気まぐれ流れ星二次小説

来たるべき世界

少女は、静かに待った。

周りの観客達の野次や歓声にくみすることもなく、機械のように無感情な視線を前に向けていた。

腰まで真っ直ぐに伸びる、曇り一つ無い金髪。
空色のワンピースに添えられた陶器のように白い手。
彼女の清楚な姿は、口汚い罵倒や獣のような叫びが飛び交う観客席、機械油と埃にまみれたこの場で、完全に浮いている。

だが、彼女の目を見れば分かる。
ガラス玉のような深紅の瞳。
その両の目が、はかなげな外見にそぐわない怜悧な光を放っているのだ。
熟練の戦士が持つ、研ぎ澄まされた刃のような光を。

また、一陣の嵐が近づいてきた。
強化鋼で作られたコースの向こうに金属の鋭い光が見えた次の瞬間、
轟音、振動、咆吼。
防音防風バリアをも突き抜けた騒乱が、観客席を揺さぶる。

負けじと観客らも叫ぶ中、少女の赤い瞳だけがちらと動いた。
先頭を走る機体を捉える。

青い流線型のマシン。
幾度となく勝利の栄光を勝ち取ったF-ZEROカー。
それは瞬く間に彼女の視界から外れ、他の機体と共に幾筋もの光となって遠ざかっていく。

観客の顔が再び、宙に浮く架空ディスプレイに向けられる。
コース上に密に設置された定点カメラが、接近し遠ざかっていくデッドヒートを必死に追いかけていた。

抜きつ、抜かれつ。
カーブのぎりぎりを攻め、ミリ秒単位の精密さで超音速の機体を操る。
テクニックのない者は容赦なく置き去りにされていく。

だが、後続に甘んじる彼らにも勝つ手はある。

強引に割り込んできた金色の機体を、反射的に避けた青の機体。
機敏な動きで体勢を立て直し、再び最適コースに戻ろうとする。
しかしそこに、待ちかまえていたかのように、後ろを走る機体が詰め寄っていく。

怒声が観客席を揺るがし、抗議と賞賛がない交ぜになった叫びが飛び交う。

そんな観客の様子を知ってか知らないでか、ディスプレイに映るひげ面の男はにやりと口の端をつり上げ、ぐんとアクセルを踏み込んだ。
エンジンが唸り、男の機体が青の機体に飛びかかっていく。

響きわたる、激しい衝突音。

弾かれたように、青い機体はコースを外れる。
ガードを突き破り青空にその身を晒す。
激しいエンジン音だけが、虚空に空しく響いた。

その時であった。

観客席に座っていた少女の姿がかき消える。
次の瞬間、彼女はサーキット場に現れていた。
コースアウトし、勢いのまま一直線に海へと落ちていく、ブルーファルコンの目の前に。

元々の速度に衝突のエネルギーを加え、隕石さながらの勢いで落ちてくる機体を前に、
少女は眉一つ動かさず、

それを受け止めた。

「よくやった。アリス」

ひざまずく少女の頭上から、厳かに声は告げる。
低く、たゆたう海を思わせる落ち着いた声。

アリスと呼ばれた少女は、誇らしさに顔を輝かせ、主を見上げる。
彼女の目の前に浮かぶ存在は、ねぎらうように両腕を広げた。
背の、虹色に輝く翼もわずかに拡げられる。

「さすがは"平和の使者"。
これでまた、生きるべき者の命が守られた」

彼はそう言った。

言葉と共に、アリスと主人の間の空間に、渦巻くもやが現れる。
それは少しずつ、大陸の形を取っていった。
主人が見守り、アリスが平和をもたらしていく世界だ。

「私の理想…全てに安寧と秩序がもたらされる世界に、また一歩近づいたのだ」

主人―"秩序の守護者"―は、宙に浮かぶ大陸に、いとおしそうに手を差し伸べた。

アリスは、使命を果たすごとに主人の声に満足そうな響きが増していくように感じていた。
もっと認められたい。
アリスの心の片隅で、そんな思いが起こった。

「主よ。
わたしに…もっと使命を下さい」

気がついたときには、そんな言葉が口をついて出ていた。
静かで薄暗い空間に、少女の声がりんと響きわたる。

「わたしは強くなりました。
どんな難しい使命でもこなしてみせます。
わたしはもっと…人を助けたい」

"秩序の守護者"はアリスを吟味するように凝視した。
創られたばかりの彼女には見られなかった行動だ。
自分の下す命令を無表情に受け取り、淡々とこなしていたアリスの姿が脳裏をよぎる。
彼女は期待通り、成長してきているのだ。

やがて、彼は重々しく頷く。

「よろしい。お前もさぞかし退屈だったのだろう。
力を試したくて仕方がないという顔をしているな。
望み通り、お前に新たな使命を与える」

怪しげな帽子の男がアリスにつきまとうようになったのは、それからまもなくのことであった。

その小さな足で時間と空間を飛び越え、アリスが出現したのは、石造りの広間。

目の前にそびえる、巨大な甲羅がぴたりと歩みを止めた。

「誰だ!」

破鐘のような声と共に振り返る、カメ族の大魔王。
しかし、背後に立つのがあどけない少女であることに気がつき、ぎょっとして目を瞬く。

少女は澄んだ声で答えた。

「わたしは、平和の使者」

半眼に細められた、その虹彩は赤。

只者ではない。
魔王は少女に向き直り、身構える。
城にひしめく兵達をものともせず王の間に現れ、猛々しい自分の姿を目にしても涼しい顔をしているのだから。

「魔王、クッパ」

少女が鋭く言った。

「キノコ王国に手出しするのはやめなさい。
これは警告よ」

クッパの目が見開かれる。

「なにっ…?
…キサマ、キノコ王国の者か。
姫の命でここに来たというのか?」

言ってから、自分でいらだたしげに首を振る。
内密に立てたキノコ王国侵攻の作戦が、向こうに漏れているはずもないのだ。

では、なぜこの少女がそれを知っている?

「誰だか知らんが…ワガハイの悲願を邪魔だてすることは許さん。出て行ってもらおう!」

そして衛兵を呼ぼうとした。
しかし、それを少女がぴしゃりと制する。

「無駄よ。何を言っても外には聞こえやしない」

言われて、初めて気がついた。
あたりが異様な静けさに包まれていることに。

「キサマッ…何をした!」

「安心しなさい。あなたの手下には何もしてないわ。
ただ、この部屋をちょっと切り離しただけ。あなたがキノコ王国を諦めるというなら、元に戻すわ。
そして…姫のこともね」

少女の最後の言葉に、クッパの目がかっと見開かれた。
食いしばった牙の隙間から、激しい炎がもれ出る。

「断る!」

石壁をびりびりと震わせ、クッパは言い放った。
だが、少女が臆した様子はない。

「そう…なら、力づくで止めるしかないわね」

彼女は平然と言った。
その口は、確かに微笑んでいた。

得体が知れないとはいえ、相手は子供だからと、クッパは初めこそ手加減していた。
だがすぐに、その考えを改めざるを得なくなる。

からかうように、視界を横切る金の髪。
追って炎を吐けば、そこには誰もおらず、全く予想しない方向から手痛い一撃を食らう。

圧倒的。そして一方的。

苛立ちに任せて振るった拳が、偶然にも何かを捕らえる。

やったか?

視線だけ向けて、彼は驚愕する。
少女の側頭に、大きな拳が受け止められていた。
拳を受けて首を傾げた少女の顔は平然と、可笑しそうに笑っていた。

次の瞬間、クッパは少女の振るった黄金の鎖に打ち据えられる。

「降参?」

少女の声は、無邪気に弾んでいた。

倒れ伏したクッパは低く唸り、立ち上がろうとする。
しかし、力が入らない。
やはり初めから全力を出すべきだった。
そうすれば、ここまで追い詰められることもなかっただろう。
怒りと屈辱に顔が歪む。

全く…この少女は化け物か?

「まだ諦めないって顔してる」

クッパの視線をよそに、少女は呟いた。

「じゃあ伝えるわ。わたしの主、"秩序の守護者"の御言葉を。
…もしあなたが姫をさらい、王国に呪いをかけたなら」

息を継ぎ、残りを一気に続ける。

「姫は…身投げするでしょう。あなたが彼女の国にしたことを苦にして」

「なッ…!」

愕然としたまま、クッパの動きが止まる。
1秒。2秒。静かに時が2人の間を流れた。

やがて、観念したようにクッパの体から緊張が解ける。
低く、うめくようにため息をつき、魔王は力無くうなだれた。

また1つ使命を果たしたアリスは、軽い足どりで夜のクッパ城を後にして歩いていた。

やはり、戦うのは楽しい。
捕まりそうになっていたポケモンを助けたり、危険なアステロイドを一掃したりするのも嫌いではないのだが、
こうして悪を直接懲らしめる方が、世界のためになっているという実感が湧く。
そして、主人のためになっているという満足感も。

主人の待つ世界に帰ろうとしたアリスは、男の声に呼び止められた。

「お嬢ちゃん。どこへ行くんだい?」

振り返ると、そこに立っていたのは奇妙な格好をした男だった。

シルクハットを被り、つぎはぎだらけのぼろのような燕尾服に身を包み、ステッキに寄りかかって立っている。
帽子の下から乱れ放題の白髪が飛び出しているわりに、その顔はやっと中年にさしかかったばかりの様子だ。

アリスの心が、さっと冷え切る。
その格好と同じくらい、男は異様な気配を放っていた。
常軌と逸脱、老成と壮健が入り乱れた混沌。主の嫌う不調和を体現したような姿だった。

明らかに、この世界の者ではない。
アリスと同じく、外から来た存在だ。

「誰?」

「おいおい、質問に質問で返すなよ。
まぁ質問だけで続いてく話ってのも面白いかもしんねぇけどな」

そう言って、帽子の男は肩を震わせククク、と笑う。
頭に載せられた黒いシルクハットも揺れた。
男の服装の中でまともな色をしたものは、その帽子くらいだった。

ますます警戒するアリスに、男はこう続ける。

「じゃあさ、せめてお嬢ちゃんの名前を教えてくれよ。な? 良いだろ?」

月光に照らされ、やけに整った男の白い歯が、にやりと笑ってそう言った。

「……」

アリスは表情を硬くして答えず、返事の代わりに素早くきびすを返すと、姿を消した。

「あ、行っちまうのか。
冷てぇなー…クククッ」

男の飄々とした声だけが、背中を追いかけてきた。

その後も、奇妙なシルクハット男はアリスの周りに現れた。

「おーい、何やってんだ? おつかいか?」

「名前くらい教えてくれよなァ」

冷やかすような男の声を、アリスはひたすら無視した。
せっかく使命を果たし、誇らしく嬉しい気持ちなのに、それを台無しにされたような気がしてただただ不愉快だった。

主人には言わなかった。
アリスと話していないときの主人は、いつも黙って考え込み、何かに深く悩んでいるような顔をしていた。
主人にこれ以上の悩みを与えるわけにはいかない。
アリスが与えたいのは、喜びだけ。
アリスが欲しいのは、主人の賞賛の言葉だけ。

それに、あんな男など本気を出せば一瞬で黙らせることもできる。
アリスはそう思っていた。

毎回アリスの現れる時空を知っているかのような男をアリスは警戒していたが、
無視していればそのうちつきまとうのを止めるだろうと考えていた。

しかし、男はしつこくいつまでもアリスの前に現れた。
投げかける言葉も、次第に単なる冷やかしを通り越したものになっていく。

「あっちこっち忙しそうだな。
一体何をやってんだ? ご苦労なこって」

「何か目的があるんだろ? オレに教えてくれよ」

ついに、アリスは怒鳴った。

「ほっといてよ!
あなたには関係ないわ!」

精一杯の脅しを込めて、男を睨みつける。
しかし、つり上がった赤い瞳を見ても、シルクハット男は「おぉこわ!」とおどけて身を震わせるだけだった。

怒るよりも、男の態度に毒気を抜かれ、アリスはため息をつく。
それでも冷たい声をつくって、

「今度何か言ったら、あなたを消すわよ」

と宣言した。

男は何も言わず、ただへらへらと笑うだけだった。

脅しがきいた様子はなかったが、それからシルクハットの男は姿を見せなくなった。
ちょうど長くかかる使命を受けていたので、アリスには都合が良かった。

雲に寝そべり、頬杖をついていない方の手を下界にかざす。
想像すれば、それが瞬く間に現実になった。

大地が割れて兵を次々と飲み込み、突如上がった火の手に騎馬は驚いて乗り手を振り落とした。
かと思えば雨の気配もないのに川が氾濫し、片方の陣営だけを濁流が蹂躙していく。

アリスを創造した"秩序の守護者"ほどではないが、アリスにもそれなりの力が備わっている。
常人からすれば、まるで神のような力が。
だが、はるかな高みから俯瞰しているせいか、アリスは張り合いを感じられなかった。
つまらなさそうな顔をして、ゴマ粒のように小さな人間が慌てふためいているのを見下ろしていた。

やがてそこにもう一方の軍勢が到着し、混迷極める敵兵を次々と討ち取っていく。
アリスが時々上空から手助けなどしているうちに、敵将はあっさりと捕まり、戦争は終わった。

「野蛮ねー…」

心底退屈そうな声で呟き、伸びをしかけて―慌てて伏せる。

地上。
神の加護を喜び、勝ち戦と国にもたらされる平和を祝うアリティア軍の中にいて、
ただ1人、空を見上げる者がいたのだ。
アリティアの軍を率いる王子。その端正な顔はアリスのいる辺りに向けられ、不審そうに曇っていた。

危ないところだったが、“姿を見せずにアリティア軍を勝利に導く”という今回の使命も成功させた。
アリティア軍が行く先々で出くわす全ての戦につき合ったため、数ヶ月もこの時空にとどまっていたアリスだったが、
主の待つ世界に帰ることを思うと、心が晴れ、ここ数ヶ月の退屈さも紛れるような気がした。

早く帰ってあの方に言おう。
よくやった、と言うバリトンの声を想像し、アリスは早くも誇らしげな気分になる。

人気のない丘を走り、次の跳躍で帰ろうとした、その時。

「よォ、久しぶり」

あいつの声がした。

シルクハットの男は、相変わらず絵の具を思い切りぶちまけたような燕尾服を着て、
鳥の巣のような白髪の下でニヤニヤと笑っていた。

飛び損ねてよろけ、アリスは憮然と男を睨みつける。
男はその視線を笑ってかわし、こう言った。

「勝つべき者を勝たせた。そーゆーことだな?」

アリスはぎくりとする。
『勝つべき者を勝たせよ』
今回の使命を告げた時、"秩序の守護者"もそういう言い回しを使っていたのだ。

「なぜ…」

アリスの問いは途中でかすれ、消える。
この気にくわない男は、主人と何か関係があるのだろうか。
それとも、ただの偶然?

目の前に立つ男は、何がおかしいのかくつくつと笑っている。
だが、その笑いの下から突然、妙に冷静な声がこう言った。

「―なぁ。
それが本当にあいつらの為になってるって、思ってんのか?」

アリスの目が、一層大きく見開かれる。
男の口からその態度と乖離した言葉が放たれた時、ただならぬ威圧感を感じたのだ。

そんな自分が苛立たしくて、男が憎くて、

「うるさいっ!」

叫んで、叩きつけた。黄金の鎖を。

魔王をも叩き伏せ、数十万もの軍勢を敗走させたアリスの力を、
男は軽々と受け止めた…いや、破壊した。

すっと何気なく掲げられた男の左手の前で、鎖は乾いた音を立てて粉々になった。

「……!」

アリスは硬直する。

信じられなかった。
目を覚まし、自我を持ってからというもの、一度も負けたことは無かったというのに。

無敗だったことが、かえってアリスを追い詰めた。初めて、恐怖を覚えた。

必死の形相で次の攻撃を繰り出そうとするアリスを、男は止めた。
挙げた手をそのままアリスの方に向け、口の端をつり上げてこう言う。

「おーっと。そうかっかしなさんな。
ここで暴れちゃお嬢ちゃんのご主人とやらも迷惑だろう?」

主が、迷惑…?
アリスの肩から、険しさが消える。
そう。"秩序の守護者"は世界の平和を望んでいる。
今ここで不必要に力を行使すれば、ここの土地は荒れ果ててしまうだろう。
そしてそれは、主の意に背くこと。

「そうそう。話をすんならまず落ち着かなくっちゃな」

「話…」

呆然と男を見やるアリス。
やがて固い声で、やっとこう言った。

「する話なんて、無い。あなたとなんか」

「どうしたのだ、アリス。
浮かない顔をしているな」

全てを包み込むような、心の底からアリスのことを心配している声がゆったりと降りてくる。

「何でもありません…平気です」

アリスはぎこちなく作り笑いを浮かべる。
そんなアリスを、"秩序の守護者"は真剣に見つめた。
目も鼻も口もない顔だったが、案じている気持ちが伝わってきた。

あの後、アリスはシルクハットの男とは何の話もせず、逃げてきた。
だが、男の放った言葉が胸の奥にわだかまり、残っていた。

「主よ…」

男を恐れた自分が恥ずかしくて、主人になぐさめて欲しくて、
身勝手だと思いつつもアリスは我慢できず、ついにこう言った。

「わたしがしていることは、本当に世界のためになっているのでしょうか」

主人は笑った。
子供の冗談を笑うかのような、暖かく余裕のある声で。

「その通りだとも。私が間違うわけがないだろう。
アリス、お前のお陰で多くの人々が救われた。お前は紛うことなく"平和の使者"なのだ。
しかし結果を見たことがないのだから、1人で戦い続けるお前が不安になるのも仕方のないことだろうな」

青く光る手が差し伸べられ、うつむいたアリスの顎をそっと持ち上げる。

「そのうち、分かる日が来る。
秩序が世界にもたらされ、全ての者に平和が訪れる日が、必ず」

すがるように、アリスは主人の目のあたりを見つめる。
"秩序の守護者"は、全てを肯定するようにアリスに頷きかけた。

やがて主人は手を放し、こう言う。

「さぁ、アリス。
行くのだ。より良い世界のために」

アリスは腰に手を当て、自称大王を睨みつけていた。

「まだ持ってるでしょう。出しなさい!」

自然と声に棘が混じる。
今まで様々な時空を渡り歩いてきたアリスだったが、こんな奇妙な世界は初めてだった。
まん丸で弱そうな兵達に周囲を守らせ、顔をこわばらせている大王は太ったペンギンそっくり。
自分より背の低いアリスに、大王は本気で震え上がっていたが、しかし顔だけは強気にしかめ、

「な…何のことだ?」

と、とぼける。
ちょっと大岩を消し飛ばしてみせただけで、この有様だ。
アリスは思わずため息をついた。
力を使う気にもなれず、無造作に足を運び大王に詰め寄る。

周りを守っていた丸い兵達は、すっかり怖じ気づいて大王の背後に隠れてしまった。

「あっ! こらお前達…、
わしを守らんか! …えぇい、全く…」

アリスと対峙する形となり、大王は困り果てて黙り込んでしまった。

しばらく呻吟していたが、

「くれてやるわ! こんなもの!」

そう言って、何かをアリスに投げつけた。
きらめく星形の宝。大王が盗んでいったこの国の秘宝だ。

アリスがそれを受け止めた隙に、大王とその部下は一目散に逃げてしまった。

「ほんと…他愛ないわ」

アリスは背後を見やる。
そこには、荷車いっぱいに積まれた国中の作物。
国民の宝と食べ物を盗んでおいて、どうして大王だなんて言い張れるのだろう。

しかし、"秩序の守護者"の先見の明によって事件は未然に防がれ、この国の人々は飢えずに済んだ。

荷車と宝物をその場に残し、アリスはこの世界を後にしようとした。
だが、その足が止まってしまう。

――本当にあいつらの為になってるって、思ってんのか。

甦る声。

「…人々の…為に……」

思わず呟いて、慌てて首を振る。

疑う必要が、どこにあるの?
わたしのすることは人のため、世界のためになっている。だって―

アリスは今までの使命を思い返す。

命を落としかねない迷宮から、先回りして道具を回収し、勇者の元に届けた。
妨害によって、命に関わる重傷を負うはずだったレーサーを救った。
得体の知れないロボット達に捕まりそうになっていた、無垢なポケモンを助けた。

それが、人のためになっていないなんて、そんなこと、あるはずがない。

…でも、なぜこんなに胸が騒ぐの。

半ば上の空で帰路につこうとしていたアリスの視界に、騒がしい色が飛び込んできた。

顔を引きつらせ、弾かれたように顔を上げる。
そこにはやはり、あの男がいた。
腕を組み、妙な形の木に体をもたせかけ、こちらを見ている。

しかし、今回の彼は何も言わなかった。
アリスの心を見透かしたかのように、そのニヤニヤ笑いを一層つり上げると、ふっと姿を消した。

アリスは、使命を果たしても以前ほど喜べなくなっていた。
それどころか、ますます自信を無くし、心を疑うようになった。

わたしのすることは、人のためになっているの…?
いつ何時もそんな問いがこだまし、耳につきまとい、離れない。

シルクハットの男は相変わらず、アリスの前に現れた。
しかし、ただ笑うだけでもう何も言わない。
それがかえってアリスの動揺を誘い、不安を煽った。

"秩序の守護者"には言えなかった。
一人、虚空に浮かび黙考する主人を邪魔し、余計な心配をさせるわけにはいかない。

だがアリスは、自分1人であの男をどうにかできるとは、もう思うことが出来なかった。

その時空に姿を現したアリスは、はっと身をこわばらせた。
暗く冷たい洞。
その中心に淀む、更にどす黒い闇。

「これが…主の言っていた、ひずみ…」

主の見守る世界の地下。その過去に突如ひずみが生じた。
放っておけば、その一帯はおかしくなった過去ごと消滅してしまう。
過去へ向かい、ひずみを破壊せよ。

アリスは主の使命を反芻し、さっと右の手を蠢く闇へと向ける。
はやく、壊さなければ。

「ちょい待ち」

久々に聞く、あの声。
アリスの背筋を、氷のように冷たいものが走る。

アリスは振り返る前から、そこにあの男が立っていることを分かっていた。
破壊の光を帯びていた手は力無く下げられ、細かく震えはじめる。
年相応の少女らしい怯えた表情を、隠す余裕はもはやなかった。

「…何の用なの」

か細い声で、ようやく問う。

男は、シルクハットの縁から頭を掻きつつ、いつになく真面目な顔をしてこう答えた。

「まぁな…お嬢ちゃんに1つ、教えることがあって」

そして、左手に持つステッキで、2人の道の先でゆっくりと蠢く闇を指し示す。

「ありゃあ確かに、放っとくと危ないやつだ。
だがなぁ、お嬢ちゃんが今ここで壊すこともない。いや、壊しちゃいけない」

声を落とし、続けた。

「あの中には、人がいる。
…まぁ正確に言やぁ人っていうより魂のようなもんだが」

「人が…この中に…?」

「ああ。
その子らは、ギーグってやつを倒すためここに来て、で、これに飲み込まれた。
今お嬢ちゃんがこの異次元空間を壊せばギーグも消えるが、子供らの魂も消えちまう」

「うそ…うそよ! そんなの…。
信じないわ!」

アリスは叫ぶ。
こんな恐ろしい闇の中に、子供達が自ら立ち向かっていったなんて。
そして、救うべき命がいるのに、主がアリスにひずみを壊せと言ったなんて。

いや、主が知らないはずはない。
では、ではなぜ…

「その子たちも…倒さなければいけない存在なんだわ。
そう! きっとそうよ。
……そうでなきゃ、あの方がそんなこと命じるわけがないもの…!」

狼狽するアリスを、シルクハットの男は心底憐れそうに見つめていた。

「倒さなければいけない…ねぇ」

深いため息をひとつつき、男はステッキに体重を預けた。

「お嬢ちゃんにも聞かせてやろう。あの子らの声を」

2人の見る前で、蠢く闇にわずかな裂け目ができた。
途端に、2人の立つ地下空間に激しい風が吹き荒れる。

風に混じって、突然、得体の知れない思念がアリスの心に突き立てられた。

――アーアーアー

――…カエレ…
チガウ…チガウ…チガウ

――…イタイ、イタイ…

――ネスサンネスサンネスサンネスサンネスサンネスサンネスサンネスサン……

アリスは悲鳴を上げ、耳を塞ぐ。
しかし異様な声は頭に直接響き、消えることは無かった。

そんな中、1人の少女の声が響いた。

――……どうぞ、わたし達に力をかしてください!

ギーグのそれとは全く異なる、切実で、情のこめられた呼びかけが。

――わたし達の思いが届いた人…誰か…。

間断なく吹き付けるギーグの思念波の向こう、闇の割れ目に、寄り添い何とか立っている4人の人影を、アリスは見た。
ここでさえこんなに苦しいのに、あの子たちはあんなに近くで戦っている…。

「お嬢ちゃん、どう思うね。
あれでもあの子らは、倒さなきゃいけない存在かい?」

そう言った男は依然ステッキに寄りかかっていたが、
ギーグの思念波の煽りを受け、その顔はさすがに苦しげにしかめられている。

――…誰か、誰か、わたし達を助けて。

見知らぬ少女の声は、次第にか細く、小さくなっていく。

アリスはその手を…主の命ずることのみを行ってきたその手を、初めて…祈るように胸の前で組んだ。

「そうだ。祈ってやろうぜ」

男はそう言って目を閉じ、自分も手を組んだ。

「ふむ…さすがにまだ難しかったか?
アリス、苦労をかけてしまったな。次はもう少し易しいものにしよう。
大丈夫だ。一度の失敗くらいで世界の秩序は崩れない」

"秩序の守護者"はそう言って、アリスの肩に手を置いた。
アリスは後ろめたさを感じ、うつむく。
シルクハットの男のことは、一度も言わずじまいだった。

主人の手を焼かすことなく、自分で何とかしようと思っていたのはずっと昔のこと。
今は、正直に言えば主人への疑いが芽生え始めたから、という理由が大きかった。

猜疑心が頭に上るたび、アリスはそれを懸命に打ち消そうとしていた。
まだそのくらいには主人を信じていた。

だがあの日、地底の世界で聞いた少女の声は、あまりにも強烈な印象を残していた。
声からすれば、創られた身とはいえアリスと同じくらい。
そんな子供達が4人も閉じこめられたひずみを、主人は破壊しろと言ったのだ。

――お嬢ちゃん。
あんたが手ェ出さなくったって、この世はしっかり動いてくんだぜ?

あの日アリスが何もしないまま、やがて消滅していった異次元空間を見つめながら、シルクハットの男はそう言っていた。

"秩序の守護者"が下す新たな使命を半分上の空で聞きながら、アリスはぼんやりと考えた。
自分は、余計なことをしているのかと。

「さぁ行くのだ、アリス。より良い世界のために」

それでもアリスは、主人の言葉に反射的に頷く。

「う…うわぁぁ!」

半べそをかき、傷ついたポケモンを抱えて逃げていく短パンの男の子。

少しやりすぎてしまっただろうか。
いや、あの子にここを退いてもらうのが今回の使命には必要なのだ。
少年とポケモンには悪かったが、これも世界の秩序のため。仕方のないことだ。

それでも、逃げていった男の子の泣き声がちくりと心を刺した。
周りのポケモントレーナーたちも、恐々とアリスの方を見ている。

それもそうだろう。
アリスは傍らのポケモンを見上げる。
どっしりとした体躯の、黄色いドラゴン。
青緑の翼をパタパタと揺らし、周りの視線も気にせず伸びなどしている。

Lv.100のカイリュー。
今回の使命のため、アリスに"秩序の守護者"が創って与えたポケモンだ。
この一匹さえいれば、この一帯はおろか、カントー地方のジムを全て制覇できるだろう。

そんな圧倒的すぎるポケモンを横に置き、アリスが待つのは1人の少年だった。
ポケモンリーグ制覇のために旅に出たばかりの少年。
主の予見によれば、将来とある悪の組織の長となり、カントー地方に害なす存在になる少年だという。

彼の旅を序盤で挫き、非行に走る根を絶て。
そういう使命を帯びて、アリスはここにいた。

"ポケモンバトル"のことについてアリスは何も知らなかったが、
とりあえずカイリューの覚えている4つの技のどれかを言えば良いのだ、ということは先ほどの戦いで分かっていた。

何もしないでいるとまたいつもの疑念が頭をもたげてきそうだったので、
アリスは努めて道路の向こう、少年が来るだろう方向を一心に見つめた。

間もなく主の告げたとおり、赤い帽子の少年が現れた。
目と目が合う。
少年はアリスの傍らのポケモンを見てぎょっとしたが、目があった以上バトルをするのがこの地方の礼儀だ。

帽子のつばを手でくっと下げて礼をし、少年はモンスターボールを放った。

「行けっ ゼニガメ!」

光と共に、小さなポケモンが現れる。
名前の通り亀に似た姿のポケモンだ。
水色の丸まった尻尾を振り、ゼニガメは元気よく鳴き声を上げた。

少年の様子を見る限り、彼の手持ちはこれだけのようだ。
なるべく早いうちに彼の意志を挫けさせてやろう。
まだ何も知らない少年とゼニガメに対し済まないと思いつつも、アリスはカイリューに命じる。
全ては平和のため。より大きな善のため…。

「はかいこうせん」

「ゴォォゥ!」

カイリューが待ちかねていたかのように応じ、すっと息を吸うと次の瞬間、口からまばゆいエネルギー波を放つ。
草むらを黒く焼けこがし、光線はゼニガメに迫る…が。

体の軽さを活かし、ゼニガメが素早く跳躍した。
遅れて、今までゼニガメがいた地面が深くえぐられ、はぜる。

凄まじい衝撃と共に、周囲を土煙が覆った。

アリスは咳き込み目を細めながら、ゼニガメの小さな姿を探した。
カイリューも動揺し、周囲を見回している。
Lv.100とはいえ、創られたばかりの彼に実戦の経験というものは皆無であった。

アリスは土煙を自分の力で取り除きかけ、慌てて止める。
あくまでポケモントレーナーとして、あの少年に勝つ必要があった。
そうでなければ彼に旅を諦めさせることなどできない。
彼が納得できる形の完敗でなくてはならないのだ。

アリスの目が、カイリューの後ろに迫る茶色の甲羅を捉えた。

「カイリュー、後ろ!…かえんほうしゃ!」

急いで命じる。
しかし、カイリューは動けない。
前の技の反動が来て、疲労していたのだ。

「ゼニッ!」

硬い甲羅のたいあたりが、カイリューの背中にヒットする。

カイリューがうめく。
しかしそれは痛みからではなく、ただ不意を突かれて驚いたからのようであった。
彼にとって、ゼニガメのたいあたりなど大したダメージではない。

そうこうしているうちに土埃も収まり、カイリューの体勢も整った。
アリスは再び"かえんほうしゃ"を指示する。

しかし、ゼニガメは間一髪でそれをも避ける。

――なぜ? なぜやられてくれないの?

アリスはくちびるを噛む。
少年に勝ち目はない。
それなのに彼は、彼とゼニガメはしぶとくアリスのカイリューに食いついてきた。

――大人しく当たってくれれば、こんなに辛い思いをしなくて良いのに…。

そこまで考えて、アリスははっと気がつく。

――…辛い?

そう。アリスは辛いと思っていた。
対峙した少年を打ちのめすことを、ゼニガメを倒すことを、辛いと思っていたのだ。

――これは未来のため。世界のためなのよ。
仕方ない…仕方ないことなの。
だから…
……だけど、これは正しいことなの…?

アリスの目に映る少年は、もはや将来の悪の首領ではなくなっていた。
絶望的なほど強い相手を前に一歩も退かず、信頼するパートナーと心をひとつにし、
共にベストを尽くそうとしている勇敢な少年が、そこにいた。

アリスはもはや、カイリューにわざを指示することができなかった。

「…ごめんなさい」

ぽつりと呟いてカイリューをボールに戻すと、アリスは逃げるようにその時空を離脱した。

「よく決断したな、お嬢ちゃん」

予想しない声に驚き、アリスはバネ仕掛けのように顔を上げる。

そこには、あのシルクハットの男。
今まで散々アリスの前に現れ、彼女の心を掻き乱してきた男だが、
"秩序の守護者"とアリスしか知らないはずの時空に現れたことは、一度もなかった。

なぜここへ。
言いかけて、アリスはここが主人の待つ世界ではないことに気がついた。

周りはいつもの薄闇ではなく、たゆたう紫のもやもない。
ダイヤモンドをちりばめたような星々の輝く宇宙。
アリスの立つ大地はしっかりとした質量と形を持っており、宇宙を音もなく疾走していた。

細長い大地の向こう側にたち、男はいつもの薄ら笑いを浮かべて立っていた。

「わ…わたしをどうする気?
どうやってわたしをさらったの…?!」

「さらうだなんて人聞き悪ィなぁ。
…ま、ここじゃ聞いてる奴なんて誰もいねーけどよ」

そして肩を小刻みに震わせてひとしきり笑い、そのままの軽い調子でこう続ける。

「お嬢ちゃんのご主人とやらにも、とーぜんここは分からねぇよ」

アリスの顔が引きつる。

わたしを騙したの?
帰して、あの方のいる世界に。
何が狙いなの?

あらゆる思いが一度に押し寄せ、アリスは結局何も言うことが出来ない。

アリスが黙ったままなのを見て、男はこう問いかけた。

「お嬢ちゃん。
君は、何のために世界を飛び回っているのかな?」

声こそおどけていたが、そこにアリスを馬鹿にするような響きはなかった。
アリスは開いたままだった口を閉じて心を落ち着かせると、はっきりと言った。

「あの方の代わりに…世界の秩序と平和を守るためよ」

その主義を支えのようにして、アリスはきっと男を睨みつける。

しかし、その懸命の視線を、男は笑って受け流した。
ハスキーで、耳に障る声。

「はっ、はははっ!
…そうか、あいつはそう言ったんだな」

「何がおかしいの」

動揺が声に出ないよう、手をきつく握りしめて問う。

「実際は逆さ。お嬢ちゃんのやっていたことは」

「逆…?」

男は大きく頷く。
シルクハットを押さえた左手の陰から、吊り上がった口角を見せてこう言う。

「お嬢ちゃんは、知らないうちに世界を滅茶苦茶にしていたのさ。
あいつに騙されて、ね」

「………そんな。
そんなの……」

あまりの言葉に、アリスは虚を突かれ口ごもってしまう。

わたしは平和の使者。
"秩序の守護者"自らの手で創られた、唯一無二の正義…なのに。

その紅い目に、不意に激しい光が宿る。

「嘘よ!」

鋭い声と共に、アリスの周囲から外へ向け、衝撃波が走る。
槍先の形をした、光る牙。それが何本も男の方へ。
男は以前と同じく、左手をもってその牙を破壊してしまったが、さすがに驚いたらしく反動を受けてよろめく。

その様子に少し満足し、アリスはようやく平静を取り戻す。

見知らぬ世界に閉じこめられてしまったが、アリスが帰ってこないことにいずれ主人は気づくだろう。
主人の手を焼かせることになるが、こうなれば時間稼ぎをする必要があった。
男の小手先を制し、優位を保ったまま時間を稼ぐ必要が。

「あの方は"秩序の守護者"。
いつ何時も世界の平和を想い、願っている。
わたしは、あの方を信じているのよ」

アリスの声は、宙を駆ける大地に淡く反響する。

そのこだまを確かめるように、男は繰り返した。

「信じる…。
信じる、ねぇ」

神妙な顔で頷いていたが、やがて、への字にしていた口を再び皮肉っぽくつり上げる。

「何の根拠もなく信じるってのは、ヒロイックかもしれねぇな。お涙頂戴のご立派な心がけだ。
しかしお嬢ちゃん。
それは"盲信"って言うんだぜ?」

「盲信…?」

アリスがその意味に気づき、また激昂する前に、男は巧みにこう切り出した。

「お嬢ちゃんはきっと、行けと言われた時代、行けと言われた場所にしか行ったことがないんだろうな。
知らないだろう。"亜空の使者"事件のことは」

「……」

アリスは答えず、用心深い目をして男を睨んだ。
"使者"という単語が、いやに耳に引っかかっていた。

「これから見せるものは、オレにとって過去。
お嬢ちゃんにとっては未来の話だ」

そう言って、男はふいに片手をさっと掲げた。
アリスが反応する間もない。

風が変化し、進行方向で光が弾ける。
宇宙に現れた亀裂目がけ、ステージは2人を乗せて飛び込んでいった。

眼下に広がる大地。
雪に染まる白銀の山々、荒涼とした褐色の砂漠、深緑の木々茂るジャングル。
大地は、パッチワークのように様々な彩りを持って横たわっていた。

見慣れたパノラマ。
そう、そこはアリスが時を越え、平和をもたらしてきた世界であった。

アリスたちを乗せたステージは明確な意志を持って、ある一点目がけ降りていく。
ほとんど落ちていくようであったが、風は感じなかった。

禍々しくうねる、赤褐色の雲が近づいてくる。
明らかに自然のものではない。
それが、異様な広さを持って大地を覆っている。

その雲を突き抜けて、ステージは落ちていった。
やがて視界が開け、現れたのは戦場。

コロシアムの中央、アリスたちを乗せるそれと似たステージの上に、緑色の服を着た人形じみた兵が蠢いている。
対し、中央に追い詰められ戦っているのはたった2人。
ひげの男と、丸い生き物だ。

彼らがどれほど頑張っても、敵は一向に減る様子がない。
アリスが周りを見てみると、空から降ってくる黒紫色の粒があちこちで寄り集まり、あの人形兵を作り続けている。

そしてそれを降らせているのは、赤褐色の雲を頂いて空を飛ぶ戦艦。

「これが、未来…?」

アリスは呆然と呟く。
自分の為した使命によって、未来に芽吹くであろう悪の芽は絶たれたはずだった。

「あぁ。お嬢ちゃんが変えちまう前のな」

男の言葉に、アリスは束の間安堵する。

地面に手をつき、身を乗り出すアリスの周囲で、世界は断続的に様相を変えていった。

姿形も様々な人が出会い、別れ、そして共闘した。
アリスは、彼らのいくらかに見覚えがあった。

そして、世界のあちこちを球形に取り込んでいく、闇。

「亜空間爆弾だ」

シルクハットの男はステッキに手を乗せ、真面目な声で言った。

"敵"が各地に落としていく爆弾を、世界のあちこちで様々な人が止めようとした。
惜しいところまで行くが、彼らは世界が切り取られていくのを止めることができない。
のみならず、1人、また1人と仲間が捕まっていく。
流される涙。悔しさに震える拳。

それでも彼らは諦めなかった。
些細なきっかけで偶然出会った人々が、少しずつ合流していく。
いつしか彼らは大きな集団となって、初めて攻勢に出た。

"敵"の巨大兵器を破壊し、彼らは茫洋たる闇、亜空間の中へと飛び込んでいった。
追って、アリスたちもその中へ。

「…だいたい分かったわ」

アリスは落ち着いた声で言う。

「あの方は、未来がこうなることを知っていた。
だから、こんな悲しいことが起こらないように、この世界の人が苦労しないように、わたしに使命を下していたのね。
より良い世界のために。そうでしょう?」

しかし、男は頷かない。
分かっちゃいねぇな、というように、にやにや笑うだけだった。
だが、その目は妙に静かな光をたたえて前に向けられている。

アリスもつられて前を見て、
そして、声にならない悲鳴を上げた。

そこにいたのは、虹色の翼を持つ、青く透明な身体。
アリスの主、"秩序の守護者"だった。

彼の翼が、アリスに見せたことのないほどの危険な輝きを帯びて…閃光を解き放った。

一切の色を持たない波動が、亜空間に攻め込んだ人々を襲う。
彼らは一瞬にして、銅像と化した。

「そんな…なぜ……?
あの方が、あんなことを…そんな……」

やっとのことで我に帰ったが、アリスはすっかり動揺していた。

事件の首謀者は、"秩序の守護者"。
否定するには、あまりにも似すぎていた。

そして、亜空間と呼ばれる世界の様子も、アリスの見慣れたものだった。
無形のもやが漂い、暗黒星雲の中に全てが浮かんでいるような、天も地もない薄闇。
アリスの主人が住まう、あの空間とそっくりだった。

混乱し、惨めに打ちひしがれるアリスを、男はじっと見守っていたが、
やがて妙にしんみりとした口調でこう言った。

「あいつの真の名は"タブー"。
亜空間に潜み、世界を永遠の静止の中に取り込もうとした、全ての黒幕さ…」

アリスは、すっかり力を失った目で傍らの男を見上げる。

「でも…こうしてあなたがここにいる。それはつまり…」

「そう。これで終わりじゃぁなかった。
タブーが事を起こす前に、偶然計画を知ってしまったやつがいてな…」

男は、後の説明を世界にゆだねる。
アリスも、再び前に顔を戻した。

瓦礫の山。
それが、崩壊した城のなれの果てだと気づくのに、数秒かかる。

静まりかえった城の跡地に、不意に光が灯る。
黄金色の、淡い光が2つ。

続いて、そこから弾かれたように、2人の人影が起き上がった。
赤い野球帽の少年と、緑帽子にオーバーオールの青年。
突然の復活に戸惑っていた2人だったが、瓦礫に埋もれていたもう1人の仲間を助け出し、彼に連れられて旅立っていった。

アリスの目には、もう手遅れとしか見えないほど荒廃し、亜空間に蝕まれた世界へと。

「初めはたった3人。
だがな、あいつらのお陰で、フィギュアにされたまんま亜空間で散り散りになっていたやつらも、全員見つかった。
そんで―」

再び相対する、結集した戦士たちと、タブー。
戦士の中には、かつてタブーに組し利用されていた者の姿もあった。

互いに総力を掛けた戦いが始まり、そして―

「激闘の末、タブーは敗れ去った。
この事件で集まり、共闘したやつらをオレ達は組織し、
"スマッシュブラザーズ"と名付けて事件後の世界を守らせることにした。
…だが」

男の目が、強い光を持って前を見据える。
辺りは、いつの間にか元の宇宙空間に戻っていた。

「タブーはまだ生きていた。
完全に消滅したわけじゃなかったのさ。
しぶといよなァ?
虫の息、這々の体でオレ達の目の届かないとこに逃げ延びたタブーは、執念深く復讐の機会を窺っていた。
そして、ある時ぴんと来た。
過去へ行き、歴史を変えてしまえばいい、とな」

アリスは膝をついたまま、はっと男の顔を見つめる。

「わたしは…そのために?」

「クク、察しが良いね。
川の流れを変えたいんなら。上流にちょいと細工をすれば良い。
そうすりゃ川の流れは下流に行くほどどんどん変わっていく。
ただ、あいつはあの時の戦いでひどく消耗しちまってたし、
それに自分が出て行くとオレらに勘づかれちまうから、代わりにやってくれるやつを創った。
自分に都合の良いシナリオに、書き換えるために」

――あの方は、自分のためだけに私を…?

アリスは、急にひとりぼっちにされたような感覚を覚えた。

"秩序の守護者"がアリスに見せた優しさ、気遣い。
それは全て、自分の目的のための偽りだったのか。
彼の目は、本当はアリスを見ていなかったのか。

「お嬢ちゃん」

男に呼ばれ、アリスは顔を上げる。

「さっきオレが見せた映像。
君のよく知ってる顔もいっぱいいたよな?」

アリスは急にそんなことを聞かれ、戸惑ったように頷いた。
なぜ男がそんなことを確認したのか、考えていたアリスは恐ろしいことに気がつき、さっと顔をこわばらせる。

「…も、もしかして…、
わたしのしたことで、あの人たちに…。
あの人たちに、何かあったの…?」

声を上ずらせるアリスに、シルクハットの男は黙って頷いた。

「…教えて!」

アリスは立ち上がり、必死に男にすがりつく。
そうでもしなければ、本当に1人になってしまいそうだった。

「わたしは、何をしてしまったの? ねぇ!」

今にも泣き出しそうな顔でつぎはぎの燕尾服を掴むアリスは、もはや超越した力を持つ創造物ではなかった。
迷子になり、途方に暮れたか弱い少女だった。

男は白髪を困ったように掻き上げ、アリスを見おろす。

「…自分のしたことが良いことだって信じてたお嬢ちゃんには、かなりキツイ話かもしれんが…。
いつかは教えなくちゃならねぇことだからな……」

その静かな口調は、こうなることを何度も予想し、覚悟してきた者のそれだった。
男は目をつぶり、言葉を整理しているようだったが、やがて唐突にこう切り出した。

「……タブーはどうやって自分の失敗を無かったことにするか?
簡単なこと。
にっくきファイターが事件イベントに立ち会わなければ良い。
ただ、そのやり口が実に巧妙でなァ…オレ達もギリギリまでタブーの企みに気がつかなかった。
全くしてやられたもんだよ。
執念を通り越して、一種の狂気すら感じるね」

男はそこで咳払いを挟む。

「…話がずれたな。
さて、タブーはどうやって自分の前から邪魔者を追い払ったか」

片方の手でさっと周囲を払うと、わだかまっていた闇が晴れ、
2人の横の空間にフィギュアが現れた。

先ほどの戦士達を象った複製が、扇状になってずらりと並んでいた。
居並ぶ戦士達は、それだけで威圧感を放っている。

「まず、単純にあの事件の時いるべき・・だった場所にたどり着けないようにする、という方法。
例えば、この音速マシン男」

男の言葉に応じ、まるで劇のように、1つのフィギュアにライトが当たる。
細身で、筋肉質の覆面男。

「あの人は、ブルーファルコンの…!」

「そうだ。
こいつ、キャプテン・ファルコンは、あの時コースアウトして大けがを負い、
棄権扱いになってその後のレースから外されるはずだった。
怪我の功名というか、そのお陰でタブーの事件に関わる暇ができた。
だが、お嬢ちゃんの干渉で怪我をしなかったこいつは、そのまま勝ち進み、
そして、…巻き込まれる。
サーキット付近に仕掛けられた、亜空間爆弾にな…」

円錐形の光の中、トップレーサーのフィギュアがふっと消える。

「あいつの住んでるとこじゃ、骨の10本や20本折っても数日で治せる。
そのくらい技術は進んでるんだ。
だから、お嬢ちゃんが出て行かなくっても、あいつの命は何ともなかったのさ」

ライトが、すっと別のフィギュアを映し出す。
角のようにとがった耳と、雷形の尻尾を持つ黄色いポケモン。

「こいつはピカチュウ。
タブーの配下のロボットたちに捕まり、亜空間爆弾の工場に連れてかれ、発電機構として利用されるはずだった。
その前にお嬢ちゃんが助けちまったが、本当なら、工場に忍び込んだサムスってやつに助けられて、
2人で力を合わせてリドリーってぇデカブツを倒す…はずだったのさ」

もう1つライトがついて、パワードスーツに身を包んだ人物を浮かび上がらせる。

「その時、サムスは不意を突かれてリドリーに捕まった。
危うくやられちまうところだった。ピカチュウの"かみなり"がなければな」

だが、アリスがピカチュウを事前に救ってしまったために…
2つのフィギュアが、幻のように消え去った。

「…続けても良いか?」

アリスを気遣うように、男が傍らの彼女の顔を覗き込む。

「ええ」

アリスは震えていたが、小さく頷く。

「それじゃあ、次だ。
2つ目は、その実力を周りにも…自分にも気づかせないまま、日常に埋もれさせちまうって方法」

ライトに浮かび上がったのは、赤帽子、紺のオーバーオール、そして陽気そうなひげを持つ男。

「あのひげのおっさんは、マリオ。
今回の事件で、けっこうリーダーシップとって皆をぐいぐい引っ張ってったやつだ。
…あいつの実力が明るみに出たのは、それよりもっと前。
あいつの国のお姫様が、カメの魔王に連れ去られた時だった」

さらに2つ、明かりがつく。
桃色のドレスを着たお転婆そうな女性と、図体の大きないかついカメ。

「それまで弟と配管工やってたマリオは、姫がさらわれたと聞いて一念発起し、
クッパの砦を次々に突破して、姫を救い出した。
その後もちょくちょく姫はさらわれたが、弟の協力も得てあいつは事件を解決していった。
マリオとルイージは、王国一腕の立つ兄弟として一躍有名になった」

また1つライトがつき、マリオによく似ているが、ほんの少し背の高い男の姿が浮かび上がる。

「……でもわたしは…」

「あぁ、タブーにはあのお姫さんが身投げするって言われてたんだろ?
オレも立ち聞きさせてもらったぜ。
だがな…そいつは真っ赤なウソだ。
見てみろ。あいつがそんなヤワな女に見えるか?」

「……」

アリスは力無く首を横に振る。
世のため、人のため、と思っていたのに、自分は守るべき人がどんな人なのか、知ろうとさえしていなかった。
純粋なまでに、主人の言うことを信じ切っていた。

「クッパはピーチをさらうこともなく、したがってマリオ兄弟は一配管工のままってぇわけ。
マリオは、ただのおっさんのまんま、あの闘技場に招かれることもない」

4人のフィギュアが、消えた。
余韻を残さず、シルクハットの男は続ける。

「で、次はあの丸いの。
オレの知る歴史じゃぁ闘技場でマリオと一緒に、亜空軍と戦ってたやつだ」

浮かび上がるのは、ボールのような身体に丸っこい手足を持つ、ぬいぐるみにも似た戦士。

「カービィの実力が知られるようになったのは、旅先で出会ったとある事件。
その国の自称大王が、こともあろうに国中の食べ物と、ある秘宝を独り占めにした」

あのペンギン大王が、ライトアップされる。

「腹が空いてたのもあったかもしれんが、カービィはそのデデデってやつから食べ物を取り戻し、ついでにお宝もみんなの元に返した。
だが、事件は起こらなかったこと・・・・・・・・・になり…」

また2人、消えていった。

「…3つ目の方法。
最後のこれが一番確実で、そして…いっちばん卑怯だ」

タブーへの怒りに口を歪ませ、男は強い口調で言った。

「言って。…お願い」

アリスは言う。
ここまで来れば、もう引き返すことはできない。
知る必要があった。知る責任が、あった。

男はうつむき、シルクハットの暗い陰から長い沈黙を越えて…言った。

「―完全に…消しちまうって方法」

きっと顔を上げる。
アリスの方ではなく、前に居並ぶフィギュアの方へ。
反応するように、いくつものライトが一気についた。

何かに急かされるように、男は語り始めた。

「アリティアの王子、マルス。
実は、お嬢ちゃんが干渉した戦争の後にももう1つ、大きな戦争が起こる。
だが、正しい歴史では存在しなかった"正体不明の神の加護"に頼り切っていたアリティア軍は、あっけなくやられちまう―」

1人。

「遊撃隊"スターフォックス"隊長フォックス、並びにパイロットのファルコ。
ミッション中に敵の追跡を受け、手近なアステロイドベルトに逃げこみ振り切る作戦を立てるが、
なぜか宙域がきれいさっぱり掃除されてて―」

2人。

「時の勇者、リンク。
お嬢ちゃんが先回りしたために、済んだものと思いこんで、あるダンジョンを素通りした。
だがそこには、タブーが君に教えなかったとある重要なアイテムが、まだ眠っていたのさ。
勇者は帰らず、囚われの姫ゼルダもまた―」

また2人。

どんどん消えていく。
どんどん壊れていく。

秩序が。
平和が。
自分の存在意義が。

男は熱に浮かされたように喋り続ける。
アリスのしたことによって、いかに世界が変わり果ててしまったか。

アリスは、とてつもなく恐ろしかった。
だが、目をそらすこともできず、ただ震えながら肩を抱くことしかできなかった。

気がつくと、アリスは再び男と2人きりになっていた。
大地はアリス達を乗せ、静かに宇宙を飛翔している。

あれだけいたフィギュアは、跡形もなく消え去ってしまっていた。

アリスが直接手を下さなかった者も、
"亜空の使者"事件の最中に関わるはずだった戦士の不在に巻き込まれるようにして、皆消えてしまった。

フォックスが来なかったことで、ディディーコングは兄貴分のドンキーコングを救い出すことができず、
マルスがいなくなったことで、剣士2人はタブーの放った変形戦車に惜敗する。

まるで、倒れていくドミノのように不幸が不幸を呼び、破滅につながっていった。
その向かう先は―

「あいつの望む、生成も消滅もない曖昧模糊、無味乾燥な世界。
全てが亜空間に落ち込み、世界は熱的死を迎える。
…まぁそういう意味じゃぁ"秩序"だ。
何も起こらないんだから、混乱なんて起きやしない」

男は肩をすくめた。
軽々しい仕草だったが、その目は何かを探し出すように星々に向けられ、細くすがめられている。

沈黙の上を、いくつもの星が過ぎ去っていった。

やがて、ぽつりとアリスが呟く。

「主は…なぜ。
なぜわたしに、心を与えたの…?」

一度口を開くと、堰を切ったように感情があふれ出してきた。
重くわだかまる胸の苦しみを、アリスは訥々と言葉にしていく。

「心がなければ、どんな使命でも何も感じずにいられた。
それを"平和のため"だなんてわざわざ誤魔化してまで…。
…心がなければ、気づかずにいられた。
真実を知っても迷うことなんてなかった…のに…」

「お嬢ちゃん。
…あいつはほんとに偏執狂なのさ。
世界中の英雄に寄ってたかって叩かれたから、タブーはお返しとばかり自分だけの英雄を創った。
プリムのような考えない人形なんかじゃなく、自分だけを心の底から・・・・・信じ、自分のためだけに働くヒーローをな。
それに、君みたいないたいけな子に平和のためだと言われたら、どんな奴も納得しちまう」

うつむいたままのアリスの頭から、はらりと一束の髪が滑り、垂れ下がる。
肘の辺りをきつく掴んで、アリスは硬い声で聞いた。

「どうして…初めて会ったときにわたしを止めてくれなかったの?」

男は遠くを、以前として真っ暗な宇宙の彼方を眩しそうに見つめて答える。

「お嬢ちゃんがもし、ハートのないただの人形だったんなら、止めてたさ。
間違いなく、ためらいなく破壊してた。
だがな…君には心がある。
だからオレは、お嬢ちゃん自身のココで考えてもらったほうが良いと、決めたのさ」

そして、自分の頭を軽く人差し指で叩いてみせる。

「…ひどいわ」

アリスは眉をしかめ、気がつくとそんなことを言っていた。
その言葉で火がついたのか、髪を振り上げ、彼女は男に詰め寄る。

「こんなに辛いことになるまで…。
もっと早く知っていれば、わたしは…!
なぜ教えてくれなかったのよ?!」

男は飄々として、そして短く答える。

「お嬢ちゃんは聞こうともしなかったじゃないか」

「……」

アリスの目が大きく見開かれ、…伏せられる。

男の言うとおりだった。
考えることを放棄し、ただ純粋に主を信じていた彼女自身が招いたのだ。この事態を。

「だが、まだ手遅れじゃぁない。
君は気づけた。
世界を壊すのを思いとどまった。自分の意志・・・・・でな!」

「自分の…意志……」

「君には自我がある。
お嬢ちゃん。君のハートは何と言っている?」

男はステッキに体を預け、足を組みつつも、真剣な顔をして問いかけた。

「わたし…は…」

後が続かず、アリスは力無く首を振る。

自分はどうしたいのだろう。
今まで主の言うがままに、それを信じて行動してきた。
底が見えないだけより一層素晴らしいものに見えた主の思想を、得意げに自分の存在理由としてすり替えていた。

今、真実を知ってしまった彼女には、思いつくことなどなかった。

空っぽだった。
頭も、心も、何もかも。
周囲に広がる静寂の宇宙と同じくらい冷たい後悔が、彼女の体を包んでいた。

――消えてしまいたい。

切実に、アリスはそう願った。
しかし、それでは自分のしてしまったことを償うことにはならない。

自分に意志があると言った、男の言葉をぼんやりと思い返していたアリスは、あることに気がつく。
彼は言っていなかったか。
まだ手遅れではない、と。

アリスのそんな心の内を読んだかのように、男がにやりと笑った。

「お嬢ちゃんのやったことが未来に届くまで、まだちぃっと余裕はある。
取り返せるさ。
君が変えはじめた時の流れの、すぐ上流を直せば全ては元通り」

「上流…」

アリスはその言葉の意味するところに気がつき、驚愕する。
狼狽して首を横に振り、男から離れた。

「ま…まさか、もしかして、あの方を…?」

怯え、震えるアリスを勇気づけるように、男は低く、はっきりとこう告げた。

「タブーの潜んでる時空を知ってるのは、お嬢ちゃん、君だけだぜ」

アリスは自分の身を抱き寄せ、細く息をつく。
ふるえを懸命に押さえ、もう一度、自分の心と向き合おうとする。

勇敢な戦士達の個性的な顔ぶれが、閉じたまぶたに去来していった。
"スマッシュブラザーズ"。
何度負けても諦めず、力を合わせて世界に平和をもたらし、未来を守る真の英雄達の顔が。

それに引き換え自分は偽りの英雄。
自分の無知に気がつかないまま、何も考えず、よかれと思って世界を粉々にした。

肝心なのは、力では無かったのだ。
彼らにあって自分に無かったものは、本物の信念。
だからこそ彼らは、絶望的に強い"秩序の守護者"…いや、タブーを打ち負かすことができたのだ。

その信念を持って彼らが示した勇気を、自分は持つことができるのだろうか。

目を開く。
磨き上げられた床が、アリスの姿を反映していた。

主の肌と同じ空色のワンピースに、亜空の兵と同じ、紅い瞳。
こうしてみれば、自分があの存在にどのように見られていたのかが痛いほど分かった。

ただの、操り人形。

悔しくて、悲しくて、あふれてくる涙を、
しかしアリスは強い意志で押さえつけた。

彼女は、心があるが為に、タブーと同一ではあり得なかった。

「わたしは…」

顔を、ゆっくりと上げる。

「わたしは、平和の使者。
世界のため、全ての人のため・・・・・・・に、この力を使う。
わたしは…本当の平和を、世界に取り戻す」

自分に言い聞かせるように、確かめるようにアリスは言った。

男はステッキを傾け、破顔する。
彼の求めていた答えは、それだった。

「よし、よく言った!」

満足そうに、何度も頷きながらそう言ってくれたが、
アリスは再び俯いてしまった。

「でも…あの方は倒せないわ」

「そりゃぁそうさ」

男は、拍子抜けするほどあっさりと認めた。
しかしすぐに、何か企むように口角をつり上げると、こう続ける。

「…お嬢ちゃんだけならな」

「……えっ?」

ぽかんと口を開けたまま、固まってしまったアリスの前で、男はそのニヤニヤ笑いを更に大きくする。
それはつまり、彼が本気だというしるし。
果たして、彼はこう言った。

「さ、善は急げ、だ。
行こうぜ、お嬢ちゃん」

芝居がかった仕草でステッキを腕に掛け、シルクハットをくいっと持ち上げてみせる。

相変わらず緊張感のない男の態度に思わず呆れつつも、アリスは呟くように言ってよこした。

「…アリスよ」

「ん?」

「わたしの名前は、アリス」

「ははっ、そうか。
それが君の名前だったんだな」

男は納得がいったというように大きく頷く。

「じゃあ、アリス。
そろそろ行こうか。
来たるべき世界のために、な」

彼は改めて、アリスに手を差し伸べた。

白い手袋をはめた、左の手を。

裏話

チート並みに強いオリキャラ、というのはよく見かけます。
個人的にはあまり好きじゃないんですけどね…なんだか、版権キャラに対抗して作者自身が胸張ってる感じがあるというか。
擬人化も、ものによりますが、原作に無い場合は勘弁してくれ!と思ってしまいます。
それなのに、なんでこんなものを書いたのか。上記2つが完璧に当てはまってるのに。
…うーん。色々と見てるうちに自分でもやりたくなったのだろうか…。いまだによく分かりません。

当初は主人公は男の予定でしたが(作り物臭い彫像のような青年)、クレイジーハンドの出で立ちが決まった時点と前後して、
"いかれ帽子屋"なら、組むのは少女アリスだろう、と。

色々と調べて長々と書いてみたものの、読み返してみるとどこかやっぱりそぐわない気がしたので、投稿はしなかった次第です。
ここにひっそりと置いておくことで、供養にはなった…のかな。

ちなみにタイトル名の由来は…言わなくても十分有名ですね。
どのみち投稿しないから、とやけになったわけではないですが、今回もまた有名どころから持ってきてしまってます。
この癖どうにかした方が良いんじゃないか。

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