気まぐれ流れ星二次小説

星は夢を抱いて巡る

第5章 老いをもらたす者 ③

 

 

 

それからしばらく経ち、やがて、スネークからのゴーサインが出た。

ピットは倉庫を出て船内の通路を歩きつつ、スネークからの通信に耳を傾けていた。その顔には幾分、いつもの明るさが戻っていた。

『いいか? 俺が伝えたことをちゃんと守るんだ。無用な戦闘は――』

「――無用な戦闘は避ける。周りの気配に常に気を配り、焦らず行動する。見つかる前に隠れる。それから、ダクトには入らない、だよね」

ピットはその先を取ってすらすらと答えた。このルールは、別行動をとる前に復唱までさせられたのだ。

通信の向こうでスネークが笑う。

『やるな。だが、言うだけなら誰でもできる。俺のところまで無事に来れたら満点をつけてやろう』

「実地試験ってことだね。あ、先生、一つ質問していい?」

『なんだ』

「ダクトに入らないっていうの、何か理由があるの?」

『“センス”だ。お前には未だ、どこから監視網が張られているか分からないだろう』

「例の“特殊な監視システム”のこと?」

そう言って、ピットは軽く辺りを見渡してみる。

「まあ……そうだね、ぴんと来ないよ」

『それが分からないうちは、不用意に妙なルートを通らない方が良い。あくまで自分は普通の船員だという足取りで歩け』

潜入任務については向こうの方がはるかに先達だ。ピットは素直に頷く。

「分かった」

通信の向こう、スネークの声がふとこう言った。

『……ああ、それともう一つ』

「なに?」

『周りが騒がしくなったとしても、様子を見に行ったりするなよ』

「野次馬するなってこと……? 大丈夫だよ、こんな状況でそんなことしないよ」

戸惑い気味でありながらも、ピットはそう返した。通信の向こう、幾分安心したような相手の声がこう言う。

『――そうか、なら良い』

まだ何かを隠しているようではあったが、強いて聞くほどの緊急性も感じず、どうすべきかと迷っているところで通信は向こうから切れてしまった。

そこで、ピットはふと横に目をやる。

ついてこいとも言っていないのについてきているマホロア。だが、明らかに不満げな様子で半目になっていた。

「そんな顔するならどこかに隠れてれば良いのに」

「安全ナ場所なんテ、コ~ンナ状況でアルわけナイジャン。キミのソバにいた方がマシダヨ」

この返答を聞き、ピットは思わず呆れかえってしまった。

「またそうやってひと任せにして……」

 

艦内には、以前聞いたものとは調子の違う、低く長く唸るようなサイレンが響いていた。

反乱軍での共用言語なのだろうか、時折未知の言語も混じっている。状況からすると、おそらく出撃準備と言っているのだろう。

すでに多くの乗組員が出発していったのか、ピットが進む辺りの廊下は明らかに人影もなく、しんと静まり返っていた。自分の足音だけが微かに響き、遠くのざわめきの中に溶け込んでいく。

真っ先に緊張が解けたのはマホロアだった。

「マッタク、ひと騒ガセダヨネ。あのオジサン、散々ボクらをおどかしてタケド、ナァンテことないジャン」

「君には言ってないと思うよ。でもこのままついてくるつもりなら、ちゃんと大人しくしててよね」

「ハイハイ」

マホロアは投げやりな返答をした。自分の目論見が外れつつあるからだろうか、だんだんと地が出てきたようだ。

ここまで言われてなおも勝手な真似をするようならそこまでだ。そう思いつつ歩いていたピットは、ふと足を止めた。無意識のうちに身構え、耳を澄ます。

間違いない。通路の向こう、分岐路の左から聞き覚えのある声が響いてくる。

通路の前後に誰もいないことを確認し、彼は急いでそちらへと向かっていった。

 

彼らは出撃ゲートらしき広大な部屋、三階分が吹き抜けで繋がった、その天井に近い非常用通路に出た。

手すりを隔てた眼下には流線型の、生き物とも機械ともつかない黒光りする物体がいくつも整然と並び、見ている間にもパイレーツ達が乗り込んでいく。準備の整った“機体”から次々と発進し、青い炎を尾部に灯して向こう側の外へ――暗紫色の亜空間へと飛び込んでいった。時々間の悪いタイミングでかち合い、パイロット同士がコクピットを開けて怒鳴り合っている様子も見える。

異質な戦闘機の群れを見おろし、マホロアは身震いする。

「ウヘェ、なにアレ。アレが船ナノ? 信じられナイ」

一方のピットはというと、戦闘機にはあまり関心を向けず、声の聞こえてきた方向を探していた。

天井にこだまするざわめきの中、我知らず息を凝らして聴覚に全神経を集中させる。

再び、今度は別の声が聞こえてきた。

「これはこれは。誰かと思えば、臆病者揃いの『スターフォックス』じゃねぇか」

ピットは急いで振り返る。

その視線が下に向く。同じ声が続けてこう言った。

「ライラット系が誇る英雄サマも、すっかり落ちぶれたもんだな」

「どういう意味だ?」

フォックスの声がそう言った。

「おい、聞いたかお前ら。『どういう意味だ』だとよ」

ウルフが誰かに呼びかける声がし、複数人の声が笑うのが聞こえてくる。

方角に間違いはない。パイレーツ達に見つからないよう身をかがめつつも左右を伺い、下の階層に降りる梯子を見つけると、そこに駆け寄っていった。

梯子には手を掛けず、床に膝をついて屈みこむと、階下に気づかれないよう十分に用心しながら穴を覗き込む。

 

パイレーツ達とは種族の違う人々。丸く切り取られた視界に辛うじて、彼らの姿が映る。

銀色の狼男。今回、彼はその後ろに仲間らしきカメレオンの獣人、黒豹の獣人を連れていた。おそらく彼らが、スネークの言っていた『スターウルフ』の構成員なのだろう。

彼ら二人がそれぞれに、あざけるような、あるいは澄ました顔で笑う先には――

思わず、ピットは声を殺しつつ小声でその名を呼ぶ。

「フォックス、ファルコ……!」

彼の声は、階下の騒がしさに紛れて届かない。彼が一心に見つめる先、ウルフと向き合い、下げた拳をきつく握りしめたフォックス、腕組みをしつつも険しい表情をしたファルコの姿があった。

彼らの厳しい視線を、平然と真っ向から受けていたウルフ。ふと辺りを見て、パイレーツ達が武器をもって近づいてくるのに気づくと、苛立ちで牙を剥き、彼らを一喝した。

「手ェ出したら容赦しねぇぞ。こいつらはオレらの獲物だ! てめえらはさっさと出撃準備に取り掛かれ」

背丈で言えばウルフよりも大きな彼らが、途端にクモの子を散らすように一斉に立ち去る。

邪魔者がいなくなったところで、ウルフは悠々とフォックス達に向き直った。

「フン……なるほど、読めたぜ。その腑抜けた面、どうやらお前らには救援要請すら来なかったようだな」

その見下したような笑みをふっと消し、

「知らねぇってんなら教えてやる。耳の穴かっぽじってよぉく聞けよ」

彼はその隻眼で真っ向からフォックスを見据える。

「“亜空軍”だ。……奴らが突然、ライラット系に攻め込んできた。宣戦布告も何も無し。爆弾をあっちこっちに仕掛け、一方的に“空間ごと”全てを食いつぶし、得体の知れねぇ“亜空間”ってところに置き換えていきやがった」

唖然とし、何も言えずにいるフォックス達。

言葉を失ってしまった彼らを見て、黒豹の男が憐れむように笑い、やや気取った仕草で肩をすくめる。

それからウルフの言葉に補足するようにこう言った。

「コーネリア防衛軍は例によって例のごとく、防戦一方だったよ。でも今回ばかりは彼らを笑えない。亜空間の前では、どんな攻撃も吸収されてしまうらしくてね。いくら追撃しようとしても、亜空軍はすぐに亜空間に逃げ込んでしまうから大したダメージを与えられなかったのさ」

彼の後を継いで、ウルフが再び口を開く。

「防衛軍の奴らがグダグダやってるうちに、あっという間にコーネリアは亜空軍に包囲されちまった。着陸されたら最後、星は“爆弾”でズタボロにされる。……まぁ、オレ達にとってみりゃどうでも良かったんだがな。指名手配を掛けてくる連中が勝手にくたばってくれるんなら幸いだと、サルガッソーから高みの見物をしていた」

「おいおいウルフ、オレは勘定に入れないでくれよ。コーネリアには行きつけのバーがある。オレの帰りを心待ちにする、見目麗しきお嬢さん方もね」

黒豹の男が口を挟む。彼の気障な口ぶりは仲間内でも呆れられているのだろうか、カメレオンの男がうんざりしたようにこう言ってきた。

「貴様の趣味はどうでもいい」

ウルフの方も何事も無かったように、そのまま話を続ける。

「――ライラット系の頼みの綱は『スターフォックス』、お前らだった。そりゃ当然だろうな、お前らは確かにアンドルフを退け、アパロイドも駆逐した。華々しい活躍だけ見りゃ、ライラット系の英雄だ。誰もがお前らのチームの名を呼び、助けが来るのを今か今かと待ち望んでいた。だが……お前らは来なかった」

そこで、黒豹の男が横からこう言い添える。

「音信不通だとか、防衛軍と不仲だって噂もあったかな」

「そうこうしているうちに、亜空間を突き抜けてこの戦艦が姿を現した。新手の亜空軍かと思っていたが、妙なことに戦艦は亜空軍に向けて砲撃を食らわせ、追い払おうとし始めた。……しかし、どっからどう見たって数が足りねぇ。『反乱軍』と名乗る謎の戦艦は、コーネリアがある程度の戦力を持っていると見て、物資と加勢を要求した。だがあの防衛軍じゃ明らかに力不足、亜空間から延々湧き出てくるエイリアンどもの前じゃ焼け石に水だった。そこでコーネリアの制服連中は余所から応援を頼むことにした」

「でも相手は未知の技術を操るエイリアン。亜空間に引きずり込まれたら最後、帰ってくることはできないとも言われていた。だからコーネリアがどれだけ報奨金を上げても、賭けに打って出る勇者はいなかったみたいだ。まぁ、君達ほどの腕前を持つ戦闘機乗りはそうそういないからね。オレ達を除けば」

最後の言葉を付け足すと、黒豹の男はにやっと笑う。ウルフも当然と言いたげに鼻で笑った。

そこで、これまでほとんど喋っていなかったカメレオンの男が口を開く。

「……貴様らに見せてやりたかったぞ。コーネリアのお偉方が不承不承、私達に頭を下げる様をな」

彼は元から細い目をさらに細め、口の端を吊り上げて嘲り笑っていた。

黒豹の男も笑い、肩をすくめて首を横に振る。

「大変な戦いだったよ。でも、得るものも大きかった。驕れるものは久しからず……今じゃオレ達、『スターウルフ』がライラット系の救世主、そして『反乱軍』の花形部隊なのさ。もしかしたら今ごろ、君達の名前は忘れられちゃってるかもな」

彼らの言葉を締めくくるように、最後にウルフがこう言った。

「そういうことだ。お前らがどこをほっつき歩いていたのかは知らんが、ライラット系に帰っても、お前らの帰る場所はないと思えよ」

 

これに、まず言い返したのはファルコだった。

 

翼のような手を固く握りしめ、憤慨もあらわに『スターウルフ』に詰め寄る。

「さっきから黙って聞いてりゃ、亜空軍に反乱軍だと?! でまかせ言ってんじゃねぇ! 第一な、俺達はずっとライラット系にいたんだ。お前らの言う『亜空軍』が攻めて来たんならすぐに分かる」

スターウルフの面々も、耳を疑ったように眉間をしかめる。カメレオンの男がこう返す。

「貴様らの目は節穴か? 愚かな……この状況を見ても信じないというのか」

黒豹の男も進み出て、手元の小さな装置を起動させた。彼の手のひらの上に、緑色に光る立体的な幻が浮かび上がる。遠くてよく見えないが、何かの映像だろうか。

それを最後まで見終えないうちに、愕然とし、首を横に振るフォックス。

「そんな、そんなはずは……。確かに俺達がいたのはライラット系だ。コーネリアにも定期的に立ち寄っていた。こんなニュースは一度も……」

「だとしたら、お前らは騙されたんだろうよ」

遮って、ウルフがきっぱりと言った。

「ライラット系だけじゃねェ。奴ら、亜空軍はそこらじゅうの銀河や星系を手当たり次第に食い散らかしてやがる。つまり、そのくらいの力は持ってるってことだよ。あいつらの技術力はこっちの数世代くらい先を行ってるらしいからな。お前らの通信を遮断したり、目くらましすることくらい訳ねぇだろう。技術力といやぁ、極めつけがあのクソ忌々しい“亜空間爆弾”だ。信じられるか? ライラット系の科学者が束になって掛かっても、起爆を止める手立ては見つからずじまいなんだとよ」

黒豹の男がこれに頷き、こう続ける。

「そう。コーネリア防衛軍の科学研究所でも弱気な声明が出されていたな。『現状で太刀打ちできる兵器は無し、メカニズムも分かりません、このままじゃ我々は一方的に殴られっぱなしになるでしょう』ってね。でもたった一つの希望、亜空間を自在に出入りできるのが、この『亜空砲戦艦』。オレ達の雇い主はこの船を旗印に、反撃の狼煙を上げたんだ」

ファルコは苛立ちを顔に見せつつも、腕を組んで鼻で笑う。

「で、あんたらは反乱軍側について正義の味方気取りか? へっ、似合わねぇったらありゃしねえ」

すぐさまカメレオンの男がこう返す。

「せいぜいそうやって囀っていろ。貴様にはそれがお似合いだ」

「んだとォ?!」

ファルコが食って掛かる一方、ウルフは肩をすくめて失笑する。

「正義の味方? 違うな、オレ達の目当てはあくまでカネだ。良い商売だぜ。反乱軍で戦ってりゃ、助けた奴ら、向こうの方から進んでたんまりと金目の物をよこしてくるからな」

「君たちがお留守にしてたお陰で、こっちはずいぶん潤ってるよ。なんならスターウルフの下部組織として、君たちを雇ってあげても良いんだぜ?」

そう言って余裕の笑みをみせた黒豹の男に、

「ふざけんな! 誰がお前らなんかに……!」

嘴を食いしばり、こぶしを握り締めるファルコ。

ウルフは全く相手にせず、

「さぁて、ずいぶん時間を食っちまったな。お前ら、亜空軍がお待ちかねだ。行くぞ」

踵を返そうとする。

「――ウルフ!」

フォックスが呼び止めた。スターウルフの他二人が歩み去る中、訝しげに振り返った彼にフォックスは言った。

「本当にそう思うのか? 騙されたのは俺達の方だけだと」

「あァ? 何言ってやがる……」

「ウルフ。自分たちがいつから亜空軍と戦っているのか、覚えているか」

「いつからだと? そんなことを聞いてどうする」

「俺は『覚えているか』と聞いたんだ」

ウルフは、しばらくフォックスを見据えたまま動かなかった。

沈黙を破ったのはサイレンの音。戦闘が次のフェーズに移ったのだろうか、より緊迫感の増した音に、ウルフはサイレンの聞こえてきた方角を見上げる。

フォックスを一瞥すると、彼は鼻を鳴らして、結局何も言わずに去っていってしまった。

 

遠ざかっていく彼の背を、何も言わずにじっと見送るフォックス。その横から急に、ファルコが駆け出て行く。

「……ファルコ?! どこ行くんだ」

「決まってんだろうが、アーウィンのところだよ! あいつら、好き勝手なこと言いやがって……亜空軍だろうが何だろうが、一暴れしなきゃ気が済まねぇ!」

そう言い残して走り去っていく。

「待てよ! お前まで乗せられてどうするんだ!」

フォックスの呼び止めも聞かず、彼の姿はどんどん小さくなっていき、角を曲がって見えなくなってしまった。

彼の足音が小高い天井に反響し、淡いこだまを残していく。

気づけば、あたりはいつの間にか静かになっていた。戦闘機はすべて発進し、パイレーツの姿ももうどこにも見当たらない。

それをキャットウォークから見ていたピットは、決心を固め、梯子に足をかけて降りていった。最後の数段はもはや踏まずに飛び降り、両足を揃えて着地する。

そのまま彼方に見える狐の隊長を目掛けて一心に走っていった。

「フォックス!」

こちらの声に彼は耳をわずかに立て、振り返る。驚きに続いて、安堵の入り混じった表情になる。

「ピット! よく無事だったな」

彼からすれば、ピットがエリアを引き裂いた謎の裂け目に吸い込まれて以来、ようやくの再会だ。

「まあ、何とかね。それより……ファルコ、連れ戻さなくて良いの?」

「ああ。あいつは……ああなったら止められない。それにそもそも、俺が無理に連れ出したところもあるからな……」

力なく首を横に振り、フォックスはファルコが去っていった方角を見やる。

「あいつ、今日のミッションには乗り気じゃなかったんだ」

「それって――」

ピットはためらいがちに聞きかけたが、折り悪くフォックスが振り返り、こう切り出したのと被ってしまった。

「――ピット、すまない。君を見つけたらアーウィンで脱出するつもりだったが、ウルフの話が正しいなら、唯一出る手段はこの戦艦しかない。どこか“外”に降りたタイミングで脱出しよう」

「ああ、えっと……それなんだけどさ、追加で配る人が増えちゃって」

そう言いつつ、ピットは肩掛けカバンの蓋を開け、中の封筒を見せる。

今回は一枚だけだとピットから聞いていたフォックスは、自分の目が信じられない様子で目を瞬く。

「どういう仕組みだ? エインシャントが転送させたのか……?」

ピットに問うというよりは、自問するような調子で呟いた。

肩をすくめ、ピットは声を落としてこう返す。

「そんなことができるなら、僕らもここから脱出させてほしいとこだけどね……」

「チョット、ボクを置いテ行かナイデヨ!」

その声と共に、マホロアがキャットウォークからふわりと降りて来た。

不可思議な姿の生き物を前に、フォックスは鞄の中を見た時よりも驚いているようだった。

「ピット、君の知り合いか……?」

彼に向けて、マホロアは完璧なまでに純真な笑顔を見せて手を振る。

「ヤァはじめましテ! ボクはマホロア。ピットとはこの船で出会っテ、すっかり意気投合――」

その先を言わせず、ピットはぴしゃりと遮る。

「ただのお荷物だよ」

 

 

ピットが別のキーパーソンと出会い、協力を得ていること、彼と落ち合うつもりであることを聞くと、フォックスは自ら進んで護衛を申し出た。

 

今、彼は銃を片手に、真剣な眼差しで周囲を警戒しつつ通路を進んでいる。その面持ちには、少し前にウルフ達から星系を襲った災難を聞かされていた時の動揺や懸念は、もうどこにもなくなっていた。

それが自分の個人的な心情を無理やり押し殺したようにも見えてしまい、ピットは時折ためらいがちに、横を歩くフォックスの様子を伺っていた。

フォックスの瞳が、ふとこちらに向けられる。

「どうしたんだ?」

「……あ、いや……僕は何ともないんだけど、君がさ……」

「俺のことで?」

顔を向け、こちらの話を聞く姿勢を見せた彼の手前、引き下がることなどできなかった。

ピットは心を決めて向き直る。

「君がエインシャントさんから頼まれたのは、たぶん、僕がサムスに配るまでを援護することだったんじゃない? だから、無理に付き合わなくたって良いんだって……そう言いたかったんだ」

「ああ、そういうことなら気にしなくて良い。俺たちが受けた任務は君が『手紙を配り終え』、『キーパーソンがエリアを出るまで』アシストすることだ。枚数や人数の指定はされてないし、そもそも、サムスがエリアを出たかどうかも確認していないからな」

「“任務”ね……」

ピットはふと視線を下げ、半ば自分に言うように呟く。

それから再び顔を上げ、こう続けた。

「フォックス。今、僕らは亜空間にいる。だからかは分からないけど、エインシャントさんともずっと通信がつながらないんだ。きっと君が別行動をしても、向こうには分からないよ。僕の方はスネークと何とかやっていけると思う。だから……君は自分が本当にしたいことをして」

これを聞いたフォックスは、少しの間、驚いたような顔をしてピットを見ていた。

それから、口の片端をふっと上げて笑う。

「ああ、なるほど。君はウルフ達の話を聞いていたんだな。やりたいことをやれと言うのなら、俺は君についていくよ」

「えっ……?! でも、ウルフが言ってたことは良いの? ライラット系がボロボロになってるって……」

それを問われると、彼は笑みをふと消し、自分の行く先を見据える。

「あれは『エリア』だ」

真剣な眼差しで遠くを見つめ、彼は言い切った。

だが、ややあってその眉間をわずかに曇らせる。

「正しく言うなら、あれ“も”エリアだと言うべきだな。……今日の今日まで、『エリア』っていうのは閉鎖空間――電磁バリアや異次元空間みたいな、本物の世界に造られた障壁の中のことなんだと思っていた。でも、パンサーが見せたあのニュースは作り物じゃない。だが、それでも……俺の勘でしかないが、あっちが本当のコーネリアだとは、どうしても思えないんだ」

そのまましばらく、彼は黙って歩き続けていた。その様子は、頭の中で考えを整理しているようにも見えた。

ピットも周囲の様子に気を配りつつ、彼の言葉の続きを待っていた。

二人はしばらく、金属の通路に虚ろな足音を響かせながら進む。船内のどこか遠くで断続的に鈍い音が聞こえていたが、彼らの周りにはパイレーツの気配もなく、しんと静まり返っていた。

フォックスはやがて、再び口を開いた。

「――あまりにも話が出来すぎている。聞く限りじゃ、亜空軍の狙いは人でも物でもない、“空間そのもの”のように思える。でも、おかしいとは思わないか? 宇宙全体に比べれば、人が住んでる領域は、全部かき集めたって砂粒のようなサイズでしかない。なのに、敢えて人のいるところを狙うのは妙だ。抵抗されたり、追い払われるリスクをわざわざ冒す理由が分からない」

「それってつまり……」

そう言ってから、ピットは少し考える間を挟む。

「――『エリア』なら人を閉じ込めておくためのものだから、外側のだだっ広い宇宙までは再現してない。ウルフ達のエリアに出ちゃった亜空軍は他に選びようがなかったから、人のいるところに攻めて来たってこと?」

フォックスはそれを肯定するように頷いてみせた。

「それは、亜空軍が攻めてるっていう他の“銀河”や“宙域”についても言える。亜空軍が完全にランダムに『外』に顔を出すなら、ほとんどの場合、誰もいない場所に出るはずだ。それが、現地の人々に感謝され、報酬で潤うレベルにまでなるとは思えない」

「じゃあ、亜空軍が攻めてるのは、実はほぼ『エリア』かもしれないってこと……?」

「俺がそう信じたいというのもあるがな……」

と、彼は向こうを見つめたまま渋い顔をした。それから続けてこう言う。

「これだけの船体を動かし続けられる燃料、弾薬、それに乗組員を養う食料と水。規律の行き届いた軍隊でも、補給には特に心を砕くところだ。しかし見た限りじゃ、ここでは補給は全部『外』任せ、亜空軍の出たとこ勝負だ。ここの連中は……次の補給まで節約しろと言ったって聞かなさそうだったしな」

「でも……差し引きしてもおつりが来るくらいの、とんでもない量をあちこちで要求してるのかもしれないよ」

「ああ、『亜空軍を倒せるのは自分たちだけだ』と脅かせば可能かもしれないが……心証は悪くなるだろう」

そう言い終えたときだった。通路の外から爆発音が聞こえた。

フォックスの耳が反応するや否や、彼はすぐさまブラスターを構えてそちらを向いた。

壁を何枚か挟んだ向こう側。距離を概算した彼は銃を下げる。

「――近いな。押されてるのか?」

「そうなのかな……でも、亜空軍って確か、反撃せずに逃げてるばかりだって聞いたような」

そう言っている二人の顔を見上げ、見比べていたマホロアがフォックスの腿の辺りをつつく。

「ネェ、さっきノ音、フネの中から聞こえタ気がするヨ」

これを聞いてフォックスははっと目を丸くし、ピットの方を向いた。

「……君の言っていた協力者は?」

「方角が違うと思う。今はこの船の、どっちかっていうと上の方で待ってるから」

「なら、向こうは詮索しない方が良いな」

 

 

壁に背を預け、耳を澄ませてひたすらに待つ。

ドア一枚隔てた向こう側、パイレーツの駆ける足音が騒がしく鳴り響いていた。

一団が過ぎ去り、後続の無いことを確認してピットは扉のパネルに手をかざす。微かに空気のもれるような音がして、扉は静かに開いた。彼は顔だけを覗かせ、パイレーツの背がだいぶ遠くまで離れているのを目視すると、すぐに向こう側に渡り、走っていった勢いのまま新たなドアに手をかざした。

開かれた扉の向こう側に駆け込むと、違和感があった。

次の一歩が床につかない。

「……あ、あれっ?」

ふと足元を見た彼は、はるかな距離を隔てて、下に小さく丸い床があるのを見て肝を冷やしてしまった。

だが身体は落ちることなく宙に浮かび、走ってきた勢いのままゆっくりと前に流されていく。幾分気持ちが落ち着いた彼は、今度は上を見上げてみる。“下”と同じデザインの“天井”がそこにあり、ぼんやりと白く発光していた。床も天井も同じくらい離れており、そこから考えると、おそらく今いるところは船の中層部なのだろう。

事前の打ち合わせでは、スネークはここの通路を上に、と言っていた。

だがこんな自由の利かない状態でどうやって上まで登れば良いのだろう。

頭上を見上げてそう考えていた彼だったが、そこで吹き抜けの反対側の壁にぶつかり、思わず驚きの声を上げてしまった。

遅れて通路に入ってきたフォックス。ピットの声を聞きつけて、急いで駆けつけた様子だった。

「ピット、大丈夫か?」

彼の方は慣れた様子で、通路の端を蹴ってこちらまでやってくる。

マホロアもついてきたが、彼の方は元から浮かんでいるので特に不自由ない様子だった。彼ら二人が通り抜け終えると、元の通路への入り口は自動的に閉ざされる。

「平気。ちょっとビックリしただけ」

かっこ悪いところを見られてしまって少し決まり悪そうに笑い、ピットはそれからこう尋ねる。

「ねぇ、フォックスはこの通路の使い方分かる? 僕が道を間違ってなければ、ここから上に昇れるらしいんだけど」

「そうだな、疑似重力を切ってるところを見ると――」

フォックスは辺りの様子を調べ、壁に幾つも上下に刻まれた溝の一つに手をかざしてみる。すると、溝に光が灯り、下の方から短いバーが現れてフォックスの手元までやってきた。

「こいつに掴まって移動できそうだ」

そう言って彼はピットに、空いた方の手を差し出した。

 

目的の階層までゆっくり上昇していく二人。その横を、マホロアは何にも掴まらずに自力で飛んで並走していた。

フォックスの片手に掴まり、少しずつ近づいてくる天井の明かりを眺めていたピットの耳に、フォックスの声が聞こえてきた。

「――念のため言っておくが、俺は、“エリアだったら別に良い”とは思っていないからな」

ピットは少し考えて、それが亜空軍の攻める対象を指した言葉であることに気が付く。

先ほどフォックスは、亜空軍に攻め込まれたという“ライラット系”もエリアであることを願っている、と言った。

「……つまり、それが本当の世界じゃなかったとしても、亜空軍のやってることは見過ごせないってことだね」

見上げる先でフォックスがこちらに視線を返し、頷いてみせた。

「ああ。たとえ、エインシャントが“エリア”と呼んでいる場所が作り物で、俺達がいずれ帰るべき場所が他にあるとしても、亜空軍に脅かされ、追いやられた人たちの感じている恐怖や混乱は疑いようもない、本物だろう」

その言葉に、ピットはふと目を瞬く。どこかで聞き覚えがあることに気づいたのだ。

それは、月明かりに照らされた城の中庭。紺色の髪を持つ女性剣士。手紙を受け取った彼女もまた、似たようなことを言っていた。

キーパーソンとは、おおむねそのエリアにおいて広く名の知れ渡った人物であることが多い。そしてそれには、歴とした理由がある。彼らの多くは、困っている人、助けを求める人を目の当りにした時、すぐさま助けに行くような立派な人間ばかりなのだ。

それを思い返していた時、ピットの心に、亜空軍を討ちに走っていった青い鳥人の姿がよぎった。

「ファルコはそれで行っちゃったのかな……」

思わず、そう呟く。しかしフォックスはそれを聞き、ピットから目をそらすようにして、行く先を見上げてしまう。

「あいつは……そうだな。それもあるかもしれないが……」

 

ちょうどそのあたりで目当ての階層に到着し、フォックスはレバーを傾けて上昇を止め、試行錯誤ののちに通路への扉を開けることに成功する。

流れ込んできた空気は埃っぽく、ひんやりと冷たかった。

その先に広がっていたのは、暗がりに沈んだ空間。扉が開いた時の音が淡く響き、何度も反響しながら薄れていく。辛うじて見えるのは、欄干があるだけの細長い通路。あまり普段から使われているような気配はなく、点検用の通路といった趣だ。ちょうど二人分の幅があるかどうかというくらいで、人が行き交うのにも苦労しそうだった。

フォックスはまず、ピットを先に通路へと着地させた。そして自分も、開かれた戸口から足を振り出すようにして重力をうまくつかみ、床に降り立つ。

前触れもなく、付近の通路が白く明るく照らし上げられた。光源を探すと、フォックスが小型のライトを持っているのに気づく。

眩い光の円錐の中、細かな塵が対流している。照らされた欄干の向こう側には、金属の蔦、複雑に絡み合った配管が通路の左右に広がっていた。時々メーターらしきものも、まるで実か花のようについていたが、どれもガラスが灰色に煤けていて、しばらく使われていない様子だった。

光がサーチライトのように動き、次第に通路の向こうへと傾けられていく。だが、同じような光景が続くばかりで人影は全く見えなかった。

 

そのまま何も言わずに先に歩いて行こうとするフォックスに気づき、天使は慌てて彼に追いつく。

足音が幾重にもこだまする中、思い切って問いかけた。

「ねぇ。言いにくいことなら無理に聞かないけどさ……どうしてファルコが乗り気じゃなかったのか、教えてよ」

「……あんまり聞いても気分のいい話じゃないぞ」

「構わないよ。君たちと次、いつ会えるかも分からないし、聞かないまま僕の用事にだけ付き合わせて『はい解散』じゃ、僕の気が済まないんだ」

天使から真剣な表情を向けられて、フォックスはついに折れる。

「――分かった。だが、本当なら俺から話すべきことじゃないかもしれない。ファルコの前では、あいつが言うまでは知らないふりをしてくれよ」

そう前置きをし、彼はこう切り出した。

「あいつは……俺達が、エインシャントにはめられたんじゃないかと考えているんだ」

それを聞いたピットは思わず目を丸くした。返す言葉を見失い、ただぽかんと口を開けて相手の顔を見つめていた。

一方、背後ではマホロアのどこか得意げな含み笑いが聞こえていた。『ボクが言った通リでショ?』と言いたいらしい。

ピットは先刻、マホロアにはああ言ったものの、エインシャントに対してはどこかで今一つ信じきれない何かを感じているのも事実。だがそれでも、騙されたと確信するほどの疑いを抱いたことは無かった。

そんなことを頭の中で巡らせていると、通路にこだまするフォックスの声で現実に引き戻される。

「俺たちが暮らしているライラット系は、恒星系同士や時には別の銀河ともつながりがある、文化交流の中心地なんだ。でも、そのどこにも――ああ、決して君たちのことを悪く言うわけじゃないんだが」

そう前置きして、フォックスはこう続けた。

「……毛の少なめな、猿に似ている種族はいない」

申し訳なさそうに声をひそめつつも、目をそらすことなく、ほぼ断言するように言われたその言葉、そしてその表情。彼がかなり強い確信を持っていることは明らかだった。それを確かめるように、ピットは念を押す。

「それ、確かなんだね?」

「見たことがない。俺の記憶が確かなら俺やファルコも、そしてライラット系の誰も、君たちのような種族と出会ったことはないんだ。記録にも残されていない。――なのに、俺達は君に、そして他のキーパーソンに“会ったことがある”と感じている」

行く手に再び注意を戻しつつも、フォックスは一つ一つ思い出すように語り始める。

「今まで、エインシャントからの任務で共に行動した人はみんな、ライラット系の誰もが出会ったことのないはずの種族ばかりだった。俺達は彼らと、いったいいつ、どこで出会ったのか。そこで何があったのか。なぜ、ここまで親しみを感じるのに、名前と顔の他はほとんど分からないのか。いくら思い出そうとしても思い出せない。いくら考えても、答えは見つからなかった。……俺達は疑問を抱えながらも、エインシャントには協力を続けていた。彼だけが唯一、エリアから出るための“ゲート”を作れるからな。これ以上ライラット系で手がかりを探しても、答えが見つかるとは思えない。だから、少しでも外に出れば何か見つかるはずだと期待していたんだ。だが、エリアの外には……辿り着く先々の景色には全く見覚えがなかった。彼が依頼する任務も、どれもどういう意味があるのか分からないものばかり。……少なくとも、自分が何をやっているのかはっきりしている任務は、今日が初めてだ」

「例えば……? 普段来る任務にはどんなのがあるの?」

思い切って尋ねてみると、相手は肩越しにこちらを振り向く。

「宇宙空間に漂うターゲットを、決められたルートの一巡ですべて撃ち抜くとか、攻撃をかいくぐり、ある地点まで到達するとか。そういえば、艦船を護衛し、無数に襲い掛かってくる敵機を追い払い続けたこともあったな。どんな任務もそれ自体は難しくはないんだが、自分が一体何を求められているのか、俺達が守っている相手、攻撃している相手は何なのか、一切説明を受けたことはない」

これを聞き、天使はふと視線を下げた。

「……僕も同じだ」

ぽつりと呟かれた言葉を拾い、フォックスが反応する。

「そうなのか?」

「僕も実は、何のために手紙を配ってるのか、聞かされてないんだ。……というより、『説明できない』ってパルテナ様から言われちゃってて……」

「君もそうだったのか……。だとすると、あいつの疑いもあながち当てずっぽうとは言い切れないな」

そうして再び行く手を見据え、彼はこう続けた。

「今までに同行した他のキーパーソンにも聞いてみたが、誰もが俺達と同じ状況だった。エインシャントから与えられる依頼にどういう意味があるのかは分からない。でも、受けるほかに良い道があるようにも思えない。自分のいたエリアに答えが無かったから、外に出るしかない。そうすれば、記憶と感情の食い違い、どっちが正しいのか分かるような気がするんだ、と。中には、直にエインシャントに聞いたことがある人もいた。だが、『いずれ話す、いずれ分かる』となだめられたり、『皆の為になることだ』とはぐらかされたらしい」

「でも……じゃあ、それって……」

思わず、言葉が口をついて出た。心に浮かんだ印象を、ピットは何とか捕まえ、まとめようとしながらもこう言った。

「それじゃあまるで、エインシャントがキーパーソンの……君たちの境遇を……うまく利用してるみたいに聞こえる。期待を持たせて、肝心なことをはぐらかして……」

それを聞き届けたフォックスは、ピットに頷いてみせた。

「――ファルコはそう疑っている。しかも、それだけじゃない。俺達が他のキーパーソンと出会ったいきさつを思い出せないのは、そもそもそんなことなど“最初からなかった”からなんじゃないかと言うんだ。そして……エインシャント、もしくは彼の上にいる何者かこそ、俺達をエリアに閉じ込め、偽の記憶を植え付けた張本人なんじゃないか、と」

「偽の……記憶? そんなことって……」

一層目を丸くして、ピットはほとんど呟くようにして言う。

ファルコの様子からは想像もつかなかった。まさか彼が、そんな印象を抱いていたなんて。

態度に出さないでいてくれたのか、それとも自分が気づけなかっただけなのか。頭の中で困惑が渦巻く中、その外で、フォックスの声はこう続けていた。

「記憶っていうのは要するに、特殊な細胞で作られる『回路』に記録されたデータみたいなものだ。書き出すことも書き換えることも、理論上は可能だと言われている。実際、前に、ライラット系に攻めて来た機械生命体は似たようなことをやってのけた。他人の記憶を読み取り、そっくりの声や形を作り出してみせた」

彼の言葉を聞いてもなお信じきれず、ピットは途方に暮れたようにフォックスの顔を見ていた。

「でも、こんなに見覚えがあるのに……」

「俺もそう思う。だが、ファルコにも言い分があるんだ。エインシャントは自分たちをエリアに閉じ込め、任務を受ける以外に選択肢のない状況に追い込んだ上で利用したいか、あるいは時間稼ぎをしたい。だから俺達に、『親近感を感じる他は何も思い出せない』中途半端な記憶を、わざと植え付けたんじゃないかと言うんだ」

彼はそこで一呼吸置き、通路の先を見据えてこう続けた。

「自分達が『エリア』と呼ばれる空間に閉じ込められているというのは、確かにショッキングな報せだ。だがそれだけじゃ、行動を起こす理由として弱い。何しろ、周りの何も知らない人達は特別おかしさも感じずに暮らしている。どんなに意志が強くても、たくさん人がいる中で自分たちだけが別の世界を見ているのなら、いずれは自分の目に映る方を疑い出してもおかしくはないだろう。エインシャントにとって、それは望ましくない。だから俺達に、『友人』にまつわる失われた記憶を取り戻すためというもっともらしい意義を感じさせるために……」

「時間稼ぎって、まさか……」

「まさかとは思うがな……」

そこで二人ともその先は口にできず、そろって沈黙してしまった。

だがその静寂は、ここまで二人の会話にそれとなく耳を傾けつつ付いてきていたマホロアの、場違いなまでに能天気な発言によって破られた。

「アレェ? ピット……キミ、確カ亜空軍のスパイだって言ワレてたヨネェ?」

「――ちょっと、言い方!」

むきになって振り返るピット。それから怪訝そうな顔をしているフォックスに対し、こう補足した。

「最初にこの船で捕まえられちゃった後、ウルフに会ったんだけど、彼にこのバッジが亜空軍のマークだって言われたんだよ」

「なるほど、これがか……」

眉間にしわを寄せ、フォックスはバッジをしげしげと見つめた。そのうちに彼にまで思い出されそうな気がしてきて、ピットは急いで念を押した。

「言っておくけど、僕は亜空軍と何の関係もないからね」

それからこう続ける。

「それにさ、ファルコの心配ももっともだと思うけど、考えてみたら変じゃない? もし、このバッジのデザインが偶然なんかじゃなく、エインシャントが亜空軍の一員だったとして、なんでこの手紙を配る必要があるの? 君たちのエリアには幸い、亜空軍はいなかった。だから、もしも手紙を受け取らなかったら、そして任務を受けなかったら、こうして君たちが亜空軍を知ることもなかったはず。なのにわざわざ、亜空軍がせっせと侵略してる『他の世界』を見かけるきっかけを与えるなんて」

これに対し、フォックスは悩むように眉根を寄せた。

「そのことだがな……実は、俺たちがこれまでの任務で出向いた場所には、どこにも亜空軍なんてものはいなかったんだ。他のキーパーソンの誰からも、それについて話が出ることもなかった」

これを聞き、ピットも遅れて気が付く。

考えてみれば、今まで助っ人に来てくれたキーパーソンの口からは、『亜空軍』の亜の字も出てきていなかった。近況を聞いても、おおむねピットが手紙を配りに行った頃とさほど状況は変わっていない、相変わらずだ、そういう答えをよく聞いたものだ。

「確かに変だね。ウルフ達の話じゃあっちこっち攻められてるってことだったけど……まだ亜空軍が攻めてきてない場所もあるってことかな」

「そういうとこの方が、まだ大多数なんだろう。今のところはな……」

厳しい眼差しを前方に向ける彼の表情を見ていたピットは、そこで気が付いた。彼もまた、自分が取るべき行動について、ファルコと同様の迷いを抱えているのだと。

「……それでも君は、僕を止めないんだね」

フォックスの目が、向こうを見つめたまま僅かに細められる。

「俺は信じたいんだ。君を初めて見た時に、心に感じた直感を」

そう言って彼は、無辺の闇がわだかまる通路に、小型のライトによって照らし出せる限界のその先に、じっと目を凝らしていた。

 

二人はしばらく、黙々と歩き続けていた。

彼らはそれぞれに、時折辺りに注意を向けていたが、視界に映るのは煤けた配管ばかり。分かれ道も無く、天井や床からも奇襲の気配はなかった。それでも警戒を怠らない彼らの後ろ、マホロアだけはただひとり、観光でもするような調子で辺りを眺めていた。

ピットは用心のため神弓を片手に携え、歩を進めながら、先ほどからじっと一人で考え込んでいた。

――確かに、僕が今までパートナーとして会ってきた人間たちは、『エリアからどう脱出するか』っていうことよりも、むしろ自分の記憶が矛盾してることに悩んでたり、いつまでも埋まらない穴が開いていることに戸惑ってるみたいだった。それに僕も……

そこで彼は、我知らず目を細める。

――僕も、こんなに今の任務に夢中になってるのは、そのせいかもしれない。もちろん、『エリア』に閉じ込められてる他の人間たちのことも心配だけど……一緒にいる彼らや、配る相手に感じる親近感とか見覚えとか、うまく言葉にできないけど……そういう気持ちが理由だったのかも。でも、それを利用されてる可能性があるなんて……。

神弓の柄を握る手に、余計な力が入る。遅れてそれに気づき、彼は首を横に振って行く手に注意を戻した。

その視野に映るのは道を先導してくれる仲間。茶色の毛並みに、尖った獣の耳を持つ頭。

――フォックスの言ってたことからすると、僕と同じくキーパーソンのみんなも、やっぱり『エリア』からの出入りはエインシャントさんからの依頼無しではできないみたいだ。依頼には、いつもじゃないかもしれないけど、別のエリアの人や、僕がついてくる。それを知ったら、『今は思い出せなくても、その人と一緒に行動して、会話していればそのうち思い出せるかもしれない』……誰だってそう期待する。そしてそれは僕にしても……

ピットは、そこではたと考え事を中断し、道の向こうに注意を向けた。フォックスが持っていたライトによって、行く手に丸い円が描き出されていた。真正面に立ちはだかるのは赤くさびた壁。

「行き止まり?」

「いや、扉だ。開くと良いが……」

彼は床の方にライトを当てた。

「大丈夫そうだな。一度開けた跡がある」

彼の言う通り、うっすらと埃の積もった床の上、扉から落ちた赤いさびが円弧を描いていた。

 

 

 

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最終更新:2022-10-15

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