気まぐれ流れ星二次小説

星は夢を抱いて巡る

第4章 歓びをもらたす者 ④

 

 

 

あくる日の昼過ぎ、彼らの姿はスタジアムではなく、街なかに立ち並ぶ店舗の一角にあった。

ぬいぐるみにキーホルダー、食器に菓子類。どの商品にもスターの誰かがモチーフとして用いられている。どうやらここは、『この街』に来た観光客向けのお土産屋のようだ。

キーパーソンを模した小型のフィギュアが勢ぞろいで立ち並ぶ棚には目もくれず、天使は気もそぞろな様子で歩いている。彼は眉間にしわを寄せて腕組みをし、考え込んでいる様子だ。後ろに続くレッドは、上の空で歩いているピットが他の客にぶつからないかとそわそわしながら、左右に目を配っていた。

 

昨晩の宣言通り、ピット達は朝一番からスタジアム巡りを開始し、参加登録ができないかと掛け合ってみた。

サッカー、バスケットボール、テニス、ゴルフといったスポーツから、カーレース、“パーティ”と呼ばれる試合まで。だがどのスタジアムの受付も、返ってきた答えは同じだった。

『申し訳ございませんが、お客様は試合には参加できません』

ご丁寧にも、“なぜこの人は試合に出たいだなんて言うのだろう?”という、あからさまな当惑の表情がついてくるところまで揃っていたのだ。

諦めきれなかった彼はその足で案内所へ行き、飛び入り参加できるような試合は無いかと聞いてみた。

係員はそのリクエストに戸惑ったような顔をしたものの、手元の板のような機械を使って試合の一覧を調べてくれた。板とにらめっこすること数分、彼は顔を上げてこう答えた。

『……残念ですが、現在はそういった試合は行われていないようです』

『“現在は”? っていうことは、昔はあったってこと?』

ピットが何気なく問いかけると、係員は妙な表情を見せた。口を開いて何かを答えかけるも、その表情のまま訝しげに眉をしかめ、固まってしまう。

徐々に首を俯かせ、しばらく黙りこくっていた彼は、だしぬけに姿勢を正し、改めてこちらを見上げてこう言った。

『――先ほど、私は何と申し上げたでしょうか?』

不意を突かれた形で目を瞬きながらも、ピットはこう答える。

『現在はそういう試合は行われてない、って言ってたよ。僕らが参加できるような試合はね』

『間違った情報をお伝えしてしまいました。申し訳ありません。“現在は”というのは私の記憶違いです』

ピットは彼の返答に拭い去れない違和感を感じながらも、その場では調子を合わせてこう言うことにした。

『ああ……じゃあ、僕らが参加できるような試合っていうのは、今も昔も無かったってことだね』

 

近場のスタジアムは回り切ってしまい、参加可能な試合が無いことも調べが付いた。収穫はゼロだったが、選択肢をつぶせただけでも良しとするしかない。

そうして二人は、午後からの作戦を練るためにも、どこか食事ができるようなところか、すぐに食べられるようなものを売っている店を探して街なかの店舗に入ったのだが、天使の方はあれから上の空で、食事もそっちのけでお土産ブースの中をあてどもなく歩き続けていたのだった。

「おかしい……何か引っかかるな……」

ぶつぶつと呟くピット。彼が思い返しているのは、ここまでに受けたスタッフからの言葉だった。

「『今は』無いって言ったの、あれってもしかして無意識にホントのこと言っちゃったんじゃないかな……」

彼の呟きを聞いていたレッドは、そこではっと表情を改める。

しばし考え込み、やがて自分のうちから湧き出てきた推測を独白するように、こう言った。

「じゃあ、キーパーソンだけじゃないのか。このエリアの人たちも、閉じ込められたときに記憶をごまかされたのかも。きっと閉じ込められる前には、スターって呼ばれる特別な人だけじゃなくて、僕らみたいなのが飛び入りで参加できる試合もやってたんだ。けれど、今はそれが『なかったこと』になっちゃってる。だから、さっきの人は記憶違いだったって言ったん――」

言葉が途切れたのは、彼がピットの背中にぶつかってしまったからだった。

慌てて謝りながら、少し後ずさったレッド。しかしピットの方は少しも気にした様子がなく、勢いよくくるりと振り返ると、少年に満面の笑みを向けてこう言った。

「それだ!」

「えっ、それって……?」

自分の言ったことのうち、どれが当たりだったのか見当もつかずにレッドは目をぱちくりさせている。

 

 

数刻の後、自信に満ちた足取りでスタジアムへと向かう天使の姿があった。その後を追う少年と、その肩の黄色のポケモンは、揃って戸惑った表情をしていた。

「ねぇ! 試合に出るって、何か良い手でも見つかったの?」

得意げな顔で振り返り、ピットはこう返す。

「まあね。あんまり僕から離れない方が良いかもよ」

これから試合が始まるスタジアムの周りは人でごった返しており、すでに天使の姿を見失いそうになりながらもレッドは人の波を縫い、彼を追ってスタジアムの正面玄関をくぐる。

天使の姿はスタジアムを入ってすぐ、真正面のカウンターにあった。他の観光客に対するものと同じスマイルを向け、「いらっしゃいませ」と頭を下げた受付に、ピットは開口一番こう告げた。

「僕たち、試合にエントリーしたいんだ」

だが、受付係はにべもなく答える。

「申し訳ありませんが、お客様の参加は現在受け付けておりません」

ここまでは想定のうち。ピットはにやっと笑い、肩口に手をやる。

「じゃあ、『スター』ならどうかな?」

その言葉と共に、ブローチの形をした“バッジ”を外し、受付に置く。

途端に受付係ははっと息をのみ、目を丸くした。どこかコミカルな驚きの表情のまま、慌ただしく、受付に並んだピットとレッドの顔を見比べる。周囲でもタマゴ頭の観光客らがどよめき、凍り付いたようにその場で立ち止まる。

彼らにはおそらく、自分たちの本来の姿が見えているはずだ。

 

光の女神がエリアに降り立った天使に奇跡を施すには、エインシャントお手製のバッジが必要。つまりこれまでの数々の奇跡も、そして今回の『お忍びの奇跡』もバッジを媒介として二人に掛けられている。だから外して遠ざけるほど奇跡は薄められるはず。ピットの読み通りだった。

 

水を打ったように静まり返ったエントランス。長い沈黙を乗り越え、受付係がおずおずと申し出る。

「あ、あの……それでも、本日の予定にはありませんので」

「予定されてなきゃ参加できないの? 仕方ないな……じゃあ、どこに行けば予約できるか教えてもらえる?」

「……かしこまりました。少々こちらでお待ちくださいませ」

 

受付の人が帰ってくるまでの間、二人はタマゴ頭の人々に四方を取り囲まれ、ひっきりなしに降りかかるサインだの写真撮影だののリクエストに応え続けていた。

やはり慣れない様子でそれに応じながらも、レッドは隣の天使にこう尋ねかける。

「ピット君って、『スター』だったの……?」

「僕だけじゃない。僕らさ。ほら、君も今みたいに、初日にサインと写真をせがまれたでしょ? けれど、僕らが見た限りじゃほかにそういう特別な扱いを受けてる人はいない。ここで試合をしてる、“彼ら”を除けばね」

「じゃあ、ここの人たちが言うスターってまさか――」

観光客とスタッフ、そして自分たちと『スター』の人々。その相違点と共通点とを探して考え込み、レッドはこう続けた。

「……ただ、自分たちと違う姿をした人ってこと?」

だがそう言ってから、彼はその考えが口に合わなかったかのように眉間に皺を寄せる。

「でもそんなのって、変だ。なんていうか……不自然だよ」

「確かにそう思うよね。でも、こう考えてみたらどう? ここにいる人たちは、スタッフって呼ばれる人たちも、僕らが観光客だと思ってた人たちも、それを『仕事』にしてるんだって」

ピットの仮説を聞き、少年はややあって合点がいったように天使の方を振り返る。

「……そっか。だからここの人たち、キーパーソンの人を追いかけてるのに、一人一人には興味がないみたいな感じなのか」

「そう。『観光客』役の人は、あくまでスタジアムを一杯にしたり、パレードに集まって歓声と拍手を送る。それが仕事なんだよ」

そう言ってから、ピットは周りの人々を見渡し、声をひそめることもせずにこう続ける。

「おかしいと思ってたんだ。ここのエリアだけ、誰もキーパーソンの名前を言えないなんてさ。でもそれは、スターの名前を知らないんじゃなく、知る必要がないから。この街はきっと、丸ごと全部がアミューズメントパークだったんだよ。僕らみたいに外からやってきた人を誰でも歓迎して、試合する場所を提供して、歓声で盛り上げてくれる、そういう場所だったんだ」

「それじゃあ、あのスターの人たちも、元々は別の場所から来たってことになるのかな……」

「うん、そう考えた方が自然じゃないかな。何しろスターって呼ばれてる人たち、街の人たちとは全然姿も違うし。きっとここの人たちがエリアに閉じ込められたのと一緒のタイミングで――」

そこまで話したところで背後から足音が近づき、ピットは振り返った。待ちわびていた受付係が戻ってきたのだ。

彼女は二人の顔を見てぱっと表情を明るくし、こう言った。

「まあ! スターの方がいらっしゃるなんて。当スタジアムに何か御用でしょうか?」

まるで初めて会うような顔で言われ、二人ともしばし返答が遅れる。

「えっと……さっき調べ事をお願いしたと思うんだけど……」

返ってきたのは、絵に描いたような『ぽかん』とあっけにとられた表情。

どうも変だなと思いつつ、ピットは再び参加するための手続きについて問い合わせる。受付の人は再びその場を一度離れ、しばらくして戻ってきたが、またしてもやり取りは振り出しに戻っており、彼女は受付に並んだ二人を前に、初めて見るかのように新鮮な喜びと驚きの反応を見せ、嬉しそうな声でこう言った。

「いらっしゃいませ! 本日はどういったご用件でしょうか?」

しばし何も言わず、何も言えずに天使は受付係を凝視していた。

「……いや、なんでもない」

ようやくのことでそう言ってピットは受付に置いたバッジを手に取り、レッドを引き連れてその場を後にする。彼がバッジを再びケープに通して装着すると、途端に観客の人々はピット達を見失い、三々五々散らばっていった。

まるで何事も無かったかのように急速に日常に戻っていくスタジアム内を、とりわけ受付係を振り返りながら、レッドはすっかり混乱しきりの表情でこう尋ねかけた。

「ピット君……今の、どういうこと? 何が起きたの?」

「妨害だよ」

レッドの方を振り返り、

「僕らがキーパーソンに会うのを邪魔する力が働いたんだ」

ピットはきっぱりとそう言った。

 

その時彼の脳裏にあったのは、かつて巡ったエリアの一つ、終わりなき戦争が続く地での出来事。

『僕らが進んできたのは、そしてこれから進もうとしている道は、間違った方向じゃない』

自分たちが演じるまでもなく、まるで見計らったかのように完璧な時機にもたらされた“本物の”奇襲の一報。それによって、最後の一人に、相応しくないタイミングでもたらされようとしていた真実は一旦遠ざけられることとなった。その一部始終を見て、現地のキーパーソンが言った言葉だ。

これまで少なからぬ数のエリアを巡り、試行錯誤を繰り返しつつも、ピットはキーパーソンに共通する一つの法則を見つけつつあった。どうやら彼らにはそれぞれ、『真実を知る』のに最適のタイミングがあるらしい。

以前に訪れた、ポップな出で立ちの住民が暮らす風変わりなエリアでもそうだった。一度は手紙を渡したものの、ひとりはその場に留まろうとし、もうひとりは手助けしてくれたものの、エリアを出る素振りはなかった。だが最後のひとりに配ってようやく突破口が開かれ、全員がそろってエリアを出るという決意に至ったのだ。

 

ピットの推測を聞いたレッドは、まだ飲み込みきれていない表情で目を瞬いていた。

「正しい順番があるってこと……?」

「そう。配る人の順番だったり、出会うときの時間や場所だったり。そこから少しでも外れるとダメなんだ。きっと君たちを閉じ込めた黒幕は、僕らみたいな邪魔者に接触されないように二重三重の防御網を張ってるんだよ。まずはその隙間を見つけなきゃ」

ピットはそう言って、二人を取り囲む摩天楼を、張りぼての街を険しい表情で見上げていた。

それから彼は再びレッドの方を向き、こう尋ねかける。

「レッドくん、今までにキーパーソンの姿を見かけたのは? 場所を挙げてみて」

「えぇと……まずはあちこちのスタジアム、それから夕方のパレード。あとは、たった一人だったけど昨日のフェスティバルかな」

顎に手を当て、考え込みつつ並べていった少年に、白衣の天使は頷きかけた。

「そうだね。そしたら、僕らが実際に会えそうなのはどこだと思う? フェスティバルはありかもしれないけど、マリオに追いつくには彼くらいコースを熟知してないと厳しそうだった。『試合』に参加するのは、さっきの受付のお姉さんの様子だとまずムリそうだし、パレードも僕らで思いつく限りのことはやってみたけどダメだったよね。じゃあ、残るのは?」

ピットの問いかけを受け、しばらくじっと考えていたレッド。

ふと、何かに思い至って顔を上げる。

「――もしかして、あのお城……?」

ピットはにっと笑い、親指と人差し指を立ててレッドを指し示す。

「ビンゴ!」

 

 

名も無き街に夜が訪れた。

一日を締めくくるパレードはすでに終わり、祭りの熱気は過ぎ去って、街の通りを歩く人影もまばらになっていく。

拠点としている空きスタジアムで休息を取り、夕食を食べながら十分に作戦を練った二人は、暗くなるのを待ってから行動を開始した。もちろん、この大都会では、夜になったからといって建物の電気が消えるわけでもなく、紛れられるほどの“夜陰”は生じようがない。二人が狙っているのはむしろ、あらゆるイベントがひと段落して、観光客を演じる人々がどこかへと帰っていき、警備員の姿も少なくなる時間帯だった。

 

少しして、天使の姿は表通りから一本入り込んだ路地にあった。

立ち並ぶビルの間、自動販売機の横に肩を預けているように見えて、彼はさりげなく通りに目を向けていた。彼が背と翼で目隠しをしているその向こう側では、ビルの隙間の暗がりに屈みこみ、赤い帽子の少年がポケモンたちと共に作業に取り掛かっている。

フシギソウは背負ったつぼみの下から長いツタを伸ばし、マンホールの蓋を外そうと頑張っていた。蓋の穴に指ならぬツタをかけ、あちこちを試して引っ張り上げようとしている。試行錯誤の末、フシギソウは端の方の穴二個を選び、両手両足で踏ん張って何とか数センチほど、蓋を持ち上げることに成功した。

すかさず進み出たのはリザードン。少しだけ持ち上がっている蓋の縁に両手をかけて支えると、離れて良い、というようにフシギソウに鳴いてみせる。フシギソウがツタを収めて後ずさるのを待ち、リザードンはゆっくりと蓋をこじ開けていった。ある程度角度が付いてきたところで鼻先も差し入れ、頭で向こう側に押しやる。ひっくり返された蓋は、レッドが近くの路地から持ってきておいたゴミ袋に乗り上げ、どさりと鈍い音を立てて沈み込んだ。

「開いたよ」

レッドは見張りをしているピットの背に、声を抑えて呼びかけた。

 

鉄製の梯子を踏む音が、広大な空間に規則正しく反響し、少しずつ鈍りながら広がっていく。

「どう? 大丈夫そう?」

頭上から降ってきたレッドの声が、小さなこだまを引き連れて足元の空間に溶け込んでいった。

外の明かりがうっすらと円形に照らし出すコンクリートの床に片足を下ろし、梯子を手でつかんだまま、ピットはあたりを見渡した。まだ暗さに目が慣れておらず、ほとんど周囲を見通すことはできなかった。だが耳で感じられる限り、周囲の暗闇に何かが潜んでいる気配はなさそうだった。

「大丈夫。空気も意外と悪くないし、後は明かりがあれば良いかな」

「分かった。待ってて」

その声の途中で、鉄の梯子をカンカンと踏み鳴らしてレッドが降りてきた。ピットが横に退き、空いた場所に降り立ったレッドはモンスターボールを手に取り、足元の近くに放る。

一瞬の閃光と共に現れたのは、薄紫色の猫のようなポケモン。先日、スタッフの追跡から逃れるため、目くらましをしてくれたエーフィだ。

「目、つぶってた方が良い?」

問いかけたピットに、レッドはこう答える。

「今度は大丈夫。ちょっと眩しいかなってくらいだから」

それから彼はエーフィに“フラッシュ”の指示を出す。

エーフィは、暗がりの方角に向き直る。身をわずかにかがめたかと思うと、その額の辺りからほのかに赤味を帯びた光が放たれ、一瞬にも満たない間、地下道の景観が眩く照らしだされた。

「おぉ……」

目が慣れてきて周りの様子が見えてくると、ピットは思わず驚きの声を上げていた。

そこに広がっていたのは、全面レンガ造りの地下通路。まるで通りの向こうから太陽光が漏れ込んでいるかのように、見渡す限りの通路が天井から床まで明るく照らし上げられていた。

二人が立つのは下水道の左右に設けられた点検用の通路であり、すぐ隣には暗い色をした水がゆるゆると流れ続けている。あまり汚れてはいないようだが、ある程度の水深があるらしく、底を見通すことはできなかった。

一寸の狂いもなく、緻密に積み上げられた赤褐色のレンガの壁面。地上の現代的な摩天楼からは想像もつかない光景に、少年と天使はしばし言葉を失って、目の前に広がる景色を見つめていた。

 

ポケモンの不可思議な技によって、照明も無いはずなのに明々と照らし出された地下通路を、二人は並んで歩いていく。

レッドは、ふと辺りを不思議そうに見渡してこう言った。

「ここ、ほんとに下水道なのかな」

「全然におわないって?」

「うん。それに、上の街がほとんど張りぼてだったとしても、塵や何かは雨水に乗って落ちてくるはずだよね。でも、それにしては流れてる水がきれいすぎると思わない?」

彼の言葉に同意するように頷き、ピットは横の暗渠に目をやる。

「この街じゃ、雨も降らないのかもね。で、ここに流れてるのはただの『演出』で、下水なんかじゃなく普通のきれいな水だったりして」

「そうだとしたら、この地下通路も作り物なのかな……」

レッドはそう言って、アーチ状の小高い天井を見上げる。

彼は心配そうな表情をしていた。もしもこの通路が下水道として機能していないのなら、城に通じている可能性は低くなってしまう。ただの飾りなら、城までつなげておく意味が無いからだ。

しかし彼の方を振り向いたピットの顔は、一片の曇りもない笑顔だった。

「大丈夫。ただの飾りにしては作りこみすぎだし、この道にも絶対、何か意味があるよ」

「意味って……まさか僕らみたいに、お城に忍び込みたい人のための通路ってこと?」

「他に考えられないからねぇ……」

それからピットは行く先に視線を戻す。徐々に近づいてくる鉄梯子を見つめ、彼は幾分真剣な表情になってこう続けた。

「余所から来た人を、誰であっても歓迎して楽しませる。『この街』って呼ばれてる場所が元々はそういう娯楽のための作り物だったっていうなら、冒険心をくすぐる秘密の通路の一つや二つあったっておかしくないよ」

それを言う彼の表情はどこか複雑な面持ちだった。

延々と年中無休で働かせられているのはキーパーソンだけではなかった。観光客を演じる人々やスタッフ、警備にあたる人々も、本来の『街』からこのエリアに連れてこられてからこのかた、ずっと自分の仕事を続けているのだろう。共に閉じ込められたキーパーソンとその仲間を、最後の客としてもてなし続けている。ほかに誰も来ないことを訝しみもせず、自分達が閉じ込められていることも知らず。

 

 

城の庭園。月明かりに照らされ、剪定された庭木や石畳の小径がぼんやりと青白く浮かび上がっている。

日中であったのなら可憐な色に咲き誇っているであろう花たちも、青々と茂っているであろう低木たちも、今はほとんど個性を失って夜の藍色に溶け込んでいた。

城の周囲を巡り、庭園の中をくぐり抜けるように張り巡らされた小径の一角で、にわかに鈍い音が響いた。

重厚な金属が微かにぶつかり合う音の源は、小径の途中、十字路の真ん中に設けられたマンホールから聞こえていた。蓋はごとごとと揺れながら、持ち上がるたびに隙間から水を吹き出させていた。

蓋の浮かび上がる高さが徐々に高くなっていったかと思うと、唐突に水の柱が噴き出す。ぽんと高く吹き飛ばされた蓋は、やがて庭園の石像めがけて不時着し、石造りのウサギの耳をへし折ってしまった。

現れた時と同様に、水の柱は急に勢いを失ってしぼんでいく。その中心には、水色の子亀の姿があった。

“たきのぼり”で飛び出した勢いのまま両手両足を広げていたゼニガメは、宙でくるりと一回転すると、庭園の小道に危なげなく着地する。首を巡らせて辺りの安全を確認すると、マンホールの方に向き直って一声鳴き声を上げた。

ゼニガメが待ち受けているうちに、じきに梯子を登って天使と少年が姿を現す。

「よかった。地下からだとバリアには当たらないみたいだね」

ピットは夜空の月を見上げ、安堵のため息をつく。

策が無かったわけではないが、二人が考えていたのは力業以外の何物でもなかった。つまり、地下通路に人がいないことをいいことに、もしもバリアに当たってしまったら、その時は二人の持てる力全てをぶつけて破壊を試みるつもりだったのだ。

レッドの方は周囲の、静まり返った夜の庭園を見渡してこう言った。

「警備の人も相変わらずいないみたいだ」

それに対して相槌を打ち、ピットは城の正門を――固く閉ざされ、まるで開く気配のない扉を見つめた。

「後は城内にどう入るか、だね」

地下通路は城の中までは続いておらず、どの枝道も庭園までで途切れていたのだ。おそらくここから先は、自分で考えて進めということなのだろう。

 

静まり返った無人の庭園を巡り、まずは城の外を一周していく。だが、城壁の細長い窓にはどれもその奥に窓ガラスがはめ込まれており、こっそり忍び込めそうな箇所は見当たらなかった。バルコニーまでリザードンに乗って飛んで入るという手もあるが、城の外を見回る警備員に見つかるリスクを考えると、どうしようもなくなったときの最終手段として取っておいた方が良いだろう。

それにしても、娯楽のために作られた街の建物にしては、妙なくらい本格的な造りをしているものだ。そういうリアリティを求める人が来ることも想定していたのだろうか。

だんだんと望みが薄れてきたことから敢えて気を紛らわせようと、ピットは歩きながらこう切り出した。

「そういえば前にも、城に忍び込んだことあったよな……」

「前って、君が配達に行った他のエリアのこと?」

少し声をひそめて、前を歩くレッドがそう返す。

「うん。その時は変装して入り込めたんだけど、今回はそもそも誰も出入りしてないみたいだからね。あと考えるとしたら――」

夜空を見上げて記憶をたどっていた天使の瞳に、ややあって閃くものがあった。

「……そうだ! 裏口、どこかにないかな?」

それはかつて彼が巡ったエリアでの経験。丁重に、かつ厳重に城に閉じ込められていたキーパーソンを脱出させるために現地の協力者が選んだのは、城の裏門だった。

『どんな城塞にも裏口や裏門は必ずと言っていいほどあるんだ。本来は包囲されたときに、敵勢の盲点をついて反撃に出るためのものだけどね』

白銀の髪を持つ若き軍師の言葉を思い出しながら、ピットはこう続けた。

「正門に比べて目立たないところにあって、人一人が通れるくらいの小さな扉。塔の影とか、庭園の奥とか、そういう隠れたところにあったりするんだけど」

それを聞き、城から庭園の方角へ目をやったレッドは、少しして訝しげに目をすがめる。

「……あれ、どう? 暗くて分かりにくいけど、なんか引っ込んでるような……」

彼が指さした先にあるのは、庭園にせり出した尖塔。よく見ると、尖塔の影になっている部分に一段くぼんだように見えるところがある。

「――行ってみよう!」

庭園の石畳を走り、芝生を駆け抜けて向かう。尖塔にたどり着き、はやる心を抑えてその陰に回り込むと、その壁面には紛れもない木製の小さな扉があった。

「鍵は……」

レッドが呟いた矢先、もうすでにピットは片手を扉に当てて押していた。

蝶番のきしむわずかな音がして、ほとんど抵抗もなく扉が開く。

ピットは思わず手を引っ込めてしまった。思いのほかあっさりと開いてしまい、かえって驚いてしまったのだ。

扉の向こうは明かりもついておらず、真っ暗だった。しんと静まり返った向こう側から冷気が漂ってくるように感じながらも、彼はレッドに顔を向けてこう言う。

「大丈夫。行こう」

その顔こそ自信ありげに微笑んでいたのだが、それは年下の仲間を安心させるためのもの。

そして『大丈夫』という言葉は、半ば自分に向けて言い聞かせているようなものでもあった。

 

 

城内。石のタイルが幾何学模様を描いて敷き詰められている廊下を、二人分の人影が進んでいく。

小高い天井は幾重にも複雑に重なったアーチで支えられており、二階部分に相当する高さにある窓からは、ステンドグラスの色に淡く色づいて月光が差し込んでいた。

天使は少年と共に、足音が鳴らないように慎重に歩を進めていた。

それもそのはず、廊下の要所要所には衛兵らしき小柄な人々が座り込んでいたのだ。それも、外の街にいるタマゴ頭たちとも異なる人々だ。赤や黄色、青の斑の入った白い大きな帽子を被り、ゆったりとしたズボンをはいた彼らは、人型ではあるのだが人間というには足が短かったり耳が見当たらなかったりと、少し違う姿をしていた。

おおむね扉の辺りに付いていることから衛兵だと思われるのだが、彼らは皆、呑気にその場で眠りこけていた。この城が本来、バリアで守られていて進入不可の場所であることを考えれば、多少油断していたとしても咎めることはできないが、これではまるで無防備すぎる。

――いくら何でもなぁ。イカロス達だったら一人くらいは起きてるとこだよ……

声に出して言うことはできないが、ピットは内心でそう考えながら衛兵たちを横目で眺め、じれったそうな表情をしていた。それに、自分たちのようなイレギュラーでもなければ侵入者があり得ないことを考えれば、こんなうすら寒い廊下で形だけの警備をさせるのもかわいそうだ。いっそのこと、彼ら全員を暖かい寝床に戻してやりたいところだった。

 

昨晩、姫と思しき人影が立っていたバルコニーは、城の間取りでは中心部、ひときわ高く大きな塔の一角にあるはずだった。おそらくは城の主が住むべき場所であり、そこに至る順路は、ある程度しっかりと広く立派に作られていることだろう。そこで二人は、ともかく広い階段や大きな廊下を選んで進み、上に向かう階段を見つければすぐさま進んでその先を確かめに行った。

足音を忍ばせて階段を上り、廊下にそっと顔をのぞかせ、左右を見てどちらも行き止まりであることを知り、またそっと階段を降りていく。何度かそんなことを繰り返していた時だった。

 

月明かりにぼんやりと照らし出された廊下。二階より上では絨毯が敷き詰められており、さほど足音に注意を払わなくてもよくなっていた。二人は幾分いつもに近い歩調で歩いており、探索に慣れてきたことから緊張も程よく抜けてきていた。

と、先頭を歩いていたピットがはたと足を止める。レッドもすぐにそれに気づき、後ろで立ち止まった。

彼らがじっと見つめる先、唐突に声が聞こえてくる。

「うぅん……もうケーキは食べられないですよぅ……」

寝ぼけたような声が近づいてくるが、二人はその場から動くことができなかった。ここまでの道は直線であり、引き返すには遠すぎる距離を歩いてきてしまった。どこかの扉を開けて飛び込むにしても、あの声の近さからすれば物音ですぐに気づかれてしまうだろう。

説得することもできるのではないか。そういう、淡い期待もあった。ここまで警備員も警察もタマゴ頭の人々だったことを鑑みると、ここだけ違う人々が護衛に当たっているのには何か理由があるはずだ。廊下で眠りこけたり、ああして寝言を言いながらさまよっているあたりも、外の人々にはない『柔軟さ』があるように思える。

天使がそう考えているうちに、ついに声の主が二人の前に現れた。

「んん……?」

寝ぼけまなこをこすり、キノコ帽子の小人がのろのろとこちらを向く。

レッドとピットは、急いで口々に伝えようとする。

「あ、あの……!」

「僕ら、怪しい人じゃないんだ。ただ――」

しかし、彼らの声はすっとんきょうな悲鳴によって遮られてしまった。

「ひぇぇっ! オ、オバケ~っ!!」

目を見開き、あわあわと腕を振り回すと、彼は一目散に来た道を引き返す。

少しずつ遠ざかりながらも、キノコ帽子が仲間の助けを呼ぶ声が響いてくる。遅れてあちこちの扉がバタバタと開き、小さな足音が慌てふためいたように城内をざわつかせ始める。

まさかお化け呼ばわりされるとは思っておらず、ピットはややあって自分の服装を見おろす。

「……白い服着てたのが良くなかったかな」

「しょうがないよ。見つかっちゃったものは仕方がない」

「引きかえす?」

ピットが問いかける。しかし、その顔は意味ありげに笑っていた。

こちらも同じように企み顔で笑い、レッドはこう返す。

「まさか!」

 

もう足音を消す必要も無くなった彼らは、全速力で廊下を駆け巡っていた。

キノコ帽子に出くわすたびに引きかえし、あるいは無理やり彼らの間を通り抜けてその先に突き進み、居館の最上部を目指して上へ上へと階段を登っていく。

階層を上がるたびに順路の選択肢は少なくなっていき、ついに道は一本に絞られた。

「足止め! なにか、お願い!」

ピットが階段を駆け上りながら切れ切れに叫ぶと、レッドはすぐにそれに応えた。

踊り場に差し掛かったところで無言のうちに後ろを振り返り、帽子の向きを直すと、階下めがけて勢いよくモンスターボールを放り投げる。

「カビゴン、“とおせんぼう”!」

現れたのは、小さなボールのどこにこれほどの巨体がと目を疑いたくなるような青緑色の巨体。立派なお腹を片手で掻く余裕を見せてから、そのポケモンは一足飛びに階段へと続く出入口に降り立つ。地響きが城を揺らがせる中、短めの両腕を突っ張って立ちはだかり、壁となってキノコ帽の小人たちを遮った。

「ナイス!」

追いかけて上がってきたレッドに、ピットは開いた手を見せる。その手にハイタッチを決め、レッドはピットと肩を並べて最後の階段を上っていった。

 

左右を壁に囲まれた、明かりの無い一本道。キノコ帽子の人々の姿は見当たらない。

廊下は幅が広く、彼方は暗くて見通すことができない。明らかに雰囲気の変わった廊下を前に、二人はどちらからともなく思わず立ち止まっていた。

「結構上ってきたよね……ここが、もしかして最上階?」

ピットが傍らのレッドに小声でそう聞いたときだった。

「どなた? なんだか騒がしいようだけれど……」

廊下の一角に明かりが灯り、女性の声がそう言った。

キャンドルスタンドを片手に進み出たのは、緩くカールした金色の髪をもつ女性。もう夜も更けて長いというのに、彼女が着ているのは余所行きの瀟洒な桃色のドレスなのであった。

暗闇に沈んだ廊下の中で明るく浮かび上がった彼女の姿が動き、その手の明かりで二人を照らし出した次の瞬間、彼女の動揺を示してろうそくの明かりが大きく揺らめく。

見ると、彼女は空いた手を口元にやったまま凍り付いていた。

やがて我に返ったように慌ただしく目を瞬き、彼女は驚きの声を上げる。

「まあ、あなたたち……!」

 

 

柔らかな物腰から想像されるわりに、意外と彼女は肝の据わった女性だった。

最上階の一室、応接室と思しき部屋に二人を招いた彼女は、天使の話を一部始終聞き終えると、それを受け止めるようにゆっくりと頷いた。

「そう……あなたたちは“ゲートキーパー”さんからの大切な報せがあって、このお城にいらしたのね」

「信じてくれるの?」

「ええ」

迷わずに彼女は言い、微笑んだ。

「何故だか分からないけれど、あなたたちとは初めて会った気がしないの。それに、あなたたちは本当のことを言ってるって」

こちらもつられて、ピットは安堵の笑みを見せる。

「それは良かった。もう一つ、お願いしちゃうようで悪いんだけど……」

「あら、何かしら?」

「実は僕たち、ここにたどり着くまでにも半端じゃなく苦戦しててさ……。もしよかったら、他のキーパーソンに届けるのにも協力してくれないかな。具体的には、僕らを他の人たちに会わせてほしいんだ」

「それは構わないわ。日中、試合やパレードの後でも良いかしら? 私は他のみんなが泊っている場所は知らないの」

「泊ってるってことは……もしかして、この城、君の城じゃないの?」

「ええ。ここにいる間、私やキノピオ達はここを貸してもらって……」

彼女はそう言いながらふと、窓の方角を見つめたまま、不自然に言葉を途切れさせた。

暖炉の明かりに照らされたその横顔は、何かを思い出そうとするかのようにわずかに眉をしかめている。

これまでにも、様々なエリアで見てきた表情。居たたまれなくなったピットは、自分から声を掛けた。

「――ピーチ」

我に返り、こちらに向き直った彼女に、ピットは一通の封筒を渡した。

「これが君宛の報せだよ。受け取って、中を読んで」

 

手紙の文面を読み進める視線が、少しずつ、だんだんと早くなっていく。表情は訝しさから、不意に驚きへと移り変わり、彼女はわずかに口を開けたままその先を読み進めていく。その口がやがて引き結ばれて、代わって現れたのは、悲しみの入り混じった困惑。

青い瞳が最後の文章へたどり着いた後、彼女はゆっくりと目をつぶり、わずかに首をうなだれさせた。

「そんなことって……」

呟かれた言葉は、動揺で微かに震えていた。

ゆるゆると首を横に振り、やがて彼女は決意の面持ちで顔を上げる。

「たとえここに書かれていることが本当のことだとしても……いえ、本当のことならなおさら、あの人たちに伝えることはできないわ」

彼女の決心に幾分気圧されながら、ピットはこう尋ねる。

「あの人たちって、ここにいる他の人のこと? どうして伝えられないの?」

それに対し姫はもう一度、今度はしっかりと首を横に振った。

「使者の方。今から手紙を書きますから、あなたを遣わした“ゲートキーパー”さんに渡して頂戴。どうしても聞きたいことがあるの」

 

近くの書き机に向かい、ピーチは一心に手紙を書いていた。

彼女はほとんど筆を迷わせることが無かった。さらさらと羽ペンが紙面を滑り、遠目から見てもきれいな字体で文章がつづられていく。

こちらについては見ても任務に問題は無いのだろうけれども、なんとなくプライベートを覗いてしまうような気がしてピットもレッドもその場から動けず、ソファに座ったまま彼女を待っていた。

やがて姫から手渡された封筒を受け取り、ピットはこう言う。

「一応、僕から頼んでみる。でも悪いけど、受け取ってもらえるかどうか、保証はできないからね」

姫は真剣な眼差しで、切な願いを込めるように天使の両手を自分の手で包み込む。

「……それでも、お願いするわ」

 

 

ピーチ姫直々の言葉によってキノピオ達は誤解を解き、二人のために正門を開けて跳ね橋を下ろしてくれた。

城壁を穿つ門の向こう側には、虚ろさを感じるほどに煌々ときらめく大都会が佇んでいる。歩道を歩く人影はほぼ皆無だったが、車やバスはいまだに走り続けていた。それらにしても、本当に目的があって走っているのかどうかすら怪しいものだが。

作り物の大都会へと戻っていきながら、ピットはふと後ろを振り返る。

姫は庭園の中に立ち、こちらを一心に見つめていた。足元に集まったキノピオ達はすっかりのんきに笑顔で手を振っていたが、彼女だけはどこか哀しげな顔をして、下げた両手をそっと組み合わせているのだった。

頷きかけることができたのなら、どんなに良いことだろう。でも今の彼には、良心を痛めながら顔を背けることしかできないのだった。

 

これまでにも、手紙を受け取ったキーパーソンからエインシャントへの面会や伝言を頼まれることはあった。

だが問い合わせてみても、エインシャントは必ずと言っていいほど、何かとはぐらかしてキーパーソンとの会話を渋るのだった。

『ピットさん。そのエリアで配るべき手紙はもう残っていませんよね? では、パルテナ様をお呼びしましょう』

あるいは、こんな風に。

『今は生憎取り込んでおりまして……いずれ私はその方にお会いしますし、その時にお話を聞きますからね』

さらに、こんなこともあった。

『残りの手紙を配るのに差支えなければ、そのまま先に進んでしまいましょう。その方へはあなたから、適当にお伝えいただければ結構です』

そう言われた時には、思わず通信が切れた後に、周りに誰もいないのをいいことに大声で愚痴ってしまった。

『何が適当に、なのさ。そんなのただの丸投げじゃないか。ほんとに何言っても良いんだね?!』

それでも律儀に、彼がキーパーソンに対し、当たり障りのない理由を告げたのは言うまでもない。

 

そして今回も案の定、エインシャントは受け取りを渋った。

『参りましたね……あの手紙に書いてある以上のことは伝えられないんですが』

姫から託された手紙を手に、ピットは不服そうな表情をして黙っていた。

レッドから先日聞かされた話によって上がりかけていた、彼の中でのエインシャントの株が、この言葉を受けてずるずると落ち始めていた。

――読みもしないか……。予想通りだけど、こんな人が地上界の人間のために行動してるって本当なのかな……。

内心でそう考えていた矢先、肩口の宝飾から再びエインシャントの声が聞こえてくる。

『ピットさん。あのエリアで渡すべき人の名前、どこまで分かりましたか?』

ピットはこれに対し、黙ったまま肩掛けカバンから手紙の束を取り出し、わざと丁寧に広げていく。

手紙にある全ての宛名を、言い含めるように少しゆっくりと読み上げると、エインシャントはこう返した。

『上出来です。お二人とも、そのエリアをずいぶんと調べられたようですね』

“こんなにたくさんいるんだから、何が何でも姫の協力を取り付けたいんだけど”という苦情がまったく通じず、ピットは露骨にむすっとしてこう返した。

「褒められたって全然嬉しくないですよ」

しかしエインシャントは全く堪えた様子もなく、話題を変えてしまう。

『……ああ、そうそう。そのエリアですが、私の調べでは夜景が非常に美しいそうです。それも地上の大都会だけでなく、夜空が大層きれいなのも売りだとか。お二人とも、星空はもう御覧になりましたか? もしかしたら“ほうき星”が見えるかもしれませんよ』

 

 

しばらくして、円に十字のスタジアム、その用途不明のステージの上に寝そべる二人と一匹の姿があった。

屋外の芝生でのキャンプにも飽きてしまったのもあり、今日はステージの上にテントを構えていた。すでに夕食も取り終えていた二人だったが、少し前まで城内を走り回ったせいもあってすっかり目が冴えていた。夜になってもこの街では気温が程よいこともあり、眠くなるまで待とうと、テントの外で寝っ転がっていたのだった。

僕たちは観光しに来たんじゃない、と不平たらたらの天使を横に、レッドは星空を見上げていた。その頭の近くにはピカチュウも大の字になっている。

スタジアムの外周で黒く縁取られた夜空。天の川が見えるほどに空気は澄んでおり、黒いビロードに砂粒をまぶしたような星々が空いっぱいに広がっていた。

エインシャントが言っていた通りの絶景を見上げながら、レッドは先ほどからずっと、訝しげに眉間にしわを寄せていた。そんな彼の様子には気づかず、ピットは不満を並べ立てている。

「悔しいけど今回ばかりはブラピの言う通りだったよ。あの人のやり方は回りくどくってまどろっこしくて……そう、非効率的すぎる! そのくせどんどん仕事を持ってくるしさ。忙しい忙しいっていっつも言ってるけど、それだって本当かどうか。早く全員に配り切らなきゃいけないんなら、ちょっとくらい僕らに手を貸してくれても良いと思わない? ねぇ、君もそう思うでしょ?」

顔を横に向け、そこでようやくピットは相手が何か考え込んでいる様子であることに気が付く。

「……そうか、何か変だと思ったら……」

彼は眉根を寄せたまま呟き、半身を起こした。

直前まで愚痴っていたのをすっかり忘れて、ピットは彼に尋ねかける。

「どうかしたの?」

「星があまりにもきれいすぎるんだ。こんなびっしりと輝いてる星空なんて、山奥でもめったに見られない。それがこんな街なかで見られるなんておかしいよ」

「そうなの……? でも、街と山とで何が違うから? 人間の数?」

「ちょっと惜しいかな。ほら、この街、車がいっぱい走ってるよね? 車が出すガスとか、舞い上げる土ぼこりとかで、街なかは山奥ほど空気が良くないんだ。そういう細かい塵がいっぱい漂ってるところに、この街の明るさでしょ? 星なんてほとんど見えなくって、せいぜい月が見えるくらいになるはずだよ」

「へぇー……理屈は何となく分かるけど……」

レッドの推理にすっかり感心してしまい、ピットは思わずまじまじと夜空を見つめ、隅々まで眺めていた。彼の主なる女神が見守る世界では、今のところこれほどまでに文明が発展した場所は無い。したがって“星空”と言えば晴れた日にはこのくらい見えるのが当たり前であった。自分だけでは絶対に、このエリアの夜空の不自然さには気が付けなかっただろう。

頭の下に組んだ腕を組みかえて、ピットはこう続けた。

「これもきっと意味があるんだろうなぁ。思わず見とれちゃうくらいの見え方にしてるってことは、見てほしいってことだよね」

「それってもしかしてエインシャントさんの言ってた……」

レッドはそこで顔をしかめ、

「――流れ星だったっけ?」

「いや、確かほうき星だったような……」

「どう違うんだったっけ……」

レッドの呟きを最後に、二人の間に沈黙が流れる。

小さな寝息が聞こえてきてふと見ると、ピカチュウはすでに眠ってしまっているのだった。

「……戻ろうか。もう時間も遅いし」

そう言ってレッドが起き上がり、ピカチュウを抱き上げたときだった。

「――待って。何か近づいてきてる」

切迫した声に振り向くと、ピットはすでに身を起こして空の一点をじっと見つめている。彼の見るものは、さほど苦労せずに見つけ出すことができた。

「光……?」

見る間にも、その白い輝きはだんだんと大きくなっていく。

他の星を圧するほどに膨れ上がり、満月の大きさを超えてもなお留まることがなく、二人が佇むステージを煌々と照らし上げていく。

やがて光が何かの形を象りはじめた。上下に細くとがったコマのようなシルエット。

「まさかUFO? いや、あれは――」

あまりの眩しさに目が痛いくらいだったが、ピットは腕を庇代わりにして何とかその向こう側を見定めようとしていた。

 

不意に、二人の身体がふわりと軽くなった。

あっと思う間もなく彼らは光の元へと導かれ、吸い込まれるようにして姿を消す。

 

輝く星は再び天へと昇っていき、ステージには無人のテントだけが残された。

 

 

 

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最終更新:2022-06-18

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