星は夢を抱いて巡る
第2章 平和をもたらす者 ②
遺跡の中でも際立って小高い場所に設けられた円形の舞台。
周囲には切り立った岩山がそびえ立ち、その隙間を、咽び泣くような音を立てて風が吹き抜ける。その度に石舞台の上でもわずかばかりの土ぼこりが舞い上がり、人影の間を通り過ぎていく。
石舞台の中央に立つ二人を見守るように、舞台の縁にはリンクがあぐらをかいて座っていた。彼の肩のあたりで浮かび、同じ方角を見つめていたナビィはこっそりと勇者に耳打ちをする。
「あの子、大丈夫だと思う? アタシがついてあげた方がいいかしら」
「ピットくんならきっと大丈夫だよ。普段、一人でエリアを冒険することもあるって言ってたから。ここで応援してよう」
その一方、石舞台を取り囲む岩山の群れをきょろきょろと見回すピットの眼差しは、どこか不安げだった。
彼はその表情をそっくりそのまま、少し離れた向かい側に立つ仮面の剣士へと向ける。
「あのー……一応言っておくけど。その手紙書いたの、僕じゃないからね?」
乾いた石畳の向こうから、答えはすぐに返ってきた。
「分かっている。別段、文面が気に食わなかったなどと言うのではない」
心中ひそかに抱えていた心配事があっさりと否定されてしまい、ピットは思わずずっこけてしまう。
「じゃあ何で戦う話になるの?!」
「……私はあの手紙にあったことを、確かめねばならない」
そうして彼は片手に携えた剣を儀礼的に払うと、その切っ先をピットへと向けた。
「すまないが、君には手合わせに付き合ってもらう」
剣士の心が一つに定まり、もはや変わりそうに無いことを見て取り、天使は自分に向けて呟いた。
「選択肢はないみたいだね。続けるか、頑張るか――」
神弓を片手に持ち、少し腰を落とすと相手の出方を見守る。
じっと見据えていた先、黄金の剣が角度を変え――
「……!」
いきなり顔を引きつらせ、ピットは気づけば神弓を縦に持ち、刃の部分で相手の剣を受け止めていた。
鋭利な金属が交差する向こう側、それにも負けない鋭さを持った瞳が仮面の向こうからこちらを見据えていた。
ほとんど反射的だった。相手が走ってきた様子さえ目に映らなかった。しかし彼はあっという間に自他の距離を詰め、あまつさえ跳躍し、横なぎに黄金の剣を振り払っていたのだ。
甲高い金属音、残響が周囲の岩山にこだまする中、ピットが見る前でメタナイトは素早く宙返りをして後退し、着地する。
空いた片手を地につけ、剣はすでに横ざまに構えられ、瞳は次に打ち込むべき目標を見据えている。
彼が紫紺のマントをはためかせ、突風のように猛然と飛び込んできた時、ピットは神弓を双剣へと変えておくのがやっとだった。
あらゆる方向から襲いくる、嵐のような剣筋。もはや目では太刀筋を追えず、風を斬り裂く時の鋭い擦過音の方角を手がかりに、ぎりぎりのところで反応する。双剣で受け止めるたびに、耳をつんざくような金属音が鳴り響く。
かろうじて目に止まるのは、すでに相手が剣を振り切った後か、次の構えに向けて力を蓄える時の一瞬の姿。金色の閃光が日の光を撥ね返すたびに、ほとんど打ち据えるような勢いで剣が振り払われ、防御の姿勢を取った両腕に痺れるような衝撃が走る。
――これが手合わせだって?! こんなの、ホンキ度マックスの真剣勝負じゃないか!
よっぽど声に出して言ってやりたかったが、あいにく相手の剣戟にはそれを許すほどの暇がないのだった。
こちらは双剣、あちらは一太刀。だというのに、反撃を差し込むべき時機はいつまで経ってもやってこない。
それでもピットは、内心で自分につっこむことを忘れなかった。
――……まぁ、僕らが"真剣"を使ってることには変わりないか。
先ほどの丘陵地帯での戦いで、横目で見る程度ではあったが相手の武器はすでに分かっている。
彼が扱うのはその手に持つ枝刃の剣だけだ。それを知っていて、ピットの方も神弓または双剣のみで戦うつもりでいたが、この調子ではそんな悠長なことは言っていられないだろう。
不規則に打ち込まれる黄金の剣を、天使はただひたすらにじっと耐えているかのように見えた。
いくら相手の動きが機敏でも、得物が剣であれば『振り切った一瞬の隙』が存在するはずだ。
防御に徹してただひたすらに相手の太刀筋を観察し、待ちわびた刹那――鋭利な輝線を片方の剣で引き受ける。
ピットはふと腰を落としたかと思うと、もう片方の剣を素早く仕舞い、空の手のひらを真っすぐに前へと突き出した。
その仕草に応じて、虚空から別の神器が呼び出される。
かつて彼がエンジェランドでの任務に赴いていた頃は、一度の任務で一つの神器のみを携帯していた。
しかし今回は、かなりの遠隔地で長丁場の任務となることもあり、臨機応変に動けるようにとの女神の計らいによって"不可視の空間"に複数の神器を確保しておけるようになっていた。
黄金の盾。それはおりしも次の斬撃を放っていた剣士の攻撃を受け止める。
遅れて消失した盾の向こう側、想定外の位置から反動を受けた仮面の剣士は、思わず姿勢を崩していた。
――パルテナ様、ありがとうございます!
心の中で感謝の言葉を告げ、ピットは大きく踏み込むとその剣を薙ぎ払った。
手ごたえはあったが、それは相手の剣に当たったものだった。
相手がすぐに剣を構えられない方角、すなわち向かって右から振るったつもりだったが、メタナイトはその体の小ささを活かし、跳躍しつつ側方転回することで、右手に持つ剣を無理やりこちらの軌跡に当ててきたのだ。
わざと弾かれることで衝撃を抑え、難なく着地してみせる仮面の剣士。
それを見届けるピットの顔には、明らかな警戒の色が現れ始めていた。
「今のを見切ったなんて……」
追撃は来なかった。それがかえって恐ろしかった。
彼の機敏さなら、天使が立ち直るよりもはるかに早く踏み出し、再びあの旋風のような猛攻に持ち込めたはずだ。だが彼はそれをしなかった。
なぜか?
答えはすぐに見つかり、天使は軽く眉を顰めて呟く。
「ここまでは小手調べってことだね」
こちらの言葉が聞こえたのかどうかは分からないが、ピットの視線の向こう、相手はあくまで最初と変わらない瞳をこちらに向けていた。
どこまでも静かで、どこまでも鋭い、まるで猛禽のような視線。
それを見返しているうちに、ピットは思わず口の片端をわずかに引きつらせ、苦笑いする。
――やめてよ、こっちは『ニワトリ』なんだからさぁ……
片隅で思い出していたのは、自然王ナチュレから翼の小ささをいじられた時のやり取り。
相手を”浄化”するわけでもなく、それでいてこれほどまでに真剣な戦いに巻き込まれてしまったピットは、内心で合いの手を入れることでささやかながら心の平静を保っていた。
そんなピットの様子を知る由もなく、再び仮面の剣士が飛び込んでくる。
しかしこちらもやられるばかりではない。
――接近戦一筋って感じだね。
声には出さずに目だけで語り掛けると、双剣を交差させて待ち構えた。
読み通り、相手は横一閃を放つ。
途端に天使の姿が弾かれたように後退する。
それは意図的なものだった。剣と剣がぶつかり合ったその瞬間に合わせ、後ろに跳び退いたのだ。翼も大きく羽ばたかせ、できる限りの距離を――時間を稼ぐ。
リーチの外に逃げたこちらにつられ、追いかけてきた丸い姿。
わずかな隙も逃すことはできない。ピットは目をすがめ、相手の一挙一動に全神経を集中させる。
――……そこだっ!
足元を掬う一撃。
ふわりと相手の体が宙に舞い、ピットは流れのままに咄嗟に空いた手を伸ばし、手近なところにあった肩の防具のところで相手を掴むと思い切り、前方に投げ飛ばした。間髪置かずに双剣を繋ぎ合わせ、光の矢で追撃を狙う。
飛ばされていく途中と見えたメタナイトの背でマントが揺らめき、一瞬のうちに紫色の翼へと変化した。光の矢が迫る中、彼は体ごと下を向くとその翼をはためかせ、すいと地上に降り立ってしまった。青い光の矢は相手を捕え損ね、石舞台の向こう側まで飛んでいく。
だが、それを見届ける間も置かず、すでにピットは前へと駆けていた。その片手にはすでに、また別の神器が用意されている。
上腕を包み込むような金属の塊、豪腕を勢いよく振りかぶると、着地したばかりの剣士めがけて地面をかすめるような一撃を放った。
確かな手ごたえがあり、弾かれたように吹き飛ばされていく丸い影。
遅れてピットははっと表情を改め、みるみる小さくなっていく相手を追って走りだそうとする。しかし彼が助けに行くまでもなく、剣士はその背の翼を広げて勢いを殺し、そのまま羽ばたいて舞台まで戻ってきた。
「あぁ……良かったぁ」
安堵で思わず、そんなことを口に出して言ってしまう天使。
一方、大きく距離を開けられた剣士の方はなぜかその場で剣を後ろ手に高く構え、気合を溜め始める。
――突進でも仕掛けるつもりかな……?
怪訝な顔をしつつも、盾の形をした神器、衛星を呼び出そうとしていた矢先だった。
仮面の剣士はその手に持つ剣を、いきなり石の舞台へと突き立てた。途端にその一点から渦が吹きあがるように風が巻き起こり、たちまちのうちに見上げるほどの竜巻が舞台上に出現する。
「そんなのあり?!」
顔を引きつらせるピット。相手が無形の暴風では衛星でも役に立たないだろう、ともかく避けなくては。焦る頭でそう考えているうちに逃げるタイミングを逸してしまった。
気づけば竜巻は頂も見えないほどに成長し、すぐ目の前まで迫っていた。
必死の思いで横に受け身を取ろうとするが、全く距離が足りない。投げ出した身は地面につく間もなくふわりと浮き上がり、身動きの取れないままあっという間に上空まで吹き上げられてしまった。
思わず悲鳴を上げ、手足をばたつかせていた天使の視界の横に、紫の翼のはためきが映る。つられてそちらを見ると、薄れていく竜巻の向こうから剣士が自前の翼で飛翔し、こちらに追いつこうとしているのが目に映った。
彼は一寸の容赦もなく、その黄金の剣を横ざまに大きく振りかぶる。
「ちょっ、ちょっと待っ――」
嘆願の声も間に合わず、顔を守るように上げていた腕の防具に渾身の一撃が叩きつけられる。
弾き飛ばされ、その勢いがだんだんと弱まってきたところで薄目を開けると、眼下では地上の石舞台がゆっくりと流れて途切れ、深い谷底が口を開けはじめたところだった。
はるか下、薄い霧の掛かった峡谷を見おろした天使の背筋を嫌な寒気が走っていき、彼は口の片端を引きつらせ、歯を食いしばった。
飛翔の奇跡はここに降臨する時で使い果たしている。しかし不幸中の幸いか、舞台に戻るための距離はそれほど多くはなかった。ほんの少し前に飛び出すことさえできれば、舞台の端くらいは掴めるだろう。竜巻を前に逃げ出さず、舞台の中央でまごついていたのが思わぬところで彼の身を救っていた。
「うまくいってよね……!」
一か八か、彼は後ろに引いた手の仕草で豪腕を呼び出すと、舞台目掛けて拳を突き出した。
豪腕が低く唸り、それに引っ張られるようにピットの体も前へと飛び込んでいく。眼下の谷は再び石舞台に隠され、彼は精一杯その翼を広げると着地の勢いを受け止めた。
安堵のため息をついて見上げた先、剣士は距離を置いて待ち構えていた。
ここまで戦えば、ピットが着地の瞬間に明らかな隙を持っていることは分かるはずだ。彼の翼の力では精緻な軌道修正はほとんどできず、追撃されれば剣で応戦するしか対抗手段がない。
だが剣士は敢えて、その弱点を狙わずにいるようだった。どうやら先ほどの上空での様子を見て、こちらが飛べないと勘づいたらしい。あくまで手合わせなのだから、崖から落とすほどのことはしないつもりなのだろう。
――……助かった、熱くなるひとじゃなくって。
そう思いながらも見つめる先、メタナイトは再びその剣を攻勢の構えとする。それを見て取ったピットは、相手が近づかないうちにと弓を構えて青い光の矢を放った。
燦然と輝く軌跡を描いていくつもの方角から、矢が剣士へと迫る。相手は寸前で横に飛び退るが、ピットも応じて弓を傾け、光の矢で彼を追いかけようとした。
しかし、剣士は退避の途中でわずかに踏み込みを変え、剣を勢いよく前に突き出す。その刀身から風が巻き起こったかと思うと、一瞬にして相手の全身が旋風に包み込まれた。そのまま、彼は一陣の突風となってピット目掛けて飛び込んでくる。
あまりにも相手が滑らかに回避から攻撃に切り替えたもので、ピットは対応が遅れてしまった。慌てて衛星を呼び出しつつバックステップし、相手の攻撃をいなした。
剣を受け止めた金色の盾が嫌な音を立てる。
――あと何回か受け止めたら限界かな……!
いくらか隙ができていればと願いつつ衛星を仕舞い、手を空けておく。
相手はきっと追撃を警戒し、後方に退却しているはずだ。一気に距離を詰めてまた掴めば、と考えていた。
しかしその目に映ったのは、同じ手は受けるまいと言うように翼を広げ、猛然と飛び込んでくる剣士の姿。
前に突き出されたのは剣ではなく、空の手。相手の思惑に気づいた時にはすでに、白いトーガの胸元の当たりを掴まれていた。
布をつかむ手にきつく力が込められ、剣士は低く身を沈めたかと思うと、小さな身のどこにこれほどの力がと目を疑いたくなるほどの勢いで跳躍する。
つかの間、石舞台の全景が眼下に見え、端の方で勇者と妖精が呆気に取られた様子で見上げているのが見てとれた。
ほんのわずかな瞬間、天使は重力を見失って宙に浮遊していた。しかし相手の手は依然として胸元をつかんでおり、ほどなくして地上に引き摺り落され、背中の辺りから地面に叩きつけられる。
目を回しているこちらの視界の端、すぐそばで、宙返りで勢いを受け止めたメタナイトの姿が映った。その背でマントが遅れて静かに降りていく中、彼が横に剣を構えていることに気づく。
慌てて双剣で防御しようとしかけた天使の顔に何かがひらめいた。
急いで身を起こすと、腰を低くしたまま後ろに飛び退く。
思った通り、相手の剣は当たることなく――それでも前髪をかすめて、空を切る。
リズムを崩された相手が立ち直る前に、今度はこちらから飛び込んでいき、畳みかけるように剣戟をぶつけた。
彼の長所でもあり、弱点でもあるのはその体の小ささ。ついさっきまでは勢いに圧倒され、見かけよりも届くように見えてしまっていたが、少し下がれば剣先にも当たらずに済む。
まともに受けるより、空振りさせた方が良い。逆にその場で受けてしまえば最後、相手の圧倒的な速度に飲み込まれ、後手に回ることになる。
相手に攻撃の起点を掴ませないよう、ペースを上げ、ただひたすらに攻めの姿勢で挑みかかる。
振り払われる金色の輝線、届く距離を見切って最小の距離で避け、間髪おかずに前に踏み込む。こちらの攻撃を避けられ、距離を離されそうになったらすぐさま追いかける。そして心のどこかで常に竜巻を警戒し、走り回りながらも舞台の端には行かないようにし、足元だけは死守し続けた。
メタナイトの方もピットの戦法が変わったことに気づき、近距離での読み合いを切り捨てると、足の速さを活かして一気に距離を空けた。追いつかれないうちに後ろに剣を構え、再びあの竜巻を呼び出そうとする。しかしピットの方もすぐさまそれを見切り、光の矢で牽制して諦めさせた。
追撃を狙った矢を、高く跳躍して避けた剣士。空中で気合をため、体ごと回転しながら剣を振り払う。
放たれたのは光の刃。これまで見てこなかった攻撃に判断が遅れ、唸りを立てながら迫りくるその刃を、ピットは咄嗟に衛星で受け止めてしまった。
鈍い音と共に盾の表面にひびが入ったかと思うと、いくつかの破片となって崩れ落ち、溶けるように消えてしまう。
――やっちゃった……直るまでしばらく掛かるなぁ。
今は悔やんでいる場合ではない。気持ちを無理やりに切り替え、ピットは豪腕を構え、着地したばかりの相手を目掛けてすぐさま突進を仕掛けた。
ここまで連発しているとさすがに見慣れてしまったらしく、メタナイトはこれを横への転回で難なく避けてしまう。
しかしこれで距離は詰められた。天使も急いで豪腕をしまい、双剣を構えて猛然と相手に立ち向かっていく。相手はこれを待ち受けるように両の手で柄を持ち、青眼に構えていた。
剣と剣とがぶつかるかに思えた寸前、布の翻る音がして相手の姿が忽然と消える。
天使ははたと立ち止まり――ほんのわずかな時間の中、その瞳が素早く横へ向けられる。
次の瞬間、彼は後ろに向き直り、叩き伏せるように剣を振り下ろしていた。
背後から現れていた剣士。振り上げかけていた黄金の一閃は辛うじて、双剣の片方によって防がれていた。
交差した剣はやや下方にあり、ぶつかり合う視線を遮るものはない。
相手の目を見返す形になったピット。その瞳に浮かんでいた感情に気が付き、ふと怪訝そうに眉をひそめる。
そこにあったのは、直前の流れから連想されるような、初見の攻撃を防がれてしまったことへの悔しさとは全く異なる想念だった。
それは郷愁。あるいは未練。そして同時に、それをどうあっても認めがたく思っているかのような、やり場のない憤り。
しかしその表情はつかみ取る前に、銀色の仮面の向こう側へと隠されてしまった。
鋭く光る怜悧な瞳で天使をじっと見据え、やがてメタナイトが低く呟いた。
「……相違ないようだな」
その言葉と共に、ピットが押さえていた剣からふと力が抜ける。
ピットは彼の呟きの意味を問おうとしたが、それよりも先に剣士は得物を背に掛け、こう言った。
「私は信じねばならない。その、エインシャントとやらの言うことを」
「……分かってもらえたってことで良いかな?」
「ああ。……だが、それが分かったとして、今更どうすることもできない。私はこの地を守り続けるだけだ」
淡々としたその口調は、あえて感情を排しているようにも聞こえた。
そのまま彼が踵を返して戦艦に向けて去っていこうとするので、ピットは慌てて引き留める。
「ちょっと待って! 最後にこれだけ聞かせてよ。カービィについて知ってそうなひと、ほかに心当たりは無い?」
「……そうだな」
考える間があって、彼はこう答えた。
「"大王"なら何か聞かされているかもしれない。……今も会えるかどうか、保証はできないが」
おりしも石舞台には彼の部下がひとり、上がってきたところだった。メタナイトは、その水兵の帽子をかぶった船員に何事かを告げる。部下が頷いたのを見届けるとマントを翼に変じさせ、飛び去ってしまった。
入れ替わりでやってきた水兵帽の船員は、ピットとリンクの元まで駆けてくるとこう言った。
「えっと……デデデ城の場所を教えるから、ぼくについてきて!」
再びハルバード船内。
おそらくは船のブリッジと思われる場所に案内されたピットとリンクは、待ち構えていた船員たちに取り囲まれてしまった。誰もかれも興奮気味の様子で、目を輝かせて口々に先ほどの『試合』を褒め称えていた。
「旅人さん! さっきの戦い、ここからみんなで見てましたよ!」
「さすがメタナイト様が認めただけあるダス!」
押し合いへし合いして二人を取り囲む船員たち。そのうちのひとりがピットとリンクに向けて赤い野菜の入ったかごを差し出した。
見た目はトマトとそっくりだが、その表面には文字のような黒い模様がついている。
「侵略者と戦ったりして疲れたと思うので、これ、よかったらどうぞ」
「もうちょっとで電気が溜まるから、それを食べて待っててほしいダス」
メイスがそう言ってブリッジ内の、操作卓と思しき場所に向かっていった。彼の言葉通り、黒い操作卓の表面にはところどころ、星の瞬くように緑色の輝きが灯りつつあった。それに気づいた隣のリンクは物珍しそうな様子でちょっと背伸びをし、のぞき込もうとしている。
白い服に赤い汁が飛ばないよう気を付けつつ、トマトのような野菜にかぶりついていたピットはリンクの様子に気づき、こう聞いてみた。
「――ああいうの、君のところだと珍しいでしょ」
「うん。魔法ともちょっと違うみたいでさ……さっきも『でんき』とか言ってたけど」
「なんて説明したらいいかな。雷を扱いやすくして、ものを動かす動力にする……って感じかな?」
そう答えると、リンクは目を瞬かせてピットに向き直り、
「そんなことできるの? どうやって?」
興味津々といった様子で尋ねてきた。ピットはしばし天井の方に目を向けて考え込むも、やがてこう言って降参した。
「ごめん、僕も詳しい原理までは知らないや」
「そっか……」
リンクは若干上の空と言った様子で返事をし、そのままトマトもどきを口に運ぶ。操作卓をじっと見つめ、装置の仕組みを理解しようとしているようだったが、ほどなくして別のことに気が付いた。
「――この野菜、すごくおいしいね!」
見た目で言うならピットよりも”少し年上”に見える今の彼が、まるで少年のように顔を輝かせ、ものすごい発見をしたように言うので、ピットは思わず笑ってしまった。
「そうだね。なんだか、もう疲れが取れてきたみたいな気がするよ」
「ピットくんは特に疲れてたと思うよ。あんな試合の後だったらね」
リンクはそう言い、気遣うように頷く。
「まあね……あんなに緊張するバトルは久しぶりだったなぁ」
ピットはため息交じりにそう言った。石造りの舞台を後にし、戦艦に戻ってきて今になってようやく、やっと試合が終わったのだという実感が追いついていた。
「緊張してたの? ぼくにはそう見えなかったな」
意外そうな顔をするリンクの顔の横から、ナビィも姿を見せてこう付け加えた。
「ホント。あなた、あの仮面のひとと戦うの、あれで初めてだったのよね? だとしたら、すっごく頭がやわらかいのね」
ナビィさえもちょっと感心したように言うので、ピットはここぞとばかりに胸を張る。
「まあ僕だって、パルテナ親衛隊の隊長だからね。伊達に長く勤めてないよ!」
リンクから、空いた手で手首の辺りを叩くようにして拍手を贈られていたピット。彼らの横でブリッジの扉が開いた。
現れたのは水兵帽子の船員。彼はピット達越しに、操作卓に向かうメイスに向かってこう言った。
「船にいるウィリーみんなに声をかけたよ。電力はどう?」
「まあぼちぼちってとこダスな。モニターを点けるくらいは集まったダスよ」
メイスがそう言いつつ、操作卓のボタンの一つに手を置く。
途端に、油が切れた歯車がこすれ合うような耳障りな音がブリッジに響き渡る。天井から、危なっかしく小刻みに揺れながら黒い板が降りてきた。
その表面に何かの図面がちかちかと瞬き、うっすらと浮かび上がってくる。何かの地図であることは分かるが、あまりにも表面がざらざらと荒れていて見づらい。船員もそれに気づき、宙にふわふわと浮かぶ赤い船員がひとり、どやしつけるようにモニターの裏面へと体当たりを食らわせる。すると表示は安定し、線と線が見分けられるようになった。
同じ高さの位置にぐるりと線を巡らせる、いわゆる等高線で地形が描かれている。狭い範囲に何本も平行線が引かれているあたりが、セイントスクエアーズの位置する峡谷地帯だろう。ピットとリンクが目を凝らしていると、ドクロの顔をした船員が近くまでやってきて、遠慮がちにこう言った。
「あの、この地図はちょっと情報が古いので、地形はあんまりあてにしないでください。さすがに方角までは変わってないと思うんですが……」
「そんなに古いの?」
ピットが尋ねると、ドクロ顔の船員はこう説明した。
「それもそうなんですけど、侵略者がひっきりなしに地形を変えちゃうんですよ」
向こうで、メイスが精一杯背伸びしながらモニターの一点を指さした。おおむね二階建ての城らしきアイコンが、峡谷の北西と思しき方角に映っている。
「ふたりとも、これがデデデ城ダス!」
ピット達が位置を確認したのを見届けて、彼は背伸びをやめてこう続ける。
「こんな感じのお城が山の上に建ってるから、遠くからでも分かる……って言いたいとこなんダスが、あんなに目立つとこにあるし、とっくに侵略者に壊されちゃってるかもしれないダスね」
メイスがデデデ城について語る口調はどこかそっけなく、他の船員たちの様子も、城の持ち主にあまり関心を抱いていないようだった。
一方、ピットとリンクはそれを聞き、二人の間でこう話していた。
「カービィの二の舞だけはやだなぁ……」
「無事を祈るしかないね……」
山の上に城を構える"デデデ大王"。彼の名もまた、ピットの配るべき封筒の一枚に現れていた。これでこのエリアで配るべき最後のキーパーソンが明らかになったものの、カービィのことも含め、どうにも雲行きが怪しいのだった。
顔を見合わせていた二人に、水兵帽子の船員が声をかけて振り向かせる。
「旅人さん、方角はあっちだからね」
彼はブリッジの窓辺の一角に身を乗り出し、指の見当たらない丸い手でその先を示していた。メイスもモニターの前からこう付け加える。
「もう一つアドバイスしておくダス。"何かおかしいと思ったら無理に通ろうとしない"。今この星は侵略者の手で細切れに支配されてるから、きっと君らもデデデ城に辿り着くまでにいくつもの勢力と鉢合わせすると思うダス。奴らの中には時々、とてつもなく手ごわいのや厄介なのがいるから、変だと思ったら回り道するダスよ」
そう言ったメイスは、ゴーグルをつけたような顔にできうる限りの真剣な表情をしていた。
「リンク。これ……どこからが"変だ"って判断したら良いと思う?」
「とりあえずぼくらを狙ってくるのはいないから……まだ大丈夫なんじゃないかな」
二人はそんな会話をしつつ、辺りを見回しながら歩いていた。
峡谷を沿って平地に抜けた先、ピットたちを待ち構えていたのは奇妙奇天烈な風景だった。右も左も、遠くの地平でひっきりなしに地形がうごめき、一瞬たりとも休まることがない。
彼方でパステルカラーの断層が螺旋を描くようにうねりながら盛り上がり、成長していたかと思えば、地平の彼方から、四角い窓にびっしりと埋め尽くされた鋼鉄の建物が徒党を組んで津波のようにせり上がり、ぶつかっていった。そのままパステルカラーの地形を取り込むと強引に平らに均し、灰色に侵食していく。津波が過ぎ去った後にはつかの間、街のような風景ができ上がる。しかし、すぐさま地面を割って現れ出た巨大な蔓に巻きつかれ、締め上げられ、瞬く間に瓦礫だらけの廃墟と化していった。
また別の方角では、巨大なフォークのような構造物が立ち並び、ケーブルを渡されていたのが、虫の卵のようなものを無数に抱えた気味の悪い堆積物に飲み込まれ、次々と押し潰されていた。その堆積物の中から生き物めいたシルエットの塔が見る見るうちに伸びあがり、暗雲を呼び込んで闇の中に身を隠していく。だがそれが完成しきらないうちに、空の一角からじわじわと絵の具の染みのようなものが降りてきたかと思うと、一帯の景色を抽象的な絵画に塗り替え、凍り付かせてしまった。
少なくともピット達の歩む辺りは緑色の草原が広がっていたが、油断しているうちに左右の混沌に侵食されそうな気がしてどうにも落ち着かない。仮面の剣士は『ハルバードのある一帯しか守ることができない』と言っていたが、それでさえ十分な偉業なのではないかと思えるほどだった。
彼とのやり取りを思い返していたピットは、その流れでカービィについての目下の懸念を思い出し、憂鬱そうな顔を空に向けていた。
「それにしても、カービィはどこに行っちゃったんだろうなぁ」
嘆息交じりにぼやくと、リンクがそれに応えてこう言う。
「みんな、この星の外だって言ってたけど――でも、『星』って何のこと?」
彼が怪訝そうな表情をしているのを見て、ピットは気が付いた。
「ああ、そっか。えぇと……すごくざっくり言うと、僕らが立ってる大地とほとんど同じものかな。大陸とか海とか、そんなものをひっくるめて、もっとずっと広~く広がってるものを想像してくれればいいよ」
「なるほどね……じゃあ、ここに住んでるみんなはカービィがあの地平線のはるかかなたまで旅立ったんだって思ってる。だけど――」
リンクの言葉に相槌を打ち、ピットはその先をこう継ぐ。
「実際、ここは"エリア"なんだ。ここに住んでるひとたちが思ってるほど、この場所は広くない」
「どのくらい狭いの?」
「え? そうだなぁ……天界から見た時は、どれも同じくらいの島に収まってたんだけど」
顎に手を当てて考え込み、ピットはしばらくしてこう返した。
「少なくとも、歩いて回れるくらいしかないんじゃないかな。僕は今までに色んなエリアを巡って来たけど、だいたい徒歩で何とかなったからね。それなりに時間もかかったけど……」
「じゃあ、ずいぶん狭いんだね。『星の外』に行くことはできなさそうだ」
リンクの言葉に、ふとピットは眉をひそめた。
「――そういえばそもそも……なんでカービィはこの『星』を出ようと思ったんだろう」
「確かに。何かこの星の外に、侵略者をどうにかできるようなものがあったのかもしれないけど……でもそれなら、『それを手に入れに行こう』とか、『それをやっつけに行こう』って誘うはずだよね。それが『この星を出よう』って言ったとなると――」
二人の間にしばし沈黙が降りる。
歩きながら曇り空を見上げたり、足元をじっと見つめたり、それぞれに考え込んでいたが、やがてピットが遠慮がちにこう提案した。
「……まさか『エリア』のことに気付いて、エリアを出ようとしてるのかな……?」
それを聞いた勇者は、しかしなかなか納得がいかない様子で、首をひねって考え込む。
「どうだろう……やっぱり手紙を見なきゃ、それには気づけないと思うんだけどな……」
「……やっぱりそう?」
「そうだよ。だって、きみもそう思わなかった? 手紙を読んだ時に」
ごく自然な流れでそう言われたピットは驚いたように相手を振り向き、それから怪訝そうな顔になる。
「僕は手紙はもらってないよ」
「……そうなの?」
「僕はもらう側じゃないからね。僕はパルテナ様の命の元、こことは別の場所、天界から来てるんだ。地上界の『エリア』に閉じ込められた君たちに手紙を配って、本当のことを知らせるためにね」
「あれ……そうだったんだ」
リンクは意外そうな顔をして目を瞬く。
「……まあ、ともかくさ。手紙を読まなきゃ分かりっこないよ。そうだな……例えば……」
何とか通じる例を考えようと、彼は帽子の上から頭をかいて考え込む。
「――気づかないうちに目隠しをされてたって想像してみて。それも普通の目隠しじゃなく、内側に周りとは全然別の風景が映るようなやつ。偽物の景色があまりにもよくできてるから、きみは自分が本当はどこにいるのかなんて疑うこともない」
それを想像してもらってから、リンクはこう続ける。
「手紙を読まないうちからエリアの秘密に気づくのは、目隠しをされたまま、自分が実はひどくたちの悪い迷宮に閉じ込められてたんだって気付いてしまえるくらい……ううん、それだけじゃない。目隠しを取らないで偽物の景色を見たまんま、いくら壁が立ちふさがっても、どんなに恐ろしい怪物が出てきても、全くだまされずに迷宮の外まで抜け出せてしまうくらいのことなんだよ」
そう言った彼がピットに向けてくる視線は、どこまでも純粋で真剣だった。目隠しと迷宮の例は誇張などではなく、彼自身の体験から来る、確かな実感なのだろう。
「うーん、なるほど……それじゃあやっぱり、彼は星の外にあるはずの何かを探しに行ったんだって思った方が良さそうだね。でも……だとしたらどれだけ遠くに行っちゃったんだろう。会うひとみんなが、しばらく見たことがないって言うくらいだからなぁ」
「よっぽど遠くに行っちゃったのかな……」
「それならまだ良い方だよ。ほかに誰もいないようなところだったらどうする? 彼がそこに来てるのを誰も目撃してないってことだよ?」
いつの間にか歩みも止まってしまい、その場で議論しはじめた天使と勇者のことを見かねて、妖精が間に割り込んできた。
「ちょっと、足が止まってるわよ! 『もし』とか『だったら』とか、いつまで言ってるつもりなの? 今はとにかく進むしかないじゃないの」
戦艦のブリッジから水兵帽の船員が指し示した方角。歩みを進めていくにつれ、少しずつ空の雲行きが怪しくなってくる。
雨こそ降ってこなかったが、暗雲の不穏な気配に引き寄せられるかのように、雨よりもはるかに厄介なものが二人の行く手に待ち構えるようになってきた。
川の土手を進んでいると、水面を割って巨大な機械がせり上がり、胴体をしならせ、長い腕を振り下ろしてきた。見上げるほどの巨体に、つい応戦しようとするピットだったが、リンクがその肩を叩いて引き留める。彼の案で川から遠ざかると、機械はそれ以上追ってこようとはせず、その場でゆらゆらと揺れながら二人を監視するだけだった。どうやら縄張りを守るための機械だったらしい。
またある時は、空をびりびりと震わせるような吠え声が響き渡り、後ろを振り向くと四つ首の竜が飛んでくるところだった。禍々しい黒色のうろこに覆われていたが、このエリアの例に違わず、竜はほとんど二頭身くらいのずんぐりとした体躯をしていた。
しかし、見た目で油断するほど二人とも呑気ではなかった。丸みを帯びた四つの顔が金色の瞳を爛々と輝かせ、二人に目掛けて燃え盛る炎の玉を放ってくるも、ピットがすかさず鏡の盾でこれを撥ね返して怯ませ、リンクがデクの実を投げて目くらましをする。竜が目を回している隙に、二人は物陰に隠れてやり過ごした。
行く先に穏やかな色彩の霧が立ち込めているのを見つけたときには、さすがに二人とも判断しかねて顔を見合わせた。しかし、ナビィがいち早く異変に気が付いた。
「リンク、天使クンも、あれ見て!」
彼女が示した先、霧の向こう側を透かしてぼんやりとした影がいくつもうずくまっているのが分かった。風のわずかな加減で霧が薄れ、それが草原に倒れ伏した住民であるのが見えてくる。
思わず助けに行こうと走りだしかけたピットを、リンクが慌てて引き留めた。
「待って! 何か様子が変だ」
彼の横からナビィも少し前に出て、霧の向こうをじっと見つめる気配があってこう言った。
「みんな眠っちゃってるみたいね。なんだかイヤな予感がするわ……」
薄紫色の霧のかなた、おぼろげながら広大な水面が見えてきた。そしてその泉の中央には白い石造りの台座があり、暗紫色の球体を戴いていた。球体は空中に浮遊し、ゆっくりと上下しながら表面の星模様を揺らめかせている。まるで波に揺蕩う砂のように穏やかに移ろい、流れていく星型の模様を見ているうちに、何の前触れもなく辺りが暗くなり、自分の周りから音が遠のいていく。
ピットは、リンクに背中を叩かれて我に返った。
「しっかりして!」
いつの間にか、吸い寄せられるようにその球体を凝視していたらしい。
「天使クンったら、もう! 寝てる場合じゃないでしょ!」
そうナビィにからかわれながらも、二人はその幻想的な泉を大回りに避けて、その先へと進んでいった。
そうして進んでいった二人だったが、丘を登り切った先、彼方の平原を黒々と埋め尽くすようにして繰り広げられていたのは、これで二度目となる侵略者同士の大乱戦。
片方はハルトマンワークスのロボット兵団だが、もう片方は一つ目の一族ではなく、もっと雑多な集団だった。手にする武器も背格好も様々だったが、彼らは共通して暗い色調の肌色、あるいは服装でそろえていた。また別の侵略者の集団なのだろうか。遠目で見るだけではわからないが、どこかこのエリアの住民たちに酷似しているようにも思えた。
いずれにせよ、行く手が塞がれてしまったことには変わりがない。
「参ったな……ここまで無茶苦茶になってるエリア、初めて見たよ」
ピットは困り果て、額に手の甲を当てながら傍らの相棒に声をかける。
「リンク、何か良い手はない?」
「うーん……遠回りするしかないんじゃないかな。またエポナを呼ぼうか」
そんな会話をしていた二人だったが、はっと丘の下に視線を向ける。下の方で何の前触れもなく、耳障りな笑い声が弾けたのだ。
「おーっほっほっほ! 愉快、愉快! 実に見ごたえのある眺めなのサ!」
そんな声まで聞こえてきた。
丘の頂上から降りていくと、その先にいたのは赤と青の二股帽子をかぶったまん丸のシルエット。その住民はサーカスで使うようなボールに乗っかっており、器用に玉乗りをしつつ、眼下の大混戦を眺めてケタケタと笑っているのだった。
「趣味悪いわねぇ……」
光り輝く姿ながら、眉をひそめているのが分かりそうなくらいの声音でナビィが言う。
「侵略者の仲間なのかな」「どっちかっていうと高みの見物じゃない?」
そんなことをひそひそと言い合っていると、ようやくまん丸ピエロも背後の気配に気が付いた。
ピット達の姿を認めると、珍しいものを見つけたというように目を丸くし、ボールを器用に操って丘を登ってくる。
そのまま二人の周りをくるくると巡りながら、あけすけに顔を覗き込んできた。
「おやおや? オマエたち、ポップスターじゃ見ない顔だな。こんなとこに何の用なのサ?」
警戒を緩めないまでも、ピットは一応問いかけてみることにする。
「ひとを探してるんだ。カービィとデデデって言うんだけど」
「――カービィ?」
一瞬、そいつは虚を突かれたような表情になった。
「知ってるの?」
とピットが尋ねると、相手は丸い目を明後日の方向に向け、ボールの上でふらふらと頭を振る。
それからもったいをつけて、こう返した。
「さぁ、どうかな??」
ニタリと笑い、笑い声とともにくるりとターンを決めると、目下の平原に向けて呼びかける。
「おーい、鏡のおぼっちゃま! ここに絶好のカモがいるのサ!」
その呼びかけから少し遅れて、丘の下で戦っていた塊から一つの群れが分岐し、猛然と土煙をあげて丘を登ってきた。
「ま、せいぜい頑張ってちょーよ」
そう言い残し、道化師は高笑いしながらあっという間にボールを転がして逃げ去ってしまう。
「あっ、こら!」
と反射的に追いかけようとするピットだったが、
「ピットくん!」
リンクが注意を呼び掛ける。彼はすでに抜剣し、盾を構えていた。その視線の先、早くもこの丘の上まで軍勢がたどり着こうとしているのだった。
二人の前に現れたのは、全体的に黒や紫、赤といった暗い色調に染まった住民たち。姿形は他の住民と同じなのに、目つきか何かが違うのだろうか、彼らは皆、異様なまでにとげとげしい雰囲気を纏っていた。
彼らは武器こそ構えているものの、すぐに飛びかかってくる気配はない。やがて彼らの列が二つに分かれ、鈍色の金属でできた大蛇がゆらりと進み出る。その頭の上には小さな人影があった。
銀色の頭髪に、二本のツノを持つひと。彼は紫色を基調とした気品のある服装に身を包み、宙に浮く三対の手で腕組みのようなしぐさをし、どことなく偉そうな様子だった。察するに、彼が先ほどの道化師が言った「おぼっちゃま」なのだろう。
彼が六つある手のうち一つで指図をすると、それに応えるように軍勢の中から板を抱えたゴリラ似の住民が現れる。そのまま、近い方にいたリンクにその板を向けて立てようとする。板の表面は強く光を反射しており、緑色の草原を、そして身構える勇者を映し出そうとした。
「危ない!」
それが鏡であることに気が付き、ピットがとっさにリンクを突き飛ばした。
地面に倒れたピット、すぐに立ち上がり、自分にむけられた鏡を見るが――
一帯に、鋭い爪でガラスをひっかいたような不快な音が鳴り響いた。
思わず誰もが耳を抑える中、滑らかな鏡面に真ん中から亀裂が入ったかと思うと、鏡は内側から突き破られたかのように破裂し、いくつもの破片となって飛び散ってしまった。
その一部始終を、ぽかんと口を開けて見ていたピット。何か、ひそかに期待していたものが外れてしまったことへの思いも抱えているようだったが、リンクの声に我に返った。
「ピットくん、まだ終わってないよ!」
彼が指さしたのは大蛇のいる方角。
大蛇の上ではおぼっちゃまが頬に手を当て、愕然とした表情をしている。そんな彼を乱暴に押しのけ、大蛇の背からふくよかで真っ黒なペンギンが現れた。
「あれはデデデ? ……いや、なんか違うような」
「うん。あんなに黒くなかった気がする」
偽物大王は禍々しい形状の仮面を被り、あたりの空気をびりびりと震わせて雄たけびを上げた。
大蛇から飛び降り、そいつはずしりと音を立てて着地する。背から手に取り、構えたのは巨大な斧。
刃先を鈍色に輝かせ、威圧するように一歩、前へと踏み出す。
ピット達も応戦するために武器を構えた、その時だった。彼らの目の前を、薄い紫色を帯びた羽根が横切る。
次の瞬間、鳥のような翼を備えた丸い後ろ姿が、ピット達の前に降り立っていた。
それは余程恐ろしい存在なのだろうか、鳥の翼を持つ薄赤色の騎士を認めた鏡の軍勢から恐れおののくような悲鳴が上がった。
対し、一頭身の騎士は一言も発することなく、ただ前に踏み出す。背後のピット達には全く気づいていないようだった。あるいは気づいているが、関心がないだけなのかもしれない。
騎士は偽の大王に向かって長身の槍を構えるなり、一直線に飛びかかっていった。黒い大王は食いしばった口の隙間から唸り声をあげ、斧の持ち手を横に構えて槍の一撃を受け流した。すぐさま偽大王は斧を持ち替え、ぶん回すが、騎士は翼をはばたかせて難なくこれを避けてしまう。
偽の大王が押されているのをよそに、おぼっちゃまは大蛇に命じて踵を返してしまい、他の軍勢もそれを追って逃げ始める。真っ黒大王は何度目かのぶつかり合いの後、それに気が付くと唸り声をあげ、いら立ちに任せて斧を乱暴に振るった。大地をえぐるような一撃に土煙が舞い上がる。
騎士がとっさに飛び退ったその隙に、偽大王はどたどたと足音を立てて退却していった。それに気づくと、騎士も煙が晴れるのも待たず、偽大王と鏡の軍勢を追いかけて丘を降りていってしまった。
あたりに再び静けさが戻ってきて、リンクは半ばほうけたような表情で言う。
「……助かったみたいだね」
返事がないのでふと見ると、ピットは近場に落ちていた鏡の欠片をのぞき込んでいるのだった。
「どうしたの?」
「あ、いや……ブラピに会えるかと思ったんだけど」
どこかばつの悪そうな笑いを見せ、頭をかく天使。
「ブラピ?」
「そう。生意気なんだけど頼りにはなるからさ。手伝ってもらおうかなって思ったんだ――」
そんな会話をしていた時だった。
「――もし、もし! そこにどなたかいるのですか?!」
声が聞こえてきて、二人はその出所を、鏡の破片を見る。
その中には、先ほどのおぼっちゃまと瓜二つの顔をした住民が、破片の境界面に顔をくっつけんばかりにして映し出されているのだった。
「あれ、君は……?」
ピットがのぞき込むと、おぼっちゃまの方でもこちらが見えたのだろう、ぱっと顔を輝かせた。
「ああ、やっぱり! ということは……もしかして、あなたがたが鏡を取り戻してくれたのね?」
「いや……というより、割れちゃった破片がここに一個あるだけなんだ」
そう言われて、おぼっちゃまはがっくりと首を垂れる。
「そうなのね……。やっと外に出られると思っていたのに」
「君はここに閉じ込められてるの?」
「はい。……でも元はと言えば、鏡の誘惑に屈してしまったわたくし、タランザのせいなのね」
彼曰く、この鏡は映し出された者の願いを叶えるという曰く付きの鏡。
元々は鏡の国にあったものだが、タランザは彼が仕えていた天空の国の女王様のために、彼女を喜ばせたい一心で鏡を持ち帰った。しかし、鏡の力は彼の思っていたよりも強大なものであり、女王はこの鏡の魔力に憑りつかれ、ひとが変わったように横暴で独善的な性格となってしまった。
タランザは女王の強さと美しさに心酔しており、彼女の振る舞いや行いが実際には王国の民を苦しめるだけのものであり、彼女の大切にしていたはずの王国や、その礎たる星をも犠牲にしてまで己の望みを叶えようとするまでになっていたことに気づいたのは、彼女が欲望のままに行動した末に、変わり果てた姿になってしまった時だった。
彼女を呼び止めようとする声も届かず、苦渋の末、彼は地上から来た『勇者』に願いを託し、女王は安らかな眠りについた。
仕えるべき相手を喪い、広大な城にひとりぼっちになってしまったタランザ。だが暫くの間は、新しくできた地上の友達のおかげで寂しさをやわらげていた。しばしば彼らに連れられて、地上に遊びに行くこともあったという。
しかし、ある時から急に、彼らの姿が見えなくなった。友のことは気がかりだったが、天空の国を空けることもできず城でひとり待ち続けるうちに、忘れていた思いが、ついに伝えられないままになってしまった女王への懺悔の念が心の中を埋め尽くしていく。
とうとう我慢できなくなって、彼は『女王様を目覚めさせる』という願いを叶えようと決断し、鏡を使ってしまう。
その結果、現れたのは女王様ではなく、彼の邪な心を実体化させた存在だった。
自分の心の影に瞬く間に敗れてしまい、タランザは鏡の中に閉じ込められてしまった。
その後、彼の映し身はゆく先々で鏡を使って仲間を増やし、今ではひとかどの勢力となって侵略を繰り返しているのだという。
そこまでを説明した彼の背後をよく見ると、確かに住民と思しき影がいくつも佇み、あてどもなくさまよったり、身を寄せ合って座り込んでいる様子が見えてきた。
「女王様は今でもワールドツリーの中で眠っているのに、タランザはわがままを言ってしまった。だからきっと、罰が当たったのね……」
しょんぼりとうなだれるタランザ。その様子にいたたまれなくなったのか、リンクがこう言いかける。
「ねえ、この鏡から君たちを出すには――」
しかし、それをピットが小突いて止めさせる。
「リンク、僕らはエリアの物事に介入しちゃダメなんだ。カービィとデデデに手紙を届けることが最優先だよ」
「……そんな。でも……」
困惑した顔を向けるリンク。そんな彼らの足元から、タランザの声が聞こえた。
「お二方、もしかしてカービィと地上の大王さまを探してるのね?」
「そうなんだ」
と頷いてから、ピットははたと気が付く。
「……まさか、デデデもそっちにいるの?」
「いえ。大王さまは鏡に映し出されはしたのですけど、影を自分で倒してしまったのです。だからここにはいないのね。あれだけ強かったら、たぶん……いいえ、きっとまだあの城に残ってるに違いないのね」
「そうか……じゃあ、カービィの方は?」
ピットの問いかけに、相手は申し訳なさそうな表情をして一番上の手を合わせる。
「タランザも、もうずっと前から会ってないのね……」
と、その時だった。鏡の奥から別の人物の声が聞こえてきた。
「ンジャ~? 外にだぁれかいるのですかぁ~?」
ふらりと横から現れたのは白いローブを着込んだ青い肌の人物。顔からは大きな鼻がぶら下がり、頭の上には耳ともツノともつかない突起が二本、突き出ている。ゆらゆらと海藻のように左右に揺れながら鏡面の前にやってくると、彼は出鱈目な方向を向いていた目を二人へと向けなおす。
「これはこれはぁ~、お初にお目にかかりますぅ~。ワタシはハイネスと申しますぅ。魔力を司るぅ、ジャマハルダの神官にぃございますぅ~」
と、腕を振って大仰な仕草でお辞儀をする。そのまま彼は続けてこう言った。
「外にぃおられるお二方~。もしもぉ~旅の途中で三人のぉ『むすめ』に会ったならばぁ~、どうかぁお伝えください~。ワタシは鏡の中にぃ、閉じ込められておりますとぉ~」
これに対しあんまり乗り気じゃない顔をするピット。一方、その横からリンクが顔を出した。
「分かった。どんな格好をしてるの?」
「ちょっとリンク――」
「聞くだけならいいでしょ」
鏡の向こうにいる白装束は、二人が少しもめている様子なのにも気を留めず、間延びした口調でこう答えた。
「彼女らはぁ、曇りなき闇がごとくぅ黒に近い紫色のぉ~、ワタシの服にぃ似た装束を~着ておりますぅ~。ワタシの名前を言えばぁ、すぐにぃ伝わるでしょう~」
なだらかな起伏をもつ平原には、機械の軍隊だけが残っていた。
槍持ちの騎士に追われて鏡の軍勢が逃げていったので、彼らと戦っていたハルトマンワークスの機械兵団は不戦勝となったらしい。彼らはさっそく一帯の占領に取り掛かっていた。
ロボット達は我が物顔で緑の草原を練り歩き、小脇に抱えた鋼鉄のピックを突き刺していく。その部分からまばゆい光が立ち上り、草地がじわじわとアスファルトの路面やビニールの人工芝に置き換えられていく。
装甲を重々しく鳴らして働くロボットの隙間を縫い、たった二人で進んでいくピット達。彼らが逃げもせず、反抗もしないためだろうか、あるいは目下の敵をひとまず退けたためだろうか、ロボット達もそれを操縦する丸い乗組員も、見慣れぬ姿の二人組には見向きもしない。
最初のうちは気づかれないうちにここを抜けようと足早に歩いていた二人だったが、カンパニーのひとびとが一向に構わない様子であるのに気がつくと、どちらからともなく歩調を元の通りに戻していった。
二人が進む周囲、地面からはにょきにょきと信号機や電信柱が生え、アスファルトの道路が草地を覆いつくしていく。四角く区切られた区画から、ひとりでに柱や壁が伸びあがり、小ぎれいな住宅街が出来上がっていく。リンクはその景色を、物珍しそうな表情をして眺めていた。
急速に風景が塗り替えられていく中、二人の歩く道もいつの間にか歩道らしい場所に成り代わっていた。
「リンク。あのハイネスが言ってたひとたちを探しに行くなんて言わないよね?」
ピットは他に聞いている者もいなさそうなのに、小声で言う。それもそのはず、勇者はそのサックに先程の鏡の破片を入れているのだ。
「それは言わないけどさ……、カービィやデデデを探し出すまで、きっとまだまだかかるよね。この先どのくらい歩くか分からないけど、たくさん歩いてるうちに残りの破片が見つかったり、その『むすめ』ってひとたちに会うかもしれないよ」
「……分かった。でも、あくまでついでだからね」
むっとした顔で言うので、リンクはちょっと驚いたような目をしてピットをまじまじと見つめる。
「もしかして、怒ってる……?」
「怒ってないよ。でも、さっきも言ったけど、僕らの任務は手紙を配ることだ」
向こうを見つめたまま、彼は続ける。
「今まで色んなエリアがあったよ。時々、今回ほどじゃなくても、かなり厄介なことになってるエリアもあってさ。僕も最初のうちは、困ってる人たちがいたら助けようとした。でも、それはかえって彼らのためにならない。回り道になってしまうんだ。『キーパーソンに手紙を渡して本当のことを知らせる』、それがエリアを助けるためのたった一つの、そして一番早いやり方なんだから」
「それ、エインシャントさんが言ってたの?」
「違うよ。パルテナ様がいつも僕にそう言うんだ」
「ふぅん……」
リンクも行く手に顔を向けるが、少しして
「あ、分かった! きみがそんな顔してるの」
明るい顔をして再びピットの方を見る。
「ほんとは君も、助けたいんでしょ」
それに、ピットは行く手をにらみつけたまま唇を引き結んでいた。
しばらくの間、そうして黙々と歩き続けていたのだが、やがて我慢できなくなったように首を強く横に振る。
「――もう! 君たちって、なんでみんなそんなに頭が回るの?!」
立腹の表情を向けたピットをきょとんとした表情で見つめ、リンクはこう問い返した。
「それって……きみが会ったって言ってた"他の"リンクのこと?」
「そう! こんな小さい子から大人までさ、ほんとにどうやったらそんな閃きが……」
そこまでまくし立てたところで自分でもばからしくなってしまったのか、ピットの言葉は途中でため息となり、途切れた。
「……そうだよ。僕だって何とかしてあげたいって思うよ。でも、僕らには寄り道してる時間は無いんだ」
「寄り道にしなきゃ良いだけだよ」
リンクはきっぱりと、明るい声でそう言った。
「例えばぼくらは今、手紙を渡す相手のいるところを知りたい。でも、それを一方的にこっちから聞くばかりじゃ教えてもらえないよ。何か困っていることを聞いて、助けてあげたら、少しはこっちの話を聞いてあげようって気にもなると思うんだけどな」
「そううまく行くかなぁ……」
ぼやくピット。彼を元気づけるように、リンクはその肩を叩く。
「まあ、なるようになるさ!」
ピットはその励ましに覇気のない声を返す。
しばらく肩を落とし、とぼとぼと歩いていた彼だったが、ややあって自分からこう切り出した。
「……君の言うことにも一理あるかも。このエリアはひどいことになってるし、元から住んでたひとたちは自分のことで精いっぱいだろうからね」
そう言った矢先、彼らの足元をエリアの住民がのほほんとした表情で通り過ぎていったので思わず二人は振り返ってそれを見てしまう。このエリアに来てから最もよく見かける橙色の住民。そのひとはモノクルのような機械を頭に装着していた。
気づけば、機械仕掛けの街にはいつの間にかひとが集まり、何食わぬ顔で『日常』を演じ始めていた。車道にはカラフルな車が行きかい、時折クラクションを鳴らしていた。横断歩道を渡ろうとするひとびとは、きちんと青信号になるまで待っていた。
前言撤回と言いかけたピットは、住民たちの様子を見てその言葉を飲み込む。彼らはほぼ全員が何かしらの機械を身に着けていたが、中にはサイボーグのように体の一部が装甲で覆われたようになっている者もいたのだ。あまり想像したくはないが、部位ごと取り換えられているのかもしれない。
「――幸福は義務です、ってこと?」
ピットは、おりしも通りがかったひとりにそう声をかける。橙色の住民はきょとんとこちらの顔を見上げ、モノクルをつけた顔をかしげさせた。