気まぐれ流れ星二次小説

星は夢を抱いて巡る

第1章 戦争をもたらす者

新生ドルーア帝国を指呼の間に臨む国内最南端メデュラの地。王都から見てその入口に当たるメデュラ北部が取り戻されてから数日が経過していた。

ロイが部隊を残していったことで帝国側も様子を見ているらしく、帝国に近い方面については戦線に目立った動きはない。もしかすると、こちらが後続の連隊を送っていることをすでに見越し、来るべき防衛戦の備えに注力しているのかもしれない。

問題はそれ以外の地域だった。イルーシアは今や、国土の辺縁部のうち北以外の方角をすべて、新生ドルーア帝国の軍に占領されている。すなわち国土のほぼ中央に位置する王都ストライアの前には、ほとんど円弧を描くようにして帝国の布陣が敷かれているのだった。まだどの戦線も大なり小なりの膠着状態にあるが、それが余計に対処を難しくさせていた。

全部隊を王都に引き上げて守りを固めさせるほどの段階でもない。だが、かといって新生帝国への道を切り開き、本拠地に踏み込めるほど相手の勢力を削いでもいない。この状況で下手に大部隊をつぎ込めば、思わぬ方面から帝国が侵略を再開してしまうだろう。そうなれば土地を奪われたイルーシア人たちの士気は否応なしに下がり、守りを手薄にした連合軍への不信も募らせてしまう。

いかにして現状の境界線を打ち崩されないようにしつつ、帝国への道を確保していくべきか。

王都での戦略会議ではつねに、それを念頭に置いた話し合いが行われていた。

 

円卓には、イルーシアの地図が敷かれている。

砦や城を示す石細工の駒が、地図でそれらを示す記号の上に正確に置かれていた。また、新生帝国の軍を示す赤く塗られた木製の駒と、同じく連合軍のそれを示す青い駒とが散らばり、円卓についた者たちの手によって様々に動かされていた。

駒が動くたびに、様々な人の声で意見が述べられていく。

「――メデュラの方面に集中させるべきだ」

「リンビックの奪還は? この間も領民から、救援を求める声が……」

「パリダム、ここも油断できない。前に行ったときに、倒しきれないまま逃がしてしまったから、いずれ奪い返しに――」

十を越える勢力から連合王国に合流し、部隊長や軍師に志願した人々が意見を戦わせる中、マルスは何も言わずに頬杖をつき、一人考え事をしていた。

彼が見る先には、二つの空席があった。

他にも空席はあるが、彼らが戦いに出陣しているか、あるいは帰還の途中であるのに対し、マルスの見る席は事情が違っていた。

本来ならば誰かがいるべき空間を気づかわしげに見つめ、彼は今朝の出来事を思い返していた。

 

 

時間になってもグレイル傭兵団の団長が姿を現さず、イルーシアの騎馬兵が様子を見に行った。

これだけの人数がいれば、何かに夢中になっていたり、あるいは単にうっかり忘れていたり、そういった理由から誰かが遅刻することはそれほど珍しくない。しかし、今日は珍しい人物がそれをやったということで、イルーシア元老院の重鎮を除く会議の参加者は何とはなしに互いの顔を見合わせあい、隣同士になった者とひそひそ話をしていた。

やがて騎馬兵は戻ってきたが、なぜか扉の向こうは複数人の声でにぎわっていた――いや、正確には言い争い寸前の状態になっていた。

「どうした。何事だ」

扉の近くに着席していた重臣が象牙色のローブをたわませて立ち上がり、円卓の間の重厚な扉を片手で押し開ける。

用心深く細く押し開けられる扉。衛兵達も重臣の後ろから警戒態勢で覗く。

細長い隙間から、遣いに出した騎馬兵が顔を見せた。

「――はっ、グレイル傭兵団長アイク殿は、すでに王都にはいないとのッ……」

不自然に途切れたのは、彼の頭が上から押さえつけられたためだった。

「彼には目的があると何度も言ったはずだ! それではまるで逃げたと言わんばかりではないか……!」

背に白銀の翼を備え、流れるような金色の髪を持つ青年が、その端正な顔に似つかわしくないほどの怒りを見せてそう言った。だが、騎馬兵の頭を押さえるその手が震えているのは怒りのためばかりではなかったらしい。

「リュシオン王子! あまり無理をなさると、また骨にひびを……」

誰かが向こうの方でそんなことを言い、後ろの方からまた別の誰かの手が伸びて、王子はやんわりと引きはがされてしまった。

その手にはほとんど力も入っていないようだったが、王子はいとも簡単に引っ張られ、扉の向こうに姿を消す。

一方で、解放されたイルーシア兵は気を取り直して扉の先に進み出ようとしたが、またもや後ろから、今度は何人もの手が彼を引き下がらせてしまった。

「わあぁ、何をする! こらっ、放せ!」

ずりずりと石畳の上を引きずられる音がして、兵士の声が遠ざかっていく。

「あんたさ、どうせ団長に濡れ衣着せるだけだろ?」

「そうだそうだ。伝令ってもんは自分の見聞きしたことを正確に伝えるのが役目だ」

「自分の憶測で上塗りするのは感心しませんよ」

そんなことを言い聞かせる傭兵団員達の声も聞こえていた。

この様を戸口で唖然と見ていたローブ姿の重臣だったが、ようやく扉の外に傭兵団の副長が立っていることに気が付く。彼女は団員達の行動を止めるそぶりもなく、どころかその様子を腕を組んでほほ笑み、見送っている。

「……ティアマト殿! 困りますぞ、我が国の兵にあんな仕打ちをされては……!」

これに対し、赤く長い三つ編みを揺らめかせ、副長は余裕綽々とこう答える。

「乱暴はしないから、ご心配なく。ただちょっと離れてもらっただけよ。私たちだって、われわれの団長が『裏切者』と呼ばれて、黙ってはいられないわ」

「何! 彼はそんなことを……? まさか!」

「そのまさかよ。殿下があれほどお怒りになられたのも、これで分かるでしょう?」

それから顔を上げ、円卓の間に向けて一歩を踏み出す。思わずローブの重臣が気圧されて後ずさる中、副長は円卓の間に踏み入ると、居並ぶ連合軍の首脳たちに腰を折って一礼した。再び顔を上げ、語りだした彼女の口調はさながら騎士のように凛々しいものとなっていた。

「ここからは私が説明します。グレイル傭兵団長、アイクは今から数えて七日前に常設野営地を出立しました。目的は私たちにも詳しくは明かしておりません。ただ、『確かめたいことがある』とだけ。いずれにせよ、それほど遠くへは行っていないでしょう。馬も連れておらず、また我々が同行の要不要を聞いたときに、団長は迷いなく『要らない』と答えておりました。ですから危険な場所へは行っていないでしょうし、じきに戻るはずです」

それに対し、イルーシアの重臣たちを差し置き、まるで頭上を通り過ぎるかのように話す副長に業を煮やした様子でもう一人の重臣が不満げに声を上げた。

「だとしてもだ! せめてどこへ行くのか、いつ戻るのかと書置きや言伝くらいしておくべきではないのかね。お前たちもお前たちだ。なぜ団長が七日も不在にして平気な顔をしておるのだ。此度はアカネイア連合王国とその同盟国、要人が集う合同戦略会議だぞ。君たちは傭兵かもしれんが、仕えるべき国、守るべき民のある我々と肩を並べたいのなら最低限のしきたりくらいは守ってもらわねば困る」

そこまでをほとんど一息に言い切ると、彼は次の言葉を継ぐためにややわざとらしく間を置いた。

「――だというのに。そんな態度では、敵国への密使に赴いたと疑られても文句は言えんぞ!」

彼の言葉の端々には明らかに、他の連合軍を見る時には無い感情が含まれていた。それは、拭い去れない不信。

 

この国は、在りし日にアカネイア大陸を統べていた宗主国から逃げ延びた少数派に由来し、他国との交流も公私ともにほとんど行ってこなかった。国土の大半が険しい山脈と湿地帯であり、また何か特筆すべき産物があるわけでもない。周辺の諸国領民からも、わざわざ苦労してまで出向くべき場所とも思われなかったのだ。そういった閉鎖的な小国がどこもそうであるように、イルーシアの人々には元来、大なり小なり余所者を警戒するところがあった。とりわけ、王が異国の兵に討たれてからはそれがさらに輪をかけてひどくなっていた。

戦場で連合軍と共に戦っている騎士や民兵、あるいは各地で救われた諸侯は別として、ずっと王城にこもっている重臣や王都勤めの兵士では特にこういう排他的な人間が多い。内心では常に、防衛を他国に頼らざるを得ないという事実と、それでもなお新生帝国をのさばらせている現状に不満を燻らせており、行き場のない憤りがますます彼らをして疑り深くさせているのだろう。

どんなに余所者嫌いなイルーシア人であっても、流石に相手が王侯貴族なら決して表に出すことはしない。だが反面、それ以外の身分に対してはよそよそしさがあり、いつまで経ってもそれが抜けきらずにいる。

特に今回は時と相手が悪かった。傭兵というだけで、彼らにとっては良くても『根無し草』、ひどければ『潜在的な反乱分子』として映っているのだろう。

 

一方のティアマトも一歩も退かず、着座した重臣を真っすぐに見返していた。

「無断で欠席することになってしまったのは謝りましょう。私からもアイクに言っておきます。でも……誤解しないで頂戴。我々の団長は決して、仲間と認めた相手を裏切るような人ではないわ。いくらお金を積まれたとしてもね」

グレイル傭兵団は世間一般が考えるような、お金だけで動く類の集団ではない。むしろ報酬を受け取らないことさえあるために『傭兵にしてはお人好し過ぎる』と評されるほどなのだ。今回の連合軍への参列にしても、連合王国に対して非常に良心的な額の報酬しか求めていないのがその証左だ。

続いて彼女は、長い三つ編みを揺らして円卓へと向き直り、真摯な表情で伝えた。

「団長が何を確かめに行ったにせよ、それが連合軍の為を思った行動であることは疑いようがありません。この私、ティアマトが保証します」

これに対し、円卓についているイルーシアの重臣たちはあからさまな渋面を呈し、互いに顔を見合わせていた。

一方で連合軍の各勢力の首脳たちは、ともに戦場で戦っているから彼らの人となりをよく知っている。誰からともなく、イルーシア王国と傭兵団の間に割って入ろうとしたときだった。

「私からも一言、良いだろうか」

扉がゆっくりと押し開けられ、純白の装いに身を包んだリュシオン王子が前に進み出る。

象牙色の装束を着た元老院の人々を見据え、彼は先ほどとは打って変わって凛々しくも静かな口調で語り掛ける。

「イルーシアの民よ。王を喪った事情があるとはいえ、そう何もかもを疑うべきではない。恐れと警戒から眼を曇らせ、差し伸べられた手さえ疑い続けるのなら、いずれお前たちを助けようとする者はいなくなってしまうだろう。グレイル傭兵団の者たちがこれまでに取り返した地の数を、砦の数を、まさか忘れたとは言わないだろうな。お前たちは彼らが命を懸けて見せた誠意を、たった一度の遅刻で突き返そうというのか?」

ここまで言われてしまってはイルーシアの重臣たちも返す言葉が無いようだった。

後ろめたさと不服とが混ざり合ったような複雑な表情で、それぞれに顔をうつむかせる。

「ちょいと失礼」

円卓の間の扉がさらに押し開けられ、その陰からまた新たな人物が顔をのぞかせた。明るい水色の短髪にオレンジ色のバンダナを巻いた男。よく見るとその頭部には、頭髪と同じ色の獣の耳がついていた。

彼は人の好い笑顔を見せた。

「ガリア王国に仕えるライです。オレにも一つ、あいつの弁護を」

そう前置きをしてから戸口に進み出つつ、続ける。

「ベオクの皆々様方。お尋ねしますが、アイクは今までに戦略会議に遅刻したことがありますか?」

マルスも含め、その場にいる全員が顔を見合わせてから首を横に振る。イルーシアの重臣たちは、まだ不満そうな顔ではあったが、少なくとも異論は唱えなかった。それを見て取り、男は大きく頷く。

「そうでしょう? オレも今日会議があるっていうのは初耳でしたがね、あいつは大事な約束をすっぽかすようなベオクじゃありません。ましてや寝返りなんてとんでもない、するはずもありませんよ。じゃあ、なぜ会議に遅れてしまったのか? ここからはオレの推理ですがね。あいつはきっと、この日までには戻ってくるつもりだったんでしょう。ただ、なにか見積りと違うことがあったんでしょうねぇ。だから、ちょっと予想よりも時間が掛かってしまっただけで、案外、この近くまで戻ってきているかもしれませんよ」

軽妙な調子で身振り手振りを交えながら、彼はそう言った。これに対する反応は様々だったが、おおむね良い印象を与えられたようだ。彼の言うことももっともだというように頷く者、ひとまず大事ではなさそうだと腕を組む者。イルーシアの重臣も渋々、不信の矛先を収めようとしていた。

この様子を見届けてから、傭兵団の副長は王子とライに心からの礼を伝え、続きを引き継ぐ。

「万が一のことも考えられますから、団長は我々の方で探しに行きます。戦略会議にはセネリオを出席させます。団長には彼から、後で情報を共有してもらいましょう」

彼女の背後から、黒い長髪を後ろで束ねた若者が姿を現した。この戦略会議にも毎回、アイクと共に出席している冷静沈着な参謀だ。

軽く会釈をし、彼は黙ったまま定位置についた。アイクが座るべき空席を残し、その後ろに立つ。

それを見届けて副長が踵を返そうとした矢先だった。円卓の奥の方からにわかに明るい声が上がった。

「あ、僕も行くよ!」

席から立ちあがり、片手を挙げているのは白銀の髪に赤い瞳の王子。円卓越しに誰もが虚を突かれたような顔をして見つめる中、沈黙をものともせずにカムイは笑顔を見せていた。

「人数は多い方がいいでしょ?」

と、早くも円卓の間を出ていこうとするので、扉の近くにいたイルーシアの重臣が慌ててこれを止めようとする。

「で、殿下! これから会議があるのです。傭兵団長のことは彼ら団員に任せて、どうかお座りください!」

だが、カムイは一向に立ち止まる気配もなく、彼に向かって歩いていく。

「今日僕がやることって、この間の戦いの報告くらいだよね? それならここに同じ部隊だった人もいるし、僕じゃなくってもできるよ」

「しかし今後の戦略についても、ここにおられる方々全員の意見を伺い、同意を経てからでないと――」

「じゃあ僕、マルスに賛成でいいから」

「そんなご無体な……」

カムイのあまりの自由奔放ぶりに、ローブの重臣は思わずたじたじと後ずさってしまう。そんな彼の横を颯爽と通り過ぎると、カムイは戸口に辿り着いてしまった。そこで体ごとくるっと円卓を振り返り、彼はこう言った。

「彼の決定なら僕は文句を言わないよ。それに、ここにいるみんなもアイクのことが心配だし、本当は探しに行きたいって思ってるでしょ? だから僕はみんなを代表して行ってくるんだ。それじゃ――」

と行ってしまおうとするので、マルスはさすがに見かねて、慌てて声をかけた。

「待って!」

扉の陰から顔をのぞかせたカムイに、彼はこう伝える。

「せめて誰か連れていってくれ。アイクの到着がなぜ遅れているのかは、まだ分かっていない。でも少なくとも、彼くらい強い人が手こずるくらいの理由には違いないよ。だから、一人では行くべきじゃない」

「確かにあなたの言う通りだ。じゃあ、そうだなぁ……」

と考える間があって、彼はぱっと顔を輝かせて人差し指を立てる。

「――"教官"を借りていっても良いかな?」

「ベレスかい? 彼女が良いと言うなら……」

という返答を最後まで聞かないうちに、カムイは「ありがとう!」と言うと踵を返し、颯爽と走っていってしまった。

 

 

円卓の上に駒を置く音がして、マルスははっと我に返った。現状を思い出し、急いで周りの状況を、そして会話の流れをつかもうとする。

「――というわけです。したがって、メデュラの戦線はしばらく動かないでしょう」

セネリオの声。彼はごく最近取り戻されたメデュラ最北の砦、そこに青い駒を据えていた。

「だからこそ、攻め入るべきなんじゃないか?」

クロムがそう切り返す。少し不服そうな声であるところを見ると、セネリオの案に納得のいかないところがあるようだ。

席を立つと、地図の上でその地名を指し示す。

「メデュラは新生帝国との国境に一番近い。だから残りの砦もすべて取り戻してしまえば、あとは相手の本拠地めがけて一直線に攻め込むだけだ」

「僕はそうは思いません」

一歩も引かず、セネリオはきっぱりと言った。

「新生ドルーア帝国は、いかに帝国から離れた地であろうとも……それどころか、一見して孤立しているはずの場所であろうとも、潤沢に物資を送り、兵士を呼び寄せることができます。それが如何なる術を用いているのかは分かりません。ですが、彼らの本拠地から遠い場所でさえそうなのに、これが相手の拠点ともなればどうなることか。このイルーシアの地で戦っていた時とは比べ物にならないほどの苦難が待ち受けていると覚悟した方がよいかと。すなわち決戦の際には、新生帝国の領地内でもそういった戦術を展開することになるでしょう。そこはもはやイルーシアの地ではなく、敵軍の懐。地理や情勢を熟知する者はこの軍の何処にもおりません。ですから、十分に偵察を行い、兵站の確保を着実にし、決戦に向けた準備を存分に整えておくことが必要不可欠です。勢いのままに攻め入るのは得策とは思えません。せめて他の戦線が落ち着き、部隊の8、9割を注力できるようになってからにすべきです」

この一連の言説に、マルスは内心で意外の念を覚えていた。セネリオと言えば、戦略会議の場ではおおむねアイクの意向と合わせた短期決戦の案を提示することが多い。団長の無骨な立案から作戦を組み立て、理論で補強していく姿をよく目にしていた。

ところが団長がいない今、どうしたことか彼は慎重な姿勢に転じていた。本当はそういった立場だったのだが、団長の手前遠慮していたのだろうか。

そう考えながらマルスがセネリオの様子を観察していると、クロムが横からセネリオに向けてこう返す。

「だがな……お前も戦に出たなら見てきただろう。荒れ果てた土地や、飢えて苦しんでいる人々を。俺たちはいったいどれだけの間、彼らを待たせてきたんだ? イルーシアの民衆にどれほど我慢を強いてきたと思う? セネリオ、お前の言いたいことも分かるが、俺はじっくり待っている暇は無いと思っている。お前の言う増援も、相手にその猶予を与えなければ良い話だろう。だから、砦の奪還は絶好の機会なんだ。相手が怖気づいている間に一気に突破してしまえば良い」

熱いまなざしと、冷徹な視線がぶつかり合う。

それを遮ったのは、クロムの隣に座るイーリスの軍師だった。

「クロム。悪いけど……」

ルフレはそう前置きしてから、傍らの王をまっすぐに見て言った。

「僕は、セネリオに賛成だ」

これに、クロムは虚を突かれたように目を瞬く。

もしや彼にも力説するのかと思われた矢先、ややあってクロムは慎重に尋ね返した。

「……何か理由があるんだな」

ルフレは一つ頷き、席を立つと円卓の上に広がる地図を指し示した。

「この配置を見て」

彼の指がたどっていったのは、イルーシアの東と西。途中で南をいったん巡るようにして、彼の指は半円を描いた。

「この中で最近、僕らの劣勢が続いているのはどこだった?」

会議の初めに行われた現状の総括、それを思い出してからクロムはこう返す。

「サラマスとリンビック……イルーシアの東と、西だな」

「そう。新生帝国軍はイルーシアの東西、それぞれに砦を陥落させながら北上している。すると待ち受けるのは……」

彼の席に近い東から北へと指を動かしていた時、マルスの一つとなりでイルーシアの重臣が、席をほとんど撥ね退けるようにして慌てて立ち上がった。

「王都の包囲かっ!?」

白いあごひげを震わせ、青ざめた顔で言った彼に対し、ルフレの方はあくまで落ち着きを保っていた。

「……確かに配置としてはそうなるでしょう。しかし、彼らがここに攻め込むことはまず有り得ません」

「なぜそんなにきっぱりと断言できるのかね」

「圧倒的な戦力差です。確かに新生帝国軍は手ごわい。でもそれはあくまで『数』に頼ったものです。これまで僕らが戦場で対峙した新生ドルーアの兵たちは、あまり統率も取れておらず、個々の練度もそれほど高くはありませんでした。一方、連合軍には、今日のこの会議に集ってくださった方々を含めて数々の有能な人材がそろっています。一騎当千の猛将に、機略縦横の知将。それも、複数の部隊に分配できるほどです。そんな彼らが休養を取り、英気を養っている王都の侵略を、果たして新生ドルーア帝国は企てるでしょうか?」

「むぅ……」

複雑な表情に眉をしかめつつ、老齢の重鎮は席に腰かける。そこはかとない安堵も見えるのは、ひとまず王都が安泰だと分かったからだろう。

しかしそんなイルーシアの重臣たちを見据え、ルフレは次の句を継いだ。

「――思い出してください。そもそも、新生ドルーア帝国の目的は何でしたか?」

これを聞き、今度は隣でクロムがはっと表情を険しくした。

「……そうだ。アリティアへの復讐……!」

「その通り。イルーシアの『北』、海峡を挟んですぐ向こうにはアリティア王国がある」

ルフレの指は円卓の先を、この地図に載り切らなかった北の隣国を指し示していた。

「新生ドルーア帝国は、僕らを正面きって相手にするのは得策じゃない――ようやく、そう思い始めたのかもしれない。アカネイア連合王国が主力をこの国に駐留させているうちに、東西をすり抜けて進軍し、手薄になったアリティアの牙城を、連合王国の紐帯の源を攻め落とそう、と」

 

冷静に告げられたその言葉は、まるで雷鳴のようにマルスの耳に響き渡った。

真っ先に思い浮かべたのは、アリティアに残してきた婚約者、シーダの面影。

晩夏の草原が風に吹かれて揺らめく中、彼女はイルーシアへと赴く連合王国の軍を見送り、やがてその姿が遠く見えなくなるまでずっとその手を振っていた。

マルスは自分が動転しているのを悟られまいと、努めて冷静であろうとしていた。いくら母国の危機とはいえ、最高司令官たる者がうろたえていては示しが付かない。

しかしながらルフレの指摘はもっともであり、なぜ気づけなかったのかと心の内で自分に詰問していた。イルーシアのことで日々頭を悩ませているうちに、それほどまでに視野が狭まっていたのだろうか。

 

自責の念に苛まれていた時だった。円卓の間の扉が乱暴に叩かれ、部屋にいる全員の顔がそちらへと向けられる。

衛兵が扉越しに誰何すると、扉の向こうからかすれた声を張り上げてこんな答えがあった。

「危急の報せにございます! なにとぞ、連合軍の方々にお伝えを……!」

イルーシアの重臣たちの間で視線が交わされ、扉のそばにいた一人が衛兵に頷きかける。

「よし、そこから伝えよ」

自国の兵であっても、重鎮たちは慎重だった。

衛兵がわずかに扉を開けた向こうから、姿の見えない伝令がぜいぜいとのどを鳴らしながら語り始めた。

「王都の東、サラマスにおいて……新生帝国が侵攻を開始っ…………早くも、籠城戦に……持ち込まれております!」

「敵の規模は分かるか」

「現在城を攻めているのは、数十名規模の分隊です……が、我々が阻止しきれず、北へ向かっていったのは大隊……あるいは連隊相当かと……」

これを聞き、円卓の間にどよめきが上がる。サラマス侯爵領はそれほど大きな土地ではない。砦の数も少なく、とてもではないが千人単位の兵士をぶつけるような場所ではない。

ローブ姿の重臣がマルスの方に目を向ける。マルスは、情報はそれで十分だというように頷いて見せた。重臣は黙礼をし、それから扉の方に向き直る。

「ご苦労。サラマスの処遇は我らに任せよ。下がりたまえ」

彼が扉の向こうにむけて告げると、衛兵の手によって扉が閉じられた。

 

「……まさか、本格的に北へ?」

「遅かったのか……?」

そんな言葉がささやかれる中、クロムもまた自分の考えを変えようとしていた。

「……確かにな。今は決着を付ける時機じゃなかったようだ」

円卓の間に緊迫した空気が満ちていく中、マルスは目をつぶり、内心で渦を巻く後悔の思いをいったん脇に追いやった。

それから彼が目を向けたのはイルーシアの地図。この国を取り巻く現状を再度把握しようとする。

「――北には今、どれくらいの兵が残っている?」

彼が目を向けた先、最も近くにいたイルーシアの重臣はすぐさまそれに応えて言う。

「はっ。北では……ゲルストマン辺境伯が300人ほどの兵を抱えております。他の地で長きにわたって戦乱が収まらずにいると聞き、軍備と徴兵を入念に行っていると聞き及んでいます。またこれまでに戦がなかったこともあり、兵糧も十分に蓄え、頑丈な防壁も築いているとのことです。しかしながら、相手が連隊規模となると……」

「僕らが援軍を送るまでは持ちこたえられるかな」

これを聞いて重臣は眉根を寄せて天井を見上げ、それからマルスに向き直った。

「――足の速い天馬騎士、あるいは竜騎士を主力とする部隊を送っていただければ、あるいは。王都と辺境伯の領地との間にはカローサム連峰が横たわっております。先手を打つには、山々を飛び越えることのできる部隊が必要となるでしょう」

「分かった。僕の方からもミネルバに声をかけてみるよ」

天馬や飛竜を乗りこなすマケドニアの白騎士団、その長の名を挙げる。

続けて、彼は顔を上げると円卓に居並ぶ仲間たちに向けてこう言った。

「みんなも、心当たりのある者たちに出陣を依頼してくれ」

これに応えて、すぐさま頼もしい返答が返ってきた。

「分かりました!」

「ああ、任せてくれ」

「承知しました」

これで北の守りは固められる。次は、今まさに侵攻を受けているサラマスへの対処をどうするかだ。

 

部隊長を務める者、軍師を担う者。それぞれに円卓へと身を乗り出し、そのうちの一人が手元に持っていた連合軍所属の人員をまとめた巻紙を広げる。

サラマスへと部隊を派遣しつつ、他の地域で新生帝国に付け入らせないためにはどうするべきか。マルスも彼らと肩を並べ、意見を交わしていた。

「この地形からすると……サラマスから北に抜けるより、リンビックからの方がいくらか容易いんじゃないか?」

「確かに。だとすればサラマス方面を抜けていく奴らは陽動という可能性もあるな」

「サラマスかリンビックか。いずれにせよ北が目的地であることには変わりないでしょう」

「そうだね。辺境伯の領地にはどちらにしても援軍を送っておいた方が良い」

「リンビックも、僕らが見捨てていないことを示さなきゃ。ある程度は押さえる姿勢を見せておきたい」

「ちょうど、リンビックの騎士達も傷が癒えたころです。出陣の声が掛かればすぐさまはせ参じるでしょう」

「サラマスの砦の方はどうしましょうか?」

「攻城戦になる可能性もある。だとすれば臨機応変に動ける編成が必要だ」

「盾役も必要か。なら、今から送ると着く前に夜になってしまうな……」

「明朝だな。すぐに出立させればその日の内には着くだろう」

「よし、決まりだ。この中で次に出陣できるのは――」

自室や執務室にいる時を除けば、マルスがイルーシアの衛兵に取り囲まれずにいられる機会はほとんどない。戦略会議の場はその数少ない例外なのだが、彼はそれを喜ぶほど鈍感ではなかった。

イルーシアの重臣を除けば、ここにいる仲間たちは誰もかれもが実際に戦場に出て戦っている。彼らと肩を並べ、彼らがいずれ命を懸けることになるであろう戦いの指図を行う自分は、もうしばらく剣を振るったこともない。自分ばかりが偉そうな顔をして彼らに命令していて良いのだろうか――そんな情けなささえ覚えるほどだった。

 

 

会議が始まる前にひと悶着あったものの、今後の戦略が無事にまとまり、連合軍の部隊長や軍師はそれぞれに決意を新たにし、この現状を突破できる最も確実な策を共有して、円卓の間を後にしていった。

ふと、マルスは顔を扉の方にむける。黒髪の参謀の後ろ姿が目に留まったのだ。誰とも話さずに出ていこうとしているが、セネリオが見知った人以外に対してこういった態度なのはいつものことだ。しかしそれ以上に彼は、いつにも増して足早に出ていこうとしているように見えた。

――それはそうだ。きっと、先に行ったグレイル傭兵団の人たちに合流しようとしているんだろう。

マルスは内心でそう考えていた。

あの傭兵団に所属している者たちは、ほとんど家族ともいえるほどに絆が強い。特に彼、セネリオは団長に危険が及ぶことを殊更に嫌っているようで、団長の立てる策があまりにも無謀すぎるときには考え直すようにとたしなめる場面もあった。

そこまでを考えて、マルスはふと引っかかるものがあって眉をひそめる。

アイクは、まだなぜ遅れたのかが分かっていない。彼をよく知る者たちが『すぐに戻るのでは』と見立てていたにも関わらず、結局彼が戻らないまま戦略会議は終わってしまった。

――道に迷ったのだろうか……でも、王都の外と言っても、ほとんどが山脈地帯だ。

 人が通れるように整備されている道は数えるほどしかないし、そこから意図的に外れない限り、そうそう迷うはずがないだろう。

 だとしたら……

 まさか、奇襲を受けたのか?

奇襲。その言葉を想定した彼だったが、自分でも半信半疑だった。

なぜなら、彼は護衛が要らないと言っていた。それに馬に乗っていったのならともかく、彼は徒歩だ。足で七日以内に往復できる見込みでいたのなら王都周辺の安全な領地、すなわち連合軍がイルーシアの民の手に渡してから日も経った場所を巡っているはず。新生帝国は今のところ王都方面に向けた侵略の兆しを見せていないから、王都周辺であれば一応は平穏な地と言えるだろう。国内の偵察にあたる斥候部隊からも、今のところ陣地内に敵が潜伏しているとの報告はなく、野営の跡を疑わせるような痕跡も見つかっていない。

しかし、昨今の戦況において『平穏』ほど長続きしないものはない。先代の王の例もある。

――もしも彼がいち早く異変に気付き、自ら斥候に赴いたのだとしたら?

 いや、いくら彼が自分の腕に自信があるといっても、たった一人で敵軍の目の前に飛び出すとは思えない。

 それとも、本当は遠くから様子を見るだけのつもりだったのが、予想よりも新生帝国軍が近くに潜んでいて、捕らえられたのか……?

セネリオの態度に違和感を感じた理由、それがようやく形をとった。

部外者である自分でさえ奇襲と捕縛の可能性に思い当たるのにも関わらず、アイクに忠誠を寄せるセネリオの顔には憔悴の欠片も見当たらなかった。

表情に出にくいと言ってしまえばそれまでかもしれない。だが、それにしても妙に落ち着きがあった。堂々と意見を戦わせ、決戦を焦るべきではない、本格的な派兵はまだ早いと主張するほどに――

そこで、マルスの目にかすかな驚きが閃く。

 

――……まさか、セネリオ、君は……

遠ざかり、人の垣根に紛れていく黒髪の頭を目で追いながら、

――君は知っているのか。アイクの目的を。彼が向かおうとしている先を。

 そして、それを僕らに知られたくないがために、南への派兵を止めようとしたのか……?!

その名をもう少しで呼びそうになりながら、マルスはかろうじてそれを自制し、首を横に振った。

マルスは、アイクが裏切るとは露程も思っていない。

黒雲のように沸き上がりつつあったのは、『膠着した戦況に痺れを切らし、彼がたった一人で敵将を討つべくドルーアに赴いたのではないか』という荒唐無稽な不安。

確かに単身潜入なら相手には気づかれにくいだろう。だが、それはあまりにも無謀な試みだ。今の新生帝国は、兵力のほとんどを人間が占めている。竜族が人間の手を借りずに少数で戦っていた100年前とはわけが違う。その時でさえ、後のアリティア初代国王アンリは竜族の王たるメディウスと七日に渡る死闘の末、ようやく決着をつけたと伝えられている。

新生帝国が本当にメディウスを復活させたのかどうかは分からない。だがいずれにせよマルス達が戦った暗黒戦争の時のように、首領に至るまでは何重にもわたる固い守りに守られているはずであり、どんなに腕の立つ剣士と言えども、たった一人でそれを突破できるとは思えなかった。

 

イルーシアの衛兵たちがまた自分の周りを固めていくのにも気づかないまま、彼は開け放たれた扉の向こうに願いをかけるように、一心に見つめていた。

――いくらなんでもばかげている。アイク、君がそんなことをするはずはない……

 

 

 

 

薄靄に煙る満月が、修練場をぼんやりと照らしていた。

他に人もいない静かな石舞台で、青髪の女性剣士が一人、剣を振るい続けていた。虚空に相手の姿を見立て、それが切りかかってくる様を想像し――避け、迎えうち、あるいは切っ先でいなして背後を取る。

なかなか満足のいく動きにならないのか、時々首を横に振っては、再び表情を改めて剣を構えなおしている。

夜も更け、修練場には冷たい空気が満ちていた。そしてあたりには、わずかな息遣いと、訓練用の鉄剣が空を切る鋭い音だけが響いていた。

 

月明かりを天然の照明として鍛錬を続ける剣士。そんな彼女に向けて突然、声が掛けられた。

「ああ、よかった! まだ出発してなかったんだね」

明るい調子でそう言われ、弾かれたように振り向いた先には茶髪の少年の姿があった。背には純白の翼、ゆったりとした白いトーガを身にまとい、指の出る昔風のブーツを履いている。その装いは全体的に時代遅れであり、連合軍にいるどこの国の人とも似ても似つかない。

その特徴からして、彼は七日ほど前に王城に来たという噂の使者だろう。

だがそれだけではない何かが、彼女の心に引っかかっていた。月の光に白く照らされながら歩いてくる姿を見て、ルキナは怪訝そうに眉をひそめる。

「あなた、どこかで……」

思わずそういう言葉が口をついて出るが、少年が修練場の舞台を上がり、ルキナのすぐそばまでたどり着いても、それ以上の記憶は彼女の中から引き出されてこなかった。一方、少年は手にした手紙と彼女を見比べてからこう語りかけた。

「ルキナ、君に読んでほしい手紙があるんだ」

差し出された手紙を半ば上の空で受け取り、そこでようやく彼女は少年からその手紙へと目を向けた。

白い封筒に、紅色の封蝋が見事なまでの対比をなしている。封蝋に使われた印章は、円と、その中心をずれたところを切る十字。きわめて簡素な模様だったが、どこの国のものとも似ておらず、これを使う人物には見当もつかない。

「これは……?」

途方に暮れたような顔のルキナに対し、少年はあくまで気さくな笑顔を崩さず、肩をすくめてみせる。

「まあ、まずは開けてみてよ」

意を決して封を切り、ゆっくりと紙を引き出す。月明かりの元、広げた紙を読んでいった彼女の顔に、間もなく激しい動揺の色が走る。

やがてそれは徐々に、誰かを心配し、深く憂うような表情へと変わっていった。

手紙を再び封筒にしまい込むと、それを手に、彼女はしばらく俯いたまま動かなかった。ようやく顔を上げたとき、そこには未だ悲痛な陰りがあったが、彼女はそれでもなお決然として使者にこう伝えた。

「……たとえここに書かれていることが真実だとしても、私はあの砦に向かわなくてはいけません。今もあの砦に立て籠もっている人々の抱える恐怖や、救いの手を待ち望む希望もまた、本物なのです」

それを聞いて遣いの少年は難しい表情をして何度も頷き、腕を組む。

「そっかぁ……残念だけど、僕も君の立場だったら、そう言うと思うよ」

そうは言ったものの、命を賭して救援に向かうはずの王女に対し、彼の態度はどこか軽さが抜けきらない。

「僕の方もまだかかりそうだし、戻ってきて僕がまだ手こずってたら、その時は力を貸してくれると嬉しいな」

と言って、少年は踵を返すと石舞台を降り、城内につながる廊下へと歩み去っていった。

やがて白い翼の後ろ姿は廊下の闇に溶け込むように消え、足音も宙に吸い込まれるように断ち切られてしまう。

 

残されたルキナは一人、手元の封筒を見つめて口を引き結び、考え込んでいた。

ふと、被っていたティアラをそっと外し、その紋様をじっと見つめる。

そうしていた彼女はやがて、霧で揺らめく月明かりを見上げた。彼女の表情は、固い決心へと移り変わっていた。

 

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最終更新:2021-11-21

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