気まぐれ流れ星二次小説

星は夢を抱いて巡る

第5章 老いをもらたす者 ①

 

 

 

目の前に広がるのは、紺色のグラデーション。

大地も、岸壁も、そして天井までも。すべてが青の同系色に塗り込められ、なだらかに起伏する平面と平面の継ぎ目には萌黄色に輝く細い線が見えていた。

まるでそれは、本来の着色や装飾を施される前のポリゴンアートのような風景。為るべき景色は岩山だったのか、それとも氷の洞窟だったのか、はたまた巨大建造物の内部だったのか。足元から伝わる無機質な感触は、それらのどれでもないことだけを不愛想に突き付けていた。

 

天使は今回の協力者と共に、紺色の峡谷地帯を走り抜けていた。

神弓を携え、ひた走る彼はふと何かに気づき、さっとそちらを向く。

「――フォックス、左!」

狐顔の獣人はすぐさま反応し、大振りな銃を構える。その銃身に片手を添えて支え、一直線上に視線をぴたりと据える。

同時に物陰から飛び出してきたのは、直立歩行の甲殻類たち。これもまた周囲の風景と同様に、作り物めいた多面体で象られていた。片手に装備した大きな鎌をフォックス目掛けて振り下ろそうとする。だがそれよりも早く、光る弾丸を雨あられと浴びせかけられ、フラッシュと共に消滅した。

その後に残された、ぼんやりと輝くエネルギーがフォックスの手にした銃に吸収され、液晶表示された数値が変化した。

「よし。ミサイルが回復した」

前方からの敵を光の矢で迎え撃っていたピットは、その奥から現れたものを見てはっと目を丸くする。

「……またあいつだ! コメトの親玉!」

「任せろ!」

煙を模したノイズの向こう側、ぼんやりとしたシルエットを見据えたままフォックスは銃を操作し、機能を切り替える。

それはクラゲに似ていて、それでいてクラゲよりも遥かに危険な生物。ポリゴンで描かれていてもなお、その生き物は本能的な忌避感を呼び覚ますような姿をしていた。半透明の外皮の内奥では赤黒い塊がうごめき、クラゲなら触手のあるべき場所には肉食獣のように鋭い牙が生えている。

ひときわ大きな牙をぐわりと開き、近場にいたピット目掛けて襲い掛かろうとしたそいつ目掛けて青白い光線が宙を駆ける。たちまちのうちにクラゲの怪物は凍り付き、すぐさま放たれたピットの“豪腕”の一撃を受けて粉々に打ち砕かれた。

急いでいるのか、二人は煙が晴れるのも待たずにその先へと走っていく。

「助かったよ、ありがとう!」

「どういたしまして」

フォックスはピットに笑みを返し、こう続ける。

「あいつが出てきたってことは、きっとそろそろ最終ステージだ。気を引き締めて行こう」

 

その後も二足歩行の甲殻類や爬虫類といった敵が物陰から現れ、通路を進む二人に襲い掛かる。だがすでに二人は慣れた様子で、奇襲にも慌てず対処していた。分岐路や行き止まりにもめげずに試行錯誤すること数分後、二人はついに開けた場所に出た。

「ここは、だいたいパターンは同じだよね」

「出てくる場所はランダムだがな……」

青銅色の銃を両手で構え、油断なく辺りに向けていたフォックスの目が、一点に据えられる。

「――5時の方向!」

同時に青白い光線が放たれ、着弾点にいたクラゲの怪物が白く凍り付く。すでにピットが駆け寄っており、右腕に呼び出した豪腕を振り上げ、渾身の一撃を食らわせる。

「次、3時!」

ポリゴンの地面を勢いよく踏み切って、ピットは指示のあった方向に駆け寄る。半透明の破片に帰したところで、彼の目が右を向いた。

彼の耳に、声が届く。

「三体同時だ。君は左から行け!」

同時に、青白い光線が掃射される。

宙で凍り付いたクラゲの横面目掛け、気合の声と共に殴りかかる。二匹はまとめて処理できたが、三匹目までは距離が足りなかった。

「よし、後は俺がやる!」

ピットが対処している間に銃の機能を切り替えたフォックスが前に出た。姿勢を低くし、構えた銃から緑の弾頭を持ったミサイルが一発撃ち放たれる。

ミサイルは凍ったクラゲに真正面から命中し、爆風と共にそれを消し去った。

 

どこからともなく、電子的なファンファーレが鳴り響く。

「どうだ……?!」

フォックス、そしてピットは空を見上げる。

固唾をのんで見守る先、群青色の天井がふっと暗くなったかと思うと、宙に水色の文字が表示され始めた。健闘を褒め称える文章、“銀河連邦軍”の新兵として歓迎する旨が綴られていく。

「そこは良いから……」

何度も同じ文章を読んだのだろう、ピットは空を見上げてじれったそうに呟いていた。

辺りに響いていた音楽がフィナーレに近づき、ひときわ大きな文字で数字が表示された。

それは、彼らの今回の『クリア時間』。フォックスはわずかに目を見開き、思わず前に一歩踏み出す。

「よし、前より早くなった……!」

「……あ、でも」

ピットが言った先、クリア時間の下に表示された文章を目にした二人は、わずかな間を置いて同時に落胆のため息をついた。

“銀河連邦に平和をもたらす君たちの戦いは、未だ始まったばかりだ。さらなる鍛錬を求む”。そういう趣旨の文章を最後に、宙に架けられた文章は溶け込むように消えていった。

入れ替わるように、ピットの目の前に別の文章が現れた。

『Retry?』

しばし恨めし気にその文字を見ていたピットだったが、半ば投げやりな仕草で『Yes』の表示に指を触れた。

 

彼らの周囲で紺色のポリゴンがぼやけるように動き、次の瞬間、彼らは入口の手前まで戻されていた。

電子音のオープニングテーマが流れ始め、空には精鋭部隊の入隊試験に挑戦せよとの文章が綴られていく。しかし二人はもはやそれにちらとも目を向けることなく、作戦会議を始めていた。

「状況を整理しよう。まず、俺達がゲートをくぐって出た先はここ、『訓練場』の入り口だ」

そう言ってフォックスは、自分の足元を指さした。

「僕も同じ。君が降りてきた頃にちょうどこのエリアに到着した感じかな? それで、その後はまず周りを調べてみたけど……この青い空間に出入口らしいところは無かった。キーパーソンどころか、人も家も、何もない」

ピットの言葉に頷きを返し、フォックスはこう続ける。

「したがって、俺達はキーパーソンが訓練場内にいるか、あるいはここから出るための条件が訓練を突破することだと判断し、戦闘訓練に挑戦することにした」

「――でも、今のところ空振り続き。何度挑戦しても“振り出しに戻る”ばっかり。……ねぇ、フォックス。もしかして僕らの予想が外れてたってことないかな。キーパーソンが来てくれるための条件」

「可能性はいくらでもあるがな……とにかくまずは、あの記録を越えてみないことには何とも言えない」

そう言われたピットは、フォックスが見る方角を――入口ゲートの掲示板を、憤慨交じりの表情で見やる。

「あれでもまだ遅いっていうの? でも、あんなスコア出すなんて無茶だよ。あんなの、相当のやりこみか、そうじゃなかったらチートだよ!」

そこに表示されているのは、上位十位までの記録。最下位の記録でさえ、彼らの最短記録より二十分以上も早いのだった。

見知らぬ誰かの輝かしい記録を眺めていたピットは、しばらくしてため息をつき、力なくぼやいた。

「はぁ……手紙はたった一通なのに、エインシャントさんが助っ人を二人もつけた時点で気づくべきだったよ」

同じ電光掲示板を見つめて考え込んでいたフォックスは、ややあってこう提案する。

「いっそ撃たずにくぐり抜けてみるか?」

「どうかなぁ……あのクラゲみたいなの、結構素早いよ。吸いつかれたら結局タイムロスになっちゃうし」

「それもそうだな……」

すると、フォックスと同じ方角から別の人物の声が聞こえてきた。

『おい、ピット。強情はってないで、あんたもフォックスと同じ武器使ったらどうなんだ? カニのエイリアンに一体何発使ってんだよ』

ピットは上空を見る。

「だってさ、僕がこういうの持ってるのって似合わなさすぎるよ」

彼はそう言いながら、入口のゲート付近に並べられた、支給品らしき武器を指し示していた。

ピットが見上げる方角。そこには、群青色の天井を背景に、一機の戦闘機がゆっくりと飛んでいた。そこに乗り込んでいるのは鳥顔のパイロット。

『へっ! 素直に言えよ、ハイテクすぎて自分にゃ扱いきれねェって』

通信越しに、鼻で笑われてしまった。

「追尾もできない武器のどこがハイテクなのさ」

不服そうにむくれているピットに、フォックスはこう言ってくれた。

「慣れてる武器があるならそっちの方が良い。それに、今のやり方の方がクラゲもどきをスムーズに倒せてるじゃないか」

それから彼も、空を見上げてこう続ける。

「ファルコ。そろそろ機嫌直したらどうだ?」

『あぁ? 誰がいつ、機嫌を損ねたって言うんだよ』

不審そうな声が答える。

彼、ファルコはエリアに降り立ってこの方、一度もアーウィンから降りてこようとしなかった。

初回はアーウィンに乗り込んだまま二人に同行し、上空から援護射撃としゃれこもうとしたのだが、悉く見えない障壁に阻まれてしまった。そのまま、一切見せ場のないまま終わってしまい、どうやらふてくされてしまったらしい。

今回も降りてくる素振りの無い相棒の機体を見上げ、フォックスはにやりと笑う。

「ははぁ、さてはファルコ……アーウィンに頼りすぎて、射撃の勘が鈍ったんだろ。みっともない姿をピットに見られたくないんだな?」

『ぬかせ。次にお前らが失敗したら降りてきてやるよ』

「その言葉、覚えたからな」

と笑っていた彼は、そこでふと何かを思いついたように宙を見つめた。

「……そうだ。ファルコ、次は上空からついてきてくれないか?」

『なんだ、応援でもしてくれってか』

「敵や通路の配置を教えてほしいんだ。ほら、毎回挑戦するたびに変わるだろ? 前もってどの道が正解か分かるだけでもだいぶ時間が短縮できると思うんだ」

『――ああ、なるほど。でもそういうのはナウスに頼めよな』

不承不承といった様子の返答に、フォックスは思わずふっと笑った。

「今ここに来てるのは俺達だけだろ」

『言ってみただけだよ』

 

 

『――右だ! 三、四体来るぞ』

その声にフォックスは銃を構えて方向転換するが、見据えた方向に敵はおらず、相手は視界の端から迫ってきた。

急いでピットと共に対処しつつ、彼は通信相手にこう伝える。

「俺達が見てる方角で言ってくれると助かるんだが……あと、進行方向を0時としてクロックポジションで伝えてくれるか?」

『へいへい』

若干投げやりな返答が返ってくるも、彼はすぐに切り替えて情報を伝えた。

『……あ、そっちは行き止まりだ。左――あーっと……“10時”に行け』

「分岐は右左で良いよ。了解」

『そうかい。で、道なりに行くと、また“ザリガニ”が5匹お待ちかねだぜ』

今回の“ミッション”開始までは気乗りしない様子のファルコだったが、いざ始まると敵の配置やルート案内など、すべて伝え洩らし無く実況してくれている。

おかげでピット達は後戻りや足止めをされることなく進むことができていた。

『そっちは止めとけ。道は一直線だが、敵が多すぎる。ジェットパックや盾持ちも何人かいるな』

「じゃあ右?」

ピットはそう言って空を見上げる。右のルートは地上から見ると障害物で複雑に入り組んでおり、いかにも何か潜んでいるように見える。地上の二人だけなら用心して通らなかったことだろう。

『ああ。上から見える限りじゃ待ち伏せは無い』

ファルコの断言に後押しされ、ピット達はその通路に駆け込んでいった。

 

抜け道や近道、敵の配置が手薄な場所を駆け抜けて、ようやく目の前に広大な空き地が見えてきた。

二人とも損耗は少なく、フォックスの銃の残り弾数にも余裕がある。走ってきた勢いのまま飛び込んでいった二人の耳に、ファルコの声が聞こえてきた。

『よーし、最後のフロアまで来たな。あとはここを――2分以内に突破できれば上位に食い込めるぞ』

その言葉からすると、彼はどうやら経過時間を計っていてくれたらしい。

「2分!? インスタントラーメン分も待ってくれないの?」

『何言ってんだ。2分も残ってりゃ上出来だろ』

「でも最終フロアの敵の数は――」

『そら、来るぞ。フォックス、2時の方向!』

返答の代わりに冷凍光線が放たれ、ピットがすぐさまその方角に向かう。

『次、6時!』

「待って!」

折しも豪腕を振るったばかりだったピットは、遠くで凍らされたクラゲもどきを振り向く。時間が経過すれば氷は解けてしまい、通常の武器では倒せなくなってしまう。二人が見出したあのクラゲの攻略法はたった一つ。“凍らせてから一気に強力な攻撃を当てる”、それだけなのだ。

「そっちに向かわせる!」

フォックスが駆けだした。銃口は下げたまま凍ったクラゲに駆け寄り、跳躍すると、鮮やかに回し蹴りを決めた。サッカーボールよろしく飛ばされて来た冷凍クラゲを待ち構え、ピットはそのまま豪腕の一撃でクラゲを迎え撃つ。

 

クラゲもどきのやってくる間隔は次第に短くなっていき、矢継ぎ早に上空から伝えられる位置情報をもとに、ピットとフォックスは息を合わせて敵を撃破していった。

『お、3体来るな……ってことはこいつで最後か』

方角を言わなかったのは、それが彼らの真正面に現れたためだった。

「ピット。準備は良いか?」

「いつでも!」

彼はその手に、カプセル型のアイテムを持っていた。今回のルートの途中で見つけた“パワーボム”だ。

クラゲが出現しきると同時に、フォックスは銃を向け、素早い掃射で一気に三体を凍らせる。すかさずピットが振りかぶり、カプセル型の爆弾を投擲した。

着弾。その直後、強烈なフラッシュに、ポリゴンの地形が白く燃え上がる。爆風はクラゲもどきを破壊してもなお収まる様子が無く、フロア全体を焼き尽くさんばかりの勢いで広がっていく。

熱波がじわりと顔を焦がし、光が足元まで迫る。思っていた以上の威力に固まっていたのも一瞬のうち、ピットは急いで金色の盾、“衛星”を呼び出すと仲間に声をかけた。

「フォックス、僕の後ろに!」

盾の後ろに二人が屈みこんだ次の瞬間、凄まじい音と熱風が彼らの周囲を吹き抜けていった。ピットが懸命に手を添えた先、衛星に恐ろしいほどの速さでヒビが入っていく。

「耐えてくれよ……!」

永遠にも思える時が過ぎ去り、気が付くと爆風は収まり、辺りのポリゴンも元の紺色に戻っていた。衛星は辛うじて無事だったが、可哀そうなまでにボロボロになっていた。耳が慣れてきて、すでにステージクリア時の音楽が辺りに流れているのに気が付く。

『あーあ。こいつはオーバーキルってやつじゃねぇか?』

上空を周回する戦闘機。それを見上げてピットはこう返す。

「でも他に使いどころ無くない?」

「何はともあれ、これで記録更新だ」

フォックスはそう言いながら、立ち上がって上空のメッセージに目を向けた。

ボムで最後の敵が倒された時点でカウンターは止まっていたらしく、二人が余波に耐えている間に終了時のメッセージは大方流れ終えていた。クリア時間も表示されており、後は最後のメッセージを待つばかりとなっていた。

やがて流れ始めた文章は、今までに見たことの無い文言だった。

「“おめでとう、次のミッションで……”」

思わずそれを読み上げていたピットは、フォックスに肩を叩かれ、地上に注意を戻す。

「あっ……!」

フロアの中央。そこにはいつの間にか彼らのほかにもう一人の人物が現れていた。

これまでに散々敵として出てきたザリガニエイリアンやクラゲもどきとは明らかに異なり、れっきとした曲面で構成された橙色の甲冑。

右腕はそのまま銃身となっており、そのデザインはフォックスが手にした支給品の銃とよく似ていた。いや、本来はあちらの方が元で、支給品はそれを真似たのだろう。

こちらに歩いてきながらも、橙色の甲冑は拍手をするように右腕の銃身を左の手で叩き、二人の健闘を称賛していた。

それを見据え、ピットは肩掛けのカバンから一通の封筒を取り出し、その宛名を見る。

「――サムス・アラン」

名前を呼ばれた甲冑が、はたと立ち止まる。

ピットは相手に向けて一歩踏み出し、白い封筒を真っ直ぐに差し出した。

「僕は、光の女神パルテナが遣い、ピット。君に大事な報せがあるんだ」

黄緑色のバイザーの向こう側、見通せないその先にあるはずの相手の顔を見つめる。

橙色の甲冑は両手を下ろし、黙ったまま、天使をじっと観察するように見ていた。

 

熟慮の末、沈黙を乗り越えて、その足がようやくこちらに歩み寄る。

金属の外殻に包まれた左手が封筒を受け取った――その時だった。

 

三人が立つ紺色の大地を、ひどく周期の短い激震が襲う。

よろめき、しりもちをつくピット。

「あ、わ、わ……なに、これ……!」

「喋る、な……舌、噛む、ぞ……!」

『そ、そっちも、揺れてんのかっ……?!』

どうやら上空の戦闘機さえも揺れているらしい。地震にしては余りにも不自然だ。

――まさか『エリア』自体が揺さぶられてる……?

口に出さずにそう思っていた矢先、耳をつんざくような甲高いノイズが鳴り響いた。

聴覚よりももはや痛覚に顔をしかめ、うずくまったピット。

うっすらと開けていた目が有り得ないものを認め、はっと見開かれる。

 

宙に裂け目ができていた。それも、見る間にどんどん広がっていく。

黒に限りなく近い暗紫色の闇。その奥、氷山を破砕していくかのような鈍い音を立てながら、何か巨大なものが近づいてくる。暗がりから見えてきたのは、鈍色の金属で構成された巨大な構造物。

 

鋼鉄に覆われた巨大建造物が、見ている間にもポリゴンの天地に割り込み、すべてを砕いていく。

現実感に乏しいその光景に気を取られていたピット。その周りでゆるやかな風が吹き始め、彼ははっと我に返った。

風は闇に向かって吹いていた。徐々に勢いを強め、すべてを裂け目の向こう側にいざなおうとしている。

「まずい、このままじゃ……」

「ピット……! どこかに掴まれ!」

離れたところからフォックスの声が聞こえてきて、急いで周囲を見渡すも、掴まれそうな場所は無い。

受取人に渡すためにフロアの中央まで出てしまったのが災いした。風に逆らって二、三歩進むのがやっとで、結局地形のわずかな窪みに手を掛けるしか選択肢はなかった。

ふと、当の受取人は無事だろうか、と気づき、ピットは慌てて甲冑の姿を探す。その姿は思ったよりも少し離れたところにあり、銃身から伸びる鞭のような光で地形の一点に掴まっていた。

「……良かったぁ」

思わずそう呟いた彼だったが、一層強い風があたりに吹き荒れ、慌てて地形の角に爪を立ててしがみつく。

『ピット!』

ファルコの声が今までよりも鮮明に聞こえ、天使は薄目を開けて上を見る。嵐のような風が吹き荒れる中、アーウィンが近くまで降りてこようとしていた。片翼にはすでにフォックスが掴まっており、ピットにも掴まれと言いたいようだ。

『待ってろ……もう少しの辛抱だ……!』

アーウィンは危なっかしく揺れながらも、ピットを目指して慎重に降りてこようとする。

しかし、ピットの方も限界が近づいていた。エリアの破壊はますます進み、背後の、空間の裂け目だったものはもはや大穴といって差し支えないほどに成長し、吸い込む風の勢いも収まるどころかますます強くなっていく。

地形にしがみつく手の指も血の気が引いて、感覚が鈍くなりつつあった。

冷たくなった手の皮膚が、辛うじてポリゴンのひび割れの成長を捉え、その意味するところが頭に届いた次の瞬間、

「あ――」

彼は崩落したエリアの欠片ごと、風に巻き上げられていた。

 

「ピット!」

『――あっ、クソッ!』

切迫した仲間たちの声。アーウィンのコックピット越しに見えた、ファルコの顔。

遠くで橙色の甲冑がビームを切り、地形を蹴ってこちら目掛けて飛んでくる姿。

彼らの方に向けられ、決して届くことの無い自分の手。

全てが一瞬のうちに意識に上り、眩しいほどに鮮明に、まるで写真の中に切り取られたようになったかと思うと――

 

ぷつりと幕を下ろすように、辺りが真っ暗になった。

 

 

 

 

ホワイトノイズ。微かだが、払いのけようとしても羽虫のように意識にまとわりついてくる。

目の前の、淡く緑色に輝くバリアから発せられている音なのだろうか。

――バリアなんか張らなくたって、こんなに狭い格子の隙間から逃げられるわけないのに……

見るともなしに前をぼんやりと眺め、天使はそう考えていた。

 

彼は、塗装もろくに施されていない金属の小部屋に閉じ込められていた。

檻はここのほかにも通路に沿ってずらりと並んでいるが、どれも空っぽだ。囚人が閉じ込められているのはピットのいる檻一つだけ。だというのに、どういうわけか彼のいる檻には先客が入っていた。

「ハァ……ツイてないヨネェ。ドウなっちゃうんダロウ、ボクたち。キット想像もツカナイようなヒドイ目に遭わされるんだヨォ」

すぐ外側でバリアが輝いているのにも頓着せず、金属の格子に両手をついているのは、ツノ付きのフードを被ったおもちゃのような生き物。

こちらが何も聞かないうちからぺらぺらとよく喋る彼は、自分の名前を『マホロア』と名乗っていた。焦げ茶色の肌を水色の服で包み、黄色い縦長の瞳に、宙に浮く手しか見当たらない丸い姿。どことなく、以前にキーパーソンへ手紙を配りに行ったエリア、現地のひとたちが“ポップスター”と呼ぶ場所の住民に似ているが、そこの出身かと聞く元気はもはや天使には残っていなかった。

マホロアの方も全く気にせず、バリアに向けて愚痴を垂れる。

「全ク、お客ノ扱いがナッテないヨ。キミもそう思ウデショ?」

そう言って彼はピットの方を振り返る。

ピットは言葉にもならない相槌をうつばかりで、ただ前をぼんやりと見つめるばかり。

マホロアは肩の無い姿で肩をすくめるような仕草をしただけで、再び格子の方に向き直ってこうぼやいた。

「アーア、どうにかしテここを出ラレないかナァ……」

 

奇妙な生き物の言葉を聞くともなしに聞き流し、壁に背と翼を預け、金属の床に座り込む天使。

彼は、いつになく浮かない表情をしていた。

彼がここに閉じ込められるまでの顛末。それが何度も脳裏によみがえり、いつまで経っても頭を離れようとしないのだった。

 

 

 

鋼鉄製の狭苦しい通路。前に下げさせられた手には、金属製の無骨な手錠。

前を歩くエイリアンの甲殻に覆われた背中が大きすぎて、連れていかれる先の景色は見通せず、少しでもよろめこうものなら後ろについたエイリアンにかぎ爪で無造作にどやされる。

少しでも雰囲気を和ませようと、思い切って声をかける。

「――ねぇ、そんなに君たちの仲間を的にしたの、怒ってるの? 仕方なかったんだよ、キーパーソンに会うためには……」

しかし後ろに歩くエイリアンがそれを遮り、怒気と苛立ちをはらんだ数音節の金切声を上げて爪で突っついてきた。

彼らの言語は分からなかったが、おおむね言わんとしていることは伝わってきた。

「『ごちゃごちゃ言ってないで歩け』ってとこだよね……おおかた」

そこで廊下が道なりに曲がり、左に丸い舷窓が並ぶ区域に入り、ピットはふとそちらを見やった。

小さく丸い窓の向こう側、見えるのは暗紫色の闇。あのエリアに割り込んできた裂け目の向こう側と似た色だった。

――じゃあやっぱり、ここはさっきの巨大な建物の中なんだ。

ピットはそう心の中で考えていた。

 

裂け目の向こう側に吸い込まれた後、気が付くと、彼は金属製の冷たい床に倒れ伏していた。

周囲には直前の『エリア』で散々倒してきた“敵”によく似た二足歩行の甲殻類が勢ぞろいしており、表情の分からない顔ながらも、明らかに胡乱な雰囲気を漂わせてピットを取り囲み、銃や爪でこちらの翼やら髪やらを突っついていた。

こちらの言葉は全く通じなかった。そのまま不審者認定されてしまったのか、あっという間に拘束され、こうして何処かへと連行されている。

 

どこに連れていかれるにせよ、早いところ目的地に到着してほしい。足元を見つめつつ、そんなことを思いながら歩を進めていた時だった。

急に目の前のエイリアンが歩を止め、頑丈な甲殻に顔面をぶつけそうになった彼は慌てて立ち止まる。大きな背の向こう側で風のような音が立ち、壁と思っていたところが引っ込んで新たな空間が現れた。

甲殻類のエイリアンに前後を挟まれながら踏み入った先、薄暗さにだんだんと目が慣れてくると、そこがある程度の広さを持った部屋であることが分かってきた。

何らかの会議室だろうか。謁見の間にしては少しサイズが小さい。

室内、壁際には雑多なものが置かれていた。人の背丈ほどもある木彫りの彫刻、抽象画から抜け出してきたような形の金ぴかの彫像、天然鉱石の透き通った結晶、なんだかよくわからない機械の塊。部屋を飾るためというよりは、手に入れたありったけの宝を片っ端から乱雑に詰め込んだだけのように見える。

きょろきょろと物珍しげに辺りを見回していたピットは、部屋の奥、暗がりに沈む玉座に何者かが座っていることにようやく気が付いた。

それは、暗紫色の翼竜。無駄な肉は一切ついておらず、骨格が分かるほどに筋張った体躯。引き締まった強靭そうな足をもう片方の膝に乗せて組み、横柄な仕草で頬肘をついてこちらをじっと凝視していた。瞳孔の見当たらない橙色の目が、訝しげに細められている。

――あれは……!

ピットははたと表情を改める。もはや反射的ともいえる動作で肩掛けカバンに手をやろうとした。だがその動作は、手錠によって遮られてしまう。勢いあまってよろめきかけた天使に、追い打ちをかけるようにして背後からエイリアンがどやしつける。

「あ……わわっ!」

手の自由が利かない中、彼はどさりと両ひざをつく。痛みで顔をしかめた彼の頭が後ろから押さえつけられ、無理やり頭を下げさせられた。

有無を言わせぬ力強さで押さえつけられる中、ピットはそれでもザリガニのエイリアンを横目で見上げ、強気な笑みを見せる。

「礼儀がなってない、って……?」

「おい」

やや久しぶりに、意味の通る言葉を耳にした。

だが、その声の主は玉座にいる紫色のガーゴイルではない。そちらに首を巡らせると、玉座の傍ら、まるで用心棒のような立ち位置で壁際に立っている人物の姿が見えてきた。

銀の毛並み。狼の顔をした隻眼の獣人。彼の顔にもまた見覚えがあった。

「サル。この船に何の用だ」

彼は無愛想な口調でそう言いつつも、怪しむように目を細めていた。

ピットはここが船の中であるという事実に反応するよりも、“サル”と言われたのに腹を立て、すぐさま言い返す。

「僕は猿じゃないぞ! この翼を見ろ!」

「だったらなんだ。コスプレ猿と呼んでやろうか?」

「なんだよ、そっちこそシベリアンハスキーの癖に」

これを聞いた相手は思わず壁から背を離し、食って掛かる。

「オオカミだろうが、どっからどう見ても!」

すっかり乗せられてしまったことに気づき、そこで隻眼の狼男は長い溜息を挟む。

「……ったく呑気な野郎だ。調子が狂っちまった」

そう言ってがしがしと頭を掻き、再び壁に寄りかかる。幾分最初の調子に戻してから彼は改めてこう尋ねた。

「痛い目を見たくなきゃ正直に答えろよ。お前、どこから潜り込んできやがったんだ」

「どこからって、そっちが巻き込んだんじゃないか」

「そんなわけあるか。羽付き猿なんざ拾った覚えはねぇ。大方この船が着陸した隙に乗り込んできたんだろうが」

呆れたように言ってから、狼男は天使を見据えてこう続ける。

「言っておくがな、志願兵ならお断りだ。特にてめえみたいな青二才は足手まといにしかならねぇからな」

冷たく言い放たれた言葉に、天使は少しも怯まなかった。

「へぇ、笑わせないでよね。僕からしたら君の方が――」

そう言って片足をついて立ち上がりかけた矢先だった。

銀の狼男、そして玉座に座っていた翼竜までもがぴたりと動きを止めた。彼らは、ピットが身に着けている何かを凝視しているようだった。

ピットは彼らの視線と自分の身を見比べ、どうやらそれがエインシャントから貰ったバッジらしいと勘づく。

しかしこれがどうかしたのだろうか、と考えていたピットに、狼の獣人が唸るような低い声で詰問した。

「てめぇ……『亜空軍』とどういう関係があるんだ。あいつらのスパイか?」

怒りさえ混じったその声。

天使は、謂れのないことにただただ口をぽかんと開け、固まっていた。

次の瞬間、弁解も、釈明の余地も与えられず、手狭な室内をびりびりと震わせて翼竜の雄叫びが響き渡る。

ずらりと生えそろった牙を剥き、獰猛にして残忍な憤怒を全身から発散させながら玉座から立ち上がった彼は、荒々しく床を踏み鳴らしながら歩いてくる。

人の背丈を優に超える翼竜。文字通り手出しできない天使の目の前までやってくると、彼は大きく片手を振り上げた。

引き裂かれる――そんな恐怖さえ覚えた次の瞬間、右肩の辺りを乱暴に叩かれるような感触があった。

恐る恐る目を開ける。あるべきバッジはそこになく、緩んだストールが肩から垂れ下がりそうになっていた。

一瞬、エンジェランドで彼の帰りを待っているであろう女神の顔が脳裏によぎる。そして、バッジを渡された日に告げられた、女神の声も。

『それを無くしたらエンジェランドに帰って来られなくなりますから、絶対に無くさないこと。分かりましたね』

口の端を引きつらせ、目を見開き、ピットは急いで立ち上がった。踵を返して去っていこうとする翼竜に、懸命に抗議する。

「……! 返せ! それが無いと……」

いきなりの行動に、流石のエイリアン達も遅れて反応し、慌ててハサミのような腕や鎌で進路を遮る。それすらも目に入っていないかのように押し通ろうとする天使。

血相を変えたピットを振り返り、訝しげに一瞥した翼竜の異星人。彼が必死の形相でいるのを見ると、にぃっと嫌味ったらしく口の端を吊り上げて笑い、手に持ったバッジをこれ見よがしに見せびらかす。

翼竜は悠々と背を向け、玉座まで歩み去っていきながら、そのまま空いた方の手で甲殻類のエイリアンに指示を出した。

言葉を交わす必要もなく、エイリアン達は再びピットの両脇を固め、無理やり引き摺るようにして廊下の方へと押しやっていく。

金属の床に靴を滑らせながらも、ピットは必死に、キーパーソン達に呼びかけていた。

「まっ……待ってよ、話を聞いて! 僕は君たちに……!」

しかし隻眼の獣人は取りつく島もなく、鼻で笑う。

「話なら後でたっぷり聞いてやる。“取り調べ”が済んだらな」

意味ありげな言葉を最後に、話は終わりだとばかりに彼はそっぽを向いてしまった。

いよいよ部屋の出口が近づき、ピットはそれでも諦めきれずにいた。歯を食いしばると、ザリガニエイリアンのハサミを何とか振りほどこうとする。

暴れた勢いで彼の肩掛けカバンが振り回され、中から一通の手紙がひらりと落ちていったが、キーパーソンを一心に見つめていたピットは気づかない。

「今じゃなきゃだめなんだ! 手錠をはずしてよ、ウルフ――ウルフ・オドネル!」

閉まりかけた扉の向こう、狼の顔が確かな驚きをもってさっと振り返ったのが目に入るも――それを最後に、分厚い扉は閉じられてしまった。

 

 

 

冷たい金属の壁に預けた翼が、すっかり冷えてしまっていた。

天使はのろのろと姿勢を変えて、壁から背中を離す。その動作でストールが滑り落ちかけるが、ピットはそれを見もせずにつかんで止め、おざなりに肩に載せた。

バッジを失ったタイミングで、神器を呼び出す『収納術の奇跡』は使えなくなっていた。他の奇跡と同様、バッジを介して効力を発揮していたのだろう。

こうなってしまえば丸腰の人間とほとんど同じ。できることは限られている。

 

天井の辺りをぼんやりと眺めていた彼は、ふと思い出したようにつぶやいた。

「――亜空軍」

マホロアのフードの“ツノ”が、まるで耳のようにぴくりと反応した。

すぐさまくるりと振り返った彼の目は、感激できらきらと輝いているように見えた。

「ヤ~ット喋ってクれたネェ! ボク、てっきリ喋れないノカと思っちゃってたヨォ~」

まるで、生まれたての小鹿が立ったかのような感動ぶりだ。オーバーすぎるリアクションに若干戸惑いながらも、ピットはこう返す。

「喋れないと思ってたのに、あんなにしつこく話しかけてたの……?」

そう言われたマホロアはむっと半眼になり、ひらりと白いマントを翻してそっぽを向き、腕のない姿で腕組みのような仕草をした。

「シツコイだなんテ、まったくシツレイしちゃうネ。キミが落ち込んでルノを見て、放っておけなかったんダ。ボクはあくまでシンセツにしてアゲヨウと思ッテ、見ず知らずのキミに話しかけてたんダヨ?」

「はぁ……それはどうも。でも、そっとしておくって選択肢でもよかったと思うよ」

「そんなコト言っちゃっテェ~。何か悩ミがあるんでショ? ボクが聞いてアゲルヨ」

と彼は、こちらが了承もしないうちからふわりと隣にやってきて、ピットの顔を見上げた。

考えてみれば、彼の方が先にここに閉じ込められている。もしかしたらこの船のことについて、何か知っているかもしれない。

「……悩みっていうか、分からないことだらけなんだ」

ピットはそう切り出した。

「まず、『亜空軍』って何なの?」

「アクウ軍だネ? ボクもこの目で見タことはナイんだケド、ドウヤラこの船のヒトたちが戦ってル相手みたいダヨ。ボクのことを見張りに来ル、ブッソウな連中が立ち話で言ってたンダ。アクウ軍が逃げ回ってルのをズット追いかけてるんだケド、なかなかヤッツケられないんダッテ」

逃げている、というところからすると、この船のガラの悪いエイリアン達が一方的に襲い掛かっているだけなのだろうか。

そう思いながら、ピットはこう尋ねる。

「ふーん、そうか……じゃあ、亜空軍は何してるの?」

「サァネェ……ここのヤツら、どう見ても良いヒトじゃなさそウだからネェ。もしかしタラ案外、その“アクウ軍”ってヒトたちのほうがヒーロー、ナァンテコトもあると思わナイ?」

「どうだろうな……」

ピットはマホロアから目をそらし、格子の方を見やる。

どうにも説明のつかない違和感があった。初めて聞いたはずなのに、『亜空軍』という勢力には親近感を覚えることができなかった。自分が亜空軍と同列に語られることにも、何としてでも否定したいという憤慨が湧く。だが彼自身には、その理由が皆目見当もつかないのだった。

――昔……いつか、どこかで戦ったことでもあったのかな。

それは彼がおぼろげにしか覚えていない、キーパーソン達との記憶と関わりがあるようにも思えた。

 

ふと、そこでピットは格子の向こう側、天井の辺りに注意を向ける。

いつの間にか、鈍い音とともに天井のパネルが一枚、わずかに揺れていた。

――なんだろう……?

出し抜けにそのパネルが上に引き上げられたかと思うと、すっとスライドして天井裏に消える。

 

暗がりの奥から、何か大きな影が落ちてきて、猫が着地するかのように音もなく降り立った。

 

目の錯覚だろうか。ピットは思わず自分の感覚を疑い、格子の向こう側を凝視していた。

それは、藍鼠色の戦闘服に身を包んだ、大柄で筋肉質な男。あれだけの体格がありながら、彼は天井から降りて床に着地するまでの間に、ほんのわずかな音も立てなかった。

 

だが男は、確かに実体を持っていた。片膝立ちになり、片手を床についていたところから顔を上げると、油断なく室内を見渡す。

看守が不在であること、牢屋のほとんどが空であり、一個しか使われていないことを確認した彼の目が、囚人二人に向けられる。

茶色の頭髪、額に締めたカーキ色のバンダナの下から、鋭い目がこちらを観察していた。

彼は、それと分からないほどに天使の方を少し長く見つめていた。やがて、冷静な声でこう切り出す。

「どうやら部屋を間違えたらしいな……お前たち、ハリウッド映画の撮影中か?」

「これが『大脱走』だと良いんだけどね」

ピットの出で立ちからそんな返しが来るとは思っていなかったらしく、男はちょっと意外そうな顔をした。

「『ショーシャンク』の方がまだ良いんじゃないか? ……いや、どっちもどっちか」

そう言って彼は立ち上がり、ちらと扉の方を見やる。人の気配がまったくしないことを確認してから、彼は牢屋の二人に向き直った。

「ここには用事がない。悪いが、トンネルの手配はそっちで何とかしてくれ」

背を向けようとする彼に、ピットは急いで立ち上がり、声をかける。

「待って!」

ぴたりと足を止め、こちらを振り返った髭の顔に天使は真剣な眼差しを向け、こう問いかけた。

「僕に見覚えない……?!」

「無い」

きっぱりと答えた。

だが、彼の言葉はそこで終わりではなかった。

「――と言いたいところだが、天使相手に嘘をつくわけにはいかないな。だが正直、見かけたはずもないんだ。俺は啓示を受けるほど信心深くもなけりゃ、天国に行けるほど清廉潔白でもない。……まぁ、死にかけたことならいくらでもあるが」

やはり思い違いではなかった。ピットはわずかばかりの安堵を覚えつつも、格子越しに歩み寄る。

「僕に少しでも見覚えがあるなら、『ここから助けて』とは言わないからさ、せめてこの手紙を受け取ってよ」

「手紙……?」

男は怪訝そうに繰り返し、踵を返すと牢に近づいた。ある程度近づいたところで、牢屋を覆っていた黄緑色のバリアが消滅する。

どうやら外から近づくものがいるとバリアが消える仕組みになっていたらしい。おそらく“新入り”を閉じ込めるときや、食事を提供するときのためだろう。

ピットは肩掛けカバンを漁り、ほぼ見ずに一通の封筒を掴む。

そこでふと、思い出すものがあった。

「ちょっと待って、君の名前を当てるから」

手紙を見ないようにして目をつぶり、眉間にしわを寄せ、記憶を掘り起こす。

「えーっと、何か動物っぽい名前だったような……」

なかなかその先が出てこず、彼は格子の向こう、そこに立つ男の顔をじっと見る。

「…………あ、分かったかも! 君はスネーク――」

目を見開き、封筒を引き出してそこにある宛名を見る。

しかし、正解を目にした彼は一瞬の間を置いて、戸惑ったような表情になった。

「……これ、君の名前で合ってる?」

差し出された手紙を見た男の顔が、訝しげなものから、さっと驚愕の色に移り変わる。

「おい……お前、この手紙は誰から渡されたんだ」

バンダナの下から向けられる鋭い瞳。その剣幕はこちらに向けられたものではないと分かっていたものの、天使は思わず気圧されたように目を瞬かせる。

「え? エインシャントって人だけど……」

「エインシャント? そいつは一体何者なんだ」

「僕も知りたいよ……。少なくとも彼は自分のこと、ゲートキーパーだって言ってたよ」

それを聞いた男の顔から、ややあってふと険しさが抜ける。どうやらピットがそれ以上の事情を知らないことを見て取ったらしい。

そのまま彼は封を開き、素早く中の手紙を取り出すとその文面に目を走らせた。次第にその表情が険しくなっていく。最後まで読み終えると、彼は顎に手を当てがい、しばらくじっと黙って壁の方を見つめていた。

やがて彼は手紙を腰のベルトポーチに仕舞うと、ピットに向き直り、告げた。

「――どうやらお前に協力しなくちゃならんようだ」

「助かったよ! ここから出してくれるんだね?」

「いいや、まだだ。お前はここに残っていろ」

「そんな……! このままじゃ僕、尋問されちゃうよ!」

そうして彼は、自分が亜空軍のスパイだと勘違いされており、これから“取り調べ”が待ち受けていることを伝える。

状況を理解した男は、

「まったく世話の焼ける天使だな……」

そう言ってため息交じりに、ベルトポーチから一枚のカードを取り出した。牢屋のドアにかざすと、微かな電子音が鳴って、扉は至って従順に横滑りして開く。

戸口をくぐりながら、ピットは笑顔をみせて男を見上げる。

「ありがとう。えぇと……君のことはスネークって呼んだ方が良い?」

「そうしてくれ。……しかし、蛇と天使が手を組むか。あんたの主が機嫌を損ねないと良いがな」

ピットはこれを聞き、訝しげに眉根を寄せた。

「主って……パルテナ様のこと? 別に何も言わないと思うけど……」

「パルテナ? ……そいつは誰なんだ」

「『そいつ』なんて、本“神”の前で言わないでね。パルテナ様は、人間に恵みを与える光の女神。そして僕は、その親衛隊の隊長さ」

「……ああ、なるほど。古式ゆかしい多神教のほうだったか」

半ば自分に言うように呟くスネーク。

と、そこで彼の目が横に向けられた。

「――おい、お前まで連れていく気はないぞ」

「エェッ?! ひどいヨォ!」

見ると、ピットの後ろ、彼に続いてマホロアが外に出ようとしていた。

スネークはピットを先に進ませ、戸口に立ちはだかる。その手にカードキーがあるのを見たマホロアは慌てて、閉じさせまいというように扉にしがみつく。踏ん張る足も無いというのに、果たして意味のある行動なのだろうか。

「ボクだってアイツらに、テキトウなとこで船のソトに放り出すって言ワレテルんダヨォ? ネェ、ボクも助けてヨ!」

ピットはそれを聞き、呆れたようにこう尋ねる。

「船の外に放り出されるって……君、どんな悪さしたの?」

それに返したのはスネーク。

「大方、厄介なお荷物だと判断されたんだろう。あいつらはそういう連中だ。寄港したところで下ろしてやるほどの、最低限の道徳すら持ち合わせちゃいない」

「ジャア、キミはボクを助けてくれるンダネ?」

「そいつはどこかのお人好しに頼むんだな。悪いが俺はキューピッドのエスコートで手一杯だ」

そう言い切って、彼は片手で難なくマホロアの顔面を押して牢に戻すと、もう片方の手で扉を閉める。カードキーをかざすと、先ほどと同じ電子音が鳴って錠が閉まった。

スネークはそのまま、一顧だにせず部屋を出て行こうとする。ピットも彼の後についていこうとしたが、その背後でマホロアの声がこう言った。

「そんなツメタイこと言わないでヨォ! 絶対にジャマしないから、オネガイ、こんなカヨワイボクを置いて行かないデ……!」

哀願する声。短い間とはいえ、相部屋になった彼が思わず不憫になって振り返ってしまうピット。

しかし、スネークがこちらに目を向け、短く言い切った。

「そいつはお前の任務とは関係ない」

『任務』。その言葉を耳にしたピットの顔に、何かがよぎる。

「――それ、見殺しにしろっていう意味?」

スネークを真っ向から見据え、彼はいつになく真剣な、凄味さえ感じられる表情をしていた。

その剣幕に、思わずスネークは立ち止まってしまう。

 

二人が出て行こうとしていたドアの向こうで、地響きと共に、何か重いものが落下する。

少し遅れて、見張りの乗組員が騒ぎ、何事かと駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。あちこちで応援を呼び、見る見るうちに数を増して近づいてくる。

先に立ち直ったのはスネークの方だった。室内に素早く目をやり、隅の方に転がっていたコンテナを見つけると、両手で抱えて通路の真ん中まで持ってきた。いつもなら看守が椅子代わりにしている箱だ。ピットも彼の意図を察し、コンテナの上に登るとその先へ、スネークが元来た天井裏へとよじ登る。

彼が無事逃れたのを確認し、スネークはコンテナをおおむね元の位置に投げて戻す。

跳躍するために低く身をかがめるも、その時、彼の耳に牢の中からマホロアの含み笑いが聞こえてきた。

「イイのかナァ~ボクを置いてっテ。アイツらに言っちゃうヨォ? キミたちがどこから逃げタのかをネェ~」

しゃがんだまま、スネークは沈黙のうちにじっとマホロアを横目でにらみつける。

立ち上がり、依然として黙ったままキーロックを解除する。

そして牢の中にいるマホロアの頭をむんずと掴み、持ち上げて目を合わせ、言った。

「妙な真似はするな。少しでも俺達の足を引っ張ったら、お前は置いていく。良いな?」

「モ、モチロンだヨォ!」

若干気圧されながらもマホロアは手もみをし、にっこりと笑う。

それから彼は身体をひねって男の手を抜け出すと、ふわりと宙を飛んでパネルの穴を潜り抜ける。それからひょこっと顔を出し、クリーム色の手で手招きをしてみせた。

「ホラ、はやくはやク! アイツらに見つかっちゃうヨ!」

スネークはそれを見上げてため息をつき、改めて身をかがめると跳躍してパネルの縁を掴んだ。そのまま懸垂の要領で自分の身を引き上げる。

 

 

 

それからしばらくして、三人の姿は天井裏のダクトではなく、どうしたわけか通路内にあった。

先頭を行くスネークは足音をひそめており、常に前後に警戒の目を向けていた。その様子を後ろで見ていたピットは、思い切って彼の背に声をかける。

「ねぇ、普通にここ歩いてて大丈夫なの? さっきみたいに天井裏通らなくて良いの?」

声をひそめて問いかけると、スネークは前に注意を向けたまま、その顔を微かにしかめた。

「そうしたいのは山々だがな……」

低く静かにそう答えたきり、その先の言葉は続かなかった。

なるべくなら声も発したくない、という気配を察し、天使はそれ以上問わないことにした。

マホロアも流石にスネークの真剣さとその理由を理解しているらしく、物珍しげにあたりをきょろきょろ見回しつつも、あれから一言も喋らず、二人の後ろにぴたりとついて移動していた。

 

ピットに分かる範囲では、この“蛇”の名を持つ男は多少人並み外れたところはあったとしても、紛れもない『人間』であることは間違いなかった。

しかしそれにしては、天井裏からの登場に始まり、人間だったとしてもそのセンスにはかなり平均値を外れたものがあるように思える。今も、巡回するエイリアンの気配を誰よりも早く察知して迂回路を指示したり、彼らの立ち入る範囲を見越して待機を命じたり、もしかしたら彼らの心を読めているのではないかと疑いたくなってしまう。

 

通路の壁側、四角く出っ張った箇所にスネークがカードキーをかざした。

扉は抵抗なく開くが、その向こうは照明もついておらず、広さを推し量ることもできない。ピットとマホロアはスネークに促され、室内に踏み込む。スネークもすぐに部屋に入り、間もなく扉が閉められた。真っ暗になった室内、壁を一枚隔てた向こう側に、やがてガチャガチャという音が聞こえてくる。エイリアンの巡回だ。彼らの甲殻に銃か鎌かが当たり、歩くたびに音を立てているのだろう。

金属の床に響く音。それがだんだんとこちらに近づいてくる。暗がりに慣れない目では何を見定めることもできず、咄嗟に、ピットは後ずさりしかけた。だが、その手首をスネークの手に掴まれる。動くな、というように。

扉の向こう側、巡回の足音は――立ち止まる気配も無く過ぎ去り、遠ざかっていった。

天使はようやく、安堵のため息をつく。

掴まれた手はいつの間にか放され、自由になっていた。

「奴らはな」

暗がりの中から、スネークの声がそう切り出した。

「異変を感じない限りは、自分が用のない部屋には入ってこない」

断言したその言葉を聞いたピットは、ふと気が付いた。彼は心が読めるわけではなく、純粋な経験知によってここまでを切り抜けていたのだと。そこで、こう尋ねる。

「怪しまれちゃったらどうすれば良いの?」

「何としてでも身を隠せ」

そう答えた後、男が立ち上がる気配があって、室内に光の円錐が現れた。その源、男がその手にペンライトを持っているのが見えてくる。

彼は一応ペンライトで室内をさっと照らして安全を確認し、自ら部屋の扉の前に進み出た。だが、ドアノブに当たる箇所に手を掛ける様子はない。ピットは、男がそのままじっと待つつもりであることに気が付く。

スネークはこう切り出した。

「――この船は、“亜空砲戦艦”と呼ばれている。全長10キロを超える、常識外れの軍用艦船。だが、規模に反して乗員は少なく、破損しかかったまま放置され、使われていない区域も多く存在する。そのうちの一つに、これからお前たちを連れていくつもりだ」

頷きかけて、ピットはふとあることに気が付く。

「この船、“亜空”って付くのに、亜空軍と戦ってるの?」

「そうだな。“亜空”というのは、亜空間を航行できるという意味合いなんだろう」

「亜空間か……あの窓の外からも見える紫色の空間だね」

ピットの横からマホロアが顔を出す。

「アレ、じゃあ“砲”ハ?」

「おそらく、主砲のことだ。だが、どうも壊れたままらしく、今まで使われたのを見たことはない」

「この船、結構おんぼろなんだね」

「ホ~ント、メンテナンスがなってないヨ」

「連中からすれば、この船が飛びさえすれば良いんだろう。だが――」

と、そこで彼は表情を改め、扉の方に目を向けた。

「それでも、生き延びたいのなら奴らを侮るべきじゃない。この船では、俺の把握している科学をはるかに超えた技術が使われている。監視システムもそうだ。単なるカメラとも、センサーとも違う……何かが船内に張り巡らされている」

「もしかして……だからさっき、さっさとダクトを出て通路に戻ったの?」

「ああ。ダクトを通るなんて、普通の船員はしないはずだからな。この部屋にもあまり長居はできない」

 

 

その後も慎重に艦内を進み、時に通路の陰に身を隠し、時に室内のガラクタに潜んで巡回のエイリアンをやり過ごし、そうしているうちにだんだんと船員の数がまばらになってきた。スネークも心持ち身を起こして歩くようになっており、その様子からすると、ここが彼の言う『使われていない区域』なのだろう。

 

照明さえも頼りなく明滅している一角。壁側には扉が一つだけあった。

「着いたぞ」

スネークは、その扉のわずかな凹凸に手をかけて横に押し、手動で扉を開ける。扉の向こうに現れたのは、赤い非常灯の薄明りが満ちた小さな部屋。

促される前からピットとマホロアは室内によろよろと踏み入り、床に座り込んだ。それは足の疲ればかりではない。むしろここまでの道中、エイリアンをやり過ごすために隠れたり待機したりで休める場面も多かった。しかし、やむを得ずエイリアンとニアミスする場面も度々あったせいで、精神の方が疲れ果てていた。武装した相手に丸腰で接することが、ここまで恐ろしいことだとは知らなかった。

一方のスネークには、さすがに少しも疲労の様子はない。

彼は廊下の方をもう一度確認し、自分も室内に入った。座り込んでいるピットに合わせ、彼もしゃがみ込んだ。

「状況を整理しよう。ピット、俺はお前の仕事を手伝うつもりだ。何をすればいい」

「ああ、ええと……」

何とか頭を切り替え、ピットは肩掛けカバンの蓋を開けた。中には三通の封筒。

「僕は『キーパーソン』って呼ばれる人たちに、この手紙を配ってるんだ。さっき君に渡したのも同じだよ」

「すると、俺もそのキーパーソンなのか……?」

「そうだと思う。まあでも、エインシャントさんは『キーパーソン』っていうのが何なのか、僕には教えてくれてないんだけどね。少なくともキーパーソンの条件は、この手紙に名前が浮かび上がること。そう言われてたんだけど――」

鞄の紐を引っ張られて、そちらを見る。マホロアが中を覗き込んでいた。

「ナァンダ、ボク宛のは無いんダネ」

「あったらとっくに渡してるよ」

そう言ってから、ピットはスネークに向き直る。

「――最近、条件はそれだけじゃない気がしてるんだ。正確に言うなら、条件はそれじゃない、かな」

スネークはピットを見据え、

「“既視感”か」

ぴたりと言い当てる。

「そう。僕はこれまでいろんなエリアを巡ってきたけど、どのキーパーソンにも見覚えがあった。一人の例外もなく、必ずだよ。それにそもそも、たくさんいる人間たちの中からキーパーソンに当たる人を見つけ出せるのは、僕が――」

『ずっと昔』と言いかけて、ピットはすんでのところで言い換える。

「昔、どこかで会ったことがあるからじゃないかって。ただ、思い出せるのは顔と名前くらい。いつ、どこで会ったのか、どんなことがあったのかも全然思い出せないんだけど……」

言い換えたのには訳があった。

ピットは、自分がキーパーソンの皆とどこで会ったのか思い出せない理由を、時間の経過によるものではないかと推測していた。ピットが正常な時間の流れにいた一方で、彼らはひどくゆっくりと時が進んでいたか、あるいは何度も同じ時間を繰り返していたのではないか、と。

だがそれもあくまで推測に過ぎない。ただでさえ『自分が偽物の世界にいた』なんて衝撃的な話を聞いた後に、仮説でしかない自分の話を上乗せして彼を混乱させるのも良くないと思ったのだ。自分にとっては大した時間でなくとも、彼らにとっては一生、もしかしたら数世代にも匹敵するような時間のはず。それを、憶測にすぎないうちからむやみやたらに言って回るべきではないだろう。

ピットはそのまま、話を続ける。

「ともかく、僕はパルテナ様から、全てのキーパーソンに手紙を配るように命じられてるんだ。だからこの手紙も配り切らなきゃいけない」

それを言い終えた天使は、相手ではなく、鞄の方に視線を落としていた。

どこかキーパーソンを直視できない様子である彼の様子を、スネークは何も言わずに見守っていたが、やがてこう声をかける。

「宛先は分かってるのか」

ピットは顔を上げ、それから肩をすくめてこう答えた。

「たぶんだけど、3人ともこの船に乗ってるんじゃないかな。もともと一通だけだったはずなのに、この船に迷い込んだ後、いつの間にか増えてたんだ。きっとエインシャントが転送させたんだろうな……」

最後の言葉を、半ばぼやくようにして言いつつも彼は鞄から封筒を取り出し、広げた。

「名前が出てるのはリドリーと……後二つはまだ出てないか。あれ……?」

「どうかしたのか」

「ウルフ宛のが無いんだ。あの人、絶対キーパーソンだと思ったのに」

「『スターウルフ』のリーダーだな」

さほど意外そうな顔をせずにスネークはそう言った。

彼もウルフを目撃したときに、何らかの予感があったのだろう。それでも念のためといった様子でこう尋ねてきた。

「――キーパーソンだというのは確かなのか」

「うん。あの人も見覚えがあったし、向こうも僕のこと、見たことあるような反応だった。どこかで落としたのかな……」

「一応聞くが、手紙に発信機みたいなものは付けられてないのか?」

「無いと思う」

スネークはその返答を聞き、薄暗い室内で壁の方を眺めて考え込む。

「……まずは、あんたが連れていかれたルートを辿るしかないだろうな」

そして、再びピットの方を向くとこう尋ねかけた。

「さっき、手紙には『名前が浮かび上がる』と言っていたな。空欄の残り二つは、あんたが本人を目の前にしないと埋まらないのか?」

天使はこれまでの任務を思い返してからこう答える。

「いや、名前を聞くだけでも良いはずだよ」

「そうか。……とはいえ、リドリーがすでに出ていて、ウルフがここに無いのなら、俺もあと一人しか心当たりは無いな」

「それって?」

「ガノンドロフ。この船を取り仕切る、『反乱軍』の長だ」

その名を聞いた天使は、わずかに目を見開く。脳裏によぎる閃光、イメージ未満の色と形。

少しして我に返り、一通の封筒に名前が出ていることを確かめた。

「……ビンゴだね」

「名前が出ている分だけでも配りに行こう。その二通は俺が預かる」

そう言って、スネークは黒いグローブに包まれた手を差し出した。その手と、相手の顔を交互に見てから、ピットは戸惑いもあらわにこう尋ねる。

「預かるって……もしかして君が渡しに行くの? それじゃダメなんだ。必ず僕から渡さなきゃ……」

「それは依頼人の指定か?」

「うん。“ゲートキーパー”直々のね」

「……」

スネークは室内の何もない方角を見つめ、難しい顔で考え込む。

一方、ピットは彼の様子を伺うように、遠慮がちにこう付け加えた。

「あと、問題がもう一つあって……僕がエンジェランドに戻るために必要なバッジがあるんだけど、それをリドリーに取られちゃったんだ。なんか亜空軍を疑わせるものだったらしくて……」

「それも取り戻す必要があるんだな」

「そうなんだ。ちなみに、あれが無いと武器も取り出せなくって……」

それを聞き、スネークは少しの間を挟むとこう尋ねる。

「確認したいことがある。ピット、今までお前が手紙を配った相手で、お前に最後まで従わなかったやつ、あるいは反抗してきたやつはいたか?」

ピットは少し考えてから、首を横に振る。

スネークはそこでこう言った。

「分かった。なら、こうしよう。まずは俺がこいつ――リドリーを探す。行動範囲が分かったら、その中でも比較的安全なスポットにお前を連れてきて、手紙を渡すまで俺が護衛する。バッジの在処を聞き、取り戻してから残りの二人と、ウルフへの手紙を探しに行く」

「リドリーが言うこと聞かなかったら?」

「心当たりのある場所がいくつかある。反乱軍の連中が戦利品を詰め込んでる場所だ。ただし、ならず者どもの船だからな……あんたのバッジが戦利品の山に埋もれている可能性もある。そうなれば探し出すのはコトだ」

 

それからスネークは、彼が把握している情報をかいつまんでピットに伝えていった。

この船に張り巡らされた特殊な監視網にはむらがあるという。それは艦橋や船長室のある中心部に向かうほど密になっているが、この区画のように使われていない場所になってくるとほとんど分からないくらいに薄くなる。

「だから、ここを出ない限りは見つかることはないだろう」

そう言ったスネークに、マホロアがだめ押しでこう確認する。

「ソレ、信ジテ良いんだヨネ?」

「何事にも絶対はない。だが、ここが比較的安全なのは確かだ」

「まあ、もし見つかっちゃったら僕が顔面パンチで撃退するよ」

「無理はするな。相手は元は宇宙海賊だ」

「元海賊なの? ……ああ、道理でなんか似てると思った」

彼が思い浮かべていたのは、星座を狩る一族、星賊だった。むろん、この船のエイリアン達の方がはるかに頭身も高く、凶悪な顔つきをしている。

「まして、お前たちは武器を持ってない。下手に抵抗するより、最初から見つからない方が良い。……そうだ、こいつを渡しておこう」

そう言って彼は、即席の避難所にされた部屋の一角を漁り、何か大きな箱を取り出した。

護身用の武器などではなく、厚紙で作られた箱。

「それ……もしかして段ボール箱?」

「こいつは元からこの部屋にあったものだ。万が一この部屋に踏み込まれそうになったらこいつを被れ。この箱なら、あったとしても怪しまれない」

と、スネークはそこで、ピットが難しい顔で腕組みをしているのに気が付く。

「どうした」

「いや、何か思い出せそうなんだけど……だめだ。君といえば段ボールって気がするんだけど、何でなんだろうな……」

そう言いながらも、ピットは箱を受け取った。

「それにしても、元海賊が反乱軍をやってるの? しかも、亜空軍と戦ってるなんて……どういうことだろう」

「反乱軍の成り立ちはいささか複雑でな……まず、構成員のほとんどは宇宙海賊、『スペースパイレーツ』を名乗る集団だ。本来、パイレーツの最高指揮官はあのリドリーだったようだが、それがどういう経緯か、ガノンドロフに掌握されたらしい。リドリーは今では実働部隊の隊長に就いているが、本意じゃないらしく、よくガノンドロフのいないところで荒れているのを見かけた」

「ああ、道理で……」

ピットはそう呟く。パイレーツに捕まえられ、あの部屋で出会うことになった彼は、今から思えば明らかに不満げな顔つきをしていた。

「その後はスターウルフのような傭兵を雇ったり、反乱軍に賛同した者が加わったりして、今の反乱軍に至ったようだ。……しかし賛同者といっても、元海賊と平気で手を組むような連中だ。後ろ暗いところがあるか、腹に一物抱えてるような奴しかいない」

「ほんとに物騒な連中だね。それなのに反乱軍を名乗ってるのか。なんか似合わないような……」

「あんたもそう思うだろう? 『反乱軍』というのは普通、何かしら支配する者であったり、支配しようとする者への抵抗の意を示した名称だ。ならず者には似合わない。だが、奴らがただの寄せ集めではないのも事実だ。彼らの追跡対象は、そして殲滅対象はこれまで亜空軍ただ一つ。そこからすると、おそらくあの名称は亜空軍に対する反乱を意味しているんだろう」

「じゃあ、少なくともこの船の人たちにとっては、亜空軍は止めなきゃいけない存在ってことなんだね?」

こちらの確認に、肯定するように頷きを返すと、向かいの壁に背を預けてスネークはこう続けた。

「亜空軍。連中について、俺が知っていることは少ない。奴らは亜空間を根城とする軍勢だ。主義、目的は不明。ただ、俺達が存在する通常の空間を――仮に“実空間”と名付けよう。亜空軍は実空間のどこかに現れては、『爆弾』のようなもので空間そのものを破壊あるいは奪取し、亜空間に置き換えているようだ」

これを聞き、天使は驚きに目をむいた。

「空間を……破壊? そんなこと、できるの?」

「何度か見たことがある。この船が亜空軍を追って実空間に出た時のことだ。奴らが、半径一メートルほどの球形の機械を置いたかと思うと、それを起点に、その千倍以上にもなる範囲を紫色の闇、亜空間に置き換えてしまった。初めて見た時には自分の目を疑ってしまった。あんなSFじみた兵器が本当にあるとは思えなかったんだ。だが……何度も自分の目で見た今となっては、とにかくあれが実在の脅威だと、そう信じるしかない」

そう言った彼は、『実空間』を襲った惨劇を思い出しているのか、その眉間に皺を寄せていた。

一方の天使はもはや何も言うことが出来ず、唖然として男の話を聞くばかりになっていた。

「反乱軍は亜空軍を追いかけ、彼らの行動を阻止しようとしているように見える。亜空間を自在に飛び回る彼らにこの船で追いすがり、亜空間、時には実空間内で交戦することもある。実空間側の現地に人々がいた場合、反乱軍は亜空軍を撃退したことで感謝され、金や食料、様々な資源を受け取ってきた。……ちなみに、その報酬の価値や量を指定するのはあくまで反乱軍のトップ、ガノンドロフただ一人。他の構成員が勝手に取り立てることはおろか、パイレーツとしての地を出した奴らが盗みや略奪に手を出したり、暴力沙汰を働けば――トップの命の元、厳罰が下される」

きっぱりと、そう言った。おそらく彼は、その目で見たことがあるのだろう。

「まあそれも、どうやら表沙汰になった場合に限るようだがな。……しかし、反乱軍の本分は略奪や報酬じゃない。これまでにも報酬の発生しない状況で交戦することが多々あった。その状況から考えると、反乱軍が亜空軍と交戦している理由は富や名声などではなく、上層部の、あるいは最高指揮官の……ガノンドロフの個人的な確執なのかもしれない」

ピットは、眉根を寄せて難しい顔をし、しばらく黙って考え込んでいた。

ここまでのくだりを、彼なりになんとか噛み砕こうとしていたのだ。一度に聞くにはいささか膨大な情報ではあるが、これからこの場を切り抜けていくには何一つとして取り零しは許されない情報だというのも分かっていた。

「……ここでは二つの勢力が戦ってる。空間を壊す亜空軍、そしてそれと戦う反乱軍。亜空軍は人々を脅かしているけど、だからといって反乱軍も真っ当な人たちってわけじゃない……。それなのにずっと同じ目標に向かって戦い続けてるってことは、何か訳があるのかな。例えば……ガノンドロフって人は亜空軍に、自分の国を滅ぼされたとか……?」

天使の言葉を聞き届け、男は肯定するように頷いた。

「損得を二の次にしてまで追いかけ続けているようだからな。そのくらいの事情があってもおかしくはないだろう」

 

一通りの情報を伝え終え、質問が無いことを確認すると、スネークは装備を確認してから、

「何があってもそこを動くんじゃないぞ」

そう言い含めて身を起こした。

その背に、ふと天使は気づいて声をかける。

「……スネーク、君はそれで良いの?」

男は若干訝しげな顔で振り返る。

「どうした」

「君は、亜空軍でも反乱軍でもない。たぶん、君は何か目的があってこの戦艦に忍び込んでるんだよね」

「今の俺の目的は、元いた場所に帰ることだ。お前はお前がすべきことに集中しろ」

スネークは表情を少しも変えず、冷静な口調でそれだけを答え、開かれた扉の向こうに姿を消した。

 

 

 

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最終更新:2022-10-02

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