星は夢を抱いて巡る
第2章 平和をもたらす者 ③
機械化された一帯をようやく抜け、再び草原の緑が二人の前に現れる。
行く手には大きな丘。せり上がる登り坂をひたすらに登っていくと、やがて頂上の様子が見えてきた。
丘の上には真っ白なかまくらのようなものが建っていた。その傍らには、かまくらに木陰をさしかけるようにして一本の木が生え、枝葉を青々と広げている。
「あれ……建物かな?」
「煙突もあるし、家かも。誰か住んでるのかな」
ピット達はそう言いながら、少し足を速めて丘を登っていった。行く手に見える白いかまくらには、これまで見てきたような侵略者たちに通じるような剣呑さは感じられない。なぜとも言い切れない直感ではあるものの、二人は、あの家は元からこのエリアにあったものだろうと感じていた。
白いドーム型の家は一階建てのようだったが、やはりこのエリアの住民に合わせて小ぢんまりと造られており、中に入ったとしたら多少腰をかがめないと天井に頭をぶつけてしまいそうだ。ピットとリンク、そしてナビィはそろって家の窓から中を覗き込む。
家の中はがらんとしており、誰もいないようだった。暖炉にはとうの昔に燃え尽きて黒くなった炭が残り、ベッドの上の布団は撥ね退けられたままになっている。テーブルの上には何も置かれておらず、生活の跡がなくなって久しい様子だった。
そこまでをぐるりと観察していたピットは、床の上に紙切れが散らばっていることに気が付く。白い紙面に、クレヨンのようなもので落書きがされている。目を凝らすと、"ポップスター"の住民と思しき丸みを帯びたひとびとの絵が見えてきた。
「あれは……」
ピットは思わず声に出して言った。落書きの一つが、ピンク色の丸い住民であることに気が付いたのだ。
「リンク、ちょっと中に入ってみよう。もしかしたらこの家のひと、カービィの知り合いかも」
ドアを探して家を回り込んでいくピットの後についていきながら、それに対しリンクはこう返す。
「誰か帰ってきてからの方がいいんじゃない?」
「それまで待てないよ。別に泥棒するわけじゃないんだからさ」
そう言いながらピットが背の低い扉を引き開け、中に踏み込むと――布が激しくはためく音がして、一気に視界が暗くなった。
後ろから不意打ちをくらい、つんのめって倒れる。隣でリンクも驚いたような声を上げ、しりもちをつく音が聞こえてきた。さらにはとどめとばかりに背中の上に固く重いものがのしかかり、ピットは悲鳴を上げる。
「なにこれ! 岩?!」
視界を奪われ、身動きがとれなくなったピット。そんな彼に四方八方から、丸みを帯びた感触のパンチが一斉に襲い掛かってきた。
「ついに捕まえたぞ!」
「ゆうかいはんめー!」
「はくじょうしろーっ」
大して痛くもなかったが、とにかく背中の岩が重すぎるためにピットはひたすらに頭の上に手をのせ、耐えるしかなかった。しかし、その横でリンクの動く気配がした。剣を抜き盾を構える音がした途端、こぶしの雨は止み、息をのみ、後ずさる足音が聞こえた。
「キャーッ! このひと、ブキ持ってるわよ!」
「な、な、なんだよ! こっちは7にんもいるんだ! お前なんかこわくないぞ!」
ピットの背中でも不意に岩の重みが抜け、跳びはねてどこかに行ってしまった。ようやく満足に呼吸できるようになったので、大きく息をつきながら、ピットは自分の上に被せられていた布から這い出てくる。
「……はーっ、肺がつぶれるかと思った……。あれ、これどういう状況?」
彼の目の前にいたのは総勢で7にんの住民たち。青いまん丸のひとを除けば全員が動物に似た姿をしており、灰色のフクロウに白茶のハムスター、三毛猫、青色のマンボウなどなど、誰もがおおむねピット達の腰丈やや上くらいの身長で勢ぞろいしているのだった。
彼らは武器らしい武器を持っていなかった。ピットを守るように横に立つリンクは未だ剣と盾を構えていたが、相手が丸腰だとは思っていなかったようで、いつ仕舞うべきかと迷っている様子だった。
ちょうど真正面に立つ灰色のフクロウ。その後ろには、若緑色の小鳥とピンク色のメンダコが隠れている。フクロウは翼を口元ならぬ嘴元にやって一つ咳払いをし、ピット達にこう告げた。
「どうもこうもない。わたしたちはカービィを誘拐した不届きものを捜しているのだ」
「誘拐……?」
当惑もあらわな様子で繰り返したピットに、大きなハムスターが二足歩行で詰め寄る。
「しらばっくれるんじゃない。おいらたちには分かってるんだからな! お前たち、ここがカービィの家だって知ってて入ったんだろ?! 『はんにん』は必ず『げんば』にもどる。だから、お前たちがはんにんなんだ!」
指まで突き付けられてしまったピットはさすがに呆れかえってしまい、こう返した。
「……ちょっとその推理、飛躍しすぎてない?」
ハムスター似の住民、苛立ちにひげをぴくぴくさせている彼をなだめるように、すでに武器を仕舞ったリンクがこう声をかける。
「ぼくたちは誘拐なんてしてないよ。だって、今日ここに来たばかりなんだから。カービィはずっと前にこのポップスターからいなくなったんでしょ? なら、ぼくらが犯人なわけないじゃないか」
そう言って説得しようとするが、住民たちはあからさまに怪しむような目つきで二人のことをじろじろと眺めるばかり。
「この星に今日来たばっかりだって? しょーこはあるのか、しょーこは!」
「今日来たばかりなのに、なんでカービィがずっと前にいなくなったって知ってるのよ」
「そんなに長い手足、ポップスターじゃ見かけないです。どう見てもあやしいです……」
ピットはリンクと顔を見合わせる。リンクの方も肩をすくめ、申し訳なさそうに首を横に振った。これ以上、どう言っても信じてもらえそうにない。見慣れない姿の異邦人がいくら無実を主張しても、彼らは聞く耳を持たないだろう。
と、ナビィがリンクの前に回り込み、それからリンクの背後を示すように飛んで見せた。
そこでリンク達は、背後からこそこそと物音が聞こえていたことに気づく。リンクの背負ったサック、鏡の破片から声が聞こえていたのだ。鏡を出してみると、そこにはタランザが映し出されていた。先ほどからずっと二人を呼んでいた様子で、気づいてもらえたことにうれしそうな顔をする。
「何やら懐かしい声が聞こえるのね。ここはどうか、わたくしにお任せください!」
そう言って彼は、自分の胸を握り拳でトンと叩いてみせた。
リンクが捧げ持った鏡。その表面に映し出されたタランザを見て、住民たちはざわめく。
「タランザさん!」
「あんたはフロラルドの……」
「ずいぶん久しぶりだな。なんでそんな鏡の中にいるんだ?」
「まさかこのふたりに閉じ込められたの?!」
また騒ぎになりそうなところを、慌ててタランザが止めた。
「どうかご安心ください。このお二方は我々の味方なのね! ……話すと長くなるので、タランザのことは後でお話しします。今はこのお二方のことについて、わたくしから弁護させてほしいのね」
そうして彼は、カービィについて彼の知ること、そして道中リンクが情報共有のために話して聞かせていたことをつぶさに伝えた。住民たちも元々の話の出所があのハルバードの剣士だと聞き、一部は渋々ながらといった顔だったが、おおむね皆が納得した様子だった。
「ぶっそうなやつだけど、あいつはウソはつかないからな……」
「この星では見かけない姿だからといって、誘拐犯だと決めつけるのは良くなかったな。お前たち、疑ってしまってすまなかった」
「でも……カービィはどこにいったんだろう……。ほんとにこのほしからでていっちゃったの……?」
そう言ったのは緑色の小鳥。彼はつぶらな瞳を伏せ、心配そうな表情をして俯いてしまう。だが彼に対し、すぐにハムスターがこう言い返した。
「あいつがそんなことするわけないだろ? あいつはこの星が気に入ってるんだ。昼寝にもってこいの草っ原に、おいしい食べ物。友達だってたくさんいるんだからな」
「でもリック……今じゃ、安心してお昼寝できるような場所も、遊べるようなところもなくなっちゃったよ……?」
「うるさいなぁ! だからあいつはそれを取り戻しにいったんだろ?! そうに決まってる!」
リックと呼ばれた住民はむきになって、拳をきつく握りしめる。他の住民はというと、どちらかというと小鳥の側と同じ心境の様子だった。彼らの中から灰色のフクロウが声を落としてこう告げる。
「しかし、それにしては時間がかかり過ぎている。……そういう話になったから、わたしたちで黒幕を探すことに決めたはずだぞ」
彼のその言葉を最後に、丸みを帯びた住民たちはそれぞれに、互いに目を合わせようともせずに自分の心の中に閉じこもってしまう。
『友達は誘拐されたに違いない』という思いで不安を誤魔化し、『この星から去っていった』という最悪の予想を見ないようにしていたのだろう。誘拐の可能性が薄れてきた今、彼らはそれぞれに落ち込み、苛立ち、あるいは不安げな表情になってきていた。
「ねえ、みんな」
声をかけたのはリンクだった。7にんの住民たちが各々顔をあげたところで、彼はこう続ける。
「何か手掛かりはなかったの? カービィがどこに行ったのか」
彼らは顔を見合わせ、割合すぐに答えを返してきた。
「もうなんべんも探したよ。戸棚の中も、暖炉の中も」
「天井裏も、外の草っ原も」
「机の下も、布団の中もね」
「置き手紙も何もなかったんです」
それから三毛猫が歩み出て、床に散らばっている絵を指さした。
「この絵も、ぼくらが見つけたときのまま置いてある。みんなで何度も調べたさ。でも、いつもカービィが描くやつと変わんない。なんのヒントも見つからないんだよな」
「そっか……きみたちが言うなら間違いないね。この家にも、カービィがどこに行ったのかの手掛かりはなさそうだ。じゃあもう一つ、確認させて。カービィはこの星が大変なことになったらいつだって助けてくれるって、いつでもこの星を取り戻してくれるって聞いたけど、それは間違いない?」
今度の答えはすぐに返ってきた。
「もちろん! 当たり前だろ?」
「わたしたちがわざわざ答えるまでもないな」
「他のみんなにも聞いてみてよ、きっとぼくらとおんなじ答えだよ」
先ほどから一言も喋っていない青いまん丸な住民も、賛同の意味合いだろうか、赤く細長い舌を手のようにぶんぶんと高く振っていた。
彼らの顔に少しずつ元気が戻ってきたのを見て取りつつ、リンクは彼らの答えを受け止めるように頷く。
「分かった。そうしたら、こう考えることはできないかな? カービィはこの星を取り戻すために何かを探しに行ってて、それにものすごく時間が掛かっちゃってるんだって」
ひとりひとりの顔を見るようにして、リンクはこう問いかけた。
「みんな。あの手ごわい侵略者たちをどうにかできるようなもの、何か知ってる?」
これを聞き、7にんの友達は緩く輪を組むと、それぞれに心当たりのあるものを挙げ始めた。
「鏡の国の、願いを叶えるっていうあれは?」
「ディメンションミラーだ。しかし望みは薄いな。タランザが閉じ込められているのがその破片だぞ」
「じゃあスターロッドはどうだろう」
「あれもだめだよ。今、夢の泉はナイトメアに憑りつかれちゃってる」
「なんだ、最近めっきり夢を見ないと思ったらそのせいだったのか……」
「タランザ、きせきの実はどうだ?」
灰色のフクロウがそう言ってリンクの方を、彼が抱える鏡の破片を見た。リンクが鏡を立ててみせると、映し出されたタランザがすぐに答える。
「めっきり実らなくなったのね。もしかしたら……セクトニア様が侵略者のことを警戒して、悪用されないよう計らっておられるのかもしれません」
その後も、鏡の中に捕らえられた住民たちも交えての話し合いが続いたが、『星を取り戻せるほどの力』に関する候補は、出る側から誰かに存在や効果を否定され、立ち消えていく。
エリアの住民たちをもってしてもなかなか良い案が出ない様子であるのが分かってきて、ピットは助け舟を出すつもりでこう切り出した。
「そういえば僕ら、ちょっと前にピエロみたいな恰好のひとに会ったんだ。すごく特徴的な笑い方するひとなんだけど、彼、なんだかカービィの居場所について知ってそうな様子でさ」
それを聞いた住民たちの顔に、さっと警戒の表情が現れた。
「まさかマルクのことか?」
「そいつ、二股の帽子被ってた?」
「うん。確か青と赤のを被ってたけど――」
途端に7にんはざわめき立つ。
「まずいぞ、あいつまた悪だくみしてるんじゃないか?!」
「またあの大きな星が落ちてくるの……?」
「落ち着け。もしそうなったとしても、カービィは止める手段を知っている」
ピットの言葉がもたらした衝撃が収まってくると、彼らは代わる代わる、"マルク"という道化師がかつて引き起こした大騒動について語り始めた。
ある日、空を照らす月と太陽が喧嘩を始めた。互いに上空の主導権を争うようにぶつかり、相手を弾き飛ばすので、昼も夜もごちゃまぜになってしまい、住民たちは満足に寝ることも遊ぶこともできず、困り果てたように空を見上げていた。
同じように空をぽかんと見ていたカービィの元に、マルクがやってきた。彼はカービィに対し、これを解決したいなら『願いを叶える大彗星』を呼ぶようにと教唆した。マルクの言葉を信じたカービィはすぐさま星を旅立つと、銀河中を巡って星をつなげていった。
しかし道化師はどうも嘘をついていたらしい。月と太陽のケンカは一向におさまらず、さらには空から戻ってきたのは皆の待ち望んでいたカービィではなく、巨大な顔を持つ黄金の機械。カービィがすんでのところでそれを止めなければ、黄金の巨大な星はポップスターに墜落していただろう。
そこまで一通り話す頃には、彼らも落ち着きを取り戻しつつあった。
「なるほどなぁ。そりゃこの星を出なきゃいけないわけだ」
「でもマルクには一度だまされてるのに、また引っかかっちゃうかしら?」
「あいつ、どっかぬけてるとこあるからな。みんなが助かるって聞いたら、信じ込んじゃうんじゃないか?」
「ぬけてるんじゃないよ、おひとよしなんだよ」
「マルクが何考えてるかはわからないけれど、カービィならきっと大丈夫です。ぼくは信じてます」
マンボウがそう言った横で、フクロウの方は案じるような表情を窓の外に向けていた。
「この星でさえこの有様だ。きっとミルキィロードの星々もダークマターなどに襲われているのに違いない。彼がなかなか帰らないのも道理だ。苦しい旅路になっていなければいいが……」
「ぼくらを頼ってくれてもよかったのになぁ」
「ま、あいつのことだから、きっと向こうでもだれかといきとーごーしてるんじゃないか?」
誤解を解いてもらえたピット達は、住民に見送られながら丘を下っていった。
彼らはカービィがいつ帰ってきても良いように、今後も彼の家に留まるつもりだという。その時に、彼らはこのようなことを言っていた。
「それにここ、なぜかは分からないけど安全地帯なのよね」
「きっとまだカービィが住んでるって思われてるんじゃないか? だからわるいやつらが近寄らないんだよ」
確かに言われてみれば、白いドームが建てられている丘の一帯は手つかずの草原が広がっており、暗く変色したような場所も、また人工芝に置き換えられたようなところもない。平和そのものの貴重な光景だったが、住民たちの話からすると本来は、この"星"全体がそうあるべきなのだろう。
丘の上に勢ぞろいし、それぞれに手や翼などを振っている住民たち。彼らを振り向き、最後にもう一度だけ手を振り返すと、歩いていく方向へと顔を向けるピット。
カービィの向かった先について候補が絞り込めてきたものの、行く手に向けられたその表情は浮かないものだった。それは隣のリンクも同様で、マウント・デデデのある方角をまっすぐに見つめつつも、その眉間には軽くしわが寄っていた。
「リンク」
やがて、前を向いたままピットが話を切り出す。
「僕が正しいなら、他の星なんてものは存在しない。そんなにエリアは広くないからね。だから空に他の星が見えていたとしても、行けるはずがないんだ。君の『目隠しと迷宮』の例えで言うとさ……もし、偽物の景色の端っこに行こうとしたら、どうなると思う?」
「たぶんだけど……邪魔が入るんじゃないかな。いつまでもその先にたどり着けなかったり、行くのを諦めたくなるようなことが起きたり、それどころじゃなくなったり」
「それだったら引き返すはずだよね」
「ぼくもそれを考えてたとこなんだ。それがいつまでも戻ってこないとなると、まさか――」
彼はその先を言えず、深刻な表情で口を閉じてしまう。
奇しくも、エリアの住民たちがリンクの言葉で誘拐の可能性を捨てた一方、彼らの語った言葉によってピット達は嫌な予感を抱き始めていた。
丘を降りていった先には、手つかずの自然が広がっていた。
木立の間を風が吹き抜けていくたびに草花がそよぎ、海の波にも似た滑らかな輝きが草原の上を流れていく。点在する湖は穏やかな水面をたたえ、高曇りの空を映し出していた。
このエリアの例にもれず、不思議な構造物もあった。平原のあちこちには、丸い断面を持つ地形が木々を越えるほどの高さを持ち、地面から顔を出している。中には丸い穴が開いているものもあり、それを眺めていたピットはふとこうつぶやく。
「なんだかバウムクーヘンみたいだなぁ……」
地形には年輪状の縞模様もあり、断面が淡い黄色であることも相まって、遠目から見るとまさしくケーキのようにも見えてくるのだった。それを意識した途端、彼は自分が空腹であることに気が付いた。考えてみれば戦艦を出て以降、あのトマトを最後に何も口にしていなかったのだ。
「ねえ、リンク――」
声をかけると、リンクもちょうどこちらを振り向いたところだった。
彼もどうやら同じことを考えていたらしい。察したように笑い、こう言った。
「休憩にする?」
近くには大木が生えており、地面から盛り上がった根がちょうどいい塩梅の椅子代わりになった。
彼らは木の根に腰かけ、パンやリンゴなど、互いの手持ちの食糧を分け合う。ナビィは食事が要らない様子で、二人からあまり離れないようにしつつもふわふわと周りの自然を見物していた。
大木にはそのてっぺんに、並はずれて大きな葉が三枚だけついており、それが梢の先を軸としてプロペラのような按配でゆっくりと回っていた。
少しずつ回転していく影の下、二人とも何も言わずに食べ物を口に運びつつ、向こうの方角を、自分たちが進んでいくべき方向を眺めていた。初めのうちは、この一帯もまたいつ侵略者の勢力が踏み込み、景色ごと塗り替えられるか分からず、心のどこかに警戒を残していたのだが、時間が経つにつれて徐々にそれも薄れていった。
遠くに目を向ければ、この平原も、ビルディングの林立する鋼鉄の街や絵の具に塗り替えられた平面的な景色に左右を挟まれ、辛うじて生き残った狭い領域でしかないことが分かる。しかし今のところは、それ以上に侵食を受けている様子は見られない。これも、カービィの家が近くにあるおかげなのだろうか。
ピットがそんなことを考えていると、横でリンクがふとこう言った。
「このエリアは……いや、この『星』は、本当はこういう景色が正しかったんだろうね」
「呆れかえるほど平和だったって言うから、そうなんだろうね」
ピットは何気なくそう返答し、パンをかじりかけたが、リンクの表情に気づいて思わずその手が止まる。彼は、ずいぶん真剣な表情をして目の前に広がる平原を見つめていたのだ。彼はその表情のまま、半分は自分に問いかけるようにこう言った。
「……だとしたら、なぜそうしなかったんだろう?」
「それって、なんでこのエリアをポップスターと、本物とそっくりに作らなかったんだろう……ってこと?」
尋ねたピットに向き直り、リンクは大きく首肯した。
「そうだよ。だって、ぼくの場合はそうだった。ハイラルの城下町も、コキリの森も、ゾーラの泉も、とにかく全部、ぼくが覚えている通りにあったんだ。だからぼくは、きみが教えてくれるまでずっと気づかなかった。気づけなかったんだ。……でも、ここはどう? みんなが『おかしくなった』って言ってる。それもキーパーソンのひとだけじゃなく、住んでるひとみんなだ。さすがにエリアのことには気づけないだろうけどさ、何か変だって思わせるのはまずいんじゃないかな」
熱心に語り掛けるリンクの勢いに少し呑まれかけつつも、ピットは確認するように言葉を挟む。
「そうかもしれないけど……でも、何がどうまずいの?」
「さっきのきみの話で思ったんだよ。何か変だって思った人がたくさん出てきたら、そのうちの誰かが、わざとでも偶然でも、今まで誰も思いつかなかったような場所に向かおうとするかもしれない。そうしたらぼくらを閉じ込めてる人は面倒なことになるはずじゃない? エリアの端っこに近づいちゃった人が出てくるたびに、その人に怪しまれないようにしながら、引き返させなきゃいけないんだから」
「最初からそっくりに作っていれば、確かにそういう手間はかからないかもね」
腕を組んで頷きながらも、ピットは続けてこう返した。
「でも、その『君たちを閉じ込めてる人』っていうのが適当なだけかもしれないよ。このエリアはかなりひどい方かもしれないけど、僕が今までに回ったエリアの中には、ここみたいになんだか変なことになってるところもたくさんあったんだ。おんなじ顔ぶれの敵ばかり出てくるのに、気づかないで延々と戦ってたり、宇宙を渡れるくらいの船を持ってる人たちが、未開の地にずっと閉じ込められてても何とも思ってなかったり。そういうエリアにいた人たちは、うっすらおかしいなって思ってることもあったし、全然気づいてないこともあった。ここのひとたちも、一応『おかしくなったのは侵略者のせい』ってことで納得はしてるよね? だから……運が良いって言うことじゃないかもしれないけど、君のとこは良い方だったんじゃないかな」
「うーん……そうか。きみが言うならそうなのかも」
見え始めていた仮説がしぼんでしまったものの、リンクはそれほど残念そうではなかった。すでにパンもリンゴも食べ終え、新しい説を模索し始めた様子で頬杖をつき、向こうの景色をじっと眺め始める。
彼につられて彼方に目をやったピットは、ふと何かに気づき、眉間にしわを寄せて目を凝らした。
まだかなり遠く離れているが、林の中を蠢きながらゆっくりと進む一団が目に映る。どうやら彼らは景色を塗り替えるほどの力は持たないようだが、油断はできない。この手つかずの、奇跡的とも言える領域に踏み込んでくるだけの実力があるのかもしれないのだから。
彼らの進行方向は、幸いにしてピット達の目指す山々とは逆方向で、こちらの進路の横を通り過ぎるようなルートを取っていた。このままここで少し待ってから出発すれば、鉢合わせずに通り抜けられるだろう。
そう考えていた矢先だった。にわかに頭上が陰り、ピットは反射的に空を振り仰ぐ。
黄色い電光を残し、先頭を切って駆け抜けていった影はすでに見えなくなっていたが、それに続いてやってきた赤と青の輝きはしっかりと眼で捉えられた。
キノコにも似た大きな丸い帽子を被り、黒を基調とする長い衣に身を包んだひとびと。一瞬だけ目に映ったその顔は二人とも、女性らしい長い髪を携えていた。
彼女たちがまっすぐに空を駆け、向かっていく先には、平原を進む不穏な一団があった。
「――きみたち!」
リンクが思わずといった様子で声を上げ、立ち上がった。
止める間もなかった。気づけば、隣にいたリンクはすでに三人の『むすめ』たちを追って走りだしていた。
「ちょっとリンク! 待ってよ、そっちは危ないって!」
大きな声で呼び止めようとするも、リンクは聞く耳を持たない。それほど騒がしい場所でもないから聞こえているはずだが、彼は立ち止まる気配を見せなかった。
「……ただの寄り道で済めば良いけど」
ため息をつき、ピットは気持ちを切り替えると勇者を追って走りだした。
一帯に、竜の雄叫びが響き渡る。草地を踏みしだいて二人がひた走る中、大地が鈍く揺れ、遅れて熱風が吹き抜けていく。
やがて彼方に見えてきたのは四つ首の竜。その全身を覆う黒色のうろこからして、少し前にピット達に襲い掛かってきた竜とおそらく同じ個体だろう。
竜は三人娘を相手取り、戦いつづけている。三人は天から地から、別々の方角から竜を挟もうとしていたが、竜も負けじと四つの首を別々に動かし、炎の弾を放っていた。しまいには四匹に分裂し、三人娘を取り囲んで炎を吐きかけ、あらゆる方向から飛びかかっていく。途端に彼女たちは防戦一方となり、広場の中央に追い込まれていった。
目標を捕えそこなった炎が木々や草地に着弾し、彼らが戦っているあたりは徐々に黒い煙に包まれていく。木々の燃える匂い、むせかえるような煙をかき分けてピット達が走っていくと、やがて向こうから声が聞こえてきた。
「ハイネス様! どうか目を覚ましてください!」
「われわれは過去のしがらみを捨て、新たな未来に進むと決めたはずです」
「アタシたちみんなで新しい楽園を探すって決めたじゃない! なのに、どうしてよ!」
返ってきたのは、三人の懇願を真っ向から否定するような竜の吠え声。打ち据えるような暴風が吹き荒れて、思わずピットとリンクはその場に屈みこむ。向こう側でも三者の悲鳴が聞こえ、地面に何かを打ち付ける音がした。
竜の羽ばたきで煙は払われ、木々を燃やす火も収まりかけて、辺りの状況がよく見えるようになっていた。
漆黒の竜は再び四匹が合体し、四つ首の姿に戻っていた。彼らが堂々と羽ばたき、宙に浮く中、その後ろに控える一団が見えてくる。黒いローブに身を包み、フードを目深にかぶった長身の影を先頭に、紫色のターバンのようなものを被った一頭身のひとびとがずらりと並んでいた。彼らは竜に向けて両手を挙げ、一心に祈っているらしい。彼らが唱える祈りの不協和音が低くうねり、辺りに重々しく響いていた。
ピットとリンクは、茂みと木々を挟んでそれを望む位置にいた。
彼らが見る向こう側、三人の娘は竜を前にして地面に倒れ伏している。もはや力尽き、動けなくなったかに見え、ピット達は腰を浮かしかけた。だがその前に彼女たちは何とか自力で立ち直ると、震える手をつき、互いに肩を貸し合って立ち上がる。
「ハイネス様……!」
流れるような水色の長髪をもつ娘が、まだふらつきながらも懸命に、前に進み出る。彼女が一心に見つめる先には、怪しげな集団の先頭に浮かぶローブ姿があった。
しかし名前を呼ばれた相手は赤く濁った目で彼女を一瞥するなり、ゆらりと片手を高く上げる。それに応じ、水色の娘の足元がにわかに赤く、明るく輝き始める。しかし彼女の方は全く気付かない様子でその場に留まっていた。まだ朦朧としているのか、あるいはあまりにも一途に彼方の人影を見つめていたのか。
「……キッスちゃん! 避けてっ!」
赤いくせ毛の娘がそれに気が付き、咄嗟に青い髪の娘を横に突き飛ばした。一瞬遅れて、地面から炎の柱が生まれ、天を焦がすほどの勢いで立ち昇る。
揃って地面に倒れ伏した娘たち。しかし無情にも、第二撃が彼女たちの頭上に展開されていた。電撃が四方から集まり、二人を目掛けて落ちようとする。
それよりも早く、宙を黄色の閃光が駆け抜けた。
その光は真っすぐにピットとリンクの方向に走ってくる。避ける間もなく目の前が眩しく弾けたかと思うと、二人は真正面からぶつかってきた質量を受け、突き飛ばされていた。
「なんなのよ一体……」
ぶつぶつと不平を言う声が聞こえて目を開けると、ピット達の前には先ほどの三人娘が座り込んでいるのだった。赤と青の二人を救った、筆頭格と思しき黄色の娘がいち早く状況に気が付き、急いで立ち上がるとピット達に深々と頭を下げた。
「――異邦の方々、どうか容赦してくれ。まさかここに誰かがいるとは思っていなかったのだ」
「いや、平気だよ。ちょっとびっくりしたけど……」
ピットは片手を振ってそう答える。
「かたじけない」
黄色の髪を揺らし、彼女は再び会釈をした。それから後ろを振り返り、他の二人に声をかける。
「キッス、ルージュ。怪我はないか?」
「はい、ザン・パルルティザーヌ様……なんとか……」
キッスと呼ばれた青い娘は、そう言いつつも憔悴した様子だった。戦いで消耗したというよりも、黒いローブの人物に声が届かなかったことに打ちひしがれているようだ。
彼女を気遣うように、赤い髪の娘、ルージュがキッスの肩に手を置く。
「キッスちゃんは休んでて。アタシはまだまだ平気だから」
そしてすぐさま立ち上がると一人で竜の方に向かっていこうとするので、慌ててリンクが呼び止めた。
「待って! ぼくらはきみたちに用があって来たんだ」
これにルージュはその場で踏みとどまるも、苛立ちも露わな顔で振り返る。
「はぁ?! 何言ってんのよ! そんな場合じゃないの、見たら分かるでしょ!」
彼女が指さして見せた先、林の向こう側では黒い一団が再び行進をはじめ、この場を立ち去ろうとしていた。
長い名前で呼ばれていた黄色の娘も、リンクに向けてこう言った。
「分かってくれ。われわれはハイネス様に仕える巫として、何としてでもあのお方を……ハイネス様を止めねばならない」
彼女たちの視線を受け止めて、リンクは真っすぐに伝えた。
「その、"ハイネス様"のことなんだよ」
リンクから渡された鏡の破片、それを受け取り、鏡越しにハイネスと再会を果たした三人娘はそれぞれに、喜びと安堵の表情を見せていた。
鏡を手に持つキッスは嬉し涙に目元を潤ませている。ザン・パルルティザーヌは三人の長らしく後ろに控えていたものの、鏡面を見つめる眼差しからは先ほどまでの張り詰めた緊張は消え、余裕が戻っていた。
キッスと肩を並べて鏡をのぞき込んだり、有り余る喜びで辺りを飛び回ったりとせわしなく動いていたルージュが、不意にリンクの前に降りてくるとこう言いつけた。
「ちょっとアンタ! どうやったらハイネス様をここから出せるのよ。教えなさい!」
「ルージュ」
ザン・パルルティザーヌがたしなめる。
「それがひとにものを尋ねる態度か?」
「うう……分かったよ」
さすがにしゅんとして、ルージュは改めてこう尋ねた。
「えぇと……アンタたち。ここからハイネス様を助け出す方法、知ってる?」
リンクはピットと顔を見合わせ、それから申し訳なさそうに首を横に振る。
だが、彼が口を開く前に鏡の中から、こんな声が聞こえた。
「他の欠片を見つけて、ディメンションミラーの額縁に収めるのね! そうすれば出られるはずです!」
それはタランザの声だった。ザン・パルルティザーヌも彼を知っていたらしく、鏡の方を見てそれに気づくとこう言った。
「む……お前は、いつぞやの"インテリ坊ちゃん刈り"ではないか。お前も閉じ込められていたのか」
「ヘンなあだ名をつけないでほしいのね……わたくしはタランザです。ちゃんと覚えてほしいのね」
「むろん、覚えている。お前の方こそ、わたしの名前は当然、覚えているだろうな?」
「ザン・パルルティザーヌさん、でしょう? 長いからかえって記憶に残っちゃうのね」
それから気を取り直すと、タランザはこう言った。
「鏡の欠片はあと七つあるのね。わたくし達のいる場所からは他の破片がある場所が見えますから、それをあなた方に教えます。それをヒントにして探し出してほしいのね」
「当ったり前じゃない! さあ、さっさと教えな!」
さっき注意されたばかりだというのに、早くもそんな口調で急かすルージュ。そんな彼女を、鏡を持っていたキッスが見上げる。
「ルージュさん、まずは作戦を立てましょうよ。破片は七つもあるのですから」
「……確かに。キッスちゃんの言う通りね」
ルージュはおとなしくなって、そう答える。
そして二人から指示を求めるように目を向けられたザン・パルルティザーヌは、少しの間考えたのちにこう言った。
「鏡の中からは、他の破片が見る景色も分かる。ならば、あと二つ見つければ通信手段にもなり、われらで手分けをして探せるということだ。まずは二つ、われわれで探すことにしよう」
彼女の決定に、キッスもルージュも勢い込んで頷いた。
ザン・パルルティザーヌは鏡の方に進み出て、そこに映し出されているであろうタランザに伝える。
「"坊ちゃん刈り"よ。お前が見える景色を教えてくれ。心当たりのあるところから巡っていこう」
「もう、好きに呼んでほしいのね……」
鏡の中から、半ばあきらめ気味の声がそう言っていた。
鏡の欠片を携え、三人娘は飛び立っていった。
三色の輝きが遠ざかり、彼方の景色に紛れてしまうまでを見送っていたリンク。彼の横に立つピットは、ふとこう言った。
「これで鏡のことは一件落着だね。でもよかったよ、君が欠片探しを手伝う、とか言い出さなくて」
「ぼくはきみを手伝うのが一番だから。それはちゃんと分かってるよ。それにあの三人なら大丈夫なんじゃないかな」
「まあ、ここのひとに任せるしかないよね」
そう言ってピットも、三人娘が飛び去っていったあたりを眺めた。その表情には、先ほどのやり取りから来た落胆が残っていた。
彼女らと別れる前に、ピットが念のためカービィのことについて尋ねたが、返ってきたのは芳しい返事ではなかった。
「ワタクシたちもここに来てずいぶん経ちますが……」
「あのずんぐりピンクでしょ? 見てないわ」
「われわれもおかしいと思っていたのだ。この星がこれほどの惨状になっていながら、ずんぐりピンクの影も形も見えないとは」
『途中で見かけることがあったなら、二人組が探していたと伝える』と約束してくれたが、望みは薄いだろう。
城のある山を目指し、歩いていく二人。
目指す城は相変わらず遠くにあったが、少しずつ青い靄は晴れ、着実に距離が縮められているのは確かだった。
焦らずにペースを守り、足を運んでいた彼らの行く手に、ひと影が見えてきた。
それが誰であるかに気づいた彼らの顔にさっと警戒の色が走る。
「マルク!」
その名を呼び、ピットが真っ先に駆けていく。リンクもナビィと共に、すぐ後を追う。
二股帽子のポンポンを揺らし、おどけた仕草で玉乗りをしながら散歩していた道化師。名前を呼ばれて怪訝そうな顔で振り返るも、走ってきたのが鏡の軍勢の前に置き去りにしたはずの異邦人であることを認め、さすがにぎょっとして目を見開く。
だが間もなく、その顔から驚きが消えていき、代わって口角がゆるゆると上がっていく。それは、紛れもない愉悦の表情だった。
それから彼は幾分すましたような笑顔になって、逃げるどころかその場に立ち止まり、ボールの上で跳ねながら、二人が追いつくのを待っていた。そんな彼に、まずピットが詰問する。
「カービィに『大彗星』のことを教えたのは君なのか?」
それに対し、マルクはピットの顔をまじまじと見つめ返してからこう言った。
「あんなもの、もう必要ないのサ」
そのままボールの上でつま先立ちをし、片足で器用にくるりと回ってみせる。
「今の星はボクにとっちゃサイコーの遊び場なのサ。ちょっとつっつけばすぐに騒ぎ出す、血の気の多いヤツらばっかりだからねっ!」
これを聞き、ピットとリンクはそれぞれに耳を疑い、表情を険しくさせた。
「じゃあ、まさか、この星をめちゃくちゃにしたのはきみなのか……?!」
「いやぁ?それほどでもないのサ。ま、一役買ってると言えばそうかもね」
マルクは褒められでもしたかのように、喜色満面の笑みで言う。
「せっかくのお祭り騒ぎなのに、誰かが勝ち残ったらそこで終わりになっちゃうだろ? そうなったらつまらないのサ。だからボクは、今日はあっち、明日はそっち、誰かさんがアンタらのことを狙ってるよってささやいてるってわけ!」
そうして彼はにっこりと笑う。きっと彼は、逃げ惑う住民たちをも面白がり、嘲笑っているのだろう。
「なんてやつ……」
リンクは怒りのあまり声を低くし、呟くように言った。
ピットも一歩前に踏み出て、マルクを見下ろすようにして詰め寄る。
「それだけじゃない。カービィが立ちはだかったら、いくら君でも敵わない。そうでなくても彼がいたら、せっかくおびき寄せた侵略者たちも追い返されてしまうかもしれない。だから先手を打って、邪魔されないようにした」
そこで十分に間を置き、彼は問い詰めた。
「……マルク、君は彼の居場所を知ってるんじゃないか?」
相手は全く臆することもなく澄ました顔で天使の目を見返していたが、不意にその表情が全く趣を変えた。歯を見せて、細い三日月のように酷薄な笑みを見せると、
「オマエたちに教えるわけないだろ?」
後ろに跳んで地面に降り立ち、間髪おかずにピットの顔面を目掛けてボールを蹴り上げた。
反射的に腕をあげて目を守り、後ずさるピット。すぐさま神弓を持ち、臨戦態勢に移ろうとした彼は、その目に飛び込んできた光景を見て思わず固まってしまった。
道化師の姿は地上ではなく、空中にあった。まず目につくのは、体の横から左右に伸びた腕のような物体。翼の骨組みだけがあるように見えたが、その下には皮膜の代わりに、モビールのような六角形の輝きがちらついていた。身体自体も心なしか大きくなり、見開かれた瞳は真正面を向いておらず、やぶにらみになっていた。
ついに本性を現した道化師。地上の二人が彼の姿に驚いているのを見て取り、耳障りな声をあげてケタケタと嗤う。からかうように宙返りをすると一気に二人の間をすり抜け、手の届かない上空まで飛び上がった。
そのまま何かを溜め込むように頬を膨らませたかと思うと、それを地面目掛けて吐き出す。墜ちてきたのは冷気を伴った球体。着弾とともに弾けた球体は周囲の地面を凍てつかせ、対処する間もなく、あっという間に二人の足元は青白い氷に固められてしまった。
マルクは再び嘲笑うような声をあげると、翼をはためかせ、悠々と背を向ける。彼が逃げるつもりであることを見て取り、ピットは歯噛みして何とか足を氷の中から引き抜こうとする。
「ピットくん、動かないで!」
その声にリンクを振り返る。彼は手にクリスタルのようなものを持ち、それを凍り付いた地面に叩きつけた。途端にその手を中心として赤い炎が広がり、あっという間に二人を包み込んでいく。揺らめく炎は不思議と熱くはなく、むしろ春の日差しのように暖かだった。
足元の氷は一気に溶けていき、二人は足が乾くのも待たず、水たまりを踏みしだきながらマルクを追いかけはじめる。それに上空のマルクも気づき、あっけにとられたように目をむいた。
「なかなかやるねぇ~! じゃあ、これならどうかなっ?」
空中でひらりと宙がえりし、低空飛行で突っ込んできた。ピットとリンクは息を合わせて二手に分かれ、これを避ける。だが、マルクはその場でくるりと振り返ると、今度は光の矢を何本も虚空から出現させ、放ってきた。
しかし二人の反応は早かった。一斉に振り向くと、ピットは鏡の盾、リンクはミラーシールドをそろえて構え、難なくこれをやり過ごす。跳ね返ってきた矢を面倒そうな顔をして避けていたマルクだったが、二人が剣を手に突進してくるのに気が付くと慌てて上空に飛び上がった。
ここなら手も出まいと高をくくっていたマルクだったが、地上の二人は弓を構え、矢を射かけ始める。
「なぁにそれぇ! ちょっとズルくない?!」
ひらひらと飛び回り、地上から矢継ぎ早に撃ちあがってくる矢を辛うじて避けるマルク。さすがにその表情から余裕が消え始めていた。
避けながら彼は、対抗するつもりなのか、小さな種のようなものを落としてきた。矢に比べれば速度も遅く、また数も少ない。ピット達はそれをただ避けていたが、反撃にしては温いのには訳があった。
靴裏で異変を感じてピット達が足元を見たその時、草原があちこちで割れ、一斉に伸びあがったツタがあっという間に二人をからめとり、捕えてしまった。
身動きの取れない二人の周りをくるりと飛び回り、マルクは空中で腹を抱えて笑う。
「は~い、いっちょあがり! 悪いけどボクは忙しいからね、オマエらと遊んでるヒマはないのサ。続きはまた今度なのサ」
意地悪く歯を見せてにっこりと笑い、マルクは上空へと飛び去ってしまった。
マルクが去った後も、ツタは二人の手足を万力のように固く締め付け、一向に放そうとしなかった。
「リンク、もう一回炎出せない?」
仰向けになったまま、ピットは横のリンクに声をかける。
「手が動かせないとだめなんだ。それに、ツタからぼくらに燃え移っちゃうかも」
「それもそうだ。それじゃ、振りほどくしかないか――!」
二人はそれぞれに、不自由な姿勢にできる限りの力を込めて腕を振り、足を動かして戒めを解こうとする。だがいつまで経ってもツタは緩む気配がなく、二人が手足を振り回すのに合わせてゆらゆらと揺れるばかり。
顔を赤くし、脱出しようと暴れる二人の間を、ナビィが心配そうに飛び回っていた。
やがて息が上がってしまい、ピットは嘆息して顔を仰向かせる。
「――だめだ。全然びくともしないよ」
見上げる空は陰気な灰色に曇り、わずかな希望の兆しも見えてきそうにない。ずっと締め付けられて血の巡りが悪くなってきたのか、手足の先が嫌な感じに痺れ、冷たくなってきていた。
せめて少しでも血行を保とうと、手を握ったり開いたりしつつ曇天を見上げていたピット。彼の横で、ナビィがふと地上をじっと見つめる。何かに気が付いたらしい。
「ちょっと二人とも! 何か近づいてくるわよ」
元々やや下を向く形になっていたリンクはそのまま地上に目を凝らし、ピットは苦労して上半身を起こしてそちらの方角を眺めた。
地表を、彼らを目掛けて小さなさざ波が駆けてくるように見えた。元々ある地面を、何か目の荒いコケのようなものが覆いつくしていく。
やがて二人を捕まえているツタの根元、そこに波が到達したときだった。ツタは一瞬のうちに力を失い、二人を絡めたままくにゃりと曲がってくずおれてしまった。地面に落とされたピット達は、ぶつけてしまった腕や腰をさすりながら半身を起こす。見ると、先ほどまで二人を捕えていたツタは、緑色の毛糸の塊となって地面の上に力なく堆積していた。
続いて、何気なく地面についていた手が、妙に柔らかい感触に触れていることに気が付いた。ごわごわしているようでいて、きめの細かい触感。まるでフェルトのような触り心地だった。いぶかしげな顔をしてその地面を撫でていたピットの脳裏に、ふとハルバードの船員が言っていた忠告が閃いた。
『"何かおかしいと思ったら無理に通ろうとしない"』
先ほど通り抜けていった"さざ波"は、この一帯を塗り替えていく何らかの力だったのかもしれない。このエリアを所狭しと暴れまわり、片時も休まることなく成長しては崩壊していく侵略者たちの陣地争い。自分たちはその真っ只中に足を踏み入れてしまったのではないのだろうか。
さっと表情を険しくし、ピットはリンクに注意を呼び掛ける。
「これって……!」
顔をあげた先、すでにリンクは立ち上がり、剣と盾を構えて向こうを見据えていた。彼が真剣な表情で見つめる方向を追って首を巡らせると、その先には奇妙な光景が広がっていた。
最初は、行く手をふさぐように毛糸の壁が伸び広がり、ところどころにフェルトの布をぶら下げてうねうねと蠢いているように見えた。
しかし目を凝らしているうちに、それぞれが、ずんぐりとした緑色の竜、燃えるように揺らめく翼を持つ紅の鳥、黒いシルクハットを被ったカボチャ頭といったものを象っているのが分かってくる。ほとんど輪郭線しかない姿で続々と集まってくるので、後ろに透ける後続の者たちと前にいる者の姿の見分けをつけるのが難しいのだった。
急いで立ち上がり、ピットはリンクに号令をかけた。
「引き返そう!」
だが、リンクは悔しそうに首を横に振る。
「ダメだ、囲まれてる……!」
彼の言う通りだった。後ろを振り返ってみると、もはやそこには天然自然の草むらは残っておらず、見渡す限りに緑の布のパッチワークが広がるばかり。そしてすでに、そこには通せんぼをするように白いイカのような巨大な毛糸細工が立ちはだかっており、ゆらゆらと触腕を揺らしていた。その足元にはずっと背の低い"毛糸びと"たちも並んでいたが、そのいくらかがポップスターの住民に酷似した姿をしているのを見て取ったピットは、ふと嫌な予感を感じて眉をひそめる。
「……ってことは、やっぱり――」
前に向き直ったピットは、そこで上空から降ってきた笑い声に気が付き、さっと上を見上げた。
ゆらゆらと降りてくるのは、これもまた毛糸で輪郭だけを描かれた姿。ウェスタン風味のつばの広い帽子の下でひげ面が、張り付けたような笑顔を浮かべている。体全体をオレンジ色のマントに包み、細長い腕で二本の編み棒を持って――と思いきや、その編み棒二本が口を開いた。
「よーしよし、お前たち、よくやったでアミーボ!」
「さぁて、どんなやつが釣れたのかな……と。ややっ? お前ら、いったい何者でアモーレ?」
「やせっぽっちでひょろ長くって、なーんとも頼りない奴らでアミーボ」
期待が外れたとばかりに、いかにも残念そうな声で言う編み棒達。ピットは声を張って反論する。
「なんだよ、君たちだってひょろひょろじゃないか!」
「威勢だけはよろしいでアミーボ」
「どうするでアモーレ?」
編み棒のうちの一本が、もう一本の方を向く。
「まぁ、このご時世じゃ四の五の言ってられないでアミーボ。どっかよそに取られないうちに――」
「このアミーボ・アモーレがスカウトするでアモーレ!」
そう言い終わらないうちに、彼らは編み棒の間に渡された仮の姿ごと急降下してきた。
そのまま、首元にかけられた靴下を二人に向けようとする。だが、それよりも早く、リンクが"ディンの炎"を放っていた。
「アチ、アチチ!」
「な~んてことするでアモーレ!」
毛糸に引火してしまった炎を慌ててはたき、消そうとする編み棒達。彼らが自分の消火に必死になっている隙に、ピットとリンクはすぐさま踵を返して逃げ始めた。
行く手に立ちふさがっていた毛糸の巨大イカは、駆けてくる二人をボタンの瞳でにらみつけ、太い腕をもたげると捕まえに掛かる。
しかしピット達はそれぞれに、身をかがめ、あるいは跳び越え、毛糸の間を通り抜けて難なくこれを躱してしまった。巨大イカは心底不思議そうな様子で自分の触腕を見つめ、二人が突き抜けていった顔を触る。
その後ろ姿を一瞥したナビィがリンクの肩口で笑い声をあげる。
「なぁんだ。なんてことないわね!」
「ナビィ、誰か追いかけてきてる?」
リンクに問われた彼女は、飛びながら再び後方を振り返る。
「――そうね。かなりたくさん来てるわ。あ、あれはちょっとマズいわね……」
言い淀んだ彼女の口調につられ、リンクとピットは走りながら揃って後ろを振り向く。
すかすかの見かけにあるまじき地響きを立て、追いかけてくるのは毛糸の集団。その先頭を切って走ってくるのはにやにや笑いの巨大な顔。側面についたタイヤをフル回転させ、頭にはつばの広い緑色の帽子、そして左右にはあの編み棒を備えている。
自他の距離は徐々に、じわりじわりと詰められつつあった。
「リンク、馬を呼んで!」
ピットはほとんど悲鳴のような声でせがむが、リンクは首を横に振った。
「ムリだよ! どこか立ち止まれるところが無いと……!」
「じゃあ僕が何とか時間を稼ぐから――」
そう言いかけた時だった。不意に、二人の足元が暗く蔭ったかと思うと、頭上を圧して何か巨大な物体が降りてきた。プロペラの音を曇天に轟かせながらやってきたのは、細長い気嚢を備えた灰色の飛行船。
ゆらゆらと揺らめきながら飛行船は徐々に降下し、底部に備え付けられた赤いゴンドラが二人の頭上にまで接近してきた。船内のやり取りが途切れ途切れに聞こえてくる。
「これ以上の接近は危険じゃ!」
「もう少し粘ってくれ!」
ゴンドラの扉が開き、そこから赤いシルクハットのひとが姿を現した。
「おまえたち、これにつかまれ!」
その声とともに、彼の足元から小さなひと影が縄のようなものを投げかけた。くるくるとほどけて現れたのは縄梯子。風になびき、揺らめく縄梯子を目掛けてリンクとピットはそれぞれに手を伸ばし、追いつこうとする。だがあと一歩のところで高さが足りず、届かない。
頭上でもこんな声が聞こえていた。
「ドク、高度はこれで限界なのか?!」
「当たり前じゃ。あと少しでもガスを放出すれば墜落してしまうぞ」
そんなやり取りが交わされているのもほとんど意識に上らず、ピットは走りながら勢いをつけて跳び、何とか縄梯子を掴もうとし続けていた。遅れてその様子に気が付いたリンクは、つかの間、自分の目を疑っていたようだったが、やがて割り切ると彼に向けてこう呼びかけた。
「ピットくん、ぼくにつかまって!」
伸ばした腕にピットが両の手でしがみついたのを確認し、彼は縄梯子の間を目掛けてフックショットを放った。瞬く間に鎖がくるくると縄に巻きつき、二人分の体重を支えて一気に引き上げる。まずピットが、そしてリンクが縄梯子にしっかりと手をかけ、両手でつかむ。
「よし、引き上げろ!」
赤いシルクハットを被ったひとが号令をかけ、縄梯子は二人を掴まらせたままゆっくりと昇っていく。
飛行船自体も急上昇をはじめ、眼下、フェルトの布地に敷き詰められたパッチワークの地上が、そして雑多な色合いの毛糸の軍勢がどんどんと遠ざかっていった。
「はぁ……危なかった」
安堵のため息をついたピットに、リンクの肩に止まっていたナビィがこんなことを問いかける。
「ねぇ、ちょっと天使クン。そんなに立派な羽が背中にあるのに、あなたもしかして飛べなかったの?」
その口調はからかっているようでもあり、ピットはむきになってこう返す。
「そうだよ、悪い?」
そんな彼をとりなすように、リンクがこう言った。
「きっと大人になったら飛べるようになるよ」
それを聞いたピットは、しかし何とも言えない表情をしていた。
「大人ね……僕はいつになったら大人になるのかな」
誰に言うでもなく、ため息交じりにぼやいた声は通り過ぎていく風に紛れ、流されていった。