ったままを口にする。

「……熱心な者もいれば、そうではなさそうな者もいる。先ほどからずっと喋ってばかりのグループもあるな。邪魔になってはなさそうだが」

「じゃあ、想像してみてくれ。あんたは冒険家だ。船で海を渡り、未開の地に降り立った。砂浜に立っていると、ジャングルの向こう側から先住民族が姿を現した。盾を前に構えて槍を腰だめに持ち、怪訝そうな顔で見てくる相手に、あんたはどう出る?」

この例え話にこちらが訝しげな顔になりつつも、サムスは要点をまとめてこう答えた。

「不用意に近づかない。決して刺激するような行動はとらず、しかし相手の出方に常に注意を払い、いつでも自分の身を守れるように。コミュニケーションが取れるような状況になったとしても、警戒を怠らない」

「そうだな。どんな時であれ、ファーストコンタクトというのは概してそういうものだ。異なる文化の者たちが解り合うには数世代、時にはそれ以上かかることだってある。いつまで経っても、根底では解り合えないことさえある」

彼の口調は静かなものだったが、目をすがめて前方を見つめるその目には、彼しか知らない戦場が映し出されているように思えた。

「……しかし、ここではどうだ? 明らかに文明のレベルが違う者、そればかりか人の姿をしていない者までいるにもかかわらず、ああして混じり合っている。違和感も覚えず、当然のような顔をして」

彼の目は真剣そのものだった。真剣に、この世界と真正面から対峙していた。いつものように斜に構えた姿勢で辺りを眺め、妙に気取った言い回しで話しかけてくる、あの彼と同じとは思えなかった。だがそれでいて、こちらが彼の本当の姿なのではないかという感覚もおぼえていた。であるとすれば、いつものあれは、彼が奇想天外な『この世界』をしのぐための仮の姿に過ぎなかったのだろうか。

どう取り合ったものか考えあぐね、サムスはややあってこう返す。

「大袈裟だな。君が言うのは国と国、あるいは民族同士のスケールだろう? 個人のレベルじゃない。第一、この世界では言葉の壁というものが存在しないのだから、君の言った未開の種族の例え話は当てはまらない」

「確かに言葉が通じるのは大きい。その原理に関しても追求したいところだが、今はその時じゃないな」

そこで一旦言葉を切り、スネークがこちらに向き直る。

「コミュニケーションは言葉が全てじゃない。表情や声のトーン……そして、ジェスチャーだ」

そう言って彼は、こちらに親指を立ててみせた。

「これは何に見える?」

「……『サムズアップ』だろう」

「意味は」

「肯定、同意、称賛……概ねプラスの意味だ」

「念のため聞くが、あんたにはこれが、親指を上に立てた握りこぶしに見えているな?」

「ああ」

目の前にいる男の、いつになく妙に真面目な様子を訝しみつつも、サムスは頷いた。

「なるほど。口の動きくらいはいじってるかも知れんが、視覚情報にはあまり手を付けていないようだな。ある程度マクロな動きになってくると、原因と結果の辻褄を合わせるのが厄介なんだろう」

「つまり、どういうことだ」

「『刺激するような行動はとらない』。あんたはさっき、そう答えていたな。ジェスチャーもその一つだ。同じジェスチャーでも国によって意味は違い、時には全く正反対の意味に取られてしまうことだってある。何気なくやった仕草で顰蹙を買うだけならまだ良い方だろう」

「それが、ここではほとんど見られないと?」

尋ねると、相手は厳粛な面持ちで頷いた。

「奇妙なほどにな。……まあ、俺とあんたのように同じ人型のやつらでジェスチャーが似るのはまだいい。だが、あのペンギンに似た顔の"大王"、あいつの着ているガウンの背中にVサインが描かれてあるのを見た時には、流石に何かの見間違いかと思ったな。この間も、あんたに"降参"のポーズが通じたのを後から不思議に思ってたんだ」

サムスはしばらく何も言わず、相手の顔を見つめていた。彼の内にある考えを見透かし、そのどこかに綻びがないかどうかを探そうとでもいうかのように。やがて、彼女は諦めて首を横に振る。

「……まったく。君を見ていると、ここに来たばかりの頃を思い出すな。あの頃の私も隙あらばあら捜しをしようとし、いつも心のどこかには『この世界』への警戒か、猜疑か……なんと言うべきか」

「狐に化かされたような気でいたんだろう」

「キツネ……?」

「おっと、この言い回しは通じなかったか」

「こういうことはここではよくある。その程度には文化が違っているということだ」

「申し訳程度のものにしか思えないな」

「……では聞くが、君には何か仮説はあるのか? 我々の文化や常識が"あまりにも似通い過ぎている"ことについて」

「そうだな……」

彼はためらっているようだった。トレーニングルームにいるファイター達の顔を一人一人眺めるようにして、それから心を決め、再びサムスの方を向いた。

「あんたなら真面目に取り合ってくれるだろう。まず、俺は試合中、故郷の友人たちと無線で通信することがある。昔の任務でよくやっていたように状況を整理したり、試合相手についての情報を尋ねたり。で、ここからが肝心なところだ。通信では、さも試合相手や彼らのいる世界が、俺たちの世界と地続きであるかのように話している。しかしステージから降り、冷静になって考えてみると矛盾に気がつく。イーグルランドのオネット、アリティア、キノコ王国……彼らの住む町や国は、俺が知る世界のどこにも存在しないんだ。それでもオタコンや大佐が当たり前のように情報を集められるのは、いったい何故なんだ?」

「……私に聞くな。彼らの方が良く知っているはずだろう」

「どんな答えが返ってくるか分かったもんじゃない。マスターハンド達の管理する『この世界』から通信を繋ぐ限りはな。それに、俺は既に答えを見つけている」

そう言って、彼は手すりを隔てた向こう側を、多種多様な戦士たちを見据える。バンダナの陰から、曖昧さを切り裂く刃物のように鋭い眼差しを向けて。

「スマッシュブラザーズ。彼らの持っている力は"ありえない"ものばかりだ。この部屋を見てみろ、まるでコミックのスーパーヒーロー、サイエンスフィクションの英雄、あるいはファンタジー世界の冒険者のような奴らが集っている。さらに、誰も彼もがどういうわけか、俺のよく知る文化を共有している。そしてオタコンや大佐たちは、彼ら全員についての知識を持ち合わせている。それはつまり、彼らが俺の世界か、あるいはそれとよく似たどこかで書かれた"物語"から――」

「スネーク」

静かに、サムスは彼の名を呼んで止めさせる。

「もう十分だろう。それ以上言う必要はない」

「聞いて後悔したか?」

「いいや。私もかつて通った道だったからな」

「あんたが?」

驚きを隠せない様子でそう言った彼の顔に、ややあって理解が追い付く。

「ああ、なるほど。……そういうわけか」

「私にとっても君は、現実離れした存在だ。そしてそれは、他の皆にとってもそうだろう」

短く言い切り、相手にその言葉の意味が浸透するのを待ってから、彼女はこう続けた。

「我々が何かしらの文化を共有していることには同意する。だが、その根幹を突き止めるのはほぼ不可能だ。誰が親で誰が子かというような議論は、ここでは無意味だ。さっきも言ったように、君からすれば"ありえない"ように思えたとしても、彼らにとってみれば君の方が、作り話から出てきたような荒唐無稽な存在に映っている可能性が高い。……そう、この問いにおける最大の問題点は、主観的な視点しか存在しないことだ。君の言う友人たちとの通信にしても、それと同じくらい尤もらしい証拠を持ち出せるファイターはいくらでもいる」

そこで彼女は片手を手すりの向こうに差し伸べ、トレーニングルームに集った人々を示してみせる。

「要するに、この世界には、"最も現実らしい"世界がなんであるかを示してくれるような客観的な証拠がないんだ。基準点がない以上、どこまで辿っても矢印が収束することはない。ここには君が言うようなことに気づいている者も、そうでない者もいるかもしれないが、尋ねてみれば誰もがこう答えるだろう、『自分の世界は本物だ』と。だから……」

その先は言葉にせず、サムスはただ首を横に振る。そのことはいったん忘れろ、というように。

「これは忠告だ。ここで無難にやっていきたいのなら、君の考えは頭の中にしまっておくことだ。他の皆の前では口にしない方が良い。それが彼らにとっては『現実』なのだから」

「……」

スネークは、黙ったまま彼女の方を眺めていた。バンダナの陰に隠れた目の表情からは、彼が理屈では分かっていても、まだどこかで納得していない様子がうかがえた。

「君にはきっと、時間が必要なんだろう。……そうだ、それほど馴染めないのなら『城』ではなく街の方で暮らしてみたらどうだ? そうしているファイターもいると聞く」

「ルカリオのことか? あいつは街暮らしじゃない。山だ」

「山か。君には似合ってるんじゃないか? 君のように頑丈な人間なら山だろうと森だろうと、たくましく生きていけそうだな」

眉を明るく上げてみせ、サムスはわざとそんなことを言う。

「あのなぁ……いくらあんたから見た俺が古臭いからと言って、野蛮人扱いするのはひどいんじゃないか」

いくらか、いつもの調子が戻ってきた。

「私はそんなことなど一言も言っていないよ。それとも、もしかして君には自覚があるのか?」

「あんたこそ、顔に書いてあっただろ。せめて"地球人"くらいにしておいてくれ。……そうだ。あんたもルーツは地球だったか? それなら、俺たちはその祖先ってことになるな!」

そこで彼は缶コーヒーに口をつける。時間が経ってしまったのか、口に合わなかったのか、彼は少し眉をしかめていた。軽くため息をつき、首を振ると、スネークはこちらを向いてこう言った。

「おい、ご先祖様はもっと敬うべきなんじゃないか?」

その口の片端には、ようやくいつものシニカルな笑みが戻っていた。それを見届けてから、サムスはこう返す。

「そうだな。知り合いの考古学者か、どこか博物館でも紹介しよう。そこなら君でも敬ってもらえるだろうさ」

エントランスの中央を占める、円形のモニュメント。新参のファイターや来訪者はついつい、大小様々なノズルが織りなす噴水と、中央のひときわ高い彫刻から流れ出る小さな滝が作り上げる、精緻な水の芸術に目を奪われがちだ。しかし泉の底に目を落とすと、スマッシュブラザーズのモチーフである、"円に十字"が隠れているのが見えてくる。

マスターハンドの、ディテールに関するこだわりは留まるところを知らない。ここに来るたびに際限なく向上していくのではないだろうか。噴水に使われている白い肌の石に別の色をした結晶が入り込み、きめの細かい自然の紋様を作っている様を眺め、サムスは一人そんなことを考えていた。

ふと、その目が階段の方へと向けられる。ファイター達の安寧と交流の場であるこの城において、妙な動きをしている奴がいる。

腰を落とし、足音を忍ばせて階段を降りてくる屈強な男。

「どうかしたのか」

掛けた声が淡くホールにこだまし、スネークははっと顔を上げた。しかし彼は何も答えず、そのままゆっくりと片手をあげ、引き結んだ口の前で人差し指を立ててみせる。

――一体なんなんだ?

問いが喉元まで出かかったが、彼のしたいようにさせ、自分は成り行きを見守ることにした。

階段には毛足の短いマットが敷かれているものの、木製であり、下手に踏めば木がきしむはずだ。しかし、見ているうちに彼は階段を速やかに、音もなくするすると降りていく。普段降りるよりは遅いものの、他の者ならこうも素早くは降りられないだろう。

スネークは続いて階段の横に回り込み、壁面の扉をゆっくりと開いた。そこは掃除用具などを置いておく収納部屋だったはずだ。少しずつ開けられていく扉の隙間から電球の明かりが見えてきて、そこでふとサムスは怪訝そうに眉をひそめた。あの部屋にはあまり人が長居するような用事もないはず。なのに、なぜ電気がついたままになっているのだろうか。誰かが消し忘れたのか。

そう思っているうちに部屋の方でがさりと何かをどけた音がし、途端に子供たちの驚いたような声が上がる。

「わあ!」

「見つかっちゃったぁ!」

あれはポポとナナだろうか。

「あえてスタート地点に近い場所を選んだのは褒めてやろう。だが、この部屋の存在は俺も把握している。いかにもお前たち子供が隠れそうな場所だともな」

そんな評価を下し、スネークが収納部屋から出てこちらへ歩いてくる。後ろからアイスクライマーの二人も出てきて、スネークの後をついて駆けていく。

「お前たち、電気くらいは消していけ。あとドアもな」

「えー? おじさんのほうが背、高いでしょ」

ポポの方がそんなことを言っている。

「電気はつけたら消す。無駄遣いは良くないぞ」

はーい、と仲良く返事を返し、二人は収納部屋の方に戻っていった。彼らが電気を消し、ドアを閉めたのを見届けてスネークは再び歩き始める。エントランスのホールをゆっくりと巡り、緑あふれる庭園へと続く出入り口には目もくれずに噴水の外縁に沿って歩いていこうとする。

どうやら屋外に出るのは"反則"というように決めているらしい、彼らの様子を見ながらそう分析していたところで、男が立ち止まる。

「そこにいるのはリュカだな」

内開きの大扉と壁が接した隙間に向かって声を掛ける。果たして、扉の陰から金髪の男の子が顔を出した。扉越しにスネークが気づいたのは感知していたのだろう、しかしそれでも、どうやって気づいたのかが分からない様子で、彼は何も言えずに驚いたように目を瞬いていた。

「靴の先が見えていた」

彼が指さしたのは扉と床の間の暗い隙間。しかし、光の加減によっては気づけないのではないかと思うほど、その隙間は狭い。

三人の子供たちを連れ、噴水を巡る男がこちらにやってくる。彼らのルートの先に立って待つサムスは、面白いものを見たというように目を細めていた。その様子に気がついたスネークが短く問いかけてくる。

「なんだ。何か文句でもあるのか」

「いいや、別に。なかなか似合っているじゃないか」

「俺の意思じゃない。成り行き上、仕方なくだ。こいつらが構ってくれとうるさくてな」

「これはここでの通過儀礼みたいなものだ。君は意外と早く順番が回ってきたな」

「"通過儀礼"か……なるほどな」

やれやれと言いたげな表情で子供たちを見やるスネーク。3人はそんなことなどお構いなしに、次はだれが見つかるのかとか、誰がどこに隠れると言っていたとか、そんな話をして楽しそうにしている。スネークが立ち止まったことにも気づかずに横を通り過ぎてしまい、そのまま歩いていきそうな彼らから再びこちらに顔を向け、スネークはこう尋ねてきた。

「そうすると、ここに来た奴はみんなかくれんぼに付き合わされるのか?」

「いや、時と場合、そしてその子たちの気分による。だいぶ昔の話だが、私は他の何人かと一緒に、ベースボールとかいうスポーツに誘われたことがあった。ほとんどのファイターがルールを知らず、まずはネスに教わるところから始まったな」

「俺もスポーツの方がまだよかったんだが」

「本当か? 隠れる類の遊びは得意なんだろう」

スネークは口を開けて何かを言い返そうとし、そこで子供たちに名前を呼ばれて振り返る。渋々といった様子でそちらに歩いていきつつも、肩越しに振り返り、こちらに指をさして振ってみせる。

「いいか。俺が得意なのは潜入任務であって、かくれんぼじゃない」

「そのわりにはずいぶん熱心に指導しているな」

踵を返して遠ざかっていく彼の背中に、少し声を大きくしてそう言ってやる。彼はもう何も言い返そうとはせず、片手をちょっと投げやりな調子で振ってみせるだけだった。

この日は次の試合まで時間があった。自室に戻っても良かったのだが、その後も何となく先行きが気になっていたこともあり、サムスは一階にとどまっていた。

リビングルームに足を踏み入れると、一見していつもと違うところがあるのに気がつく。ここにも誰かが隠れているのだろう。よく耳をすませば微かに身じろぎする音や忍び笑い、押し殺したような息遣いが聞こえてくる。しかし、彼女は今は探す側ではないので、気づかないふりをしておいた。

入口から入ってすぐのところに置かれた大きなテーブル。今日はそこにスティックケーキの詰め合わせが置かれていた。また城の誰かが、外出のついでに気を利かせてお土産を買ってきたらしい。箱の中身は半分ほどに減っていたが、バリエーションの中から好みの味を選べるくらいには均等に残っていた。サムスは箱の中から一つを取り上げ、リビングルームと一続きになっているダイニングへと向かう。

冷蔵庫の上の段。取っ手に手を掛けると、かすかな電子音とともにモニタの表示が"共用"から自分の名前へと切り替わる。扉を開けると庫内の照明がつき、自分の買っておいた冷蔵食品やボトル飲料の並ぶ様子が照らし出された。

ジュースを取り出し、リビングへと戻る。

ふいに壁越しにトゥーンリンクの驚いたような声がし、続いてこんな声が聞こえてきた。

「ダンボールを選ぶとはなかなか良いセンスだ」

先ほどはあれだけ言っていたくせに、彼は心なしかいつもより明るい声でそう評していた。

「しかし、そういう風に廊下の途中じゃ目立ってしまう。箱があってもおかしくない場所で隠れるべきだったな」

声の主がリビングルームの戸口に現れる。ダンボール箱を抱えたひげ面の男。後ろに引き連れた子供たちの人数は4人になっていた。

スネークは、椅子に座り彼らを観察しているサムスにちらりと目をやる。彼女が子供たちと手を組んでいないかと思っているようだった。そのアイコンタクトに対し、彼女は"自分は関与していない"というように肩をすくめてみせる。それを見届けて、彼は再び探す態勢に移った。

腰を低くし、足音を極限まで忍ばせて部屋を歩いていく。後ろの子供たちも、興奮した様子で互いにささやき合いながらもそのあとをついていく。

彼が最初に目を付けたのは、リビングの隅に集団を作っているぬいぐるみの山だった。子供のファイターであっても、もうぬいぐるみという年齢ではないのだが、城にはいくつもの世界から集められてきたぬいぐるみがあった。世代を重ねるごとに誰かがどこからともなく買い集めているのか、今では大層なコレクションとなり、子供がたまにおもちゃにしたり、時には大人が、山の中に埋もれるような格好で昼寝をしていることもある。

ぬいぐるみはどれもおおむね動物をモチーフとし、丸みを帯びた作りになっている。その柔らかな立体が織りなす山には少し不自然なくぼ地ができており、スネークはそこに手を伸ばしたかと思うと、黄色い塊を引き上げた。とんがった耳と赤く丸い頬。身を丸めていたピカチュウはぱちりと目を開き、ようやく自分が首のあたりで掴まれ、持ち上げられていることに気がつく。

「ピィカ?!」

慌てて周りを見渡す彼を、スネークは下におろしてやった。見上げてくるピカチュウに対し得意げな笑いを見せたものの、今回は特に解説はしないようだ。おそらく、一見して言葉をしゃべらないのに子供たちに混じって遊んでいる「生き物」に対し、どう扱ってやるべきか、彼の中でまだ結論が出ていないのだろう。

「さて、お次は……」

彼が歩いていった先には白いソファベッドがある。引き出されたベッドの上には毛布が掛けられ、子供一人分のサイズに膨らみができていた。しかし、スネークは毛布に手を付けることなく、そのまま素通りしてベッドの周辺を歩いてまわっていく。そしてすっとかがみこみ、床すれすれまで頭をかがめるとベッドの下に声を掛けた。

「うーん、おじさんには効かなかったか」

ネスの声だ。この手はとっておきだったのか、ちょっと悔しそうにしている。

「だからお前たちはなぁ……"おじさん"はやめてくれ。俺はそんな年じゃない」

もうすでに何度も指摘しているのだろう、それでもスネークはそう念を押してから、気を取り直してこう言った。

「枕を使ったフェイントを掛け、別の場所だと思わせる作戦だな。悪くないが、もう少し軽くて厚みのある布でやるべきだ。あの"塊"が息をしてないのがばれるからな」

彼がそこからどくと、ベッドの下から匍匐前進の格好でネスが出てきた。彼はそこで、揃った子供たちの人数を数える。

「よし、あと一人だな」

リビングルームを見渡し、まずクローゼットのところまで行って耳を澄ます。手ごたえがなかったのか扉には手も掛けず、彼は踵を返した。続いて部屋に置かれているスツール、ソファ、棚などの間を一つ一つじっくりと回り、油断のない視線でそれらを観察する。後ろをついていく子供たちも彼の真剣な様子にすっかり飲まれてしまい、お喋りもなく、固唾をのんで見守っている。

やがて彼の足が部屋の出入口へと向かう。どうやらこの部屋ではなかったらしい。

と、そのときだった。出ていくと見えたスネークが立ち止まり、横にある暖炉の上に素早く手を伸ばした。鏡の後ろから摘まみ上げられたのは、ピンク色の小さなボール。

彼はその柔らかそうな球に向かって、呆れたような声でこう言った。

「おい、アイテムは禁止だったんじゃないのか?」

摘ままれたボールにはよく見ると、小さな手と赤い足があった。それらがばたつき、甲高い声が何かを言うが全く聞き取れない。スネークも同じようで、耳に刺さるような声に顔をしかめている。

不意に彼の手元から星型の光が一つはじけ飛んだかと思うと、ピンクのボールは栓を抜くような音を立てて一気に膨らんだ。それは――カービィは、相変わらず背中の上あたりでつままれたままこんな風に抗議した。

「アイテムじゃないよ、コピーだもん! "ミニマム"だよ!」

「ミニマムだかマキシムだか知らんが、もう少し常識的な隠れ方をしてくれ」

「えぇー?」

不平の声を上げてから、彼はこう尋ねる。

「じょーしきてきって、なんのこと?」

「他のやつらを見習えってことだ」

そう切り上げ、スネークはカービィをほうってやる。彼が他の子たちと合流するのを待たないうちに、スネークは彼らに向き直るとダンボール箱を抱えていない側の手を腰にあて、こう言った。

「ほら、これで全員見つけてやったぞ。俺はもう行くからな」

しかし子供たちはまだ満足していない様子で、

「えー! もう行っちゃうの?」

「もうおしまい?」

「そんなぁ、はやいよー」

「もう一回もう一回!」

と、一斉にわいわいと騒ぎ立てる。

「やっぱりハコのおっさんが見つける側じゃだめだ。すぐ終わっちまうからな。そうだ、今度はおっさんが隠れなよ!」

トゥーンリンクがいっぱしの顔をしてそんなことを言うと、周りの子供たちもそれに同調して口々に賛成した。さらには何人かがスネークの後ろに回り込み、包囲網を作ってしまう。子供たちのバリケードなら、彼の膂力があればあっさり突破できてしまうだろう。しかし、彼はそれをするほど情のない人間ではなかったらしい。

大きくため息をつき、スネークは観念した表情で言った。

「……わかった。あと一回だけだぞ」

途端に歓声を上げる子供たち。

「で、鬼は誰だ?」

尋ねたスネークに、そこで顔をぱっと輝かせてネスがこんな提案をする。

「そうだ、こうしようよ! 僕らが全員でスネークさんを探すの」

「お前たちが全員で? おいおい、いくらなんだって……」

子供たちは七人が鬼というのにすっかり盛り上がっている様子だったが、そのさなかに一人取り残されたスネークは渋面を返す。しかし、猫目のリンクは当然といった様子でこう言う。

「だってハコのおっさん、かくれんぼのプロだろ? 誰か一人じゃ見つけらんないって」

「そうだよ。僕ら全員で探さないと、かくれんぼ、終わらないかもしれないよ」

ネスのそんな言葉に、スネークはようやく渋々と首肯する。

「いいだろう。その分、隠れるための時間は貰えるんだろうな?」

「じゃあ、あのとけいの長いハリが上にくるまでね!」

誰が決めるよりも早く、まったくの直感からといった様子でカービィが声を上げる。時計は二時五十五分を指しており、つまり五分しか猶予がないことになる。しかし、それでも子供たちからすれば十分あげたつもりなのかもしれない。

「ルールはさっきと同じだな」

戸口に手を掛けたところで立ち止まり、子供たちに確認するスネーク。子供たちはそれぞれに顔を見合わせたが、特に追加のルールは出てこなかったようだ。

「アイテムなし、外に出るのも禁止、隠れるのは一階の部屋だけだよ!」

「早く終わらせたいからって、てかげんしたらダメだからな!」

「分かってるさ」

そう言って去りかけてから、彼はそこで肩越しに振り返る。子供たちに向かって、にやりと笑った。

「お前たち。俺を捕まえるのに、七人で足りると思うなよ」

食堂の横を通り過ぎ、トレーニングルームへ向かおうとしていたサムスは、ふと視界に違和感を感じて立ち止まり、そちらを向く。普段あまり開けられることのない部屋のドアが開いていた。『城』はこの世界が新しくなるたびに都度建て替えられて――正確には生成されなおされており、彼女のように昔から来ているものであっても全ての部屋を把握しているわけではない。

ここも何かの物置部屋か、小型の倉庫になっているらしい。明かりのついていない室内に廊下の光が差し込み、部屋の暗闇の中から前の列の棚がぼんやりと浮かび上がっている。どの段にもおおむねダンボール箱が収納されていた。中には棚に収まりきらなかったのか、床に置かれているものまである。

部屋の中から物音がする。誰かがいるようだ。

何の気なしに扉を押してみると、その先にいたのはやはりというべきか、先ほど子供たちに見得を切っていた男であった。ダンボール箱をあちらに押したり、こちらに引っ張ってきたりときびきび動いていた彼は、扉が動いたことに気づいてぎょっとしたような顔でサムスの方を見上げる。

「……ああ、なんだ。あんたか」

どうやら子供たちが来たのかと思ったらしい。

「あれだけいれば、時間はちゃんと守るだろう」

「どうだかな」

彼は肩をすくめ、どこか諦めたような顔で笑う。子供たちを手っ取り早く見つけ出して終わりと思っていたところから第二ラウンドが始まったので、呆れ半分やけ半分といった様子だ。それでも仕込みをやめる様子はなく、手際よくダンボール箱を選別しては、彼の中の見取り図に従って配置していく。

「で、何か俺に用なのか」

「いいや。ただの通りすがりだ」

サムスはそっけなく答えるが、スネークはそこで何かを察したようにしたり顔で笑い、わざわざ手を止めてこんなことを言った。

「俺が意外に面倒見が良いんで驚いたんだろう。少しは見直したか?」

しかしサムスは眉一つ動かさず、こう返す。

「群れで暮らすある種の鳥は、つがい相手のいない若いオスがよその子供の面倒を見る。それも、オス同士で競い合い、これ見よがしに世話をするそうだな。そこまで熱心にする理由は一つ。自分は子煩悩な鳥だとメスにアピールするためなんだそうだ」

スネークはそんな彼女に"食えない女だ"と言いたげな視線を向けていたが、不意ににやりと笑った。

「警戒の裏返しは関心だというぞ」

「研究対象としての関心ならあるがな」

「ああ、そうかい」

スネークは肩をすくめて作業に戻る。ラリーの負けを認めた形だ。そろそろ立ち去った方が良いだろうか、とサムスが思いかけたところで、ふと彼が思い出したようにこんなことを言った。

「……そうだ。関心と言えば、あんた、"家族"に関心は無いのか? パートナー云々は別にして」

「バウンティ・ハンターに家族は不要だ」

「そう来るだろうと思った。あんたならクローンも造らないだろうな」

どちらかというと独り言に近かった彼の相槌だったが、サムスはそれには気づかず、流れのままにその言葉を拾った。

「自分のクローンか……? そんなものを作るのは、よほど自己愛が強いか、あるいは疑り深いかのどちらかだろうな」

そう答えてから、相手が意外そうな顔をしているのに気がつく。

「どうした」

「いや。あんたのとこにも"クローン技術"があるのかと思ってな。……宇宙を駆けるバウンティ・ハンターにクローン技術、まるでSF映画だ」

彼の後半の呟きは聞かなかったことにし、サムスはこう返した。

「無いと思っていたのか? まあ、無ければよかったのにと思うこともある。あれのせいで宿敵が何度よみがえったことか……」

「宿敵? まさかそいつは、記憶までクローンにコピーしているのか」

「どうだろうか。少なくとも奴は……いや、"奴ら"は、だろうか。ともかく、私を見ると必ずと言っていいほど敵視し襲い掛かってくる」

「そいつは難儀なこった。遺伝子レベルで刻み込まれているんだな」

「……君の知る遺伝学はそんなに遅れているのか?」

冗談か本気か見極めかね、サムスは真顔になってそう尋ねる。

「まさか」

それから、サムスの様子が面白かったのか、スネークはおどけてこんなことを言う。

「まあ、あんたからすれば俺は原始人も同然だろうけどな」

「特にその本性は原始人そのものだ。全く、男というものは昔から変わらない生き物だったんだな」

呆れたように、そして容赦なく追撃を掛けるサムス。しかし彼には少しも堪えた様子がない。

「そうでもなきゃ、あんたの代まで人類という種は生き残れなかっただろう。少しは感謝したらどうだ」

「種が滅ぶ原因は、別に生殖の有無に限らない。文明の衰退、外来生物の侵食や環境の変化、知的種族による侵略や狩猟。それらから守る存在がいてこそだ。それに……私は関わらないにせよ、種の存続ということに関して男だけが偉そうな顔をするのは解せないな」

「元始、女性は実に太陽であった、か」

「誰の言葉だ?」

「俺よりもっと古い時代に生きた、ホモ・サピエンスの言葉さ」

そう切り上げ、スネークは立ち上がった。小脇にはダンボール箱を抱えている。どうやらそれが今回の相棒らしい。

サムスはふと、物置部屋に大小様々なダンボール箱が転がったままになっているのに気づく。

「ちゃんと片づけるんだろうな?」

「当たり前だ。そいつは仕掛けの一つなんだからな。いじるんじゃないぞ」

大真面目にそんなことを言う彼に、サムスは軽く肩をすくめて返した。彼女の顔を見て、スネークは怪訝そうに尋ねる。

「何を笑ってるんだ」

「別に何でもないさ。健闘を祈るよ」

トレーニングルームの壁はある一面がずらりと窓になっており、庭園の風景が見えるようになっている。

窓の外では、青々とした生垣の間をメタリックな人影が縫って歩いていた。彼らは"ザコ敵軍団"と呼ばれる物言わぬスタッフだ。外の日差しをものともせず、庭木の綻びを見つけてはハサミで切り、芝生を整え、花に水をやっている。

翻って室内。上の方をブラインドに遮られ、細切れになった昼の日差しが誰も使っていないランニングマシンの列を照らしている。その奥には数々のトレーニングマシンが並んでいたが、ただ一つを除いて使われておらず、金属のアームや黒い布の張られたシート、積まれた重りなどがそれぞれの格好で静止し、まるで現代彫刻のように立ち尽くしていた。さらに向こうの壁際に置かれた転送装置の列も空きを示す緑色のランプを点灯させており、いつもならトレーニング用のステージを映し出しているスクリーンも、しばらく使われていないために電源も落ちて一様な黒に沈んでいる。

室内音楽もなく、静まり返った部屋には一定のリズムで金具の当たる音が響き、かすかにこだましていた。

トレーニングルームを独占しているのは、丈の短いオレンジ色のウェアを着たサムス。彼女はマシンのシートに座り、上からさがっている二本のアームの持ち手を握り、床と水平に、ゆっくりと横から前へと押し出す。そのたびに傍らの箱の中で連動して重りが動き、彼女がアームを元の位置に戻すたびに鈍く重々しい音を立てていた。

「たまの休日にもトレーニングか。あんたは生粋の戦士なんだな」

背後から声を掛けられた時も、彼女はもう驚くこともなくこう返していた。

「習慣になっているだけさ。そういう君は何しに来たんだ」

「あんたと同じさ」

「何のトレーニングをしに来たんだ。ここには口説き文句のテクニックを鍛えるような器械は置いてない」

言葉の間にずしりと響く音。そこから察するに、彼女はこのチェストプレスに相当の重量を設定しているようだった。しかし彼女はそれをまるで小ぶりなダンベルでも持つかのように扱い、息も切らさずに会話をしていた。

彼女の言葉を聞いてスネークは一つ笑った。

「あったところで俺には不要だ」

そう言って彼はサムスの前に回り込み、その向こうのベンチプレスに座る。黒のシャツにカーキ色のズボン。たくましい両腕を組み、まるでコーチのような格好でこちらの鍛える様子を眺めている。サムスは「見世物ではない」と言いたげにちょっと睨みをきかせたが、特別追い払う理由も感じなかった。それ以上は何も言わずに彼のやりたいようにさせた。

何度目かに重りを下したとき、ふと彼が口を開く。

「ところで、あんたは賞金稼ぎをやっていると言ったな。普段、どんな奴らと張り合ってるんだ?」

「聞いてどうするんだ」

尋ねながら、レバーを前へと押し出す。

「いや、俺の予想があっているかどうかがふと気になってな。例によって、宇宙を股にかける極悪非道の犯罪者やマッドサイエンティスト、はたまた未開の惑星から飛び出してきた凶暴なエイリアンが相手なんだろうとは考えているんだが」

「概ねそのようなところだ。……しかし、なんだ、その例によってというのは」

サムスはそう言って眉間にしわを寄せた。

「典型的なスペースオペラさ。宇宙冒険活劇とも言うな。どうやら俺の故郷には、よっぽど想像力豊かな連中がいるらしい」

またその話か、というようにサムスは呆れた顔を返す。

「ジョークを言っているつもりなのか? まったく、私だから聞き流してやれるが……他にもそういう調子で話しているんじゃないだろうな」

「まさか。あんただけさ」

「たいして有難くもないな」

これに対し、彼は肩をすくめて受け流す。

「ともあれ、俺の予想通りだったか。あんたの時代はそんなに治安が悪いのか? 普通、犯罪者を捕らえるのは警察の仕事だ。俺のとこにも"賞金稼ぎ"と名のつく職はあるが、せいぜい保釈金を踏み倒して逃げた連中を捕まえ、然るべき場所に突き出す程度だったはずだな」

「文明が一つの惑星に収まっている間は、それで済むんだろう。こちらでは交流が惑星間の規模に広がっているからな。広大な宇宙が拓かれたのと同時に、茫漠と広がる暗黒空間を根城にし、神出鬼没に海賊行為を行う輩とも出会うことになった。また時には、古代文明の忘れ形見や彼らに封じられていた危険な生物を、そうと知らずに解放してしまうこともある。そういった、連邦の軍や警察には手に負えない存在を、私のようなバウンティ・ハンターが取り締まっている」

「ほう、危険なモンスターに宇宙海賊か……。当然、相手も死ぬ気で掛かってくるんだろうな」

「当然だ。敵基地の壊滅や、殲滅を依頼されることもある。相手は無法者や言葉の通じない奴らが多いから、捕まえる際には生死を問わないこともしばしばだ」

「デッド・オア・アライブ。まるで開拓時代のアメリカだ。歴史は繰り返すというわけか……」

そう言ってから、彼はこう言葉を継ぐ。

「あんたは依頼を選べるのか」

「ああ。主義に反する依頼は、いくらクレジットを積まれても断っている」

「えり好みできる程度には腕が立つわけだ。"宇宙最強の戦士"のあだ名は伊達じゃないな」

謎めいたスーツに身を包むバウンティ・ハンターを指して、銀河連邦で熱意とともにささやかれている言葉。それが彼の口から出てきたことに、さすがにサムスは驚きを隠せず、バーを動かしていた腕を止めてしまう。

「それをどこで聞いたんだ。また君の友人か?」

「まあな」

「……そんなに詳しいのなら、わざわざ私から聞く必要はないだろう」

彼女はわずかに咎めるような目を向け、再び器械を動かし始める。そんな彼女に対し、スネークは組んでいた腕をほどくと座ったままで少し身を乗り出し、

「あんたの口から直接聞きたいのさ」

と、そんなことを言う。

「君も暇な奴だな」

「人生は有限だ。俺はその中で、何に時間をかけるべきかは心得ているつもりさ。しかし……主義に反する依頼は断る、か。俺も一度は言ってみたいもんだ」

「誰に対して言うんだ?」

「昔のよしみを持ち出して無茶を押し付けてくる上司とかな」

「その割には嫌そうな顔をしていないな」

「まあ、誰かに頼られるのは悪い気分じゃない。もちろん相手と依頼の内容にもよるがな。あんただってきっと、自分から助けようと思った相手には無償で手を貸すこともあるんだろう?」

つい流れで答えを返そうとし、サムスはそこで自分の気が緩んでいることに気がつく。

「そんなことを聞いてどうするんだ。まさか、君も私に依頼をしようというんじゃないだろうな」

「まさか」

用心深い目を向けてくるサムスに彼は、いったんはそう答える。

が、そこで何かを思い出したような顔をした。

「……いや、すると言ったら?」

サムスは相手の顔をじっと観察する。

「顔が気に食わないと言って断る」

「おいおい。依頼人の話くらいは聴いたらどうなんだ」

「結構だ。どうせろくな依頼じゃない」

そう言って重りを持ち上げる。

訪れた静けさに、いつもの軽妙な返しが来ないことに気づいた。

「……どうかしたのか」

レバーを前に持ってきたまま尋ねると、彼はいつになくぎこちない様子で視線を床のあたりにさまよわせている。

「あぁ、そうだな。その依頼が、食事の誘いだったらどうする」

思わぬ言葉に手から力が抜けてしまい、持ち手がすり抜ける。横でずしりと重い音を立てて重りが落下した。

「君とか?」

広い部屋に自分の声がこだまする。あまりに驚いたもので、大きな声が出てしまった。

「俺とじゃない。……いや、俺はいるか」

咳ばらいを挟み、スネークは幾分声を落ち着けてこう言った。視線も、今度はこちらにまっすぐに向けられている。

「つまりだ、今"城"にいる連中で昼飯を食いに行こうという話が出ていてな。なんでも、最近パスタの美味い店が街外れにできたらしい。先に行ってきたピットの話じゃ、まだ観光客は見つけてないから穴場だという話だ。……ちなみに、昼飯の話もあいつの発案だからな」

そこまでを聞きながら、サムスは頭の中でこう考えていた。おおかた、彼女が城にいると知っていた他の誰かが、深く考えずに彼に呼んでくるよう頼んだのだろう。ほら、いつもよく話しているだろ、と。そして、ここにやってきて導入部分を如何にするかを考えているうちに、ついついいつもの癖で脇道に逸れてしまったというわけだ。

一つ大きくため息をつき、横にかけてあったタオルを首にかける。

「……そういう話は先に言え。つくづく君は回りくどい男だな」

「で、あんたの返事は」

更衣室に向かいかけた足を止め、彼女は肩越しに振り返った。

「私も行こう。ちょうど昼をどうしようかと考えていたところだ」

このステージでは年中雪が降っている。どこかの軍事施設の屋外を再現したのか、あるいは時空を捻じ曲げて持ってきたのか、周囲の雰囲気も生活感は全くなく、寒々としたものだ。ここでは床も壁も武骨な金属によって構成されており、通路の前後は監視塔のような柱で塞がれている。

見る先で、戦闘服の男が対戦相手に向かっていく。茶色の毛並みを持つ戦闘機乗りはすぐさま銃を構えたが、それを見計らっていたかのように男は前に飛び込み、撃たせないうちに相手を弾き飛ばした。高く跳ね上げられた相手の影を見据え、低く腰を落とすと力を蓄えながらタイミングを見計らう。一方、戦闘機乗りの男はここまでの蓄積が祟ったか、顔をしかめたまま動けず、そのまま落ちてくる。

男の鍛え上げられた脚が風を切り裂き、直撃を受けた相手はあっという間にはるかかなたの上空へと吹き飛ばされていった。彼の声がこだまを引き連れて遠ざかっていく中、男は、スネークはこちらに向き直る。アームキャノンをわずかに上げ、臨戦態勢に移ったこちらの様子を見て、彼は一瞬だけ笑みを見せた。なかなかやるようになっただろう、とでも言うように。

それもつかの間、男は再び真剣な表情に戻ると姿勢を低くした。こちらの出方を待つ相手に、サムスはアームキャノンを構え、あいさつ代わりのミサイルを放った。

男は前進を選んだ。走り、眼前に迫ってくるミサイルを見切り、狙いすましたタイミングで腕を前に持ってくる。防御の姿勢、呼び出された赤い球形の光が彼の身を包み、ミサイルの爆炎はその手前で防がれてしまった。スネークはそのまま勢いを止めず、距離を詰めようとする。接近戦に持ち込もうという気らしい。彼はその闘い方を得意としている。

サムスは焦らずに待ち、相手の動きを注視する。わずかに腕の動きが変わった、それを認めた瞬間にしゃがみ込み、彼女は床をすり抜けて相手の間合いから逃れた。頭上で重々しい音がし、監視塔が揺れる。狙いをそらされた飛び込みが柱に直撃したのだろう。その音を聞きながら反対側まで走り、わずかな隙にそこでチャージビームを蓄える。

とはいえ、このステージでは不利だ。前後を遮る監視塔はあまりにも高く、自分では塔を超えるほどに相手を吹き飛ばすことはできない。あの男のように、重装備を身につけた重いファイターならなおさらだ。であれば塔を壊すしかない。

背後の監視塔に向き直り、足場を一つ上がったところで、頭上の足音が近づいてくるのに気がついた。すぐさま右腕を振り上げ、頭上の足場めがけて爆炎で弧を描く。相手にあたった感触はしなかったが、もともと牽制の意味で放った攻撃だ。間をおかずに最上段の足場へ再び戻ると、相手はこちらの狙い通り、足元から噴き上がった炎を警戒して後ずさった直後だった。

床下から姿を現したこちらを認め、スネークは再び攻勢に移ろうとする――が、足のあたりからがくりと姿勢を崩した。サムスの回し蹴りが彼の足元をすくいあげたのだ。彼にもこれまでのダメージが溜まっていたらしく、弓なりに弧を描いて飛ばされていく。彼の落下点を見極め、サムスは一切の妥協をせずにチャージショットを放った。通路を駆け抜ける光弾。しかし、寸前で体勢を立て直したスネークは歯を食いしばり、際どいところで身をひるがえした。すり抜けた弾は監視塔にあたり、鈍い音がして柱に亀裂が走る。

思わずそちらに目をやるスネーク。これをまともに受けていたら、と思ったのだろうか。しかしサムスが次の攻撃を放ったことに気がつき、急いで前に向き直る。緑の弾頭を持つミサイル。それが、あっという間に彼の目前まで迫ってきた。再びシールドでの受け流しを狙うが、少しタイミングがずれてしまった。シールドが肩代わりする形で縮まり、殺せなかった勢いが彼の身を後ろに押しやる。サムスはそのすきに再びチャージビームを溜めようとしたが、十分な蓄積量に達する前に相手が立ち直ってしまった。

顔を上げ、スネークはこちらの様子を認めるとすぐさま、どこからともなく取り出した武器を構える。サムスからするとひどく大型に見えるミサイルランチャー。

発射されたミサイルを視認し、チャージ中だったサムスはとっさに跳躍する。軌道は避けられたはずだった。しかしどういうわけか、背後からの着弾を食らい、前にはじき出される。地面に打ち付けられて見上げた先、彼が構えるランチャーに小窓のようなモニタがついているのを認め、サムスはバイザーの向こうで顔をしかめる。

――遠隔操作か……!

とにかく、これでは彼に近づきすぎている。下手に接近戦を挑もうとすれば、一撃の重い彼に押し負けるのは目に見えている。一刻も早く距離を取ろうとし、彼女はほぼ反射的に後方転回した。

その耳が、嫌な音を捉えた。

眼下の地面が爆ぜ、バイザーが一瞬真っ白に染まる。パワードスーツを身に着けた彼女の体がいとも簡単に宙を舞った。上昇の感覚は落下に転じ、地上の対戦相手が落下地点めがけて走ってくる様が視界の端に映った。迫撃砲の銃身を取り出そうとしている。サムスは落ちながらも急いでアームキャノンを構え、左の手で支えて狙いをつける。

打ち上げられた砲弾と、銃口から盾のように放たれた爆炎とがぶつかり合い、まばゆい光を放って共に打ち消される。

間髪おかず、サムスは先ほど火炎を放ったばかりのアームキャノンを大きく振りかぶり、まだ眼下の地上に留まる相手をめがけて勢いよく振り下ろした。男は肩のあたりから地面に叩きつけられ、それから反動で高く跳ね上げられる。

キャノンを振った勢いで宙返りする形となり、背を向けて着地することとなったサムス。しかし息をつく間もおかず、ヘルメットの中で後ろを振り返る。地に足をつけるが早いか、その姿勢のままで後ろに跳躍し、まだ落ちてくる途中の相手をめがけて、振り向きざまに鋭く後ろ蹴りを繰り出した。だが、わずかに間に合わなかったらしい。決着を焦り、相手の先手を封じようと焦ったのが裏目に出たか、伸ばした脚はスネークの身にあたることなく虚空を突く。

対する相手は前転によって着地の勢いを殺し、無防備に近距離まで落ちてきたサムスに顔を向ける。立ち上がるや否や、彼は膝蹴りを食らわせ、続けざまに頭上で両手を組み、勢いよく振り下ろした。素手でありながら、それはまるで両手剣のような重みをもっていた。今度はサムスの方が地面に叩きつけられ、そのまま後ろに弾き飛ばされる。

駆け寄り、再び距離を詰めようとした彼を、彼女はアームキャノンの砲撃で牽制する。そのままサムスは片手で勢いをつけて立ち上がり、少し離れたところに退避した相手をめがけてミサイルを放った。相手がガードか回避に専念する間に、再び足場を抜けて階下に降りる。

バイザーの奥から鋭い視線が向けられた先、監視塔の一階部分には亀裂が入っていないことを見て取り、彼女はわずかに眉をしかめた。この様子だと、下から崩すのは時間と手間が掛かりそうだ。

沈黙のうちに、彼女はヘルメットの中で決心をつける。

足場を一つ上がり、すぐに跳び上がると空中で身をひねり、突き出した片足を軸に回転しながら勢いのまま突破する。狙い通り、こちらを迎え撃とうとしている途中の男を階下から不意打ちの形で捕らえ、彼の攻撃を阻止することができた。

着地し、向き直った先は、宙を舞う対戦相手ではなく監視塔だった。スネークが落ちてくるまでのわずかな間に、しゃがんだままの姿勢で監視塔の根元部分に狙いを定め、思い切り砲撃を加える。

念が通じたか、それが最後の一撃となった。

見上げるほどの高さをもった監視塔があっけなく砕け散り、破片を辺りにまき散らしながら消失する。あれだけの量がありながら、がれきは決してステージに落ちてこなかった。それはまるでファイターの闘いを邪魔しないようにとがれきが意思をもって避けたかのようだったが、ステージの上の二人がそれに気づくことはなかった。

傍らをコンクリートの塊が音を立てて落ちていく中、サムスは背後に向き直るとアームキャノンを構える。放たれた鞭のような光、グラップリングビームがスネークの体をしっかりと捕らえた。

そのまま引き寄せ、思い切り背後に投げようとしたとき、サムスは彼の"ポーズ"に気がつく。どういうわけか、彼は耳をふさいでいた。まるでなにか大きな音に備えるかのように。

足元で黒く丸い塊が跳ねる。手榴弾だ。

閃光と衝撃、爆音がスーツ越しに襲い掛かる。思わず怯み、左の腕をバイザーの前に掲げて盾にする。

その首に、背後から腕が掛けられた。

 

――まずい……!

全身に張り巡らされた神経が一斉に警告を発し、手足の先から血の気が引く。

しかし、ステージの際で身動きが取れなくなった今、彼女ができることはあまり残されていなかった。

身体がいとも簡単に持ち上げられ、地面に投げつけられたかと思うと――彼女の意識はそこで途切れた。

ケトルから湯を注がれると、茶色い土のようにも見える豆の欠片はベージュ色の泡を立て、ふわりと膨らんでいく。同時にほろ苦くも甘く、香ばしいかおりが立ち上り、ダイニングから隣接したリビングルームへと広がっていった。

その匂いを嗅ぎつけたのだろうか、戸口からひげ面の男が顔を出す。

「コーヒーを淹れているのか。俺の分も頼む」

彼は今日は非番なのか、いつもの窮屈そうな戦闘服ではなく私服姿だった。かなりくたびれた皮革製の上着に黒いシャツ、そして浅い青色の"ジーンズ"。しかしよほど思い入れがあるのか、バンダナだけは外せないようだ。

「自分で淹れろ」

あっさりと返した彼女に、まいった様子もなくスネークはそのまま歩み寄ってきた。

「何人か分は用意しているんだろう? 少しくらい分けてくれたっていいじゃないか」

「いいや、一人分だ」

サムスの傍らを通り過ぎ、彼は冷蔵庫のところまで行きつく。扉を開け、中を物色しながら彼はこう言った。

「本当か? この集団生活で一人分しか淹れないとは……あんた、ずいぶん度胸があるな」

「無駄にしたくないだけだ。こういうものは淹れたてがおいしい。誰かが飲むかもしれないと置いておいても酸っぱくなるだけだ。あらかじめ何人か集まったところから作るのなら、私だって人数分は用意するさ」

「俺は一足遅かったというわけか」

再びサムスの視界に現れ、キッチンの向こうに置かれたテーブルにつくスネーク。彼の手には透明な炭酸飲料の注がれたコップがあった。ケトルからいったん湯を注ぎ終えると、サムスは肩をすくめてこう返す。

「例え早く来ていたとしても、自分で淹れろと言っていただろうな。君は何かと面倒だ」

「そう毛嫌いすることもないじゃないか」

サムスはそれには答えず、再びケトルを傾け、ベージュ色の泡を膨らませる。

スネークも何も言わず、コップに注いだサイダーか炭酸水かを口にする。窓の方に向けられた彼の表情には余裕があった。彼には分っているのだ。この女は、本当に嫌いなら視線で追い払うなり、言葉で追い払うなりしてくるはずだと。

本当に面倒な男だ。サムスはドリッパーの方に注意を戻す。そんな彼女に、向こうに座る彼がこんな言葉を掛けてきた。

「あんたのその様子を見ていると、ステージの上の戦士と同じとはとても思えないな」

「それはどうも。私だって気を抜きたいときはある」

「"故郷"ではどうなんだ? そういう風に、気を休める時間はあるのか」

「ある……と言いたいところだが、実のところ、『この世界』に来るのが一番の休暇になっているな」

コーヒーサーバーの壁面に描かれた目盛りに目を凝らし、おおむね1の線に達したところでドリッパーを引き上げる。まだ熱を持つドリッパーとフィルターはいったん流しの隅に置き、サーバーからマグカップへとコーヒーを注ぎ入れてから彼女はこう続けた。

「パワードスーツを着ていない私は、向こうでは戦士と見做されないことが多い。そこにいるのは銀河を駆けるバウンティ・ハンターではなく、ただの金髪の女だと、そう思われるらしい」

「で、あんたはそういう不届き者を片っ端から張り倒すというわけだ」

「たぶんな」

彼の軽口をあしらうサムス。

「だがここでは、このままの私を戦士として見てくれる。……一部の"不届き者"を除いてな」

「そいつは張り倒されなくてラッキーだったな」

「きっと、大乱闘で思う存分叩きのめしているからだろう」

「道理であんたの拳を重く感じるはずだ。愛がこもってるってわけだな」

「何をどう誤解したらそうなるんだ?」

呆れたような顔を返し、サムスはそう言ってドリッパーからフィルターを外し、ゴミ箱に捨てた。

「いいか、サムス。俺の住むところでは、こんな逸話がある」

急に彼がもったいをつけた口調になった。サムスがキッチンブース越しに顔を上げると、彼はテーブルに肘をついて手を組み合わせ、炭酸飲料を傍らに置いてこちらを見上げていた。

「はるか昔、人間は男女が背中合わせにくっついた姿をしていた。だが、あるとき神が彼らを分断し、人間は男と女に分かれることになった。それからというもの、人間は失った半身を求めるようになった。つまり男は女を、女は男を……いつだって人間は、心通わせる運命の相手を望んでいるものさ。あんただって、心のどこかではそう思っているかもしれない」

話がその結論に至ったところで、サムスは訝しげに首をかしげる。

「詰めの甘い逸話だな。二世代目以降はまたその姿になるだろう? 神はいちいち子や孫世代も真っ二つにしていたのか?」

彼女がそう返してくるとは思わなかったらしい。スネークは苦笑して首を横に振る。

「さあな。逸話ができた時代には遺伝学なんて無かったんだ。きっと神様は染色体まで一つ残らず均等に分割したんだろうさ」

「いずれにせよ、いかにも古代人が考えそうな逸話だな」

ドリッパーを水ですすぎ、水切りかごに置いてからサムスはこうくぎを刺す。

「そんな話を大真面目に持ち出しているうちは、君もその古代人と同類だぞ」

「おいおい。あんたみたいな宇宙のカウガールが相手じゃ、ここにいる十中八九が古代人のお仲間だ。第一、古代人の呼び名を与えるならもっとふさわしい連中が山ほどいるだろ」

「その言葉は、聞かなかったことにしておいたほうが良いか?」

「どっちだ。古代人か、それともカウガールか?」

「二番目の方については私が対処する。いずれ君は、その失言に見合う対価をきっちり払うことになるだろう」

「そいつは恐ろしいな」

肩をすぼめて言うが、その顔は笑っている。サムスの方もあまり気にせずに、こう続けた。

「――私は別に、科学技術の進歩だけで物事の優劣を判別していない。ここにいるファイターたちは他の"戦士"に対する接し方をわきまえているが、君はそうではないというだけさ。だいたい、君はおかしな奴だ。ステージの上ではあれほど真摯な立ち振る舞いができるのに、舞台を降りたとたん、そうやって軽口をたたき始めるんだからな」

そう言いきってサムスはマグカップを手に取る。いろいろと話している間に、コーヒーはちょうどいい温度まで冷めていた。ダイニングから出てリビングの方にやってきた彼女に対し、スネークは半分まで飲み物が減ったコップを片手にこう返す。

「引き出しの少ない人間ほどつまらないものはない。他のやつらはどうあれ、俺は戦うしか能のない男だとは思われたくないもんでね」

「それは大した心がけだな。しかし、引き出しを開けてみせるならもう少し中身を詰めてからにしたらどうだ?」

「意図的な空白さ。そう簡単には見えない位置に隠してあるだけだ。あんたは『わび・さび』ってものには疎いようだな。奥ゆかしいって言葉を知ってるか? あれの語源は、奥を"知りたい"。この先に何があるのかと心が惹かれるさまを表した言葉なんだそうだ。要するに、最初からあんまり色々とひけらかさない方が、かえって相手に興味を抱かせられるというわけさ」

「君ほどお喋りなやつが言ってもあまり説得力がないな」

「おっと、こいつは手厳しい」

彼はそう言い、歯を見せて笑った。

そこで廊下の方からにぎやかな話し声が聞こえてきて、二人はどちらからともなく戸口の方を見やる。ほどなくして背丈も格好も様々なファイターの一団が現れて、そのうちの幾人かがコーヒーの香りに引き寄せられるようにしてリビングルームへと入ってくる。

「なんだかいいにおい!」

アイスクライマーのポポがそう言って、部屋に漂うコーヒーの残り香をかぐような仕草をする。後ろのナナもつられてか、彼とそっくりな仕草で部屋の香りをかごうとしている。

「コーヒーいれてたの? 僕もいれようかな」

ダイニングに向かいかけたルイージは、そこでスネークが手にしたコップの中身に気がつく。

「あれ、君が飲んでるのは……炭酸水かい?」

「俺はお預けを食らったのさ」

これを聞いてルイージは事情を察したようで、ちょっと呆れたように笑い、片眉をあげる。

「ははぁ……スネーク、君またサムスの機嫌を損ねちゃったんだね?」

「そんなつもりじゃないんだがな。やることなすこと、すべて裏目に出てしまうようだ」

「かわいそうに。僕で良ければコーヒーをいれてあげるよ」

「そいつは有り難い」

そう言った彼の横からポポとナナが顔を出す。テーブルの縁に二人そろって顔をのぞかせ、ルイージにこう言った。

「ぼくはココアがいいな!」

「わたしも!」

「よし、じゃあマグカップをもっておいで」

金属のケトルにもう二人分の水を追加して汲み、沸かしに行った彼の後にアイクが黙ってやってきて、ガラスのコップに水をくむ。

ダイニングのコンロにはケトルのほかに、丸みを帯びたシルエットのポットが載っていた。それをかけた本人であるゼルダはコンロのつまみには手を触れず、そのままポットに向けて手をかざす。微かな輝きが宙にきらめき、コンロに橙色の炎が灯った。彼女はその流れでついでに、ルイージの置いたケトルの方にも火を点けてあげていた。ルイージが帽子のつばに手をやり、姫にお礼を伝えると、彼女も微笑んで頷き返す。

リビングのテーブルでは、スネークがちびっこに絡まれていた。

「"だんぼーる"のおじさん、何飲んでるの?」

「ぼくにも味見させて!」

「だめだ。こいつはお前たちには刺激が強すぎる」

「サイダーなら飲んだことあるもん、だいじょうぶだよ」

そう言ってポポがさらに身を乗り出し、テーブルに置かれたコップに手を伸ばそうとする。その手が届かないうちに、スネークの手がコップを取り上げ、届かない高さまで持ち上げてしまった。

「そんなお子様向けのとは格が違うんだ。お前たち、きっとむせてしまうぞ。鼻に入ったらものすごく痛いんだからな」

そうおどかしているのも、ポポには半分も聞こえていなかったようだ。

「あーっ、ずるいよおじさん!」

「だからおじさんはよせと言っているだろう」

にぎやかに騒いでいるうちに、リビングルームに新しいコーヒーの香りと、それに混じって花のような匂いが漂い始めた。火の消されたコンロにはポットだけが残っており、花の香りはそこから漂ってくるようだった。蓋を開けて紅茶の具合を確かめ、ゼルダはふと近くに立っていたサムスに顔を向ける。

何事か問いたげにしているゼルダの様子に気がつきサムスが表情で促すと、彼女は小声でこう尋ねてきた。

「あの……本当に、何か失礼なことを言われたのですか?」

心の底から案じる様子の彼女を見て、サムスは笑って首を横に振る。

「まさか。彼が勝手に絡んできて、独りでに自沈しただけさ。いつものことだよ。それとも私が腹を立てているように見えたのか」

その答えを聞き、ゼルダもほっとしたように笑った。

「いいえ、まったく。むしろ楽しんでいるようでした」

「……そうか? しかし……」

サムスは珍しく、答えあぐねる。どうしたわけか、肯定の言葉も否定の言葉も、自分の内からすんなりと出てこなかったのだ。

――私が楽しんでいる、か。

心の中でそう呟き、彼の方を見やる。椅子に座ったままではあるものの、彼は茶色の古ぼけた上着を翻して腕を高く揚げ、ちびっこ二人組の追跡をかわそうとしている。かたや、アイスクライマーの二人組にも火がついてしまったらしく、椅子に上り、さらに肩車をしてまでコップに手を伸ばそうとむきになっている。すっかり彼らに気を取られてしまった様子のスネークの後ろにはルイージが来ており、コーヒーのマグカップを両手に持ったまま、彼もまた子供たちの危なっかしい行動を止めるべきかどうかとおろおろしている。

と、そこにアイクがやってきた。肩車の上で背伸びをしていたナナの頭に軽く手を乗せ、もう片方の手に持った二人分のマグカップを見せてやる。途端に組体操はおしまいとなり、ちびっこは仲良くココアのカップを受け取ると並んでテーブルについた。彼らと向かい合う形になったスネークは何か言いたげな顔で口を開きかけたが、そんな彼の前にコーヒーのカップが置かれる。笑って肩をすくめてみせたルイージに、スネークも諦めた様子で笑みを返し、礼を言ってカップを受け取った。

いつの間にか、彼はすっかり『この世界』になじんでいた。

――本当に、おかしなやつだ。

にぎやかな声の絶えないリビングにいて、一人サムスは物思いにふけっていた。

ここに来るようになって長いこと経つが、彼のようなファイターは初めてだった。だいたいの仲間は、内心でどう思っているにせよ、彼女のことを"戦士"としての定めを背負った人物として、女も男もなく捉えてくれる。しかし、あの男は自分が素顔をさらしてからというもの、飽きもせずに気取ったことを話しかけ、時にはまるでこちらを口説こうというような言葉を口にする。最初の頃はそれが鼻についたものの、いつのまにか、自分はさほど気にしなくなっていた――言い換えれば、警戒しなくなっていた。

彼の暮らす世界は、自分の世界と近いとは言い難い。科学技術の面でも、まだまだ追いつけるところにはないだろう。だが、どこかに共通点を感じるのだ。それは単に軍歴の有無だけではない、もっと思想や信条に関わるような何かが。

そこまでを考えたところでサムスはふと気がつく。自分は彼のことについて、今まであまり尋ねたことが無かった。彼も、サムスの周辺についていろいろと突いてくるくせに自分のことについては勿体ぶるかのようにはぐらかし、あまり詳しく語ろうとしなかった。彼女にはその彼の様子が、ミステリアスな方が女に好かれると思い込んでいるかのように見えていた。だからだろうか、こちらの方も特別問いただそうという気が起きなかったのかもしれない。

しかし、あの伊達男のことだ。いずれ我慢しきれなくなって話すに違いない。いつになるかは分からないが、機会は向こうの方からやってくるだろう。

朝焼けの色合いが青空に溶け込んでいき、彼方に様々な高度で浮かぶ島々も、黒一色のシルエットの中から徐々に色合いを帯びていく。遠くのものも近くのものも、いずれも島の上には古びた石造の建築物を備えており、あれほど重そうな建物を乗せながら島々が支えるものもなく空中に浮かんでいるさまは、忘れ去られた古代文明の遺跡を見ているかのようだった。

周囲には、今回選ばれたファイター達がいた。皆それぞれに、苔むした岩やがれきを眺めたり、はためく旗に触ろうとしたり、旧知の友人と雑談をしたりと思い思いに散らばっている。ファルコの声がこう言っているのが聞こえてきた。

「へぇ……これが今回の"戦場"か。またマスターハンドは凝ったもんを作ったな」

そう、ここは"戦場"だった。そして今は結団式の場であり、どういう原理なのだろうか、ステージとして立つ時よりも明らかに広い面積まで広がっていた。

城に全員が集まったところでマスターハンドはファイター達をここへと転送させた。もう間もなく彼も、あの騒がしい相方を引き連れて現れるはずだ。

パワードスーツに身を包み、サムスは一人戦場に立ち、彼方の空に淡く浮かぶ衛星の地形を眺めていた。彼女の耳にはおおむね楽しそうな調子の声が聞こえていた。思わぬ再会を喜ぶ声、他愛もない冗談を言って笑う声、周りに自分を紹介する声。しかしそれと同時に、わずかではあったが、戦場には声になりきらない思いも隠れていた。

ステージの上に目を向ける。ファイター達はそれぞれに会話の途中で時折口をつぐみ、誰かを探すような顔で辺りを見回していた。結団式の会場に移されたということは、招待状に応えた人物が全て到着したことを意味するはず。そう分かってはいても、彼らはまだ来ていない誰かを待っているようであった。もしかしたら遅れているのかもしれない、後からやってくるのかもしれない、と。

彼女は、サムスは、この場に来た時点でファイター全員の顔を把握していた。誰がそこにいないのかも、すでに突き止めている。そしてそれ以降は未練がましく探すこともせず、静かに式が始まるのを待ち続けていた。

彼女はすでに、こういう別れを二度も経験していた。

――誰と次会えるかもわからない。『ここ』はそういうところだ。

心の中で呟き、彼方の空を見上げる。

戦士たちが目を向けた先、彼らの招待主である純白の手袋がステージに大きな影を落とし、静々と降りてきた。

基本的に、この世界の管理者であるマスターハンドは裏方の仕事に忙殺されていると言われており、イベントごとでもない限りファイターの前に姿を現すことはない。

だから、特に何もないはずの日中に城の廊下で呼び止められた時、サムスは初っ端からこう口にしていた。

「なんだ。何かトラブルでもあったのか」

すっかり真剣な表情になり、職業柄を露わにする彼女。しかし、振り返った先のマスターハンドが後ろから子供たちにまといつかれている様子を目にして訝しげな顔になる。

「見ての通りだ、サムス」

壮年の男性にも似た声が、口の見当たらない体から発せられた。彼は五指をゆっくりと穏やかに動かしながらこう続ける。

「君に依頼をしたい」

「子供のお守りか」

「いいや、彼らについていってほしいのだ。彼らがどうしても『外』に用事があると言うので、探して『扉』を開いてやったのだが」

「つまりは引率ということだな。……しかし、なぜ私に?」

「君であれば目的地で怪しまれずにふるまうことができ、なおかつ危険があればすぐに対処ができる。私はそう見込んでいる」

「そんなに危険な場所に、彼らを?」

途端に警戒をにじませ、眉をしかめた彼女に、マスターハンドは手首を横に振る。

「確率は極めて低い。少なくとも、この世界の街に出かけるのと同じ程度だろう。彼らが行こうとしている『向こう』は人が暮らす街だ。治安は良好で、しばらく戦闘もない」

その答えに対し、サムスは心の中で一人呟いていた。

――それが本当なら、私に頼む必要はないはずだが……

しかしそれは口には出さず、彼女はこう返答する。

「……分かった。あなたがそう言うのであれば」

扉を開いた先は、見知らぬ街につながっていた。

狭い路地から細長く開けた先に見えるのは、コンクリート、ガラス、赤褐色や灰色のレンガ――彼女からすると旧式だが、どこか見覚えがある。あの世界の中心街に似ているのだ。しかし通りを行く人々はみな、向こうから比べれば画一化された姿をしている。どれも地球人型の、おそらくは単一種族だ。

そう考えながら往来を眺めていた彼女の傍らから、続々と子供たちが出てくる。

「なんだ、あんまりあっちの街と変わんないな」

「わぁ……人がいっぱい」

「ここがおじさんの言ってた"あめりか"なのー?」

「フォーサイドに似てるなぁ……」

それぞれに往来に出ていきそうな彼らに、サムスはこう声を掛ける。

「皆、あまり私から離れないように。ここでの我々は余所者。あまり目立つことをするようなら連れて帰るからな。そして、そのバッジは何があっても失くさないように。分かったな?」

四人それぞれの調子で返事が返ってくる。彼らの胸、あるいは胸にあたる部分には円に十字のバッジがつけられていた。同じバッジはサムスの、灰色のマフラーと黒いコートを着込んだ彼女の胸元にもある。これはマスターハンドがファイター達に渡しているものであり、主には周囲の意識が装着者に向かないようにし、存在を"誤魔化す"ために使われている。さらに今回は、念のためとして通信機能も付けられていた。着信がなくても、発せられるシグナルをたどって探すこともできる。つまりは迷子対策だ。

「大丈夫だよ。僕たち、今までにも何回かお出かけしたことあるから」

ネスが笑顔を見せてそう言った。

選ばれなかったファイターをたずねて彼らの故郷を訪れる。自分の身の回りでも、そういった小旅行をしてきたという話は時たま耳にしていた。しかし、そう頻繁なことでもない。あの世界とつなげられていない状態から、正確にファイターの居場所をめがけて安全に空間をつなげるのはマスターハンドをもってしても大仕事らしく、何度も頼んでようやく、といった声をよく聞くのだ。

人が生身で安全に通ることができるワームホール。しかも、それを目立たない場所に狙って開く技術。サムスがこういった外出をしたことがないのは、それをさせられるマスターハンドの苦労を慮ったわけではない。どちらかといえば、こういう機会でもなければ顔を合わせることなど無かったはずの戦士たちに、過剰な思い入れを持たないためである。しかしそれでも、マスターハンドに内心で同情しつつ、彼女は目の前で白い光をあふれさせる扉を閉じた。

住所の近くと言っても、玄関先や隣の家の物置というほど近くは狙えなかったらしい。マスターハンドから渡された携帯端末で目的地を表示させると、ルート表示の中に高速鉄道という文字が見えた。

同様の端末は周りを歩いていく人々も持っており、彼女がそれで調べ事をしている様子には特別気をとめる様子もなく通り過ぎていく。そしてもちろん、彼女の近くでうろうろしている子供たちが見慣れない格好をしているのにも、うち一人に至ってはあきらかに人型でないのにも気づかない。むしろ好奇心いっぱいに彼らを眺めているのは、傍らにいる子供たちの方だったかもしれない。

しかしこの携帯端末にしても、うっかり落とそうものなら、物好きな人間に中身を調べられてしまうかもしれない。運が悪ければ、それらの部品がオーバーテクノロジーめいた技術に基づいていること、ここではない『どこか』からの信号を受信していることも分かってしまうだろう。

そう考え、改めて気持ちを引き締めると彼女は子供たちに声を掛けた。

「ここから三十分ほど電車に乗る。あの駅に向かうぞ」

窓の外に見える街並みはあるところから急に背丈が低くなり、ぷつんと途切れて田園地帯に切り替わる。ぽつりぽつりと機械らしき塊が佇み、のろのろと動いている様子も見えてくる。

車内、座席は壁面に沿って並べられており、彼女たちが乗った電車はほどほどに空いていた。時刻のせいか、それとも向かう方面のせいかは分からない。他の乗客は年も性別も様々だったが、先ほどの街で度々見かけたような仕事着姿ではなく私服の人が多い。おそらく向かう先にはそれほど大きな都市がないのだろう。

そこまでを考えていたところで、サムスはふと傍らの子供たちの様子に気がつく。

「リンク。座席に靴がついているぞ」

ここでは他の"リンク"もいないので、彼女は少年の名前をそのまま呼んだ。

これほど速く動く乗り物が珍しいのだろう、彼は座席に膝立ちになり、ずっと窓の外を見ていた様子だった。身を乗り出したせいで靴の先が席の上に乗っかってしまっていた。キョトンとした顔でこちらを見ていた少年だったが、指摘された先を見てはっと気がつく。

「え……あっ、いっけね!」

慌てて座り直し、それでも彼はそこから身をひねって、再び窓の外を眺めようとしていた。ネスも、その隣のリュカも背中にせおっていたリュックを膝の上に置き、その上から反対側の窓の外を見ている。カービィだけは電車の揺れに眠気を誘われてしまったのか、座席に手足を投げ出して呑気に熟睡している。

彼らがほどほどにおとなしくしている様子を見やり、サムスは自分も肩越しに外の様子を眺めた。いつの間にか田園を抜けており、今度は広い庭を持つ家屋が道路を挟んで規則正しく、パッチワークのように並ぶさまが広がっている。端末に目を落とすと、目的の場所も近づきつつあった。彼は今、あの町に暮らしているらしい。

窓の外を眺める彼女の顔には、少なからず意外そうな表情が浮かんでいた。戦闘服を着こみ、腰を落として対戦相手の隙を窺うひげ面の男。彼のあの出で立ちからすると、やや予想外れなほどにのどかな住宅街に住んでいるものだ。

高いところを走る鉄道から眺めた時は気がつかなかったが、住宅地はなだらかな丘の上に立てられていた。緩やかな坂道を上りながら見る先、一歩ずつ、端末が示した家が近づきつつあった。とりたてて他の家屋と異なる特徴もない、灰色の三角屋根に白い壁の二階建ての家。ガレージと、車が停まっているのも見えてくる。"豪邸"という風には見えないが、一人暮らしにしては持て余しそうなほど大きな家だ。

誰か他にも暮らしているのだろうか。ふと、そんな言葉が頭の中で浮かんだ。

「ねぇ、サムス。このおうち?」

その声に我に返ると、カービィが目的地を指さして先に行こうとしていた。

「そうだ。まずは私がノックする。君達は私の後ろにいてくれ」

指示を出し、自分から玄関に向かっていく。後ろで子供たちが口々にこんなことを言っていた。

「そんなに危ないのか?」

「危険は感じないけどな」

それでも出てくることはせず、彼女の言いつけを守って待機している。

彼らの期待の視線が扉に向けられているのを感じつつ、サムスは扉を軽くノックした。

少しの間があった。やがて、家の中で足音が聞こえ、それが徐々に近づいてくる。

扉が開く。

白い口髭を蓄えた、険しい顔の老人がサムスを見下ろしていた。

「スネーク……?」

自分の口が動き、怪訝そうにその名を呟いていた。

扉を開けた老人は、敷居をまたいで向こう側に立っている女性と、その向こうで待っている子供たちに細めた目の向こうから、表情の読めない視線を向けていた。見覚えのない顔に記憶を掘り起こそうと苦労しているようにも見えた。

やがて彼は、沈黙を破ってこう言った。

「お前たち……せがれの知り合いか?」

「せっかく彼を訪ねて来てくれたのに、ごめんね」

眼鏡の男はそう言って、人のよさそうな顔で申し訳なさそうに笑う。

老人に代わって出てきた彼は、自分のことを"オタコン"というあだ名で名乗った。あの世界でもスネークが度々口にしていた友人の名前だ。そうすると、家を間違えたわけではなかったらしい。

「ねぇねぇおじさん、スネークは?」

「彼は、えぇと……仕事でね。ちょっと遠くまで出かけてるんだ」

「じゃあおれたち、帰ってくるまで待つよ」

「ええ、そんな。君達も忙しいんじゃないかい?」

「大丈夫、今日はお休みとって来たんです」

子供たちに囲まれてしまい、少々困った様子の彼に幼い女の子の声が掛けられた。

「ハル兄さん……そ、その人たち、スネークの友達……?」

隣の部屋から、戸口に少し隠れ気味に顔をのぞかせている少女。年は十歳にも満たないころだろうか。銀色のショートヘアに青い花の髪飾りをつけている。何かを作りかけていたところだったらしく、その手には何かの機械のパーツだろうか、配線の塊のようなものを持っていた。

「ああサニー!」

眼鏡の男は、少なからず安堵の混じった声を上げる。

「ほら、いつかスネークが言っていた話、覚えているかい?」

サニーと呼ばれた少女は黙ってこくりと頷き、それからぽつりとつぶやくようにこう言った。

「……あれ、ほんとだったんだ」

「僕も今びっくりしているところさ。で、サニー。……もし、君が良ければちょっと彼らと遊んでほしいんだけど……」

大人しそうな少女は迷った様子で視線を床に落とす。てっきり人見知りをして断るのかと思いきや、最終的に彼女は顔を上げて頷いた。

「……い、いいよ。ちょうど……試作品、動かしてみようって、思ってたから」

そう言うと部屋に戻り、小型の機械を持って出てきた。二本の足の付いた機械は、小型とはいえ子供が持つには重そうに見える。彼女が肩で扉を押し開けようとしたところで、オタコンが追い付いて扉を支えてやった。

サムスはそのとき、オタコンが彼女に何かをささやきかけたのを見逃さなかった。少女は男をまっすぐに見上げ、頷いてみせる。子供たちはそれに気づくことなく、彼らの後について外へと駆け出ていった。

そこでオタコンがこちらを振り向いた。

「君は?」

「そちらは君に任せる。私は中で待たせてもらおう」

「うん……そうだよね。分かった」

彼は笑みを返し、外へと出ていった。その笑いはどこかぎこちなく、寂しさのようなものを帯びていた。

その部屋は暗かった。明かりはついておらず、外からの光がかろうじて、窓のブラインド越しに入ってくる。縞模様の光を黒々と遮り、男の影が外の様子を眺めていた。彼はブラインドに指を掛け、つぶれた三角形の隙間から子供たちが遊ぶ様子をじっと見つめていた。

「……君は行かないのか」

背後から声を掛けられると、男は虚を突かれたような顔をし、ブラインドから指を離した。戸口に立ち、居間の光を背にする女の姿をじっと見つめる。

「人違いだ」

年老いた男は短く、淡々と答える。

「その声で分かる」

「あんたが知っている男は、ここにはいない」

「君は嘘が下手だな……そんな気取った言い方をするのは、君をおいて他にいないだろう」

少し苦笑して、サムスはそう言った。

老年の男はそんな彼女をしばらく黙って見ていたが、やがて根負けしたように大きくため息をつく。

次に顔を上げた時、彼の口元には懐かしいあの笑みがあった。

「……それで、これはいったい誰の差し金なんだ?」

戸棚から箱を取り出し、中の小さなカップをキッチンに置かれた小型の機械にセットする。スイッチを入れると機械のランプが灯り、かすかに湯のわく音が聞こえてきた。まもなく部屋の中にコーヒーの香りが漂い始める。白いマグカップを二つ取り出した彼は、そこで中を覗き込んだ。汚れが無いかどうか気にしているらしい。

眉間にしわを寄せながらも、彼はこう言った。

「しかし、招待状の時と言い今回と言い……あのバカでかい手袋はいったいどういう情報網を持っているんだ? 俺たちの行く先を知っている奴らはこっちでもほとんどいない。それが『端末に表示された』だって?」

これは問いかけというよりも愚痴だろうと判断し、サムスはこちらから問いかける。

「そんなに頻繁に住む場所を変えているのか?」

「まあな。……ああ、心配するな。別に追われているわけじゃない」

機械が小さな電子音を鳴らし、男はガラスのポットに抽出されてきたコーヒーをマグカップに注ぎ入れる。サムスは何も言わず、その後姿を見ていた。半袖の黒いシャツにカーキ色の長いズボン。老いてもなお、彼は並みの人間以上のがっしりとした体格を保っていた。しかし、そのしぐさには隠し切れない衰えが感じられた。こうしている今も、ポットの中身を注いでいる自分の手元に、過剰なくらいの注意を向けている。

ポットを用心深く注視しながらも、彼はこう言葉をつづけた。

「それにしても、あの子供らが俺に会いたいと言ったのか」

「会いに行ってやったらどうなんだ」

「できると思うか?」

彼はサムスに向かって渋い顔をした。ただでさえしわの多い顔に、さらにしわが刻まれる。

二つのカップを持ってやってきた彼を思わず手伝おうとしかけ、サムスはやめた。かえって彼に失礼だと考え直したのだ。そのまま座ったところからマグカップを受け取り、彼が向かい側に座るのを待つ。

椅子を引いて座りながら、男はこう言った。

「で、あんたはそれに便乗して俺に会いに来たんだな?」

「いいや。ただの引率さ」

「そこは嘘でも会いに来たと言うところじゃないのか。相変わらずあんたは冷たいな」

そう言いながらも、彼は呆れたように笑う。サムスも肩をすくめて返し、コーヒーを口にした。

テーブルを挟み、二人はそうしてしばらく何も言わずに座っていた。白髪の男はあまりサムスの方を見ようとせず、窓の方を向いて、時折思い出したようにカップを口に運んでいた。

「……あれから何年だ」

サムスが切り出す。彼も、スネークも真剣なまなざしを返し、こう答える。

「そうだな……だいたい、十年だ」

「十年。それでそんなに……老けてしまうものなのか?」

それは率直な感想だった。目の前にいる彼はどう見ても七十代に見えた。初めに戸口に立つ彼を見た時はマスターハンドが繋げる先の時間を間違えてしまったのかと思っていたのだが、その線は消えてしまった。

「老けたか……こっちの知り合いには会うたびにそう言われて、俺も慣れたつもりだったんだが。あんたから言われると改めてきついものがあるな」

「……ああ、悪かった」

サムスはほとんど上の空で謝罪の言葉を口にする。彼女は向かいに座る男の顔を、じっと見ていた。

「そんな目で見ないでくれ。俺は今の生活に満足しているんだ」

彼は敢えて明るい声でそう言ったが、サムスは何も答えなかった。

彼女は、彼の言葉を待っていたのだ。

スネークはそんな彼女の様子を見て取り、少しの間黙って言葉を探しているようだった。やがて、改めて彼女に向き直るとこう切り出した。

「"レス・エンファントス・テレブレス"」

真正面から相手を見据え、彼は言葉を継ぐ。

「二十世紀史上最強の兵士と呼ばれた男、その存在を永遠のものとするための計画。俺はその産物だった」

何かを口にしかけ、サムスは自分の中で言葉を整理してから短く問いかける。

「……クローン技術か」

「ああ。しかも、ただの複製じゃない。特別製の体細胞クローンだ。男を最強の兵士たらしめた要因を遺伝子レベルで解析し、それをさらに伸ばすような措置を行った。それと同時に、他所の国や組織に寝返ったり、あるいは利用されることのないように入念な細工が施された。急激な老化もその細工の一つ。俺は、生まれついての兵器だった。我が子を持つことも、初めから許されていなかったんだ」

自分のことでありながら、そして生命に対してあまりにも倫理に欠けたことでありながら、その事実を嘆くこともなく彼は端的に言ってみせた。その様子から推察するに、おそらく、知ったのはここ最近のことではないのだろう。

あまりのことにサムスは、しばらく返す言葉が見つからなかった。

「……何てずさんなことを…………では、あの子は?」

「サニーのことか? ああ、彼女は……俺たちの家族と言ってもいいだろうな」

ふと、彼は笑顔を見せる。

「君もそういう顔をするんだな」

「こういう顔ができる程度には、今が幸せということさ。俺は、やるべきことをやりきった。残された時間がどれほどかは分からないが、この先、世界がどこへと向かっていこうとしているのか……俺はそれを見届けるために、あいつらに付き合ってもらってる」

そこで彼は口の片端を上げ、片手の手のひらを広げてみせる。

「今のところ"軍資金"には困っていない。老い先短い俺を憐れんで、知り合いが惜しみなく金や物を恵んでくれるんでね。この家も実は、古い友人から昔のよしみで貸してもらった家なのさ」

サムスは彼に笑みを返そうとしたが、できなかった。目の前にいる知己がいずれ、おそらくは遠くない将来にその生涯を終えるといきなり知らされて、笑うことなどできるはずがない。

テーブルに置かれたマグカップ。自分の手に包み込まれたカップの中には、黒々と沈んだ室内が映し出されていた。そこには自分の浮かない顔も映り込んでいた。その顔を見るともなしに見ていたサムスだったが、不意にその目が何かを思い出したように瞬かれる。

「……そうか。マスターハンドが私を指名したのは――」

「どうかしたのか」

「スネーク。私の"故郷"に来る気はないか」

テーブル越しに、彼女は真剣な表情でそう切り出した。

「すぐにとは言わない。だが、この世界で『もう長くない』と言われているのなら、いつ姿を消しても構わないのだろう。まだ心残りがあるのなら、それを片付けてからでも良い。"こちら"の世界なら、君に仕掛けられた遺伝子異常を修復するための技術がそろっている。それを使えば……」

「サムス」

白髪の男が、彼女の名前を呼んだ。

首を静かに横に振って見せ、再び顔を上げたとき、彼の口元には笑みが戻っていた。

「気持ちはありがたいが、それはできない。遺伝情報に埋め込んだ地雷を後になって覆すこともできないような……あんたのいう、"ずさんな"遺伝子工学のせいで早死にするのが――俺の世界にとっての『現実』なんだ」

それぞれにとっての現実。それを言ったのは他ならぬ自分だった。

それを思い出し、サムスは自責の念からわずかに俯いて目を閉じる。そんな彼女を責めることもなく、スネークは明るい声でこう続けた。

「第一、俺は今日の今日まで自分が生きていられるなんて思ってなかったんだ。俺の居場所は戦場にしか存在せず、誰かに殺されるにせよ、へまをやって命を落とすにせよ、自分が死ぬまでは解放されることなどない……そう思い込んでいた時期もあった。それがこうして、馴染みの親友と共にこれからの世界を眺めていられるんだから、これ以上のことは無い」

その口調は穏やかだった。しかし彼の瞳は一つの迷いも後悔もなく、まっすぐに彼女の顔を見据えていた。

夕方に差し掛かり、住宅街の空は美しい夕焼けの色に染まっていた。地上の家並みも橙色に明るく染め上げられ、眩しいくらいだった。

スネークに会えなかったことと同じくらい、サニーと別れることを名残惜しそうにしている子供たちに、またいつか来ればいいさとサムスは言って聞かせる。四人は渋々ながら頷き、オタコンとサニーに連れられて舗装された道を歩み、歩道へと向かっていく。残念そうに肩を落とす彼らの背中を見届け、彼女も背後を振り返った。

「では、私たちは向こうに帰るよ。……すまなかった。事前に一言入れることができればよかったんだが」

「気にするな。今の俺にあの十字の封がついた封筒でも届こうもんなら、心臓発作で倒れてしまうだろうさ」

彼は居間に立ち、そう言っておどけた。そうしながらも、扉の陰に立つことで子供たちのいる往来から姿を隠していた。そんな調子の彼に、サムスは視線でくぎを刺す。

「そういうことは冗談でも口にするな」

「ああ、悪かったよ」

老いても、彼の本質は変わっていなかった。こういうときでもジョークを言って、なんとか彼女の気を和ませようとしてくれているのだろう。そう思いながらもサムスは何も返さず、敷居をまたいで外へと踏み出す。

再び振り返る。扉の陰に立つ男の顔を見たとき、ふと、かつての上官の顔がフラッシュバックした。上司として彼女を同僚たちと平等に扱い、厳しく指導を与えつつも、同時に保護者のように彼女を見守っていた男。今目の前にいる彼とはあまり被るところもないはずだった。怪訝な顔をしていたサムスは、不意にその理由に思い当たる。

彼は度々、最初に出会った時のことを持ち出した。こちらが気にしていないと何度言っても、彼の言葉は変わらなかった。あんな態度は君に失礼だった、と。

――まさか、彼は最初から下心などではなく……

そんな思いが心をよぎったが、しかし、彼女はそこでふと笑って首を振った。

気持ちを切り替え、サムスは相手に向き直る。

「じゃあ、スネーク。ここでお別れだな」

どういうわけか、それに対して彼は肩をすくめる。

「もう蛇はいない」

彼は晴れやかな表情をして、こう続けた。

「今の俺は"蛇"じゃなく、一人の人間として生きている。……あんたにも、俺の本名を教えてやろう。デイビッドだ」

そう言って、彼は右の手を差し出した。

サムスはそんな彼の手を、それから顔を見つめる。夕日に照らされた彼女の顔は内面の感情を排し、ただその口を引き結んでいた。やがて、その口が開かれる。

「さようなら、デイビッド」

二人の戦士は固い握手をかわし、別れていった。

一人は彼女が招かれた世界に、そして一人は、彼が守り抜いた世界に。

夕日に赤々と照らされた座席の列。行きよりもさらに人が少なく、車内は静かだった。

彼女からすればひどく旧式で遅い動力機関に揺られ、サムスは珍しく物思いにふけって窓の外を眺めていた。

こうしている間にも彼は、異国の友は否応なしに遠ざかっていく。今にでもパワードスーツを展開し、この車両の扉をこじ開けて駆け戻り、有無を言わせずに彼を連れて帰ろうか――そんな、馬鹿げた思いがふと頭をよぎる。

上の空のまま横に顔を向けると、子供たちのほとんどは遠出ではしゃぎつかれてしまったのか、あどけない寝顔を見せてぐっすりと眠っていた。ただ、その中にいて一人、真剣な顔をして向かいの窓を見つめる少年がいた。

背筋を伸ばして座っている赤い帽子の男の子。ネスはこちらに気がつき、彼女の顔を見上げ、そしてまた前を向く。

彼は何も言わなかった。だが、サムスははたと気づく。心が見える彼には、父を名乗った年老いた男性の正体など簡単に見破れてしまっただろう。そのうえで気づかないふりをしていたのだ。もしかすると、もう一人の読心能力がある少年とも示し合わせて。

その目で見ると、リュックを抱きしめて眠る金髪の少年も、悲しげに眉をしかめているのが見て取れた。

再び、サムスはネスの横顔に目を向ける。今の彼の目にあるのは、少しの悲しみと、それでもなお残る希望。

それを見て取った時、自分でもよく分からない感情に胸が痛む。きっと彼はまだ若く、そしておそらくは幸せな家庭に生まれ育っている。『死』がなんであるのかも、まだよく分からないのだろう。それでも少年の目に残された、祈りにも似た純粋な感情に、サムスは自分が少し冷静さを取り戻せたのを感じていた。

仮にあの男を銀河連邦に連れていき、救えたとして、それは彼にとって幸せとは思えない。いくら彼が賢く柔軟だったとしても、数百年とも数千年とも知れない文明の差の前ではどうしようもないだろう。途方に暮れ、知人もなく拠り所もない、彼にとっての居場所と言えるテリトリーが無い宇宙を延々とさまようか、彼にとって"非現実的な"外界を見まいとして、閉じこもってしまうだろう。

そうなるくらいなら、今は彼の住む世界で使命を果たし、親しい友人に囲まれて余生を送ろうとする彼の幸せを願うのがもっとも適した行いではないだろうか。

車外、ゆっくりと沈んでいく夕日の輝きがまばゆいばかりに街並みを照らし出す。橙色の日差しの中に、街並みの黒いシルエットが今にも溶け込みそうな様子で揺らめいている。眩しさに目を細めながらも、サムスはその最後の輝きにじっと目を凝らしていた。

背後でスターシップのタラップが格納される。戸締りがきちんとなされたことを確認し、それからサムスは目的の場所を目で確認する。この世界に来るのも、もう五度目だ。しかし、どうやらマスターハンドは森深くの古城という構図に余程強いこだわりがあるらしい。今回もまた、うっそうと生い茂る森の中に尖塔がぽつりと顔を出していた。

彼女の目の前には、草原の中をまっすぐに貫く赤土の道が続いていた。見上げれば空は見事に晴れ渡り、刷毛ではいたように薄い雲が流れていく。

そこまでを眺めたところで踏ん切りをつける。左腕で大きな箱を抱え直し、サムスが歩き出したその時だった。

「おい……あんた、ここの人間か?」

背後から声を掛けられて、彼女は驚きから思わず声をあげてしまうところだった。

それほどまでに驚いたのだ。周りに誰もいないと思って油断していたのもあったが、最も大きいのは、もう聞くはずのない声を耳にしたからであった。その場で向き直ると、ヘルメットによって緑のフィルターを掛けられていたが、昔馴染んだ男のひげ面がそこにあった。既視感に、自分の視線が動揺するのを感じる。

彼女は、しかし、自分に油断を許さなかった。

『この世界』では何が起こるか分からない。これまでにも"リンク"のように、同名でよく似た姿をしていても違う記憶を持ち、違う世界に暮らしている別人が来たこともある。

今、目の前にいる男もそうかもしれない。現に、相手はこちらに向けて訝しげな視線を向けている。スーツの隙間を探そうかというように、こちらの正体を探るような目つきをしている。

「……」

この彼も同じことを問うのだろうか。一字一句同じことを。

そう考え、彼の次の言葉を待っていたサムス。

バイザー越しに油断のない視線を向けていた彼女の前で、不意に――男は少しシニカルな調子で微笑んだ。

「……おっと。これはレディーに失礼だったな」

サムスはヘルメットの中で思わず息をのみ、そしてややあって、ようやくのことでこう尋ねる。

「スネーク……。君なのか?」

「こんな良い男が他にいると思うか?」

彼はそんなことを言って、両腕を広げてみせた。そんな彼の様子に、サムスはため息をつき首を振る。

「……まったく。君は変わらないな」

その声は呆れたようでもあり、そしてどこか安堵したようでもあった。

彼は昔そのままの姿で、サムスの横を歩いてついてくる。スーツを着ているとほぼ視線は横並びになる。バイザー越しに横目で窺い、彼女は彼の顔を観察していた。どこかにしわなどが残っていないか、というように。

治せたのか、と問いかけた彼女に、スネークはこう答えた。

「いいや。そういう記憶はない。おそらく俺は、あのあと与えられた寿命を……最後まで生きた」

「心残りは無かったのか」

そう尋ねると、彼は顎に手を当てて空を見上げる。

「まあ……そうだな。無い、と言いたいところだが」

それからサムスに目をやり、バイザーの向こうにある彼女の顔を見てこう続ける。

「結局、最後まであんたの鋼鉄のガードを崩せなかった。それが心残りだな。あの時、帰り際のポーチでは結構いい雰囲気だったじゃないか。だから、俺はあんたがハグくらいはしてくれるんじゃないかと期待していたんだが」

そんなことを笑いながら言うので、サムスは呆れた表情を返した。

「私が期待していたのはもう少し真面目な答えなんだがな」

「そいつは悪かったな。ところで……」

スネークはそこで視線をこちらの荷物に向ける。

「その箱、もしかしてそれがあいつらへのお土産だったのか?」

「だったのかというと……ああ、君と最初に会ったときか。そうだ。今回もこの中にお土産を入れて来ている。君は何か買って来なかったのか?」

「おいおい、知ってて言ってるだろ、あんた」

彼はこちらに向かって大袈裟に顔をしかめてみせる。サムスはそんな彼に肩をすくめて返した。

それから彼女は前に向き直り、含みを持たせた口調で呟いた。

「……まあ、君のような例があるのなら、"あれ"もそういうことなのかもしれないな」

「なんだ、あれというのは」

「いつか君にも話したろう。私の宿敵だ。それが二人も」

「……ここに来ているのか?」

「シップの探査結果では、どうもそうらしい。以前にマスターハンドがイベントで再現してみせたような『張りぼて』ではないということだ」

「ようやくあんたも同郷の奴らができたってことだ」

「冗談じゃない。探査結果を見た時はマスター達の正気を疑ってしまったほどだ。……しかし、彼らに生殺与奪を握られた状態だと考えれば、まだましだろうか」

彼女の口調に隠し切れない苛立ちがあるのを察し、スネークはにやりと笑ってみせた。

「お嬢さん。ここで戦争を繰り広げるんじゃないぞ」

「分かっている。大乱闘は大乱闘だ」

荒くため息をつき、サムスは気持ちを切り替える。

「試合で本気で殴りかかれる相手ができたと思えば、そう悪いことじゃない。そうだろう?」

「物騒なレディーだ」

「"レディー"は止めろ」

二人は、そう軽い調子で言い合う。

「しかし、そうしていると本当に君が一度……」

視線をさまよわせ、サムスはこう続ける。

「……人生を全うしたとは思えないな」

「言葉を選んでくれたんだな。あんたも意外と優しいところがあるじゃないか」

それから前を向き、幾分真面目な顔つきに戻るとこう続けた。

「まあ、正直に言うとあまり実感が無いんだがな……。きっとこっちじゃ、通信を繋いだらオタコンや大佐、メイ・リンともまた話ができるんだろう。そしてあいつらは俺が死んだとも思っちゃいない……妙な話だ」

「君の友人と話している最中に、泣き出したりするんじゃないぞ」

そうからかうと、彼はふっと吹き出した。

「俺がそんななよなよした人間に見えるか? 大丈夫さ。こうして若返ったんだから、涙もろくなることも無いだろう」

首を何度も横に振り、苦笑していた彼はやがて空を仰ぎ、こう続ける。

「……しかし、俺は死んでも闘う運命にあったんだな。やれやれ」

「ここでの闘いは、君の世界であったような戦いとは別物だろう?」

「ああ。いくら闘っても傷つくことはなく、死ぬこともない。……そういや、そんな神話があったな」

はたと気づいたような表情になり、彼はそう言った。

「神話?」

「そうだ。戦士たちの楽園。ヴァルハラと言ってな、確か北欧の辺りの話だ。大昔、戦いに明け暮れていた頃の彼らは、勇敢に戦った戦士は死後、美しくも凛々しい半神の乙女たちの導きによって神の館に迎えられると信じていた。そこでは戦士たちの魂が互いに死ぬまで腕を競い合う。夕方ごろになるとみな傷も癒え、倒れていた者も起き上がって宴を開き、そうしてまたあくる日の朝から戦いを始め、それを来たるべき本当の戦が来る時まで延々と続けているんだとな」

「ずいぶん血なまぐさい楽園だな」

「案外、本質を言い当てているかもしれないぞ」

「つまり……私たちがみな実は死んでいて、それに気づいていないだけだと言いたいのか? よせ、縁起でもない」

そう言ったサムスを、スネークは意外そうな顔で振り向いた。

「……驚いたな。あんたの口から『縁起』なんて言葉が出てくるとは。あんたくらいの時代ともなれば、『運勢』や『験担ぎ』みたいな類の言葉は絶滅してるんだと思っていたんだが。非科学的で根拠に乏しいとか言ってな」

「絶滅どころか、未だに現役だ。どれほど科学が発達しても未知の領域は尽きることがない。とりわけ、なぜ人は生きて死ぬのかといった哲学的な問いなどはな。だから、きっとそういったものへの信仰や畏怖といったものはこれからも残り続けるのだろう」

スネークはそれに対し、口の片端で笑みを返す。

それから前を、澄み切った空を見上げてこう答えた。

「そんな問いに、これといって決まった答えなんか無いさ。誰から教わるわけでもなく、誰かに決められるものでもない。俺たち自身が自分の意志で見つけたのでなければ、それは本当の答えとは言えない」

「君が言うと重みが違うな」

二人の戦士はお互いに、適度な距離をおきつつも、どちらが先に出るでもなく肩を並べて歩いていく。

草原の中をまっすぐに伸びる道を、それぞれの足がそれぞれのリズムで踏みしめていく。しばらく他愛もないことを言い合っていた二人だったが、ふと、甲冑の戦士の方が思い出したようにこう言った。

「そうだ、君に言い忘れたことがあったんだ」

「なんだ?」

「どうしても君は私をレディーと呼びたいようだからな……。今のうちに言っておこう。今の私を"レディー"と呼んでも良いのは、一人だけと決めている」

きっぱりと宣言されたこの言葉を聞き、スネークははたと立ち止まる。

「そいつはまさか……あんたのボーイフレンドじゃないだろうな」

本心か演技か、警戒に身を固めてみせる男に、サムスはバイザーの向こうで首を振って笑う。

「さあ、どうだろうな。君の想像に任せるよ」

そうして先に歩き始めた彼女を、ややあって男が追う。

再び歩調を合わせ、横並びになって歩いていく戦士たち。

異なる世界から集められてきた選りすぐりの闘士が集う楽園を目指し、草原の道を行くその背中を、中天に向かって昇り始めた日の光が明るく、暖かく照らしていた。

 

裏話

ソリッド・スネーク……原作で深く語られているがゆえに書きにくい/安易に手を出しにくいファイターの一人だと思います(当社比)。

この話は3DS/WiiUの頃に思いついていて、あのときは監督もMGSVを最後としてコナミを後にしたこともあり、3DSで彼が外されたということは、もう今後もチャンスはないんじゃないかと思っていました。そのため、3DS/WiiUでいなくなったのをメタルギアソリッドの時系列を少し絡めていつか書こうか……と思いながら貯蓄していたのです、が! まさかのSPで全員復帰となり、全速力で購入したついでに、このネタもお蔵入りにしていました。
その後しばらく忘れていたのですが、最近になってこういう落ち着け方も良いんじゃないかと思い至り、書いてみた次第です。

つぶやき:作家の方が書かれたものを二次創作と言って良いのかどうか迷いますが、創作の上でいくつか教科書にしたいなと思うノベライズに出会ったことがあります。「メタルギア」の人物描写は伊藤計劃さんのノベライズが至高ですね……

目次に戻る

気まぐれ流れ星

Template by nikumaru| Icons by FOOL LOVERS| Favicon and Apple touch icon by midi♪MIDI♪coffee| HTML created by ez-HTML

TOP