星は夢を抱いて巡る
第2章 平和をもたらす者 ①
扉が開け放たれる。
その向こう側には、青く澄み切った快晴の空が広がっていた。
外からの日差しを受けてぼんやりと明るく照らし出された廊下に、やがて遠くから足音が聞こえてくる。
大理石の天井に軽やかな足音が響き渡り始め、やがて姿を現したのは白衣の天使。背に備わる翼をなびかせ、身につけた宝飾で光を跳ね返しながら、少年のようにはつらつとした足取りで扉の前まで駆けてきた。
目的の扉の前で立ち止まろうとするも、磨き抜かれた床の上で足が滑りかけてたたらを踏む。だが彼は怯まずに、その勢いのまま方向を転換し、
「ピット、発進!」
掛け声とともにその先へ、扉の外めがけて飛び込んでいった。
途端に、目の前にあったはずの青空が遠ざかり、見えない圧力が彼の全身を包み込む。
暗闇の中、飛び込んだ時のポーズを取ったまま落ちていく天使。彼の方は飛行に備えて翼を広げているのだが、扉の形に開けた青空はなかなかくぐらせてくれず、徐々に下に沈んでいきながらじらすように少しずつ大きくなっていく。
やがてそれが視界をいっぱいに占めたとき、ようやく彼を締め付けていた不可視の力は消え、青空の中へと解放される。
無意識のうちに息を止めていたらしい。しぶきを飛ばすかのように頭をぶるぶると振り、彼は一つ大きく息をつく。
「何度くぐっても慣れないなぁ……」
翼にはすでに飛翔の奇跡、青い輝きが与えられており、天使はそれを確かめるように翼を軽く動かしてから目の前の景色に注意を向けた。
少しずつ水平飛行に移ると、間もなく彼の肩口に付けられた宝飾に光が灯り、女神の声が聞こえてくる。
『無事に目的のエリアに降臨できたようですね』
「はい、パルテナ様! こちらは天候良好、気分は上々、絶好の配達日和です!」
いつもの癖で上空を見上げつつ、ピットははきはきと答える。
『仕事熱心でよろしい。そんなあなたに良い報せです。今回のエリアは"安全"と評価されているようですよ』
この言葉を聞き、彼は心の底から出てくるような安堵のため息をついた。
「よかったぁ……いつぞやは降りた先が焼け野原でしたからね。正確に言うと山火事と泥沼のダブルパンチでしたけど。ともかく、僕にはあんな修羅場は似合いませんよ」
『あら。実はあのエリアも安全と言われていたんですよ。エインシャントさんに』
至極明るい調子で女神は打ち明ける。
「えっ……じゃあ、今回のエリアが『安全』というのも……」
『ええ。ソースはエインシャントさんです』
「……」
『どうしたのですか? ピット』
「パルテナ様。今度エインシャントさんが来た時には言っておいてください。あなたの『安全』って言葉の定義は、絶対世間一般から離れてますって」
『覚えていたら伝えておきますね』
この場では女神の姿は見えなかったが、彼女が笑顔とともにそう答える様子がありありと想像できる。
成果は期待できそうにないだろう。やれやれと首を振り、ピットは行く手に注意を戻す。
「まあでも、今のところは平和そうですね」
見上げる空はどこまでも青く美しく、彼のほかに飛んでいる者もいない。眼下を占める雲の平原は白く明るく輝いて、風に吹かれてゆっくりと形を変えていく。よくよく見ると雲には小さな星型の模様が付いており、淡く黄色や赤、青色に色づいているのだった。
「なんとなく絵本みたいな風景です。雲もエンジェランドより、なんだかポップで立体感がありますし――」
現場中継をしていた矢先、天使はふと目を凝らした。
見間違いではない。行手の雲海から、巨大な白い物体が迫り上がってくる。
「あれは……山ですか?」
『それにしてはずいぶん丸いですね』
「じゃあ月? いや、でもこんなとこにあるはずないよな……」
そう言いながらも彼は、昇りゆく頂を追って顔をあお向かせていく。
やがて行く手に全体を現したのは、純白の球体。巨大なそれが支えるものもなく白い雲海と青い大空のあわいに静止している様は、どこか超現実的な絵画を思わせた。
ボールの僅かな切れ込みが口を開き、真っ赤な一つ目が天使を見据える。
鋭い声が飛んだ。
『――気をつけなさい、ピット。あれはおそらく、"ゼロ"です!』
「はい! ……で、でも、ゼロって何なんですか?」
『ダークマターの親玉とも言われていますね。平たく言うと、ラスボス級の存在です』
女神の言葉を聞き、ピットは顔をひきつらせた。
「えぇっ……?! 初っ端からラストバトルって……それ、どんな無理ゲーなの?!」
言い切る間もなく彼は翼をはばたかせ、自分目掛けて飛んできた丸い物体を回避するはめになった。
すんでのところで当たらずに済んだその黒いボールには、ゼロと似たような一つ目があった。飛び去っていくそいつの姿を思わず目で追うピット。遠ざかっていく黒いボールの体には、黄色いひれが花びらのようにぐるりとついていた。
「なんかモノアイに似てるな……」
『シューティング中によそ見は厳禁ですよ』
女神の声を受けて、ピットは慌ててゼロの方角に注意を戻す。冥府軍のザコ敵に似た黒いボールは先ほどの一体だけではない。ゼロの方面から、雲霞のように群れをなして続々と飛んできていた。
翼をはためかせてこれをかわし、時には神弓で迎えうち、そうしてピットは行手に居座る白い球体に目を凝らす。よく見ると、黒い一つ目の彼らはゼロの体の表面からいぼのように盛り上がり、生み出され、こちらに飛翔してくるのだった。
「なるほど、あれがダークマターなんですね。ゼロは親玉っていうか、『親』なんでしょうか……それにしてもきりがないなぁ」
弓矢で応戦しつつぼやいていた矢先だった。一向に当たらない様子にしびれを切らしたのか、ゼロが行動を変えた。
天使をねめつけるゼロの一つ目。赤い眼を囲むように六つの切れ目が口を開く。そこから血のように赤い液体がにじみ出たかと思うと、たちまちのうちに横殴りの雨となってピットに襲い掛かってきた。
目をむき、ピットは慌ててこれを回避する。
「うわぁぁ、グロい! グロすぎますよ!」
矢を射かけても液体では素通りしてしまい、全く効果が見られない。急いで神弓を仕舞い、血の暴風雨をともかくがむしゃらに避けていると、宝飾から女神の声が聞こえてきた。
『あら。こんなので驚いてたら、後が持ちませんよ』
「それどういう意味ですか?!」
『残念ですが、その答えはお預けです。今回はこれを浄化するのは目的ではないので』
言い合っている向こう側で、赤い雨が不意に止まる。
ゼロの方を見ていたピットは、ふと何か妙なものを感じたかのように眉間にしわを寄せた。
「あれ……? なんか大きくなってません?」
『……! 避けなさい、ピット!』
ほとんど反射的に身をひるがえした直後、風が唸り、背中の辺りから突風に叩きのめされ、天地が上下逆さまになる。
靴の裏すれすれのところを凄まじい勢いで純白の巨体が通過していったかと思うと、間髪おかずやってきた乱流に翼をもみくちゃにされ、羽根の隙間から揚力が逃げてしまった。
すっと背筋が寒くなったかと思うと、重力の網が彼の体を捕まえる。
一度掴み損なった風の流れは、いくら翼を乗せようとしても天使の周りでいたずらに笛を吹くばかり。あがきもむなしく、彼の体はきりもみしながら雲海の中を真っ逆さまに落下していった。
「メーデー、メーデー、メーデー!」
悲鳴を上げていた彼だったが、雲海を突き抜けた先に待ち受けていた光景を見るなりぎょっと目を見開く。
先ほど自分が避けていったダークマターだろうか。黒い一つ目の一味が密集し、暗雲のように立ち込めて、落ちてくる天使を待ち受けているのだった。示し合わせたかのように、彼らの瞳から一斉に、黒い稲妻が打ちあがり始める。
思わず空中で身を引いた彼の頬を、焼けるような感触とともに電光がかすめていった。
「わわっ、ちょっと……待って! ストップ、ストップ!」
慌てて翼を広げ、どうにかこうにか風をつかみなおし、天使は落下しながらも際どいところで稲妻を避けていく。
その最中、今度は肩口の宝飾が赤く明滅し始めた。
「これ、カラータイマーみたいな機能ありましたっけ……?」
『私が付けておいたのです。ピットは覚えていますね? 飛翔の奇跡を限界まで使ってしまうと、その翼が犠牲になることを。エンジェランドの近くならともかく、これほど遠く離れた土地では頼れる神々もいません。ですから――』
「なるほど。奇跡が切れる前に知らせてくれるようにしたんですね……!」
『その通りです。あなたに残された時間はあとわずか。少々手荒になりますが、一気にここを抜けますよ!』
ぐっと目をつぶり、身構えた天使の体が一気に加速する。
全身に青い輝きを纏い、ダークマターの群れを蹴散らしながら、彼は一筋の彗星のごとく地上の森めがけて墜落していった。
『――ピット、無事ですか?』
「ええ、なんとか……」
目を開けると、緑の葉をつけた枝葉が密に茂る様が目に入ってくる。枝にはところどころリンゴのような果物も生っていた。
「ちょうど木の上に落ちたみたいです」
『狙い通りですね。我ながら、神懸ったコントロールです』
どこか得意げな調子で言う光の女神。
「神様がそれ言います?」
『あら! 本当に難しいのですよ。こんなに離れたところからあなたの翼を制御するのは。エインシャントさんの作った特別製の発信機。それが無ければいくら私と言えども、飛翔の奇跡はおろか、あなたを回収するのもあなたの周りの状況確認もままならないのですから』
そんな言葉が聞こえてきた肩口の宝飾を、エインシャントが作ったという発信機を、ピットは少しの間黙って複雑な表情で見つめていた。尊敬する女神があまりにもあっさりと『自分にもできないことがある』と認めることに、どうにもならない歯がゆさを感じていたのだ。
その感情をようやくのことで一旦よそに置き、彼は話題を他に移す。
「……それにしても、エリアはエンジェランドからすごく遠く離れてるんだってよく言ってますよね。それって、僕が今までに行った海底とか星座の世界とかと比べてもずっと遠いってことですか? 扉を抜ける時に、やたらと時間が掛かるのもそのせいなんですか?」
『まあ、そうですね』
女神は、含みを持たせた口調で肯定する。
「なんですか、その『まあ』って……。具体的にどのくらい離れてるんですか?」
天使が食い下がると、宝飾からたしなめるような声が返ってきた。
『ピット。あなたは夜空の星を見てどれがどのくらい遠いとか、いちいち気にするのですか?』
「しませんけど……でも、さすがに例えが大きすぎませんか? エリアって結局、全部地上界にあるじゃないですか。空の星々と比べたら、どこもそんなに遠いとは思えないんですけど」
腑に落ちない顔をして話題をつつくピット。そんな彼に対してパルテナは遠く彼方の神殿から厳かな口調でこう告げる。
『ピット。世界は広いのですよ。どことどこの距離が具体的にどのくらいだとか、あんまり些末なことにこだわっていては、目には見えない大事なことを見逃すでしょう』
「もっともらしいこと言って、パルテナ様……もしかして知らないってことじゃあ――」
『私を誰と心得ているのですか? 聡明で名高い、光の女神ですよ。もちろん知っていますとも』
胸を張っているのが明らかな口調で彼女はそう言い、続けて幾分澄ました調子になって言葉を継いだ。
『でもピット、銀河系のバルジの厚みが6000光年であろうと、16000光年であろうと、科学的に正確かどうか気にするのは天文マニアか物理学者しかいませんよ』
「だから、スケールが大きすぎますって――」
と、そこで彼は口をつぐんだ。
急にあたりが地震のように揺れだしたのだ。周りの枝に掴まる余裕もなく、彼は座っていた大枝から振り落とされてしまった。
地面にしたたかに打ち付けてしまった背中をさすりながら見上げた先には、先ほどまで自分が乗っていた木がそびえ立っていた。その幹にはちょうど目と口のような塩梅でうろが開いており、その間にはご丁寧に、鼻のように細く突き出た枝もある。
木は枝葉をしならせてこちらにかがみこむ。うろと枝でできた"顔"が天使をじっとのぞき込んだ。我が目を疑いながら、天使は呟いた。
「この木……生きてる?」
その矢先、木は目を怒らせ、その身をゆすりはじめた。実ったリンゴやら毛虫やらがピットの頭上にばらばらと降りかかってくる。
たまらず立ち上がり、一目散にその場を離れるピット。生きた木はそれでも我慢がならなかったのだろうか、逃げるこちらに目掛けて空気の塊のようなものを次々と打ち出してきた。
白く凝った空気の塊が頭上やら体の横やらをかすめていくので、そのたびに彼は走りながらも無理をして身を縮こませたり、ひねったりして避けていた。
女神はそんな彼の肩口から、可笑しがるような口調でこう言ってよこしていた。
『頭の上で騒がしくしたのがお気に召さなかったようですね』
それからしばらくして、天使は女神と他愛もない雑談を続けながら森の中を歩き続けていた。
あたりの木々はエンジェランドと比べると背丈が低く、その樹形はどれもが、誰かに剪定でもされているかのように球形や立方体の集合物に整えられている。地面にはところどころ用途の分からない物体も刺さっており、ピットは傍らを通り過ぎつつも、その薄黄色の板にいぶかしげな視線を向けていた。
森は緑に満ちていたが、それにしては不思議なほどにしんと静まり返っていた。
何かの植物の蕾に天使の足がたまたま掠め、鈴のような音を立てて花開くほかは、どこか遠くで風がうなり、木々がしなる音しか聞こえてこない。
先ほどの生きた木を除くと、エリアの住人らしい者の姿はほとんど見当たらなかった。数少ない住民も、ピットが歩いていく物音を耳にしただけで慌てたように藪を騒がせ、一目散に逃げていってしまったり、こちらの手の届かないところまで飛び立っていってしまうのだった。
「――あっ、君たち、ちょっと……」
おりしも洞の中から顔をのぞかせた、ずんぐりしたシルエットの狸と狐に声をかけたピット。しかしこちらを認めた途端に二匹は弾かれたように跳び上がり、慌てふためいて洞穴の中に引きかえすと、ご丁寧に岩でできた扉まで閉めてしまったのだった。
天使は諦め半分の表情であったが、それでも念を押して扉を二、三回、ノックする。
「僕は人を探してるんだ。君たち、もし何か知ってたら教えてくれない?」
そう言ってみたが、扉は相変わらず固く閉ざされ、咳の音一つ聞こえてこない。ピットはそれ以上は無理をせず、首を横に振ると再び、森の中のけもの道を歩き始めた。
「このエリアの住民、ずいぶん警戒心が強いんですね」
『無理もないでしょう。あなただって、自分の三倍くらい胴長で手足の長い人間がやってきたらびっくりしませんか?』
「まぁ驚きはするでしょうけど……いくらなんでも逃げて閉じこもったりなんかしませんよ」
『あなたくらい強ければそれで良いのでしょう。何しろ、あなたは自分の身長の何十倍もある相手にだって立ち向かってきたのですから。"翼のついた武器庫"と呼ばれたのも道理ですね』
これを聞き、天使は思わず笑い声を上げた。
「うわぁ~、懐かしいですね。ナチュレでしたっけ?」
『ええ、そうです。私としてはもう少し可愛い二つ名にしてほしかったですね』
「僕はかっこいい方が良いなぁ。……”武器庫”はちょっと僕の雰囲気には似合わないなって思いますけど」
どういう異名が良いか、二人はそんな話題で盛り上がりながら、静けさに満ちた森の中を進んでいく。
天使の足取りにはほとんど迷いがなく、まっすぐに茂みを踏み越えて歩いていた。
やがて女神が雑談を切り上げ、肩口の宝飾を介してこう告げる。
『ピット。パルテナレーダーによれば、今回の助っ人さんはこの近くに来ているようですよ』
「それは頼もしい限りです。方角はこっちであってますよね――?」
『目的地付近に到着しました。パルナビを終了します』
「そんなカーナビみたいな……。せめて目的地『に』着くまでお願いできません?」
『そうしたいのは山々ですが、どうも私とあなたの会話は、他の人には独り言に見えてしまうようですので』
そんなやりとりをしつつ、藪をガサガサ言わせながら森の外に出たところで、ピットはただならぬ気配を感じてはたと表情を改め、足を止める。
彼方から聞こえてくるのは、単語の区別も判然としないほど雑然と混ざり合った悲鳴のうねり。
立ち昇る彼らの悲鳴は一つの切れ目もない曇り空に遮られ、くぐもったこだまをあたりに響かせていた。
やがて森の外に広がっていた丘陵地帯を駆けのぼり、丸っこい住民たちが姿を現した。そのまま彼らは丘の山も谷も埋め尽くすようにして、丘陵を登ったり降りたり、森を目がけて走ってくる。彼らを追い立てている者の姿は依然として見えないが、よほど恐ろしい存在なのだろうか、彼らは森のきわに立つピットの姿など目に入らないかのように、短い手足を一心不乱に動かし、津波のようになってこちらへと向かってくるのだった。
じきに彼らの先陣が森に到達し、天使の腰丈より少し下のところを、丸みを帯びた住民たちが必死の形相で走り抜けていく。中にはこちらの脛にまともにぶつかってしまい、ぽよんと尻もちをつく者もいた。
少しでも立ち位置をずらせば足元をすくわれてしまいそうで、ピットはその場から動けないまま辺りの様子を、住民たちの顔を見回していた。
彼らは口々に叫んでいた。
「助けてくれー!」
「もうおしまいだぁ!」
「カービィ、どこに行ったんだよぉ~!」
大混乱の中から聞こえてきた名前に、ピットははっとそちらの方角へ顔を向ける。
「今、誰か……」
よく聞けば、丸っこいひとびとの多くがその名前を口にしている。
ピットは足を踏ん張りつつも鞄の中から一枚の手紙を取り出し、そこに確かに『カービィ』の名前が現れていることを確かめる。
「やっぱりだ」
ふと、彼は顔を上げる。
これまでの住民たちの柔らかそうな足音とは違う、ただならぬ物音が耳に飛び込んできたのだ。
重厚な鋼鉄の足音を響かせ、丘陵の稜線を踏み越えて現れたのはロボット兵団の隊列。
鈍色に塗られた丸いボディを輝かせ、重々しい装甲を鳴らしながら行進してくると、不意に一列になって静止し、低く身構えるような恰好になった。
「えっ……もしかして僕――」
言いかけたピットの横から、ふわりと漂い出るように黒いシルエットが前に進み出る。思わずそちらに目をやったピットは、それが先ほどのダークマターであることに気が付いて、すっとんきょうな声をあげてしまう。
森から続々と現れたダークマター達は天使にちらりとも目をくれず、ただロボット軍団を見据えたまま空中に浮かんでいた。
率いる者の姿も見えないまま、彼らは無言のうちに意思を伝えあったかのように一斉に、黒い稲妻を撃ち出し始める。向こうのロボット兵もそれとほぼ同時に、背部にブースターの炎を閃かせたかと思うとダークマターの集団に、そしてピットのいる場所に飛び込んできた。
たちまちのうちに混戦の中に飲み込まれるピット。飛んでくる鋼鉄の拳やダークマターの黄色いひれ、ミサイルやら稲妻やらを必死に避けながら、ともかくがむしゃらに走りだした。
しかし走れどもくぐれども、ダークマターとロボット集団の戦闘からは抜け出せる気配がない。いつの間にか一帯を覆うほどに双方の人数が集まってしまったのか、それとも戦の中心地に向かう方向に走ってしまったのだろうか。
「どこが『安全』だー! エインシャントの嘘つきー!」
半ばやけくそ気味に天を仰ぎ、喚く天使。
と、そんな彼の背後から機械とも違う足音が近づいてきた。軽快に草むらを踏みしだく音。
それは蹄の音として記憶の中から意味を結び、果たして横から追いついて姿を現したのは茶色の馬。
頭上から若者の声が降ってきた。
「乗って!」
馬は歩調を合わせて横に追いつき、その背に鞍がついているのが目に映る。ピットはタイミングを見計らいながら手をいっぱいに差し伸べ、鞍を掴むと助走をつけて思い切り跳躍した。
よじ登ってどうにか乗り手の後ろに座り、一息つくと、緑の装束を着た若者の後ろ姿が目に入った。
「君は……どの"リンク"?」
きょとんと尋ねると、金髪の青年はこちらを振り返った。彼の横から、小さな丸い光も現れた。
薄い羽根をはばたかせて光は言った。
「あら天使クン。リンクが見違えちゃったんで分からないんでしょ」
思い出そうとする間があって、ピットはこう尋ねる。
「妖精つれてるってことは……オカリナのリンク?」
それを聞いてぱっと表情を明るくし、若き勇者は大きく頷いた。
「そう! エインシャントさんが、こっちの姿の方が良いでしょうっていうからさ、時の神殿に行ってきたんだ」
姿こそ青年だったが、その表情はどこかあどけなく、口調も以前に会った少年と変わらない。
「なかなかきみが来ないから先にキーパーソンを探そうと思ったんだけど、考えてみたら手紙持ってるの、きみだったね」
ちょっと照れくさそうに、歯を見せて笑う。
「でも、さっきそれで見かけたひとがいるからさ! このまま、そこまで連れてくよ」
手綱を操り、茶色の馬はそれに応じて方向を変える。
ダークマターの突進を跳んで避けさせ、追ってくる機械軍団を引き離し、馬を走らせていく。息のぴったり合ったその様子は、まさに人馬一体といったところだった。
彼らが迷うことなくどんどん戦陣に突っ込んでいく様子を見て、ピットは若干不安そうな顔をして問いかける。
「まさかこの戦場にいるって言うの……?」
「そのまさかだよ。あのひと、たったひとりで戦ってるんだ。倒れてないと良いけど……」
心配で眉をひそめるリンク。と、その横からくるっと回ってきて妖精ナビィがピットに言いつける。
「ちょっと天使クン! エポナにしがみついてないで、あなたも何かやりなさいよ。あなた、弓持ってるんでしょ?」
「無茶言わないでよ! 僕、流鏑馬なんかやったことないんだから!」
「アタシがついていれば大丈夫よ。ほら、弓を構えて!」
有無を言わさぬその声に、半ばやけになりつつも両足に力をこめ、馬の胴をしっかりと掴むと神弓を構える。
最初こそ外してしまったが、ナビィの声に合わせるタイミングをつかんでくると面白いように当たるようになっていった。ゆく手に立ちはだかろうとするロボット兵士、その操縦士に光の矢をぶつけて怯ませ、こちらを追いかけてくるダークマターの群れを振り返り、掃射を食らわせる。
中にはすんでのところで避けようとする者もいたが、ピットが神弓を傾けるとそれに応じて光の軌跡がカーブを描き、吸い寄せられるように標的に着弾した。
「なかなかやるじゃない。ま、リンクほどじゃないけどね! それにしても、あんなに曲がる弓矢なんてあるのね。初めて見たわ」
と、その横でリンクが声を上げた。
「ピットくん、もうすぐだ! 降りる準備して!」
緑の服の青年と、白い服の天使。揃って馬から飛び降りると、片手をついて着地する。妖精もふわりとその後を追い、リンクの肩のあたりに降りてくる。
一方、彼らを乗せてきたエポナは首を巡らせ、機械と一つ目の軍勢の隙間を縫って走り去り、あっという間に見えなくなってしまった。
「馬、大丈夫なの?」
尋ねられたリンクは頷いた。
「大丈夫。エポナはとっても賢いから」
そう言って立ち上がると、剣と盾を構えて真っすぐに駆けだした。ピットもすぐに弓を双剣に変え、彼の後を追った。
二人が見上げる先、丘の上に紫色のマントを羽織った後ろ姿があった。見ている先で彼の持つ黄金色の剣が閃き、遅れてダークマターが一体、力尽きたようにふらふらと墜落していく。
「あれは……」
表情を改め、ピットは肩掛けのカバンから一枚の手紙を取り出し、そこに宛名があることを確認する。
「キーパーソンだよね?」
リンクの問いかけに黙って頷き、ピットはその後ろ姿に向かって声を張り上げ、彼の名を呼びかける。
金色の剣がぴくりと動きを止めたかと思うと、剣士はマントを翻して振り返った。
銀の仮面がこちらを向く。彼は丸い身体に直接顔と手足がついた、まさしく『一頭身』とでも言うべき姿をしていた。
仮面の隙間から見える黄色の目を細め、
「君たちは――?」
問おうとしかけたところで、彼の瞳がつと横にむけられる。
次の瞬間にはその姿が掻き消え、直後、彼のいた場所にロボット兵の拳が振り下ろされる。
土くれが飛び散る中、機械は動きを止めていた。見れば、一頭身の剣士がすでにロボットの装甲に降り立ち、コックピットの前に剣を突き立てているのだった。
装甲から散る火花が徐々に激しくなり、そこで彼は剣を引き抜くと、一足飛びに二人の前に着地する。
「離れろ!」
そのまま二人の足元を駆け抜けていくので、リンクとピットも彼に倣って後を追う。彼らに加えて、その横を一目散に駆けていったのは、機械兵に乗っていた丸っこいパイロット。慌てた様子で手足をばたつかせ、ピット達を追い抜き、どこかに走り去っていった。
一瞬遅れて、背後で爆発が起こった。熱風が吹き荒れ、大小の部品が飛んでくる。
難所を逃れたのもつかの間、彼らの退路を塞ぐようにダークマターの一団が現れる。横一線の陣形は見る間にこちらを囲うような半円形となり、じりじりと距離を詰めてくる。感情を持たない一つ目がずらりと並び、三人を凝視する。
仮面の剣士は寸分の迷いもなく、自分だけで引き受けようというように剣を構えた。だがそこに、こう言ってリンクが進み出る。
「ぼくらも一緒に戦うよ!」
これを聞いたピットは後ろの方で虚を突かれたような顔をするも、ややあって肩をすくめ、こう呟く。
「確かに、今はこの場を切り抜けるしかないよね」
割り切って双剣を手に構え、リンクに倣ってもう片方の側につく。
剣士はそんな二人を驚いたように見上げていたが、やがて眼前の一つ目軍団に向き直り、呟くように言った。
「……好きにすると良い」
丘陵に群がっていた一つ目の一族、およびロボットの軍勢は、元々はどこか別の場所で繰り広げられていた戦闘が波及したものだったらしい。三人が根気よく退け続けるうちに、どちらからともなく『彼らに仕掛けることは得にならない』と思ったのだろうか。次第に数を減らし、残る機械兵やダークマターもピットたちを明らかに避け、警戒もあらわに遠巻きにするようになっていった。
もはや彼らが襲ってこなくなったのを見て取り、ピットやリンクはすでに武器を下ろしていたが、一頭身の剣士の方は敵の最後の一体が姿を消すまで、決して臨戦態勢を崩そうとしなかった。
三人のほかに誰もいない丘陵で、風だけが遠くの木立を震わせて吹き抜ける中、ようやく剣を背に掛けると剣士は傍らの二人を見上げる。
「世話になったな。礼を言おう。大したもてなしはできないが、私の船に立ち寄ってくれ」
ピットのほうはようやく戦闘が終わって気が抜けており、剣士のその言葉を聞いて慌てて引き留めようとしたときにはもうすでに、相手はこちらに背を向けて歩き始めていた。横にリンクが追いついて、天使の肩を軽くたたく。
「まずは話を聞いてみようよ」
「でもさ、手紙はあと二枚あるんだよ? のんびりお茶してる暇は無いんだけど……」
「だからこそだよ。ピットくん、さっきはたまたまうまく行ったけど、このエリアの様子だったら、ぼくらだけの力じゃ他のキーパーソンを見つけられないかも。でも、元からここにいたひとなら、もしかしたら他のふたりの居場所も知ってるかもしれないでしょ」
勇者のこの言葉に、不承不承といった様子ではあったが、ピットは頷きを返す。
低く垂れこめた曇天の下、やがて足元は草原から徐々に古びた石畳へと変わっていく。それに気づいて行く手を見透かすと、遠くに石造りの遺跡が立ち並ぶ様が見えてきた。
歩くうちに、初めは遠景だったところからゆっくりと近づき、やがて迫り上がるようにしてその威容が明らかになっていき、ピットとリンクは歩きながらも、思わず口をぽかんと開けて周囲の遺跡を眺めていた。
おおむね四角く切り出され、模様を彫り込まれた巨石。それらが積み重ねられ、柱や壁を形作っている。元は何か建物を形作っていたはずだが、今では中途半端な残骸しか残っておらず、どこからどこまでが一つの建造物だったのかを言い当てることも難しい。またどの石材も砂埃を被って薄く汚れ、至る所にびっしりと蔦が絡み、ハート形の葉に覆い尽くされていた。
道中、あまり自分のことを語ろうとはしない剣士だったが、ピットやリンクの問いかけに応じて少しずつ、現状を明かし始めた。
彼はこの一帯を守っているという。この先にある『戦艦』を拠点として、身を寄せる住民や周辺地域のひとびとの代わりに戦っているそうだ。また、剣士が一人で戦っていたのには訳があった。戦闘要員は彼のほかにもいるのだが、彼らには船の防衛に専念するよう言い渡してあるのだ、と。
明言はしなかった。だがその口ぶりからすると、彼の言う戦闘要員は前線に出せるほど強くはないのかもしれない。
また今回、船の近くまでなだれ込もうとし、そして先ほどまで三人が戦っていた二つの勢力についても言及があった。黒ずくめの一つ目は、住民に憑りつき、星に暗闇を広げるダークマター一族。そしてもう一方のロボット兵団は、この星の機械化を目論む『ハルトマンワークスカンパニー』の社員たち。
剣士曰く、どちらも本来は『この星』に元から暮らしていた者たちではない。それでいて先に暮らしていた者たちと共存する意思も示さず、本来は彼らのものではないこの星を我が物顔に蹂躙し、奪い合い、日々戦闘を繰り返しているのだという。
剣士の口数は総じて少なかった。必要以上のことを語らない性格なのだろうか、あるいは共に戦った相手に対して、まだどこかに異邦人への警戒を残しているのだろうか。
そのうちとうとう根負けしてしまい、主にピットとリンク、そしてナビィの三者で会話をしつつ歩いていると、不意に行く手の視界が大きく開けた。
剣士の歩調が少し早くなり、向こうに立つと行く先の様子を確かめる。無意識のうちに手を固く握り、下方にじっと目を凝らしていた彼の手から、ややあって緊張が解ける。
二人も彼の横まで追いつき、そこで立ち止まった。遺跡の道はそこで途切れ、その先には巨大な峡谷が待ち受けていた。向こう岸ははるか彼方にあり、また底の方には濃霧が立ち込め、深さを推し量ることもできない。
峡谷を覆う霧の中には、明らかに自然物ではない構造が横たわっていた。巨大な翼の生えた、鋼鉄の構造物。
辛うじて船だということが分かったが、それはみすぼらしいほどに損壊していた。塗装はほとんど剥がれ落ち、むき出しになった金属がさび付いて本来の色はもはや分からなくなってしまっている。四枚ある翼のうち二枚は中ほどから折れてぶら下がり、ほかの二枚もほとんど骨組みを残して燃え尽きていた。船の外殻には虫食い穴のように大きな穴が開いており、船員らしき影が行き来しているのが上から見えるほどだった。それら船体を覆い尽くす大小の穴は殆どが古いもののようだったが、一部真新しいものもあり、細く灰色の煙を上げていた。
墜落してからかなりの年月が経ったのだろうか、さらに目を凝らすと、ところどころ草木に侵食されている部分もある。砲台には蔦がまとわりつき、甲板に開いた穴からは低木が顔をのぞかせている。その荒廃ぶりたるや、ここまで歩いてきた遺跡とあの船が同じ時代に作られたのかと思うほどだった。
戦艦の残骸を見下ろし、剣士は二人に告げた。
「あれがハルバードだ」
短い言葉に、そして仮面の裏に、彼の感情は隠されてしまっていた。
頻繁にひとびとが行き来しているのだろう、峡谷の底から遺跡にかけては切り返しの道が整備されていた。
木の板が渡された傾斜地を降りていき、船に近づいていくと、到着も待たずに鎧を着込んだ色とりどりのひとびとが出迎えにやってきた。
「メタナイト様ー!」
「ご無事でしたかー?」
名前を呼ばれた剣士は黙って頷き、それから彼らに向けてこう問いかけた。
「船は?」
「何とか持ちこたえました。また大穴を開けられちゃいましたけど……」
と言いかけたところで彼らは、少し遅れて降りてきた二人に気が付き、にわかにざわめき立つ。
「な、何者だ!」
「お前らも侵略者か?!」
とげ付きの鉄球やら三又の槍やら、彼らの背丈に合わせたサイズの武器を構える。
そんな彼らに対し、剣士が手ぶり一つで警戒を解かせる。
「彼らは私が招いた客だ。応接室に通してくれ」
剣士は、戦艦の受けた損傷を確かめに行くと言って、先に船内に上がっていった。
案内役に指名された乗組員のひとりについて行く前に、ピットは船の全長を見渡すように首を巡らせた。遺跡から見下ろした時に想像していたよりも、船は思いの外大きかった。ボロボロに壊れているのは上から見た時の印象と変わりなかったが、これだけ大きな鋼鉄の隠れ家であれば、安全地帯を求める住民にとって、何も遮るものが無いよりは遥かにましだろう。
戦艦は峡谷の底とほぼ水平になるように停泊しており、本来の入り口らしき場所から地面に向けて、鉄のタラップが渡されている。さらにタラップの下には、補強するように手ごろな岩や材木が詰め込まれていた。いざとなればタラップをしまい、ハッチを閉めることもできるようだが、ただ、あれだけ外殻に穴が開いている状況では、ハッチ一つを閉めたところでどうしようもないだろう。
ピットは内心でそんなことを思いながらタラップを上がっていった。段の高さはこのエリアの背の低い住民に合わせたサイズであり、数段飛ばしでちょうどよいくらいだった。
タラップの先で待っていたのは、案内役を仰せつかった鉄球持ちの乗組員。紫色の鎧を着込み、ゴーグルを着けている彼は、自分の名を"メイス"と名乗った。
「今の船内は少し入り組んでるから、ふたりとも離れないでついてきてほしいダス」
彼の言葉ももっともだった。
二人が背をかがめてハッチを潜り抜けた先、そこにはアスレチックとバラックをごちゃまぜにし、何層にも積み重ねたような風景が広がっていた。
この戦艦は、もともとはいくつかの階層と、目的別の区画に分かれていたらしい。それらを隔てていた壁はところどころですっかり失われており、全く毛色の違う部屋同士がつながっていたり、間に合わせの手すりが渡されただけで広い吹き抜けに面している階層があったりと、そういった様子がすでに二人のいるところからもはっきりと見えていた。壁が失われた理由は何者かの攻撃か、あるいは老朽化によってか、いずれともわからない。場所によっては、利便性を考えて取り払われたところもありそうだった。
鋼鉄に囲まれた船内の風景に反して、階層を上り下りする手段はかなり原始的だった。木材で作られた粗末な梯子や、穴に通しただけの鉄柱、ひとによっては自力で跳び越えたり、翼を使ったりして移動している。船内にいるほとんどのひとは、先ほど剣士を出迎えに来た者たちとは違い、武器らしいものを持っていない。顔つきからしても、この戦艦の構成員というよりはどちらかというと避難民という趣だった。
上層階を見上げていたところから行く手に視線を戻すと、少し奥の方に、色も形も様々なテントがほとんどひしめき合うようにして立ち並んでいる様子が見えてきた。ハッチと同じ高さにあるこの階層は、深いところにあるためか比較的損傷が浅く、その平らな床を地面として住民たちがテントをこしらえ、暮らしているようだった。ただし床が明るく照らし出されているところ、つまり外からの光を受けているところは避けているようで、そこだけはぽっかりと抜けたように木製の床がむき出しになっている。それはおそらく、雨風をしのぐためばかりではないのだろう。
何度もこの戦艦が被ってきた襲撃。外壁を貫通する大穴の数がそれを証明している。そこから外の光がいくつもの柱となって差し込み、船内の雑然とした様子を照らし上げていた。
「ほら、早く来ないと置いてくダスよ!」
その声に、ピットは我に返る。隣のリンクも船内の光景に目を奪われていたようだった。
急いでメイスの後を追い、二人は枝を組んで作られた梯子を登っていく。これもやはり幅が狭く作られており、二人は足をつっかけて壊してしまわないか、そもそも自分たちの体重を支え切れるのだろうかと内心でひやひやしていた。
登っていく途中、ピットはふと横に目をやった。梯子の掛けられた空間の隣には、並行するように垂直に伸びるトンネルがあったのだが、その途中、斜めに傾いで台座が止まっていたのだ。
「これって、エレベーター……?」
女神と会話するときのいつもの癖で思わず呟くと、上の方でメイスが気づき、梯子を登りながらもこう教えてくれた。
「今は電力不足で動かせないんダス。まあ、そもそも……レールから片っぽ外れちゃってて、それも直さないとなんダスが」
細長く伸びた船首に至る通路。寸胴な船尾部と比べると被弾しにくいのか、外に通じるような穴を見かけることは少なくなってきた。行き来するひとびとも鎧を着込み、武器を携えた姿が多くなっている。この区画には、何かしら今の船の運営に重要な部屋や設備が集まっているのだろう。
天井に張り巡らされた配管に頭をぶつけないよう時折身をかがめ、潜り抜けながら、メイスの後ろについて歩く二人。そんなピット達の姿はやはりこのエリアの住民からすると見慣れないものであるらしく、乗組員はこちらとすれ違うたびに、皆一様にぎょっとしたような反応を見せていた。
そのたびにメイスが彼らに、二人はお客であることを説明していたが、何回目かには後ろの方で、ナビィがリンクにこっそりと耳打ちをしていた。
「アタシたちが守ってあげたっていうのに、まったく失礼しちゃうわよね!」
「みんなびっくりしてるだけじゃない? さっきからいろんなひとを見かけたけど、ぼくらみたいなひとはいなかったから」
「もう、リンクってばのんきなんだから……」
二人がそんな会話をしていると、前を歩くメイスがこちらを振り返った。ゴーグルを付けたような顔でありながら、どことなく肩身が狭そうな表情をしている。
「みんな事情を知ったらあんな態度は取らないと思うダス。それにしても、ワシらがふがいないばっかりに……メタナイト様にはいっつも苦労を掛けてしまって」
「でも彼、君たちに船の防衛を任せてるって言ってたけど」
遺跡での会話を思い出しつつピットがそう聞き返すが、メイスは肩を落とし、首をのろのろと振った。
「とてもじゃないけど、役目を果たせてるとは思えないダス。今日だって、せっかく侵略者の軍勢をせき止めてもらってたのに、また船に攻撃を受けてしまったんダスよ?」
「その様子だと、ずいぶん前から戦ってるみたいだね」
「まあ、そうダスね……。この戦艦がセイントスクエアーズ……あ、このあたりの地名なんダスが、ここに墜ちてしまったのもだいぶ昔の話になるダス。今じゃすっかり防戦一方なんダスけど……でも今の姿がこの船の全てだとは思わないでほしいダス。昔はこの船だって、ちゃんとポップスター中を飛び回って、侵略者を片っ端から蹴散らしていたんダスよ」
これを聞いて、リンクは感心したように辺りの壁や天井を走る配管の網目模様を眺めまわす。
「へぇ……この船、やっぱり空を飛べたんだ!」
彼の素直な言葉に励まされたのか、メイスはゴーグルを輝かせてこう返す。
「それだけじゃないダスよ! 二連主砲にレーザー砲、張り巡らされた砲台で敵を木っ端みじんにもできるダス!」
そこまで言ったところでゴーグルの彼は、ふと現実を思い出したようにうなだれてしまう。
「まぁ、何度も墜とされるうちにどっかしらがちょっとずつ直せなくなって……今はすっかりこの有様なんダスが」
彼に向けて、ピットは再び問いかける。
「侵略者って言ってたけど、それってさっきの一つ目集団とかロボットとかのこと?」
メイスは首を横に振る。
「それだけじゃないダス。今じゃポップスターは数えきれないくらいの勢力に襲われているんダス。なのに、住民は怯えて逃げるばっかり。戦ってるのはワシらくらいのものダス」
「さっき、その住民が『カービィ』ってひとに助けを求めてたんだけど――」
その名前を挙げた瞬間、ゴーグルの目の色が変わったような気がした。
果たして彼は声を硬くして、言い捨てた。
「あいつにいくら助けを求めても無駄ダス。カービィは……この星から出て行ったんダス」
「出て行った……? じゃあ、このエリア――」
首を振って言いかえる。
「このポップスターにはいないってこと?」
「ワシは知らないダス。もう誰も、しばらく見かけてないんじゃないダスか?」
そこでちょうど目的の部屋にたどり着いたらしい。廊下の途中にあった扉を押し開けながら彼はこう言葉を継いだ。
「あいつはたしかに、べらぼうに強いダス。でも結局、この星を本当に守ろうと思ってたのはメタナイト様だけだったんダスよ」
この船の主が戻るまでここで待っているようにと頼み、メイスは応接室を後にした。
彼が立ち去り際に閉めていった扉は、立て付けが悪いのか、それとも船がわずかに傾いているのか、二人が見ている先で再びゆっくりと開いていく。やがてそれがこちら側の壁に当たり、かしゃんとわずかな音を立てた。
ピットとリンクは二人掛けのソファに腰かけていた。やはりこれも彼らにとっては低すぎて、二人はやり場のない足をテーブルの下に入れるようにして伸ばしていた。ナビィの方は応接室の中をふわふわと飛び回り、丸窓の向こうをのぞき込んだり、室内を飾る調度品を眺めてまわっている。
「ねぇ、ピットくん」
リンクから、声が掛かる。
「どうする?」
「どうしよう……。初めてのパターンだよ」
そう答えたピットの顔は、当惑を通り越してもはや呆然としてしまっていた。
女神パルテナはいつも、そのエリアでキーパーソンがいるであろう確率が最も高い場所にめがけて扉を開く。キーパーソンの方も、複数の人数がいたとしても近辺に固まって住んでいることが多い。だからこれまでは、適当であっても歩き回るうちに、誰かしらキーパーソンに出会うことができ、そこから辿って全員に出会うことができたのだ。
しかし今回は、エリアの住民から明確に『しばらく見ていない』という返答が出てきてしまった。先ほどの丘陵地帯でも、逃げていく住民が『カービィ』に助けを求めていた声は、明らかにいなくなって久しい相手に向けられる言葉だった。
ピットは肩に掛けたカバンから、彼の名前が書かれた封筒を取り出して、目の前のテーブルの上に置く。
「もしも本当に見つからなかったら、エインシャントさんには『配れませんでした』って言うしかないかな……」
彼はそう言いながら、封筒の宛名に願いを込めるようなまなざしを向け、じっと見つめる。その隣でリンクは不思議そうな顔をしてこう尋ねた。
「そうしちゃだめなの?」
「だめというか、今までにそうなったことが無いんだ。僕はこれまで色んなエリアを回ってきたけど、手紙を配り切らずに帰ったことは一度もない。帰る時にはいつも、キーパーソン全員がエリアを出るまで見届けて、エインシャントさんに全員に配り切ったことを報告してから、それからパルテナ様に回収してもらってるんだよ」
リンクは天井を見上げるように軽く顔を仰向かせ、しばし考えてからピットに向き直るとこう返す。
「あの人だって間違えることはあるかもしれないよ。一度帰って聞いてみても良いんじゃない?」
「どうかなぁ……」
ピットは、自分が一旦引き返した場合を想像してみる。しかし深緑の帽子の下から、あの穏やかな声で『必ずどこかにいるはずですよ。探し出してくださいね』と、にべもなく言われるのがありありと浮かんでしまい、天使はため息をついてがくりとうなだれ、頭を抱えてしまった。
「待たせてしまったな」
その声にはっと顔を上げると、応接室の戸口にメタナイトが現れていた。
彼は靴の継ぎ目を微かに鳴らしながら歩いてくる。テーブルをはさんで向かい側のソファに向かいかけたところで、テーブルの上に置かれたままになっていた手紙に気づく。
途端に、彼は歩みを止めた。
まるで引き絞った弓を真正面から突き付けられたかのように、言葉を失い、封筒から目が離せなくなっていた。仮面を着けたままの顔ながら、その表情が凍り付いているのが分かった。
張り詰めた沈黙を何とか崩そうと、ピットは思い切って自分から言葉を切り出した。
「えっと。この名前に見覚え、あるみたいだね」
相手はその場から動かず、ただ黄色く輝く瞳を天使の顔にひたと据える。
「……君たちは、彼を探しているのか」
「そう。僕はパルテナ様の元――」
と言いかけて、ピットはそこで互いに自己紹介をしていなかったことに気が付く。
「あっ、そういえば言い遅れちゃったけど……僕は光の女神が遣い、ピット。そして――」
顔を横に向けると、リンクは近くにナビィを呼び寄せてから後を継いだ。
「コキリの森のリンク! こっちはナビィだよ。ぼくらはピットくんのお手伝いなんだ」
地名に聞き覚えがないのか、仮面の剣士はわずかに訝しげな様子で目を細めながらも、頷いた。
「ピットに、リンク、ナビィだな。私の名はメタナイトだ。……すでに君たちは知っていたようだが」
「まぁ知ってたというか……正確に言うとちょっと違うんだけど」
言いあぐねて頭の後ろをかくピット。とはいえ"封筒に名前が浮かんだ"ことを説明しだすと本筋から離れてしまうだろう。そう割り切って、彼は話を元に戻す。
「ともかく、僕らはどうしても届けなきゃいけない報せがあって、このエリア……じゃなくって、この星にやってきたんだ」
「だとしたら――」
幾分平静を取り戻してきたのだろう、メタナイトはそう言いながら再び歩き出し、ようやく向かい側のソファに腰かけた。
「……彼については諦めた方が良い。君たちは、いささか遅すぎたようだ」
「遅すぎたって、もうこの星にはいないってこと? さっき案内してくれたひともそう言ってたけど」
これに対し相手は目を瞑り、ゆっくりと頷く。
「おそらくは」
それから目を開くと、その瞳で天使を見据えてこう言った。
「……君たちには助力を貰った恩がある。何か少しでも手掛かりになるのなら、私の知っていることを話そう」
「この辺りはかつて、『あきれかえるほど平和な国』と呼ばれていた。……今では信じ難いことだろうが」
彼の語りは、そんな一節から始まった。
ある時、『春風のたびびと』と呼ばれる若者がこの地にたどり着いた。彼はこの地が気に入ったのか、家をもらって定住するまでになった。
彼は見かけによらず腕が立ち、彼の平穏な暮らしを脅かす存在が現れればすぐさま立ち向かい、退けていた。
それを見た住民たちは、次第に自分たちの身の回りの安全までも、彼に頼るようになっていった。
そこまでを話したところで、剣士はこう言葉を継いだ。
「だが、元はと言えば彼は旅の身だ。この星がいくら住みやすい楽園だったとしても、いつ気まぐれで旅立とうとするか分からない。だから自分たちで戦えるようになっておくべきだと、私はそう考えていた」
自然豊かな夢の星。とはいえ、時には暇を持て余した住民が騒動を引き起こしたり、まれに他者を排除するような存在が攻めてくることもあった。
最初のうちはいつものように、旅人が解決に乗り出していた。時には剣士に加勢を頼み、あるいは流れでこちらから助けることになり、共に戦ったこともある、と彼は語った。
どこか昔を懐かしむようにしばし窓の方角を眺めていた彼は、ふと顔を横に振り、二人に向き直る。
「――しかし、我々が異変に気付いたとき、すでに事物の歯車は狂い始めていた」
いつの日からか、この星を侵略せんとする勢力が次々に現れるようになっていたという。一つを追い返した矢先に、別の勢力が降りてきた。さらにはカービィが退治しきれないうちに、いくつもの集団が居座り、星中で暴れまわるようになっていく。そうこうしているうちに、しまいには侵略者同士が鉢合わせ、いがみ合い、元々の住民をそっちのけで覇権を争うようになっていった。
ここまでを聞いたピットは、剣士にこう尋ねかける。
「この星がそんなに魅力的だったなら、むしろ、それまで侵略者がたまにしか来なかったっていう方が不思議なんだけど……」
「君の指摘ももっともだ」
仮面の切れ込みから黄色い瞳を天使に向けて、彼は言葉を継ぐ。
「しかし、カービィは目の前に立ちはだかる壁が高ければ高いほど、信じがたいほどの力を発揮してそれを乗り越えていく。つまり、この星を支配せんとするほどの野望をもって対決すれば、それだけ手痛い反撃を食らうことになるのだ。復活にもそれ相応の時間が掛かるだろう」
「じゃあ今は、誰かが侵略者の回復を手助けしてるのかな」
ピットの言葉に、剣士は少しの間黙って考え込んだ。
「……否定はできないな」
「カービィはその誰かをやっつけに行った、とか?」
「それならそうと言うはずだ」
ピットを見据え、メタナイトは断言した。だが机に置かれたその拳は、きつく握りしめられていた。
「最後に彼がこの船を訪れたとき……そのようなことは、私に一言も言わなかった」
ハルバードは侵略者を相手に、すでに数えきれないほどの戦いを潜り抜けていた。
装甲にはいくつもの傷跡が残り、四つの翼も度重なる修繕でモザイク状に色分けされていた。だが、少なくともその時の戦艦は立派に空を飛んでいた。
ブリッジに立ち、窓の向こう、行く手に現れては左右に流れ去る白い雲の群れを眺めていた仮面の剣士は、ふと後ろの騒がしさに気づいて振り返った。
「こらーっ、止まれー!」「それ以上進んじゃだめダス!」「止まってくださ~い!」
閉ざされた扉の少し奥の方から部下の声が聞こえてきたかと思うと、いきなり扉が開け放たれた。
いや、それはどちらかというと『蹴破られた』に近かった。
しかしメタナイトは背の剣に手をかけることもせず、ただ咎めるように目を細めると相手に向けてこう言った。
「扉を開ける前にはノックをしろと、何度言ったら分かるんだ」
跳び蹴りからの着地の姿勢になっていたピンク玉は、ぽよんと跳ねて剣士に向き直る。
「えぇ? したよ~?」
「足で蹴破ることをノックとは言わん」
「だってみんなが追いかけてくるんだもん。メタナイトもともだちにちゃんと言っておいてよ、ぼくは"ふしんしゃ"じゃないって」
ちょっと口をとがらせてカービィはそう言った。
「大方、疑われるようなことをしたのだろう。今度はどこから侵入した? 何も壊さなかっただろうな」
そう言いながら剣士はブリッジの出入口に顔を向け、一斉に飛び込んだためにぎゅうぎゅう詰めになっている部下たちに向け、"下がっていい"というように合図を送る。
「もちろん! きみがこの前おしえてくれた"はっち"から入ったよ」
あまりにもあっさりと言うので思わず頷きかけたが、そこで剣士は気が付いた。
「あれは飛行中は開かないはずだが」
「あかなかったからあけた!」
そんなことを満点の笑顔で言うので、もはや叱る気も起きなかった。呆れてため息をつき、彼はカービィにこう釘を刺した。
「お前には後で修理に加わってもらうからな」
「えぇ~?」
明らかに不服そうな顔をするカービィ。
「ものを直すためにどれほど労力を使うのか。それを分かれば、お前も無暗にこの船を壊そうとはしなくなるだろう」
丁寧に説いたつもりだったが、相手には少しも響かなかったらしい。
「そんなひまないよ。ぼく、いそぎのようじで来たんだからね!」
真っすぐにこちらを見据える彼の様子に、気づくものがあった。
「……新手の侵略者か?」
「そう! だけど、ちがう! べつのこと!」
言葉を探し、一生懸命に両腕を振り回しながら彼は言う。やがてぶるぶると頭を左右に振り、真剣な眼差しを向けると、
「ポップスターからでるの! いっしょに来て!」
きっぱりと言い切った。
剣士はしばらく何も言うこともできず、唖然として相手を見返していた。自分に聞こえた音の意味を疑っていたのだ。
「……当時、彼の言葉は『どうにもならないこの星を捨てて逃げるべきだ』と――そういう意味合いに聞こえたのだ。いくら理由を問い質しても、返ってくる答えは判然としないものばかりだった。この星を見捨てるつもりなのかと詰問し、考え直すようにと説得したが、彼は頑なに頷こうとはしなかった」
彼はテーブルの向こうの床のあたりを眺め、伏し目がちに次の言葉を継いだ。
「『お前とはやはり、相容れないようだ』……私は、そう言って彼に背を向けた」
一旦目をつぶり、間を置いてから剣士は二人に顔を向ける。
「そしてそれが、彼を見た最後となった」
旅人が姿を消してから、長い時が流れた。
この星に元からいた住民たちはもはや、侵略者達がひっきりなしに巻き起こす破壊と混乱の隙間を縫って逃げ惑うほか、生きる道はなくなってしまった。
「私もこの船を盾として、身を寄せるひとびとを守るのがやっとだ。しかしハルバードもこの有様では、いつまで耐えられるか分からない」
静かに、顔を横に振る。
「今となっては、彼の言葉にも一理あったのではないか、そう思い始めている。カービィはおそらく、一つの勢力を押し返すことまではできても、それが複数ともなれば自分の手にも負えないと、そう悟ったのだろう。だから、あんな言葉が出たのだ」
ふと目をそらし、彼はほとんど呟くようにこう言った。
「引き際を知らない勇気はただの蛮勇だ。……彼の手に負えないものを私がどうにかできると思ったのが、そもそも思い違いだったのかもしれないな」
訪れた短い沈黙の間に、リンクは剣士が語り始めに言っていたことを思い返しながら、言葉を投げかける。
「皆が戦えるように。……君は、このあたりのひとたちを鍛えようとしたの?」
「そうだ。しかし、結果は……私が改めて言うまでもないだろうな。君たちも見てきただろう、この船に身を寄せるひとびとの様子を」
彼は最初のうち、ひとりでも多くの住民に戦い方を教えようとしたそうだ。
この状況を目にすれば、いくら平和に慣れ切った住民でも自分の身を、そして自分たちの星を自分の力で守ることに目覚めると期待していた。だが、この戦艦に助けを求めてやってくる住民に自衛の重要性を説き、訓練したところ、少しもしないうちに音を上げて逃げていってしまった。
現在、船内に身を寄せている避難民には戦力としての期待をかけていない、という。
「君たちのように、あれほど多勢を相手にしてもなお、自ら進んで戦うような勇気あるひとは珍しい。……ともあれ、あの時私が下した決断を、今では後悔している。無理に戦おうとせず、また無理に戦わせようとせず、戦艦が飛べるうちに住民を載せて飛び立っておけば安全な地を、あるいは安全な星を探すこともできたはずだ」
彼はそこで、しばし瞑目する。
「……訣別の日、あの時の彼の言葉がそのまま行動に移されたのなら、彼はこの星にはいないはずだ。行き先は聞いておかなかった。だが、もう……この星には戻らないだろう」
メタナイトは淡々とした口調でそう言った。しかし、再び開かれた瞳はピット達ではなく、窓の方へと向けられていた。
物思いにふけるようにそのまま黙ってしまった仮面の剣士。言葉にされない思いが応接室を満たし、それが足元から降り積もっていくように思えて、しばらく何も言えなかったピットとリンクだったが、やがて二人で顔を見合わせるとピットの方から身を乗り出す。
「……実は、君にも手紙があるんだ」
肩掛けカバンから、先ほど渡し損ねていた手紙を取り出し、テーブルを越えて剣士に差し出す。
「私に……?」
唖然とした様子で呟くが、彼は存外早く立ち直るとソファから降り、これを受け取った。
逡巡ののち、テーブルに置かれていたペーパーナイフを手に取ると封を切り、中の紙を取り出す。
彼はしばらくの間、文面を黙って読み進めていた。
ピットとリンクも説明のつかない緊張を覚え、無意識のうちに二人とも膝の上に置いた手を硬く握っていた。
二人が固唾をのんで見守る向かい側で、メタナイトは不意に虚を突かれたように瞳を動揺させ、その手にわずかに震えが現れ始める。
仮面の向こう、見えることのない口が呆然とした口調で言葉をつぶやく。
「……馬鹿な。それでは、私は……いったい何のために……」
耐え切れずに顔を背け、目をつぶる。その手が固く握りしめられ、くしゃっと音を立てて紙が歪む。
全身に満ちていた強張りはやがて沈黙のうちに少しずつ薄れていき、彼は再び目を開くと天使に向き直った。
「……君は、剣を扱えたな」
その声音はすでに、先ほどまでの冷静さを取り戻していた。この問いかけに、ピットは戸惑った顔をして頷く。
「でもそれがどう――」
それにほとんどかぶせるようにして、彼は真っすぐにピットを見据え、言った。
「私は君に、勝負を申し込む」