気まぐれ流れ星二次小説

星は夢を抱いて巡る

第5章 老いをもらたす者 ③

 

 

突き当たりの錆び付いた扉。

その取っ手に手を掛けたピットは、隣に立つフォックスに目で合図を送った。壁に背を預け、ブラスターを顔の横に引き上げて構えた彼はピットに目を合わせ、一つ頷いてみせる。

ピットも頷き返し、そして扉を開けた。

 

微かに金属の擦れる音がして、幅の広い廊下が露わになる。

パイレーツがいないのを見て取り、フォックスは行く手に向けていたブラスターを下げる。

彼らの見る先、通路の一番奥には両開きの扉が待ち受けていた。そこにいて然るべき門番の姿はなく、スネークがたった一人で待っていた。

 

彼はピットがマホロアの他にも人を連れているのに気づき、訝しげに目を細める。だが、それが誰であるのかに気が付くと、その表情が静かな驚きに変わった。

スネークは、まずフォックスにこう問いかける。

「――どこかで会ったか?」

「お互いにな」

フォックスは口の片端に笑みを見せたものの、返せた言葉はそれだけだった。

思い出せない記憶を無理に探ろうとはせず、彼は割り切って片手を差し出す。

「俺はフォックス・マクラウド。遊撃隊、『スターフォックス』をまとめている」

「“フォックス”か……」

誰に言うとでもなく呟くと、スネークは握手に応える。

「スネークだ。あんたのことを思い出せなくてすまない。記憶力は悪い方じゃないんだが……」

「謝らなくて良い、俺も同じさ。でも、少なくとも犬猿の仲じゃなかったはずだ。そうだろう?」

「ああ、きっとな」

そう言って、スネークの方も笑みを返した。

 

 

それから少しして、両開きの扉から離れた通路の陰に背を預け、座っている天使の姿があった。

彼のそばにちゃっかりと座っているマホロアは、通路の角から顔をのぞかせて扉の方を眺めていたが、やがて飽きてしまったのか、つまらなさそうな顔をして戻ってきた。

「ホ~ント、扉一つにズイブン掛かってるヨネェ……。ボクらを待ってタって言ってたケドサ、先に開けといテくれてヨカッタノニ」

だが、ピットはきっぱりと首を横に振ってみせる。

「あんなとこにある扉、開けっ放しにしておくわけにいかないでしょ? あの扉の先、中央の区画につながってるんだから。開けるチャンスが一回きりでもおかしくないくらいだよ」

そう言う彼の横、少し離れた陰には、折り重なって倒れたままほとんど動かない影があった。数体のパイレーツ、あの扉の門番達だ。完全に気を失っているらしく、たまに、脚や腕が痙攣するようにピクッと動いている。

スネークがここまでの道中で宇宙海賊から武器を手に入れ、そのうちの一つを使って彼らを麻痺させたという。

 

初め、ここで待っていろと言われて移動した先に気絶したパイレーツを見つけたとき、ピットは思わずその場で固まってしまった。

『動き出したりしない……?』

スネークを振り仰いで、恐る恐る尋ねると、

『大丈夫だ。しばらくは動けないだろう。お前たちが来るまでの間、こいつらはずっとこのままだったからな』

彼はきっぱりと断言した。それから、片手に持っていたコンパクトな銃をみせ、こう続ける。

『こいつで眉間を撃った。……てっきりスタンガンだと思ってたんだが、本来はゼロ距離で使うものじゃなかったようだ』

 

そんなやり取りを思い出しつつ待っていた時だった。

ピットの耳に、あの“無線”の着信音が聞こえてきた。わずかに顔を上げるも、続いてすぐにスネークの声がこう言った。

『動くな。“何もない”ふりをしろ』

緊迫した声に、ピットはほぼ反射的に従って、何気ない風を装って床に視線を落とす。

そうしながらも、頭の中はすっかり冴え、緊張と不安が渦巻いていた。

――パイレーツに気づかれた? いや、そのわりには静かだ。気づかれたんじゃなく、気づかれそうなのかも……

しかし、そんな彼の思考を読んだかのように、続いてこんな声が聞こえてきた。

『こっちは順調だ。だが、作戦変更の必要がある。俺に合わせて動いてくれ』

詳細は話さないまま、通信はそこで途切れてしまった。

 

 

やがて名前を呼ばれて通路から出てみると、扉は未だ開いていなかった。

「フォックスと調べたが、ここは開きそうにない。別のセキュリティカードが必要なようだ」

スネークがそう言うと、マホロアがいささかオーバーな身振りでがくりとうなだれた。

「ソンナァ……せっかくミンナで力を合わせテここマデ来たノニ……!」

思わず呆れて、ピットはこうつっこむ。

「みんなって……君は別に何もしてないでしょ」

しかしもはやマホロアの方も慣れたもので、聞こえなかったふりをしてこう続ける。

「ア、待っテ! アノ扉の前にいたエイリアンなら、もしかしたラ……」

と通路に引き返そうとするのを、スネークが声で止めた。

「彼らは持っていない。俺がすでに調べてある」

「ジャアどうすルノ?」

そう聞いたマホロアの方ではなく、スネークは敢えてピットの方を向く。

「二手に分かれる。まず一つは、中央の区画に繋がる別の通路を当たることだ。あの倉庫から最短でたどり着けるのがここだったが、他にも候補はいくつかある。運が良ければ壊れたまま直されていないゲートも見つかるだろう。そしてもう一つは、セキュリティカードを持っていそうな人物を探しに行くこと。ウルフはすでに出撃したとフォックスから聞いた。後はリドリーだ」

「彼、まだ出発してなかったの?」

「ああ。あいつが強襲船を前線に出すのは、先行部隊があらかた“羽虫”を墜とし終えた頃と相場が決まっているからな。今ごろ船外で時機を見定めている頃だろう」

それから彼は続けて、ピットにこう告げた。

「俺は船外に向かう。あんたは俺と来るんだ。ついでにリドリーにも配ってしまおう」

ここまで中枢に近づいたのに戻るのか、という思いもあったが、天使は彼の判断を信じて頷いた。

「……そうだね。分かった」

「フォックスは別のゲートを探してくれ。場所は伝えた通りだ」

「了解。見つかったら通信で伝える」

そう言って彼は、頭にかぶったギアの横を指でとんとんと叩いてみせた。

そこまでで三人が散開しようとしたとき、ピットはふと、マホロアが自然な流れでフォックスの後についていくことに気づいた。

フォックスもそれに気が付き、横まで来た彼を振り向く。

「君はこっちか?」

「そうダヨ!」

明るい笑顔で頷くが、続いてフォックスの頭の辺りまで浮かび上がると、声をひそめてこう言った。

「アノ図体のデッカいヒト、なんだかボクのこと疑ってルみたいダカラネ」

「聞こえてるよ」

スネークの代わりにピットがそう言ってやったが、マホロアはまたもや聞こえなかったかのように知らん顔をし、フォックスと並んで別の通路へと姿を消してしまった。

「俺達も行くぞ」

スネークに声を掛けられ、ピットも彼の後について反対側の通路へと進んでいった。

 

ところが、数分歩いたところでスネークは不意に踵を返し、そのまま来た道を戻り始めた。

置いて行かれる格好になって、ピットは戸惑いもあらわに振り返る。

「え、どうしたの? ……まさか忘れ物とか?」

それを聞き、スネークの方がなぜか訝しげな顔をしてこちらを見た。

「……なんだ、まさか“素”だったのか?」

「素って、……えぇっ?! もしかしてさっきの――」

「声がでかい。静かにしろ」

「……さっきの、嘘だったの?」

「嘘じゃない。方便だ」

彼はそう答えた。

その場に立ち止まり、ピットに正面から向き直る。

「どうにかしてあいつに、自らの選択で別行動を取らせる必要があった。理由が分かるか?」

「あいつって……まあ、マホロアのことだよね。面倒なことになるから?」

当たり障りのない回答をしたピットに対し、スネークはわずかに眉間にしわを寄せた。

「お前を“売られる”可能性があった」

短く断言された言葉。その意味が頭に届くまで数秒が掛かった。

「えっ? 僕を……?」

すっとんきょうな声を上げ、ピットは目を瞬く。それから、思わず身振りも交えてこう訴えた。

「いや、いくらなんでも、こっちはもう神器も取り戻したんだよ? それにあっちは丸腰じゃないか」

当然のことを言ったつもりだったが、スネークの渋面は変わらなかった。むしろ、少し呆れたようにも見える。

「確かにあんたは天使なのかもしれん。だが、こういった立ち回りを続けるつもりなら……少しは疑うことを覚えるんだな」

「なにさ、それ……」

腕を組んでむすっとしながらも、ピットは続けてこう聞いた。

「じゃあ、君の推理を聞かせてくれる?」

「まず、俺がお前たちを安全地帯に連れていき、そこで待機するように言った後のことだ。船は今も亜空間を航行している。当然その段階で外に出たって漂流するのがオチだ。だが、あいつはあの部屋を勝手に飛び出していったんだろう? つまり、その裏には何か“船内”に関する目的があったはずだ。しかし次に倉庫でお前たちと合流した時、あいつは倉庫内のものにはほぼ関心を見せていなかった。このことから、選択肢は自ずと絞られる。あいつの狙いは……反乱軍の上層部、またはこの船そのものだろう」

いつしか、スネークの語りに聞き入っていたピット。やがて感嘆のため息に乗せてこう言った。

「……すごいや。彼、君の前では絶対にその話題を出さなかったのに」

「あんたには話してたのか」

「この船のコントロールを奪おうって、ずっとしつこかったんだよ。放っておいたらそのうち諦めたみたいだったんだけど」

「諦めたんじゃない。単にプランを変えただけだ」

そう言って、スネークは再び歩き始めた。あとをついてくる天使に、彼は前を向いたままでこう続ける。

「あいつはこの船を狙っている。反乱軍に取り入ろうと企んでいて、彼らが何を敵としているか知っている。そこに来てお前のバッジだ。あいつはすでに、お前が『亜空軍との関係を疑われた』ことを知っている。あいつからしてみればお前は、反乱軍との恰好の取引材料だったはずだ」

「そんな風に見られてたの? 隙を見て僕を捕まえて、反乱軍に突き出して自分の手柄にしようって……?」

戸惑いつつも、その言葉は徐々に真実味を帯びていた。

この船の長だけではない。リドリー、ウルフでさえも、『亜空軍』という存在に対して強い敵意を剥き出しにしていた。今までに何度も撃退を狙い、仕留め損ね、逃げられているとなれば、手の届くところにのこのことやってきた“構成員”は反乱軍にとって格好の獲物であり――好きなだけいたぶれる捕虜になるだろう。それがたとえ、ただの憂さ晴らしに過ぎないとしても。

手紙を読んでくれれば誤解を解いてくれるかもしれないが、あの剣幕なら大人しく読んでくれるとも思えない。ましてや、今まさに会いに行こうとしていた相手であれば――

背筋に冷たいものが走る中、ふと気づくとスネークが肩越しにこちらを振り返っていた。

「ようやく実感がわいたか?」

「うん。あのまま進んでたら、よりによって、一番亜空軍を嫌ってる人に突き出されるところだったんだ、ってね。マホロアがそれをできるとは、ちょっとまだ信じられないけど……」

「自分の武器を過信するな。世の中には、武装した相手に素手で立ち向かうための格闘術がごまんとある。……まあ、あいつがそれを習得しているとは思えないが、どうもあの態度、何かを隠しているように見える」

「それは推理じゃなくて、勘だね?」

「勘もバカにならないぞ」

彼は大まじめな顔をしてそう答えた。

その言葉も彼が言うと、妙に説得力があった。

「それにしても、君のその感じだと、最初からマホロアをどこかで引き離すつもりだったんだね。フォックスがいたから任せられたけど、もしも僕らしかいなかったらどうするつもりだったの?」

天使の問いかけに対し、男は無言のまま、手のひらに何かを乗せるとこちらに差し出した。それは、あの宇宙海賊さえも気絶させた、例のスタンガン。

思わず息をつめて相手の顔と銃とを交互に見つめる。彼があくまで本気であることを認め、天使はやがてため息とともにこう言った。

「……君が敵じゃなくてよかったよ、ほんとに」

 

やがて、フォックスと別れた地点に戻ってきた。

通路には誰の姿もない。あの哀れなパイレーツ達も、どうやら陰で折り重なったままのようだ。

自然な足取りでありながらほとんど音らしい音を立てずに歩いていき、スネークはこう言っていた。

「リドリーがまだこの船の近くにいる確率が高いというのは本当だ。高いレベルのセキュリティカードが必要だというのも、中央の区画に至る道が複数あるというのもな。俺がただ一つ、ごまかしたのは――」

そこでちょうど扉の前までたどり着き、彼は腰のベルトポーチからカードを取り出す。

扉の横の四角い出っ張りにかざすと、両開きの扉は低い音を響かせながらあっさりと開いた。

「――俺がすでにそのカードを持っていた、ということだ」

そのまま先へと進んでいくスネークの後を、ピットは半ば呆気にとられながらついていく。

何も言えずにいる彼の様子には気づかず、スネークは先刻、この通路であったやり取りを思い返しながらこんなことを言っていた。

「しかしあれが演技じゃなかったとはな。道理で上手く見えたわけだ。あんた、向いてるんじゃないか?」

からかわれたことでいくらかいつもの調子に戻り、ピットは笑ってこう返す。

「ほんと? この仕事終わったら、俳優でもやってみようかな」

「そうか。まぁ、お前のその出で立ちじゃファンタジー映画くらいしかお呼びが掛からんだろうがな。それも大方、古代ギリシャやローマの神話をネタにした変わり種が相場だろう」

「そうとも限らないよ。最近じゃ天使が出てくる現代モノもはやってるみたいだし――」

ピットがそう言ったところ、スネークは困惑したように眉間にしわを寄せた。

「……お前の言う“最近”っていつのことなんだ?」

「まあ、こう見えても僕、長生きしてるからね」

ピットはここぞとばかりに胸を張ってみせる。

「長生きどうこうの話じゃない気がするんだが……まぁ良い。ともかくこれからのことだ」

と、表情を切り替えてスネークは前を向く。

「艦橋に向かうルートのうち、ここを選んだ理由は一つ。反乱軍はこの通路をほとんど使っていない」

「つまり初級者コースだったってわけだね」

ピットはそう返した。

それはここに来るまでの通路を見ていてもうかがえる。亜空軍と交戦中だということを差し引いても、来た道ではほぼパイレーツを見かけなかった。

「そうだ。そして“初級者コース”の例にもれず、このルートは速度に劣る。反乱軍がほとんどいないのも、そのほかの区画へのアクセスが極めて悪いからだろう。それに、ここに来るまでの間に、電気の通ってない通路があっただろう? あれはおそらく主砲のメンテナンス区域だ」

「そっか。主砲は壊れたままだって言ってたもんね。その分、警備もおろそかだったってことなんだ……。さっきの扉、ブリッジにも繋がるとこなのに、護衛がパイレーツ二、三人じゃ少ないよね。……そういえば今も、ずいぶん静かだけど」

「ああ。ここもバックヤードに近い場所だ。艦橋まではもう少し掛かるが、いずれは表に出なきゃならん。そうなれば相手の警備網も今までの比じゃない。今のうちに心構えを済ませておくんだ」

「了解!」

意気揚々と返答し、ピットはその手に神弓を呼び出した。

「スネークも、得物の調子をチェックしておいてね!」

そう言われたスネークは、少しの間、眉間をしかめて何事か考え込んでいた。

もしかしたら、あまりにも能天気な天使のことを窘めるべきかどうか、考えていたのかもしれない。

だが、やがてその口がふっと笑う。

「――当たり前だ。俺達にとっちゃ、わざわざ天から啓示を受けるまでもないことだな」

 

 

 

通路は幅こそ広いものの、明かりは床の中央、順路を示すように引かれたラインから発せられる照明しかなく、辺りは常に薄暗い。

神弓の柄をしっかりと握り、ピットは辺りに注意を向けつつ歩いていた。

 

何の前触れも無かった。

前を歩いていた男の背が、不意にぴたりと静止した。

見守る先、彼のその手に、その足に、隅々まで緊張が行き渡る。その視線は下に、床に向けられていた。

 

床にあるべき明かりは途切れており、彼の足元だけが暗く沈んでいる。彼自身の影が落ちただけにしては、異様な暗さだ。

 

「スネーク――?」

名前を呼び、ピットは一歩前に出ようとした。

だがその矢先、スネークはすぐさま振り返る。鋭い眼光が天使を見据え、

「来るな、戻れ!」

彼は声を張り上げた。

 

ほとんど同時に、男の姿が床に、文字通り沈み込んだ。

 

「……え?」

天使の足が、ためらう。

そうこうしているうちにも床の明かりは急速に消えていき、いよいよ暗闇に閉ざされていく通路の中、スネークの姿は流砂に飲み込まれたかのように沈み、見る見るうちに肩のあたりまで埋もれていく。ピットは必死に目を凝らしていたが、じきにその影も、黒い闇の中に消えてしまった。

「スネーク!」

ピットは声を張り上げたが、返答は聞こえてこない。

彼の言葉に従うべきという自分と、飛び込んで助けるべきだという自分が、心の中でせめぎ合っていた。だが、迷うための時間も、もはや残されていなかった。

急に身体がぐらりと傾き、ピットは慌てて足を踏ん張ろうとする。ところが、ついた先、足はまるでぬかるみにつっこんだようにゆっくりと、どこまでも沈み始めた。

さっと腕に怖気が駆け抜ける中、足元に目をやる。

暗闇はいつの間にか、天使の足元まで辿り着いていた。よく見ると、右足はくるぶしの辺りまで闇に飲み込まれている。

……いや、それは単純な“闇”ではない。今やそれは生き物めいた青い光を埋もれさせ、タールのように、そしてアメーバのように蠢いていた。

見る間に小さな黒い波が重なり合い、一つの意思をもって押し寄せ、重力に逆らって靴を這い登り、ついに膝に触れようとする。

ピットは反射的に払おうとしたが、金属のアメーバはその前にふと、思いとどまったように動きを止めた。そのまま思案するように揺らめいていたかと思うと、急に興味を失くしてしまったかのように撤退していく。

 

これまでに目にしたことの無い、異質な動きを見せる物体に気を取られていた彼だったが、はっと我に返ると右足を引き抜こうとする。しかしいくら力を込めて引っ張っても足はぴくりとも上げられず、どころか支えにしていた先の左足までもがぬかるみの中に沈み込み始めてしまった。

掴まれる場所を探して、ピットは慌てて辺りを見回す。しかし目に入るのは絶望的な光景。床どころか、壁も天井もその正体を露わにし、青みがかった金属色に変色して垂れ下がりはじめていた。

――どうしよう、このままじゃ……窒息する……?

両足はすでに腿の辺りまで沈んでしまい、自由が利かない。生きた金属は流動性がありながらも重く、豪腕の推進力で全身を引っ張らせても、牽引に足りるとは思えない。

見上げた頭上、天井だったものはもはやすぐそばまで垂れ下がっていた。

――こうなったら……!

ピットは決心し、今のうちに大きく息を吸い込み、空気を肺にため込むと固く目をつぶる。

次の瞬間、足がぬかるみの向こう側に出た感触があったかと思うと、引きずり込まれるようにピットの全身はぬかるみを突き抜け、その遥か下まで一直線に落ちていった。

 

 

 

頭が痛い。すべての音が遠く聞こえる。

まるで巨人の指に頭の横を挟まれたかのように、両耳の辺りに特に強い痛みがあった。

胸が内側から押し広げられるような感覚があって、反射的に咳き込む。咄嗟に息を堪えたのがかえって災いしたようだ。

涙が勝手にあふれて、目を開けてもほとんど何も見えない。

 

朦朧とする意識の中、いつか、現地のひとびとに“ポップスター”と呼ばれていたエリアでの出来事を思い出す。

乗っていた飛行船がいきなり急上昇し、気圧の変化に耳をやられてしまったことがあった。

――じゃあ……これは、空気が薄くなったってこと……?

目を瞬いているうちに少しずつ身体が慣れてきたのか、耳の痛みは薄れ、視界がゆっくりと晴れてきた。

 

まず目に入ったのは、全天を占める暗紫色の闇。夜空にも似ていたが星らしきものは見当たらず、その代わりに、ずっと巨大な輝きがいくつも虚空に浮かんでいた。

ビー玉のように丸く、月のように明るい輝き。それはまるで、星賊に狩り取られ、船にしまい込まれた星座を見ているかのようだった。

よく目を凝らすと、その中には様々な景色が映りこんでいることが分かってきた。

鬱蒼と葉を茂らせた樹林、橙色の夕焼け空、寄せては返す青い波、大勢の人間が行きかう雑踏――多種多様な風景が、まるで魚眼レンズを通したように丸く歪んで虚空に浮かんでいた。

――これ、どこかで……

眉間にしわを寄せて考え込んでいた彼の脳裏に、一つの記憶が蘇る。

それはエンジェランドでの記憶。エインシャントからの任務を受けることとなった彼に、女神パルテナが地上界の真の姿を見せた時のこと。黒い海に点在する無数の円盤。それを指して女神は『エリア』と呼んだのだった。

亜空間を渡り、実空間に浮上する亜空砲戦艦。そして、その実空間こそエリアであると予想したキーパーソンの言葉を思い出す。

今までの自分は、『エリア』とは、黒々と暗い海の中に点在する島々なのだと認識していた。だがそれは間違っていたのかもしれない。地上界から遥かな高みに浮かぶ天界から見たために、全てが平らにつぶれて見えてしまっていたのだろう。

しかし、だとすれば地上界はどうなってしまっているのだろうか。周りを見渡しても、あるべき地平線はどこにもなく、暗紫色の闇の中、孤立した球体があてどなく浮遊するばかり。

 

ぼんやりと球体の群れを眺めていると、真正面に、何か巨大な影があることに気づいた。

経緯からすれば自分が放り出された場所、亜空砲戦艦のはずだが、それは戦艦というには船からかけ離れたシルエットを持っていた。

――……鉄砲、砲台? いや、あれは……

訝しげに目を細め、その影を見定めようとする。だが、自分の記憶にある何物とも重ならないうちに、頭上のどこかでくぐもった爆発音が聞こえ、思わず反射的にそちらを見上げた。

宙に咲いた、大輪の花。オレンジ色の爆炎はゆっくりと暗くなっていき、爆発の源、真っ二つになった物体は音もなく後方に流されていく。

訳も分からないまま呆然と眺めているうちに、やがてその方角から、何かが流されてきた。

反乱軍のメンバーではなさそうだ。丸い頭にずんぐりとした胴体、人形めいた腕と足。力尽き、なすすべもなく宙を舞い、近くまでやってきた『それ』に、天使は視線を釘付けにされていた。

黒い肌、二つの点で穿たれた赤い目、そして胸元には“一つ切れ込みの入った円”のマーク。

それは紛れもなく、エインシャントが作製し、女神の手から新たに授けられたバッジの意匠と同じものだった。

「……!」

口を開けるが、空気の薄さで上手く声が出ない。

それさえももどかしく、苛立ちに眉間にしわを寄せながら再び上を見上げる。

くぐもった煙の中、ぽつりぽつりと小さな影が産み落とされる。亜空軍の構成員らしきものたちが、次から次へと降ってくる。

丸々と太った金属製のニワトリ、頭の代わりにホルンを乗っけたひょろひょろの人型、二色に塗り分けられた一つ目のボール、怒りの形相で顔を真っ赤にした巨大な羊――

反乱軍に比べるとどこかが玩具じみていて、しかし子供が喜びそうな愉快さや無害さとはどこかがずれた『もの』たち。彼らは身動きも取れないまま、手足があるものはそれをゆっくりとぶらつかせ、まるで海に投げ込まれた人形のように虚空のどこかへと沈んでいく。

やがて煙も晴れていき、動きの速い輝きがいくつも、亜空間の闇を切り裂いて飛ぶ様子が見えてきた。時折それらの光は、より鋭い輝線を発していた。何かを撃ち落とそうとしているかのようだ。追いかけ、追い詰め、一斉射撃を食らわせると――またもその中央で爆発が起こり、何か巨大な板状の物体がゆっくりと分解していった。

しかし目を凝らすと、同じような板状の輸送機はまるで雲霞のごとく、亜空間を背景にして浮かんでいるのが見えてくる。あれが全て亜空軍なのだろうか。数えるのも諦めたくなるほどの大群、黒い靄の中を、青くか細い輝線が掻い潜っていく。

おそらく反乱軍の戦闘機であろう、青い輝きが向かう先を目で追っていたピットはそこで初めて、あるところで亜空間の色が変わっていることに気づいた。

青みがかった輝きが靄のように掛かっている。表面には直線で描かれた幾何学的な模様が走り、血管のように脈動しながらどこまでも広がっている。

――……違う、これは……!

ピットは顔を仰向かせた。

 

それは巨大な――あまりにも長大な『人体』。

胸の前で両腕を組み合わせ、身体をかがめるようにして全てを睥睨している。だがその眼窩は虚ろで、眼球のあるべき場所は暗く窪んでいた。

そしてその胸のうち、半透明の腕を透かした向こう側には、赤いコアが瞳のように輝いている。

『それ』の前では、亜空軍をかいくぐって迫ろうとする戦闘機など小蠅や蚊ほどの大きさでしかなく、亜空砲戦艦ですら子犬のように小さく見えた。

 

だが、それを一心に見つめるピットの心を占めていたものは畏怖でも恐怖でもなく、混乱だった。

知っている、知りすぎているほどに。なのに、その者の名前が出てこない。

その名の代わりに喉元まで込み上げたのは、怒りとも悲しみともつかない、自分でも訳が分からないほどに切迫し、激しく渦巻く想い。だが同時に、その混沌の中に巻き込まれる自分をどこか遠いところから眺めているような、奇妙な感覚もあった。

自分がなぜ怒っているのか、悲しんでいるのか、全く見当が付かない。その者に対してこれほどまでの激情を抱くような理由も記憶も何もかも、一向に己の内から出てこようとしない。

それに気づいた時、彼の表情に焦燥がよぎる。自分は今まで、キーパーソンとの記憶を詳細に思い出せない理由を、時の経過にのみ求めていた。しかし、これほど鮮明な感情を覚えているのに、その源となるはずのエピソードが全く思い出せないのは、単に積み重ねた時間のせいではないように思える。

自我の源、自己の根幹を為す記憶。そこに知らぬ間に存在していた、あまりにも大きな空白を前に、彼はただ茫然と立ち尽くすことしかできないのだった。

 

凍り付いたように青い巨人を見つめ、目が離せなくなっていた彼の耳に、自分の名を呼ぶ遠く小さな声が聞こえた。

『おい、掴まれ!』

首を巡らせると、音から想像していたよりも近く、すぐそばにアーウィンが接近しつつあった。減速しつつも機首を振り、片方の翼をこちらに近づけていく。

コックピットには真剣な表情で狙いを定めるファルコ、そしてもう片方の翼にはすでにスネークが掴まっていた。

 

 

二人を掴まらせたアーウィンは亜空砲戦艦の船尾部へと接近していく。

細長い開口部から見える床は、出撃ゲートのそれと似ていた。だが、明らかに人けが少なく寂れている。照明が切れかかっているのか、庫内は不規則に明滅を繰り返していた。

戦闘機も、一機のアーウィンを除いて置かれていない。おそらくフォックスの方の機体だろう。

 

船外と船内の見えない境界を潜り抜けると、途端に周りに空気が戻ってきた。

がらんと広いばかりのドックにアーウィンがゆっくりと着陸する。

 

気圧の急変で痛む頭を抱え、ふらつきながらもピットは戦闘機の翼からよろよろと降りる。朦朧とした頭を巡らせ、機外に降りていたファルコの姿を近くに見つけるなり、彼は覚束ない足取りで駆け寄った。

息も整わないうちにファルコの肩をつかみ、強く揺さぶる。

「……ねぇっ、見た?! 二人とも! あれ……!」

「あぁっ? なんだよ、落ち着けって! あれってどれのことだよ?」

ちょうど通信をしている最中だったファルコは振り返り、ピットの手首をつかんで止めさせようとする。彼が装着しているヘッドホンから微かに、フォックスの声が『どうかしたのか?』と言っているのが聞こえていた。

二人に向けて、すでに翼を降りていたスネークが歩いてきた。

「おそらく、あれがタブーだろう。亜空軍の首領であり、反乱軍が討伐を狙っている対象だ」

「タブー……」

ピットは、依然としてファルコの両肩を掴んだままそう繰り返した。

その片方の手首を掴んでいたファルコは、天使の手から力が抜けたのを見計らって肩から離すと、二人に尋ねた。

「……あんたらのその顔……まるであいつを前にも見たことがあるって感じだな」

スネークはそれに即答せず、こう返した。

「そういうあんたはどうなんだ」

「聞くまでもねぇだろ」

ぶっきらぼうに答えるが、ファルコはその顔を背けていた。

そしてそのまま、顔をしかめてぶつぶつと呟く。

「ちっ……何なんだよ。訳が分かんねぇ。あんなヤツ、ライラット系にいたはずがないってのに……」

苛立ちも露わに腕を組み、二の腕を羽のような指で叩いているファルコを、ほとんど無意識のまま呆然として見ていたピット。その視界の端に動くものが映り、ふとそちらに目をやる。

スネークが早々と、ドックを後にして出て行こうとしていた。

「――スネーク、どこに行くの?」

振り返った彼の表情は、それまでと全く変わらぬ冷静さを保っていた。ピット達と同じ光景を見たのだとは、とても思えないほどに。

果たして彼はこう言った。

「それはこっちの台詞だ、ピット。こんなところで立ち止まっている場合じゃない」

直前の衝撃を引きずり、気持ちを切り替えられずにいたピットは、何も返せずにいた。

その代わりに、ファルコがこう訊く。

「立ち止まるなってのは、こいつに言ってるのか? ……それとも俺達か?」

真正面から見据え、問われた言葉。

スネークはただじっと視線だけを返し、それから不意に顔を背けると、そのままドアを開けて出て行ってしまった。

残された二人。ファルコは舌打ちし、ぼそりと呟いた。

「答える必要もないってことかよ」

依然として不機嫌そうな顔をして、両手をポケットにつっこみ、彼もまた格納庫を出て行こうとした。だが、そこで彼は天使が付いてこないことに気が付く。

 

「おい」

短く声をかけられ、ピットは半ば反射的にファルコの方を向く。

相手は何も言わなかった。だがその表情にあったものに気が付き、ピットは僅かに目を丸くした。

眉にあたる辺りをしかめていたが、それはこちらに対する疑念だけによるものではない。思い出そうと苦心し、またこちらを慮る様子もあった。

彼自身も決めかねている。自分たちとの記憶を――頼りないほど微かで、それでいて無視することのできない既視感を、偽物だと断定しているわけではないのだ。

 

 

 

うっすらと埃をかぶった通路に、三人分の足音が淡くこだましていた。

しばらく、彼らは何も言わずに歩いていた。ピットでさえも口をつぐみ、自分の内に渦巻く困惑に眉根を寄せ、半ば気もそぞろに足を進めていた。

格納庫を離れ、亜空間から、そして“タブー”から遠ざかり、動揺は少しずつ戸惑いへと移り変わっていく。

 

自分たちは、亜空軍に対して思い出すべき記憶があるかもしれない。だがそれがどれほど重要な意味を持つことなのか、三人ともそれぞれに判断を下しかねている様子だった。

彼らの表情から察するに、おそらくピットだけでなく他の二人も、唯一の手掛かりがタブーを目にした時のあの奇妙な離人感を伴った感情、それしかないのだろう。

緊急性も重要性も、そして危険性も判断できない今は、下手に亜空軍に真正面からぶつかることは得策とは思えない。まずはより確実に自分たちに必要だと思われること、すなわち手紙を配り、反乱軍の誤解を解くことを優先するしかないだろう。三人は暗黙の裡にそう結論付けていた。

 

最初に口を開いたのは、先頭を行くスネークだった。

「まさか、あんなトラップが仕掛けられていたとはな……メインフロアにつながるルートは他にもあるが、同じような罠が掛けられている可能性もある」

悔しさを滲ませてそう言うと、後ろに続いていたピットが少し歩調を速めて追いつき、こう尋ねる。

「でも、スネークは一度辿り着いてるんだよね? その、公室って場所にさ」

「まあな。だが、それが良くなかったのかもしれん」

「……怪しまれちゃったってこと?」

言葉にされず、はぐらかされた部分を汲み取ると、相手の頭が向こうを向いたまま頷いた。

「この船の“監視システム”は何かを手掛かりに、反乱軍とそうでないものを見分けている。それも、形のあるものじゃない。これまでに俺は反乱軍から、武器しかり、セキュリティカードしかり、様々な装備品を手に入れてきた。だがそれでも不足だったということは……。まさか、生体認証か?」

「せいたい……?」

怪訝そうな顔で繰り返すピット。その後ろでファルコは分かったらしく、賛成とも反対とも取れない調子で鼻をふんと鳴らす。

スネークはこう説明した。

「バイオメトリクス、身体あるいは行動の特徴で個人を識別するシステムのことだ。メジャーなところでは指紋、虹彩、静脈の走行パターン。声紋や顔の形、歩行の癖を読み取るものなんかもある」

それを聞き、ピットは途端にそわそわと辺りを見渡した。

「――今もどこかで見られてるのかな」

「……この辺りは、まだ“薄い”。いずれにしても、また俺達がメインフロアに接近するまでは放っておいてくれるだろう」

「でも、いつかは行かなきゃ。いつまでも先延ばしにするわけにはいかないよ。それとも、どうにかして向こうからこっちに来てもらう?」

「現実的じゃない。亜空軍との戦闘でどんなに劣勢になろうとも、ガノンドロフが船を出る様子は見たことがない。……奴が出てくるのはおそらく、あのタブーを屈服させる時だけだろう」

スネークの言葉を受けて、ピットは腕組みをし、通路の壁の方をじっと見つめて考え込んだ。

「僕らでタブーをとっつかまえたら出てきてくれるかな……」

冗談とも本気とも取れない口調で呟いた彼に対し、それまでしばらく黙っていたファルコが呆れた口調でこう言った。

「どーやって追いかけるつもりだ? さっきは手も足も出なくなってたくせに」

「僕とスネークはアーウィンに乗るんだよ。で、ファルコとフォックスがそれぞれ一機ずつ運転してさ」

「お前らが砲台代わりってか。へっ、そいつはたいそう心強いな」

彼は皮肉っぽい調子で言って、肩をすくめた。それから先頭の男にこう声をかける。

「で? スネークと言ったな、あんた。さっきからずっと歩きっぱなしだが、何かプランはあるのか?」

「二つだ。一つは、反乱軍のうち、メインフロアに出入りするくらいの人物を引き入れる。もう一つは、船の制御システムを制圧し、トラップを解除する。……だが、プランBは現実的じゃない。この船に使われている技術ははっきり言って俺の手に余る。こいつは俺の知る科学の数十年、あるいは数百年先を行っている」

スネークがそう言ったのを聞き、ピットはファルコを見る。

「……なんだよ」

渋々といった様子で聞いた彼に、ピットはこう尋ねかけた。

「ファルコならどうにかできるんじゃないの? 確か君のとこ、銀河系を渡るくらいの技術あるんだよね」

「あのなぁ……お前だって、その武器自分で作れるか?」

そう言って彼は、天使が手にした神弓を指差す。

ピットは迷わず首を横に振り、ファルコは「だろ?」と言ってからこう続けた。

「科学だの技術だの、ああいうのは開発してる奴らさえ把握してりゃうまく回るようにできてんだよ。俺はその成果を有難く使ってる側だ」

通信機器越しにこちらの会話を聞いているフォックスも、こう言っていた。

『スリッピーならなんとかなったかもな。あいつをここに連れて来ることができたら、そうでなくともせめて、通信がつながれば良かったんだが……』

「その人は機械に詳しいの?」

ピットがファルコの、頭の横に付けた通信機器に向かって問いかける。

『詳しいなんてどころじゃないさ。廃棄パーツから潜水艦を作ったり、翻訳プログラムを一から書き上げたり、ハード面からソフト面までなんだってできる』

そう褒めている隊長に対し、もう一人の隊員の評価は辛口だった。

「パイロットとしちゃ、いつまで経ってもおっちょこちょいで危なっかしいがな」

ないものねだりをしても埒が明かない。ピットは顎に手を当て、考え込む。

「うーん……そしたら、プランAだね。他の海賊はまず話なんて聞いてくれないだろうし、気絶させて連れて行ったら“システム”もさすがに怪しむよね。じゃあ他は……やっぱり味方になってくれそうなのはキーパーソンくらいか。ガノンドロフがだめならリドリーか、名前の分からないもう一人だね」

これに、スネークがこう返す。

「リドリーは今、亜空軍と交戦中だろう。船外に出たときにパイレーツの強襲船を見かけたからな」

「じゃあこれしかないか……この名無しの権兵衛さんが誰なのか、分かる人いる? 船の中にたぶんいると思うんだけど」

ピットはそう言って最後の一通、空欄の封筒を取り出して見せる。

ファルコは、『俺はこの船に来たばかりだからな』という顔をしつつも、船内で見かけたスターウルフのメンバーの名前を挙げる。

「――こいつらじゃなかったら、後は分かんねぇな」

“レオン”、“パンサー”。どちらにも封筒は反応せず、ピットは残念そうに首を横に振った。

その様子を聞いていたスネークが肩越しにこちらを振り返り、こう切り出した。

「確証はない。だが、一つ確かめたい場所がある。今はそこに向かっている途中だ」

これに対し、ファルコがぼやくように言う。

「なんだよ、じゃあそう言ってくれよ」

「確証がないと言ったろう。立ち寄ってみてハズレだったら、あんたの戦闘機に乗せてもらって、リドリーの強襲船まで連れて行ってもらうつもりだった」

この言葉を聞き、ファルコは若干引き気味に口の端をゆがめる。

「強襲船ってあれだろ? 戦闘機をわんさか引き連れてたデカい奴。ったく、あんたもあんたで命知らずだな……。で、俺達は今、どこに向かってるんだ?」

「機関室だ。反乱軍の中には、数少ないが俺にも分かる言語を話すやつがいた。そいつらの話では、船内設備の補修や戦闘機の補充について、なぜかメカニックではなく『機関室』に頼んでいるらしい」

「機関室? んなとこにメカニックが常駐してるって……」

ファルコはそう言いかけて、はっと何かに思い当たり、顔をしかめる。

「まさかこの船、エンジンやスラスターまでしょっちゅう直さなきゃいけないくらいイカレちまってるのか?」

「それは考えにくい。反乱軍にとってはこの船が亜空間を渡るための唯一の足だ。多少装甲や区画が壊れたとしても、動力機関だけは死守するだろう。少なくとも、俺が潜伏している間は航行が止まったりすることはなかった。……故障を未然に防ぐために、メカニックが常駐しているという可能性も考えられるがな」

そう言ったきり、スネークはそこで沈黙してしまった。

しかし、通路の向こう側に誰かが現れたわけでもない。辺りは依然としてうすら寒いほどに人の気配がしなかった。照明も心もとなく明滅し、今にも消えてしまいそうに思える。おそらく彼が黙り込んでしまったのは、外的な要因ではないだろう。

やがて長い沈黙を乗り越えて、再び彼は口を開いた。

「――反乱軍を構成するのは、大半がならず者だ。パイレーツを別にしても、実空間では居場所のない者であったり、暴れられるのなら何だって構わないといった者が反乱軍に集まっている。だがそんな彼らをもってしても、どうやら『機関室』に行くというのは気の進まないことらしい。機関室の話をするとき、彼らの顔にはどこか恐れがあった。そこには誰か、ならず者でさえ畏怖するような……そういう者がいるようだ」

この言葉に、思わずピットもファルコも声を失ってしまった。

ようやくのことでファルコがこう呟く。

「……ただのメカニックってわけじゃなさそうだな」

通路の先を見据えたままの、スネークの後ろ姿が頷きを返す。

それから、彼はつづけてこう言った。

「加えて機関室は、例の監視システムとも関係があるかもしれん。俺の感覚で割り出した“システム”の監視網は、なぜかメインフロアだけではなく、船尾部の――機関室のあるあたりでも濃くなっている。踏み入るだけでも感じられる違和感……まるで、巨大な生物の皮膚の上、あるいは臓腑の中を歩いているような感覚。そしておそらく、機関室にはその『心臓』にあたる何かがいる」

それを言う彼の声は、真剣そのものだった。

生き物に例えられた表現を聞いたピットも、思い当たるものがあった。通路が溶け落ち、船外に放り出されたときに目にした、意思を持っているかのような金属の動き。そして反乱軍が戦闘機として利用している、黒々と輝く生き物のような機体。

ファルコの通信機器の方でも、フォックスがはたと気づいた様子で呟くのが聞こえてきた。

『……そうだ。彼らの戦闘機、何かに似てると思ったが、もしかしたら……』

それに気づき、ファルコがこう返す。

「アパロイドか?」

彼を振り返り、ピットはきょとんと目を瞬く。

「何? それ」

「金属でできた化け物だよ。他の生き物とか機械とかを吸収して仲間にしちまう」

ファルコの説明を聞き、ピットは思わず忌避感から顔をしかめた。

「吸収されちゃうの? やだなぁ、オーラムよりたちが悪いや……」

『ここの兵士は見たところ取り込まれていないようだから、少しは話の分かるやつかもしれないな』

フォックスはそう言ってくれたが、一方のファルコは若干投げやりにこう返す。

「だと良いけどな」

ピットもあまり乗り気になれずにいた。

「あの手のクリーチャーで話が通じるのって、普通いないと思うけど。ねぇスネーク、本当に行くの? 後にしない?」

そんな天使を振り返って、スネークはこう言う。

「お前が『他に良い選択肢がある』と言うならな」

 

 

三人でしばらく歩いていると、あるところから景色が急に切り替わるようにして、管理の行き届いた通常の通路に戻った。

誰から言い出したわけでもなく、三人はそれぞれに武器を構えたり、両手をいつでも使えるようにする。

そうして、心持ち低く身構えて進んでいた時だった。

 

出し抜けに、通路にサイレンの音が響き渡った。天井に点在するランプまで、赤い光を灯して回転し始める。

行く手がざわざわと騒がしくなり、徐々にそれは複数人分の足音として聞き分けられるようになっていく。

「隠れろ」

真っ先にスネークがそう指示し、二人はそれに従って近場の分岐路に飛び込んだ。続いてスネークも同じ通路に隠れ、三人で息を殺して反乱軍が過ぎ去るのを待つ。

間もなく、彼らが隠れる通路の横を、様々な姿かたちをしたエイリアン達が走り去っていった。表情も分からない顔だが、慌てて武器を取り落とす者がいたり、前列にぶつかるそそっかしい者がいたり、やけに切羽詰まっているように見えたのは気のせいだろうか。

その波が過ぎ去ってから、ファルコは急いで通信機に呼びかける。

「フォックス。そっちは無事か?」

『ああ、何ともない。……いや、待ってくれ』

「どうした」

『あのフードを被った子がいなくなった』

「フード……? 他に誰かいたのか?」

ファルコの代わりに答えたのはスネーク。

「……放っておけ」

心なしか、彼はうんざりした表情をしていた。

『いいのか?』

「ああ。あいつはどうも信用ならない」

フォックスの方も深く追求せずに、現況の報告に戻る。

『兵士は……どうやら出撃ゲートに向かってるようだな。まさか、亜空軍に侵入されたのか?』

「……それは考えにくいな」

そう答えたのはスネーク。

「これまでの交戦を見ていると、いずれも反乱軍の先制攻撃で始まっている。亜空軍は攻撃されれば反撃するが、あくまで目当ては“爆弾”を使って領土を拡大することで、反乱軍は眼中に無いようだった」

ファルコも戦闘の中で気づいていたらしい。肩をすくめてこう言った。

「ハナから相手にしてないってわけか。ま、あれだけいりゃあな。いくら撃ち落とされたって気にしないわけだ」

 

 

サイレンは止まらず、三人の針路も行く先々で悉く反乱軍の波に遮られ、足止めを余儀なくされてしまった。

さすがに五度目を超えてきた辺りでファルコは腹立たしげに通路の先を睨み、こう呟いていた。

「さっきまで誰もいなかったじゃねぇか。どこにこんだけ隠れてたんだよ……」

「――引きかえしたのかもな。外で戦ってた連中が」

スネークもまた、険しい表情で通路の方角を見ていた。

「じゃあやっぱり、亜空軍に侵入されちゃったんじゃない?」

ピットはそう言ってみたが、スネークはただ何も言わずに眉間にしわを寄せるだけだった。

踏み込むべきかどうか、迷っていた時だった。ピットの内心を汲んだかのように、ファルコが声をひそめつつもスネークにこう尋ねる。

「おい、なんか考えがあるなら言ったらどうだ? 当てずっぽうだろうと勘だろうと、知らないよりゃ知ってた方が覚悟もできるだろ」

スネークはそんな彼をちらと振り返り、再び通路の方角に目を向けた。

沈黙の向こう側から、ややあって手短な答えが返ってくる。

「……推測でしかない。だが、お前たちが来た辺りに、お前たちの他にも船に入り込んだ奴がいるかもしれん」

彼は鋭いまなざしを通路の向こうにむけ、そう言った。

「俺達の他ってことは――」

ファルコははたと目を丸くする。ピットも天井の辺りを見上げて記憶を探っていた。

「あれ……? じゃあ、時々聞こえてた爆発の音はもしかして――」

そんな二人の様子に気づき、スネークは振り返る。

「心当たりがあるのか」

ファルコがそれに頷いて答える。

「ああ。橙色の鎧を着たヤツだ。名前は確か……」

「サムス。サムス・アランだよ」

ピットの言った単語に、スネークはふと眉間にしわを寄せて考え込む。聞き覚えがあると思ったのかもしれない。

しかし彼はそれについては何も口にせず、代わりに慎重な口ぶりでこう言った。

「お前たちの様子だと、そいつは“こっち側”だと思って良いんだな?」

ピットはファルコと顔を見合わせ、それからスネークに頷きかける。

それを見届けた相手は、首を横に振り、小さくため息をついた。

「……そうか。なら良い。あの反乱軍を相手に随分派手に暴れているようだから、奴ら以上に厄介な相手かと警戒していた」

そう言った彼は、どこか安堵した様子でもあった。

それを見たピットははたと気づく。彼と合流するために倉庫を出た後、通信で打ち合わせたときに言われた『野次馬するな』という忠告は、その“厄介な相手”を気にしてのことだったのだろう。

彼がそう考えている横で、ファルコは一つ鼻で笑い、にやりと口角を上げてこう言った。

「な? 俺らに言っておいてよかっただろ」

 

三人で物陰に隠れ、ひそひそとそんな会話をしていた矢先だった。

不意に、見つめる先の通路が青白く光ったかと思うと、電光を纏った大きな球が反乱軍の隊列にぶち当たった。

まるでボウリングのピンもかくやというほどに、兵士たちが派手に吹き飛ばされていくのを目の当りにし、三人は思わず腰を浮かす。

まさか、サムスか――三人ともがそう思っていた。

だが彼らが見つめる先、遅れて現れたのは、水色のツノ付きフードを被った小さな姿だった。

ピットが思わず驚きの声を上げてしまった向こう側、マホロアもこちらに気づいてぎくりと固まる。

 

スネークが誰よりも先に機器の陰から立ち上がり、通路の中央に仁王立ちになって向かい側のマホロアを見据える。

「目当ては機関室か」

低く問われた言葉はナイフのように鋭く、マホロアは逡巡の末にこう答える。

「目当テ? な……なんのコトダイ? 別にボク、船を手に入レヨウなんテ……」

その言葉を途中で遮り、スネークはぴしゃりと言った。

「機関室に行けば船を掌握できると言った覚えはない」

そして、一層表情を険しくする。

「――お前、通信を聞いたな?」

マホロアは慌ててこう言い返す。

「ボクはただ、ミンナと合流したかっただけダヨ! キミたちが行き先を相談シテルみたいダったからサ、コッソリ盗み聞きしちゃったんダ。デモ、ホントにそれだけダヨ! ダッテ、二人ダケじゃ心細かったんダモン――」

ここまでの流れでなんとなく相手の素性を読んだファルコも、胡散臭そうに目を細めて立ち上がった。

「へーぇ。心細かったってのに、フォックスを置いてったのか?」

拒絶の雰囲気を漂わせるファルコにスネーク。

二人をあわあわと見比べていたマホロアだったが、物陰から顔をのぞかせているピットに気が付くと、どこにこんな瞬発力を隠し持っていたのかという勢いで宙を飛び、ピットの顔面に飛び込んできた。

「わ~っ、ピット~! ふたりがボクをいじめるヨォ~!」

「ちょ、ちょっと!」

いきなり泣き付かれ、反射的に押しやろうとするピット。

そんな彼を見上げ、マホロアは目を潤ませてすがるようにこう言った。

「優しいキミなら、ボクを信ジテくれるヨネ……?」

ピットは呆れた顔を向ける。

彼のことを信じたわけではない。スネークの言った言葉を忘れたわけでもない。

だがここで自分が突き放せば、彼に待ち受ける運命はただ一つだ。あのスタンガンで気絶させられたうえで、どこかの部屋に閉じ込められるだろう。そして誰からも顧みられることなく、船と共にそのまま放置されるのだ。

そこまでをありありと想像したピットは、彼にこう言ってやった。

「……僕らについてくるつもりなら、今度はちゃんと役に立ってもらうからね」

そう言って立ち上がると、さっさと歩き始める。そんな彼の後を、マホロアはうきうきと宙を跳ねながらついていった。

「モチロンだヨォ!」

そんな彼らを、何も言えずに見送るファルコ。やがてため息をつき、こうぼやく。

「ったく。どうなっても知らねえぞ」

スネークはもはや何も言わなかったが、静かに威圧するような視線をマホロアに向けていた。

マホロアはふとそんな二人を振り返る。そしてピットが見ていないのをいいことに、口も舌も見当たらないのに“あっかんべー”のポーズをしてみせ、両手を口元に添えてくすくすと笑った。

 

 

あれだけ渡り合えることを見られてしまったら、もはや“か弱い”主張は通じない。

ピットはこれまで散々守らされてきた貸しから、ことあるごとにマホロアを呼び、力を行使させた。

リンゴ型の爆弾をばらまいて反乱軍の注意を逸らさせたり、追いかけてくる彼らを電撃や炎を纏った弾で蹴散らさせたり。マホロアは不平を言いつつも、他二人から庇ってくれるのが実質ピットしかいないことも十分に分かっているようで、次から次へと下される天使の要請に応えていた。

 

その時も、隠れることのできない近距離でパイレーツに鉢合わせてしまい、四人は通路をひた走っていた。

背後では騒々しい足音と、荒々しい調子の言語が入り乱れていた。時折、その中から鋭い擦過音を伴って光線が飛来し、こちらの服や顔をかすめ、床や壁に当たって眩く爆ぜる。

応戦のため、スネークとファルコがそれぞれ銃を構えて撃ち始めた。だが、怯むくらいであまり効き目がない。

ピットも加勢したかったが、あの様子では光の弓矢が加わったところで大した威力にならなさそうだった。

「マホロア! 後ろから追いかけて来てるの、どうにかして!」

そう言われたマホロアは後ろを振り返り、ぎょっと目を見開く。

「エェッ?! サスガに数が多すぎナイ?!」

「足止めできればなんでもいいから!」

ピットはほとんど叫ぶようにして言う。

「……マッタク、ヒト使いが荒いんダカラ!」

そうぶつぶつと言いながらもマホロアはその場に立ち止まった。

まさかひとりで引き受けるのか、いや、彼に限ってそんなことは――そう思って、我知らず足を止めて振り返るピット。

マホロアはまず両手を前にかざし、赤紫色に輝く星型のバリアを展開させた。それでパイレーツの銃から身を守っているうちに、元から丸い身をさらにかがめて力を蓄え始める。

そうこうしているうちにもパイレーツはすぐそばまで迫りつつあった。バリアはマホロアの身長をわずかに超えるほどしかなく、さすがに回り込んで叩かれればひとたまりもないだろう。

先頭のエイリアン達がハサミを閉じ、一斉に鎌のような腕を振りかざそうとした時だった。

通路を一直線に遮るようにして、いきなり、紫色の柵が伸びあがった。金属ともつかない艶めきをもち、整然と並ぶ棘の列。止まり切れなかったパイレーツが次々に接触し、弾き返されてしりもちをついている。

唖然として一部始終を見ていたピット。いつの間にかすぐそばまで戻っていたマホロアが、彼の肩を小突いた。

「ホラ、ボ~っと突っ立ってないデ!」

そして通り過ぎた先で、なおも走っているスネークとファルコに追いつくと、得意げにこう言った。

「ドウダィ? ボクを連れてキテ良かったデショ? 今カラでも感謝してクれて良いからネ」

だがファルコは振り返ると、怪訝そうな顔をした。

「……あぁ? 何かしてたか、あんた」

「ソンナァ……! ボクの活躍、ちゃんと見てヨ! ほら、アレ!」

と、マホロアはファルコの肩を叩き、後ろを指さす。

「悪いがそんなヒマはないな」

ファルコは立ち止まる素振りも見せず、そっけなくそう返すだけだった。

置いて行かれたマホロア。憤慨で拳を震わせ、目を吊り上げる。

「もぉ~っ、イジワル!」

 

 

 

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最終更新:2022-10-22

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