気まぐれ流れ星二次小説

星は夢を抱いて巡る

第2章 平和をもたらす者 ⑤

 

 

何か細かなものに頬をくすぐられ、ピットは目を覚ました。

見ると、そこにあったのは青々と茂った草むら。風に揺られた野草が自分の頬をかすめたらしい。

まだ意識がはっきりとしない中、彼は寝転がったままぼんやりと上を見上げた。密林にぽっかりと空いた穴の向こう側、夕暮れの空に浮かぶ雲は少し灰色がかっており、上空の強い風に流されて目まぐるしく姿形を変えていく。一瞬としてとどまることのない無形の雲を目で追っていると、じきに、視界の横に何かがあることに気づいた。

ほとんど無意識のうちに目をむける。そこにあったのは、飛行船の船内にあったはずの玉座。自分の片手はまだ、その肘置きをしっかりとつかんでいた。

「あれ、なんで……」

つぶやいていた彼の顔に、一瞬遅れて理解が追いついた。

「……そっか、放り出されたんだ」

のろのろと上半身を起こし、辺りを見渡す。しかし、目に入るのは鬱蒼と生い茂る密林の木々ばかり。顔のついたベージュ色の気嚢はどこにも見当たらず、大王達の姿も、そしてここまで一緒だったリンクの姿も見えない。そのことに気づいたとき、急に現状に理解が追いつき、ピットは目を瞬かせて急いで立ち上がった。

「みんな……!」

呼んでみたが、返事は返ってこない。

――まずいな……はぐれちゃったか。

ピットは片手で頭を抱え、顔をしかめる。

おおかた、こういうことだろうというのは想像がついた。おそらくは不時着の衝撃で玉座がはずれ、それにしがみついていた自分ごと船から投げ出されたのだろう。

少しずつ落ち着いてきて、彼はこうひとりごちる。

「だとしたら船は……きっとここと同じ高さか、それよりも上かな?」

目をすがめ、頭上を見上げた時だった。密林の奥からくぐもったような爆発音が聞こえてきた。それに遅れて、甲高い悲鳴も。

迷っていたのは一瞬だった。ピットはすぐさま双剣を構え、そちらの方角へと駆けだしていった。

 

「もう……! なんで命令を聞かないの?! 止まりなさい、止まりなさいったら!」

先ほど悲鳴を上げていたのと同じ声がそう言っているのが聞こえてくる。騒動の中心へと飛び出す前に、ピットは木々の一つを盾にし、そっと顔をのぞかせる。

視界が開け、遠景にピラミッドのような遺跡が立ち並ぶ中、手前に見えてきたのはやや久々に見るロボット兵団だった。これまでに出くわしたものよりも洗練されたデザインのロボットもおり、下に行くほどすぼまった円筒形、無駄のない装飾、宙にすらりと浮かぶその堂々としたたたずまいからしても、数で勝負するというよりは個々の質が高いタイプなのだろう。

彼らはエージェントのごとく、その背後に小柄なひとを守っている。そのひとは白くつややかな服に身を包み、金属のように光沢のあるピンク色の長髪が腰丈の辺りまで伸びている。そして彼女の身体もまた、どういう仕組みか地面から少しだけ浮かんでいた。

集団が対峙している先に目をやると、昆虫にしてはずいぶん巨大な存在が立ちはだかっているのが見えてきた。

赤紫色で統一された、狩り蜂の体。その背には、黄金色に透けた蝶の翅。首元から後ろにかけては王侯貴族がつけるような襞襟を備え、頭の上には王冠にも似た装飾物が載っている。

それは、単に『虫』と言い切ってしまうには惜しいと思わせるほどの美しさと同時に、侮るべきではないと直感で分かる鋭さを持っていた。

 

状況を見極めようとしていた天使の目前で、にわかに時が動き始めた。

 

蝶の翅を備えた女王蜂。宙に浮いた二つの手袋がその手にレイピアを出現させ、ロボット軍団目掛けて真っすぐに襲い掛かる。ロボットエージェント達は少し後退しながらも片腕を上げ、迎え撃とうとする。だが、彼らではあまりにも遅かった。銀の輝きが鋭く閃き、無数の突きが哀れな犠牲者をハチの巣にする。

最後の一突きで大きく撥ね飛ばされたロボットは、大地に叩きつけられると同時に内側から爆発し、部品をまき散らして動かなくなってしまった。

女王蜂はそれに見向きもせずに、ゆらりとロボット軍団に向き直る。

一体減ったエージェント達が陣形を整える後ろで、ピンクの髪の女性が声を張り上げた。

「クローンセクトニア! 止まりなさいと言っているでしょう?!」

しかしその名を呼ばれた女王蜂は少しの躊躇もなくレイピアを振り払って消失させると、代わってその右手に杖を呼び出す。すらりと高く掲げられた杖の先端から黒い雷がほとばしり、これに撃たれたロボット軍団はがくがくと痙攣し、力尽きたようにその場にくずおれていく。

一体、また一体と動かなくなり、後にはピンクの髪の女性だけが残される。女王蜂が威圧するように近づいてくる中、じりじりと後退していく彼女だったが、同時に辺りに油断なく目をむけてもいた。その彼女の水色の目が、木々の間から顔を出していたピットへと向けられる。

彼女は不意に明後日の方向を指さし、声を上げた。

「あら、あんなところにジェムリンゴシャーベットがありますわ!」

その意味を理解してというよりは彼女の仕草につられた様子で、女王蜂がよそ見をしたその隙をつき、ピンクの髪の女性はほとんど飛び込むようにしてピットの方角へ、彼が隠れていた木立の間に転げ込んだ。

華麗に前転して勢いを殺し、すぐさま立ち上がるなり彼女はピットを見据えてこう言った。

「そこのひょろながゲンジュウ民!」

「え、原住民って……僕?」

自分の顔を指さすピット。

「他に誰がいるのですか? もちろん、アナタのことですわ」

彼女はそこで、服に付いた土ぼこりを払い、髪を整えてから改めてピットに向き直る。

「――申し遅れました。ワタクシ、『ハルトマンワークスカンパニー』の社長秘書を務めております、スージーと申します。以後、お見知りおきを」

両手を前にそろえ、きっちりと会釈をした。

「さて、アナタにお声がけしたのはほかでもありません。このワールドツリーにたった一人で登ってきたのを見ると、アナタ、相当なステータスをお持ちの様子……特別に、ワタクシの臨時ボディーガードとして採用させていただきますわ」

強引に話を進めようとする彼女に、ピットはすぐさまこう返す。

「いやだよ、あの女王蜂と戦えって言うんでしょ? さっきのあれ見て頷くわけないじゃないか!」

木立の向こう、どうやら女王蜂はスージーを見失ったらしく、その場から動かずに辺りをゆっくりと見渡している。

一方のスージーは小首をかしげ、こう言っていた。

「あら、事前に労働条件を提示しないとダメなの? そうね……時給一万ハルトマニーならいかが?」

「それどこのお金?」

あからさまにいぶかしげな顔をするピット。

「ハルトマニーをご存じでないの? ああ、何という不幸、何という未開でしょう!」

芝居がかった様子でスージーは額に手を当て、顔を仰向かせた。

「ワタクシどものカンパニーは、科学の粋を結集し、皆さまに幸せで豊かな暮らしを提供するのがモットー。ファッションに雑貨、化粧品にキッチン用品、青果、スイーツ、電化製品、ありとあらゆる品物を取り扱っております。そんなわが社の製品をご購入されるなら、ハルトマニーが欠かせませんわ。時給一万と言えば、ボディーガードの相場としてもかなり破格の好条件。ワタクシだったら絶対にイエスと答えるところですわ」

熱のこもった口調だったが、残念ながら、ピットは少しも心を動かされなかった。

「お金は要らないよ。僕の必要なものは天界に全部あるから」

「……それは残念ですわ」

しおらしくうなだれるスージー。しかしふいっとこちらに背を向け、小声でこんなことをつぶやいていた。

「――物質文化の素晴らしさが分からないなんて、根っからのゲンジュウ民のようね」

どこから言ったものかと考えあぐね、ピットはこう言うことにした。

「あのさ……僕、どう見てもここの住民じゃないでしょ」

そう声を掛けられて、スージーは驚いたように振り返った。ピットの姿をまじまじと見つめ、やがてちょっと目を丸くする。

「……あら、これは失礼いたしました。ということは、もしかしてアナタはライバル会社の営業マンなのですか? それではるばるこんな未開の星に?」

彼女の反応に思わず、ずっこけてしまうピット。

「違うよ、どうしてそうなるの! 僕はこのエリア――この星のひとたちに手紙を配りに来たんだ。仲間とはぐれちゃって、とりあえずこの上に向かおうとしてたんだよ」

「なるほど、そういう事情だったのですね」

と、ぽんと手を打つ。

「でも、それでしたらなおさら、ワタクシと手を組まなければいけませんわ。あちらをご覧くださいませ」

そう言って彼女は、すいっと空中を飛んで先ほどの広場の方に近づいた。そのまま茂みから顔だけをのぞかせる。

彼女の見る先には相変わらず女王蜂が陣取っており、まるで縄張りを守るようにゆっくりと辺りをうろついていた。

「あのクローンモンスターの後ろ、そこから進まないとワールドツリーの幹には戻れないのです。つまり、上に行く唯一の道、そこが塞がれているということなのですわ」

女王蜂は両手にレイピアを携えていた。いつでも戦えるように、周囲に油断なく目を光らせている。

唯一の退路を塞ぐように、女王蜂は狭いテリトリーを周回している。その様を見て取ったスージーは小声でつぶやいた。

「アイツ……アタシが絶対そこを通るって分かってるんだわ」

一方のピットは、あまり乗り気でない様子で女王蜂の様子を観察していた。

「事情がよくわからないんだけどさ、そもそもどうしてこうなったの?」

「それを説明するには、わが社の一大事業、"キカイ化しんりゃくプロジェクト"からお話しする必要がありますわ」

ピットに向き直って居ずまいを正し、スージーはすらすらと説明し始める。

「先ほどもお話ししたように、わが社は皆様の快適な暮らしをありとあらゆる方面からサポートし、科学技術で一家団欒を実現するのがモットーです。しかし良い製品をたくさん作るためには、先立つ資源が必要。というわけでわが社はかつて、豊富な水にきれいな空気、莫大な資源が眠るポップスターをターゲットに、わが社直轄の生産工場へと生まれ変わらせようとしたのですわ。……でも、とあるゲンジュウ民の抵抗により、そのプロジェクトは失敗に終わりました」

『失敗』。その単語を言った彼女の声は、意外にも落胆の色を含んでおらず、どこか他人事のように淡々としていた。

「わが社の社長はその際に行方不明となったため、社長秘書のワタクシが跡を継いでカンパニーを立て直すことにいたしました。それまでわが社の運営方針を選定していたマザーコンピューター『星の夢』も失われ、これまでの顧客データも消えてしまい、一からやり直しという厳しい状況ではありましたが、この星での教訓から、もう少し穏便な方法で事業を展開しようと社内で方針を取り決めた矢先――」

そこでスージーは十分な間を置いて、次の言葉を継ぐ。

「社長が、ふらりと帰ってきたのです」

すっかり彼女の語りに飲み込まれてしまったピットは、何も言えずに彼女の言葉の続きを待っていた。

「正確に言えば、社長と星の夢がある日、何事もなかったかのように本社に現れていたのですわ。社長の無事を社員一同で喜んだのですが、でも……アイツは」

不意に何か私的な確執を垣間見せるも、彼女はそこで首を振った。

「――社長は、行方不明になる前と何も変わらなかった。変わっていなかった。……すでに一度失敗したことも忘れ、ワタクシの言葉にも耳を貸さず、この星を侵略せよと再びワタクシ達に命じたのですわ」

「それで、ここに?」

「そう。今回の第二弾侵略プロジェクトにおいてワタクシの担当地区に残されていた大樹、ゲンジュウ民がワールドツリーと呼ぶここは、まさしく天然資源の宝庫。ですからカンパニーにとっても、ここの確保は最重要課題だったのですが……これまではツリーを守る虫がいっぱいいて、手出しできなかったのですわ。でも先日、ワタクシは閃いたのです。わが社がこのツリーから作製した、あちらのクローンモンスターはご覧の通り、まるで王のような風格を放っているでしょう? ですからきっと、このツリーを守る虫たちも言うことを聞くに違いない、と」

そこで彼女は言葉を切り、女王蜂のいる方角に顔を向けた。

「――結果は大当たりでしたわ。ワタクシは一切攻撃を受けることなく、ここまで登ってこられました。ですが、途中からクローンセクトニアの様子がおかしくなったのです。ワタクシの命令を無視し……それどころか、ツリーにはびこる虫たちや、石造りのヘビ、燃え滾るカエルだのを引き連れて暴走し始めたのですわ。どうにかここまで逃げてきたのですが、あれだけいたセキュリティサービスもイエスマンもすべて壊されてしまって。……こうなることが分かっていたのなら、リレインバーの修理を先に終わらせておいたのに」

悔しげに片手をきつく握りしめているスージー。一方、ここまでの話を聞き終えたピットは腕を組んで考え込んでいた。

やがて彼は、スージーに向けてこう問いかける。

「ちょっと確認したいんだけどさ、あの女王蜂はクローンセクトニアって言うんだよね?」

「ええ、そうですわ」

「じゃあ、"クローン"っていうのは?」

「あら、ご存じないのですか? ワタクシの星では初等教育で習うことですけど。……さておき、一言で言うと、"同一の生物データを持つ個体"のことですわ」

あまり助けにならない解説を何とかかみ砕こうとし、ピットは首をかしげる。

「……うーん、つまり、あのクローンセクトニアと同じ存在があって、それをもとに君たちが作ったってことだね?」

「そう言いたいところなのですが、どうもあの個体は成り立ちが不自然なのです。このワールドツリーをもとにしたのですから、植物のクローンが得られるはずでしょう? なのに、復元されたのは千年分の生物のデータが混ざり合ったあの昆虫だったのですわ」

「なるほど、このワールドツリーからあのクローンが造られたんだ」

合点がいったように頷くピット。それを怪訝そうな表情で見上げつつも、スージーはこう返した。

「そうですが……それがどうかいたしましたの?」

「君たちが復元したのは間違いなく、このツリーを治める女王だったんだよ。このツリーには本来の女王が眠っている。そこから復元されたクローンの女王も、これまでは記憶がなかったのかもしれないけど、故郷に戻ってきたことで何か思い出したのか、それかツリーに眠っている本物から何かの影響を受けて、女王としての務めを思い出した。だから、ツリーにとっての侵略者である君たちを追い返そうとしてるんだよ」

「そ、そんな非科学的なことって……!」

憤慨するスージー。しかしピットは澄ました顔で茂みを踏み越え、女王蜂の待ち構える広場に足を踏み入れた。

「まあ、ついてきてよ」

手招きし、先に行ってしまう。スージーも渋々といった様子で彼の後へとついていった。

 

ワールドツリー。天空の国。そして女王、"セクトニア様"。いずれも鏡に閉じ込められていたタランザが口にしていた言葉だ。

なぜ見ず知らずのカンパニーがセクトニアの名前を知っているのかは分からない。だがタランザが言っていた『女王様はツリーと共に眠っている』『ツリーの中で眠っている』という言葉が比喩ではなくその通りの事実なのだとすれば、カンパニーがツリーから抽出し、なぜか復元されたあの女王蜂こそ、まさしく天空の国を治めていた女王なのではないだろうか。

顔を上げてピットが歩いていく先、女王蜂が静かに待ち受けていた。

紫色の体躯、腹部をレースのように取り巻く黄色の襞。蝶のような翅ははばたかせる必要もないのか、ゆっくりと背中で揺らめくばかり。顔には大きな瞳が一対あり、紫色を透かして猫のように細長い瞳孔が見えている。

その瞳を見据え、ピットはこう切り出した。

「セクトニア。ここにいるスージーは、引き返すって言ってるよ」

「ちょっと! ワタクシ、そんなこと一言も――」

慌てて口をはさんだスージーを見おろして、ピットは確かめる。

「ここから無事に帰りたいんじゃないの? それともセクトニアと戦うつもり?」

「それって……」

逡巡の末、スージーはちょっと怒った顔でこう返した。

「……選択肢ないじゃない! 今のアタシはほぼ丸腰よ。戦っても勝ち目ないわ」

ようやく素を出した彼女に、ピットは言った。

「じゃあ、それをセクトニアに伝えて」

「……仕方ないわね」

スージーはピットの後ろから進み出ると、片手に持っていたカバンを地面に置いた。金属光沢のあるカバンはひとりでに開くと、ひっくり返り、再び折りたたまれて金属のピックとなった。地面に刺せば一帯を機械化できる、あのトゲと同じものだろう。

「これをツリーの天辺に刺して、資源回収プラントにしようと思ってたのよ。でも……諦めるわ」

女王蜂は何も言わず、その表情の読めない目でスージーをじっと見ていた。

沈黙に耐えられなかったのか、スージーは女王蜂に突っかかった。

「なによ、何が不満なの? これで最後よ。他にはもう持ってない」

 

全くの不意に、女王蜂がすらりとレイピアを振り上げた。思わずスージーは悲鳴を上げ、後ずさるが、女王蜂の目的は彼女ではなかった。

 

真上からの鋭い一閃とともに、金属のピックは串刺しにされていた。残骸はしばらく電撃を発していたが、やがて自壊し、黒くくすぶって動かなくなった。

それを見届けると、女王蜂はレイピアを引き抜き、急に興味を失くしたようにそっぽを向いて密林の方へと去っていく。

「許してもらえたみたいだ。よかったね」

笑顔のピットに対し、スージーの方は不服そうな表情だった。

「……全然良くないわよ。アイツにどう説明しろって言うの?」

そこで大きくため息をつき、彼女はのろのろと首を横に振った。

「まあ、これでワタクシの減給は確実ですわ。ワタクシのプロジェクトチームにおりる予算も、きっと減らされるでしょうね」

そう言いながら、とぼとぼと歩み去ろうとする。

「社長に、諦めて他の星を探せばって言ってみたら?」

ピットは彼女の背にそう声をかけた。彼女はふっと笑い、振り向いてこう返した。

「それも悪くありませんわね。この星は今、どうしようもなくひどい状況ですから。空気も水も、あの時ほどじゃない。敵性生物もうじゃうじゃいて、とてもじゃないけどコストに見合わない。……決めた。帰ったら、さっそく報告書にまとめてアイツのヒゲヅラに突き付けてやりますわ」

少し元気が戻った様子で、背筋を伸ばし、手元の機械のスイッチを入れる。

手のひらサイズの機械はたちまちのうちに伸び広がり、手持ちプロペラ機となって彼女の身体を持ち上げた。

「ワタクシ、今日のところはこれにて失礼いたしますわ。それではごきげんよう」

これを見送っていたピット、遅れてあることに気が付き、遠ざかるスージーを追いかけようとした。だが時すでに遅く、彼女の姿は瞬く間に小さく遠くなり、空の中に溶け込んでしまった。

「――のせてってもらえば良かったなぁ……」

夕暮れの空を見上げ、ピットは嘆息した。

 

 

藪をかき分け、密林を縫い、少し歩くと急に視界が大きく開けた。

大地があと数歩のところで途切れていることに気づき、ピットは慌てて後ずさる。心を落ち着けてから辺りを見渡すと、自分の立つ島が巨大なツタによってからめとられ、向こうに見えるツタの大樹につながっていることが分かってくる。

続いて用心しつつ島の端まで歩いていき、眼下を見おろす。

このエリアの大地は、想像していたよりもはるかに下に広がっていた。白い靄に包まれ、モザイク状になった地面がどこまでも広がっている。この高さから見ると山も谷も本来の高さよりつぶされたように見える。ツタの大樹はそんな大地の一点から伸びあがり、この島のほかにも複数の島々を支えていた。

頭上を見上げると、これも同じように二つの島がツタにからめとられ、宙に支えられているのが見えてくる。そして一番上の島、縁から乗り出すようにしてベージュ色のシルエットが顔をのぞかせていた。

ガスが抜けてしぼみ、ひしゃげてしまったシャークマウスが雲の合間から見えている。スーパーカブーラーに間違いない。

「あんなところから投げ出されたのか……」

島一つ隔てて下に落ちたにも関わらず無傷だったことへの安堵と、これからその距離を登らなければいけないということへの倦怠。ピットは二重の意味を込めてため息をついた。

 

島を支えるツタは一本一本がきわめて太く、さらにそれらが何本も束ねられて幹まで連なっていた。だが島が風に揺られているせいか、ツタのつり橋は絶えずゆっくりと不規則に揺れている。ずり落ちないように用心しつつ、足元を見ながら腰を落として一歩一歩、幹に向かって歩いていた時だった。

彼の横から、ゆらりと紫色の影が現れた。その場で立ち止まり、慎重にそちらを向くと、そこには先ほどの女王蜂の姿があった。

彼女はじっと、空を見上げていた。

同じ方角を見ると、ツタの大樹の頂上、雲の彼方におぼろげに、薄桃色の巨大な花弁が揺れているのが見えてくる。

女王蜂は宙に佇み、その花を見つめている様子だった。表情のない顔からは、何を考えているのかも読み取れない。

沈みゆく夕陽を受け、淡く金色に輝く美しい翅を揺らめかせて空を見上げる女王蜂。それを見ていたピットの脳裏に、タランザの言っていた言葉がふと甦った。

『女王様は今でもワールドツリーの中で眠っている』

 

――思い出したのかな……自分がどうなったのか。

固唾をのんで見守っていたピット。彼の見つめる先で不意に、女王蜂がこちらを向いた。まるで今、そこに誰かがいることに気づいたという様子だった。

しかし彼女は、先ほどスージー達に見せていたような敵意は全く示さず、あまり関心もないというようにそっぽを向く。そのまま翅をはためかせて飛び上がろうという素振りを見せたので、ピットは慌てて呼び止めた。

「ま、待って! 上に行くなら、僕も連れて行ってくれないかな」

女王蜂は振り返ってはくれたものの、いかにも機嫌を損ねたというような目をしてこちらをにらみつける。

――そうだ、天空の国の女王だもんな……

背に腹は代えられない。ピットはその場に跪くと彼女に首を垂れた。

「女王陛下。どうか僕を、あなたの治める国まで連れて行ってくれませんか? 僕は、あの島で待ってる仲間と合流しなきゃいけないんです」

見上げると、セクトニアの写し身は腕組みのようなしぐさをし、鷹揚に頷いてみせた。

 

 

片腕の手首の辺りを掴まれ、持ち上げられた恰好で飛行すること数分間。ようやく一番高いところにある島にたどり着いた。実体を持つ雲に支えられた巨大な城塞。その光景にエンジェランドの天界をふと思い出していたピットは、外縁の城壁に覆いかぶさるような格好でベージュ色の布地が掛かっていることに気が付いた。

掴まれている手首に一層力が入り、ピットは上を見上げる。女王蜂もスーパーカブーラーに気づいたらしく、そちらを不審げに見つめていた。

「……あ、えっと……ごめんなさい。僕たち、ちょっとした事故に巻き込まれちゃって……直したらすぐに退かしますから」

ピットが弁明すると、女王蜂は『なんだ、お前たちのものか』と言いたげな呆れた顔を向けた。

彼女は軽く体を前に傾けると、翅をはばたかせることもなくすいっと加速し、見る見るうちに城壁が近づいてくる。くたっと萎れた気嚢の上でワドルディたちがせわしなく働いている様子が見えてきたかと思うと、ピットの手首をつかんでいた手がぱっと離された。

ぼすん、と音を立てて気嚢に沈み込むピット。手足をばたつかせて何とか這い上がると、下の方から耳慣れた声が聞こえてきた。

「ねえ、今落ちてきたのってもしかして……!」

「わたしも見たわ!」

「なんだ、何か見えたのか?」

「それが、さっき空からピットさんが……」

「なに? あいつ、無事だったのか!」

のしのしと歩いてくる音が途中で急に慌てたようにたたらを踏み、続いてすっとんきょうな叫び声が聞こえた。

「な、な、な、なんであいつがここにおるのだ!」

「デデのだんな、ハチが怖いの?」

「何を言っておる、わしはハチなど別に怖くない! だが、あいつは別だ!」

ようやく気嚢の端までたどり着き、下を見ると、そこではアドレーヌとリボン、そしてその背後に身を縮こませて何とか隠れようとしているデデデ大王の姿があった。顔をのぞかせたこちらに気づいて大王が大きく手を振った。

「おぉピット! 上を見ろ! そいつは危険だぞ、早く逃げろ!」

ピットは一応上を見たが、そこには女王の写し身が浮かび、地上を睥睨して腕組みをしているだけである。その手にはレイピアも杖もなく、彼女が戦うつもりではないことは明らかだった。

「僕、このひとに送ってもらったんだ。それよりこれ、早く直して退かした方が良いよ。このひとの城壁にかぶさっちゃってるんだ」

ピットの言葉に、大王は少しの間いぶかしげな顔をして考えていたが、ややあってはたと気が付く。

「……ということは、ここはフロラルドのてっぺんだったのか」

飛行船の持ち主が状況を理解したことを察したのだろう。頭上に浮かぶ女王蜂はピット達に背を向けると、何処かへと飛び去っていった。

それを認め、大王はやれやれと安堵のため息をつき、アドレーヌ達の後ろから出てきた。

「何はともあれ、お前が無事でよかったぞ。船の中にも外にもいないから、みんなで手分けして探していたところだったんだ」

デデデ大王がそう言った横で、アドレーヌが何かを思い出して声を上げた。

「あっ、そういえば……あの勇者のお兄さん! 呼んでこなきゃ!」

踵を返して走りだす。

気嚢から跳び下りて着地したピットは、大王にこう尋ねた。

「リンクのこと?」

「ああ。船の中のものがいくつか無くなってたのを見てな、それと一緒に放り出されたんじゃないかと言って探しに行ったんだ」

「まさにどんぴしゃだね。目が覚めたら船がどこにもなくって、玉座だけが残っててびっくりしたよ」

「なにっ?! 玉座があったのか! 今どこにあるんだ」

「え、下の島に置いてきちゃったけど……」

「なんだとぉ~? あれが無いとカッコがつかんだろうが。――バンダナ、どこにいる!」

その呼び声に、青いバンダナをつけたワドルディが走ってきた。

「ここです、大王さま!」

「玉座は下の島に落ちている。それをみんなで取ってくるのだ!」

「え、えぇ~っ?! ぼくらがですか~?!」

「あれ無しでは、プププランドの大王が所有する飛行砲台として示しがつかんからな」

「はぁい、りょうかいです……」

バンダナはちょっと情けない顔で頷くと、周りにいたワドルディを引き連れて城門を抜けていく。

その背に向けてピットはこう声をかけた。

「玉座は二個下の島、遺跡のある島だよ! 密林の中だけど、ツタの橋からそんなに離れたところじゃないと思う!」

バンダナワドルディはこちらを振り返り、小さな手を一生懸命に振り返す。

「情報ありがとうございま~す!」

 

やがてリンクも、ナビィと共に戻ってきた。ピットが何事もなく立っているのを見て、彼は安堵と喜びに顔を輝かせる。

「良かった……! 心配したよ、ぼくたち。この島が空に浮いてるってわかってさ、きみがもしも地上まで落っこちてたらどうしようってナビィと話してたところだったんだ」

それを想像してしまい、ピットは思わずぶるっと身体を震わせた。

「流石に下まで落ちてたら、怪我じゃ済まなかったかもね……」

リンクの肩から離れ、ナビィがピットの顔に詰め寄る。

「いったいどこまで飛ばされたのよ、天使クン!」

ちょっと怒っている口調なのは、本気で心配していたせいもあるだろう。

「ここからちょっと下の島だよ。そこでひと悶着あったけど、ここの女王様に送ってもらったんだ」

そんな会話をしていた時だった。後ろの方でワドルディが大王を呼ぶ声が聞こえてきた。

「大王さま~、ちょっと来てくれませんか~?」

「なんだ?」

「何かヘンなのが出てきました」

「なんだ、何かヘンなのって……おい、こいつはマルクじゃないか!」

それを耳にして振り返るや否や、ピット達は急いでその場に駆けつけた。

 

ワドルディたちが瓦礫を取り除いているうちに掘り起こされたらしい。道化師は石に埋もれてすっかり目を回し、翼もどこかに消えてしまっていた。

それを見おろし、ハンマーを片方の肩にもたせ掛けて大王は大笑いする。

「わしの船にちょっかいなど出すからだ! これで思い知ったろう」

彼に聞こえないように、その背後でピットは小声でこう呟く。

「どっちかっていうと痛み分けじゃないかな……」

マルクは辺りの騒ぎでようやく目を覚まし、瞳がこちらに焦点を結ぶ。

「――あぁっ、オマエらっ!」

急いで立ち上がり、睨み返す。

「なんなのサ! ちょーっとからかわれただけなのに、あんなにムキになることないだろ?!」

「からかうだぁ? 危うくこの船ごと全員"おだぶつ"になるところだったんだぞ。これくらいで済んだのを有難く思うんだな」

腕組みをし、マルクを見おろす大王。その横からピットも進み出る。

「さあマルク、君の知ってることを話してもらうよ」

マルクはこちらをにらみ、しばらく悔しげに歯を食いしばっていた。その歯の隙間から、彼は絞りだすようにこう言った。

「……冗談の通じないヤツ」

取り囲んだピットたちを突き飛ばすように、彼の身体から勢いよく黄色の腕が生え出る。きらめく翼をはためかせて、彼は三人の上空に飛び上がった。

「あったま来た! こうなったら、オマエら全員まとめて始末してやるのサ!」

 

叫んだ顔が不自然な形で凍り付き、縦一直線のひびが入る。

 

「なんだ?!」

「何か仕掛けてくる……気を付けて!」

身構えるピットとリンク。それぞれに剣や弓を持ち、臨戦態勢にあった二人の見上げる先――

全くの不意に、大気を焦がすような炎の柱が現れ、マルクを飲み込んだ。熱風に髪を騒がせてピットたちが唖然と見上げる向こう、

「そっち行ったよッ!」

「任せろ!」

宙で声が聞こえ、炎の柱から投げ出されたマルク目掛けて黄色の光が一閃、その軌跡を追って鮮烈な雷撃が放たれる。

「キッス、とどめを!」

「逃しませんわ!」

痺れたように空中で動けなくなったマルクに、天のどこかから滝のような勢いで水流が浴びせかけられ、容赦なく大地に打ち据える。

まるでボールのように跳ね上げられ、地面に落ちたマルク。墜落の衝撃で翼は弾けとび、出鱈目な方向へ飛んでいった。

あっけにとられて一連の連携攻撃を見ていたピットとリンクの前に降りてきたのは、ハイネスに仕える三人娘。

「またお会いしましたわね」

青髪の娘、キッスは笑顔を見せて上品に手を振る。

「助かったよ! でも、どうしてここに?」

ピットの問いかけに、赤い髪のルージュは「ふん!」と鼻を鳴らす。

「別に! 鏡の欠片がここに落ちてるっていうから、アンタ達はそのついでよ」

その一方、三人の長であるザン・パルルティザーヌは一歩前に進み出ると二人にこう伝えた。

「お前たちへの礼がまだだったからな。元々この近くまで来ていたが、"坊ちゃん刈り"からお前たちの窮地を知らされ、急いで駆けつけたのだ」

「これで貸し借りナシでしょ? じゃ、アタシたちはもう行くから」

踵を返し、去っていくルージュ。リンクはその背に向けて「ありがとう!」と声をかける。彼女はこちらを振り返るも、プイっとそっぽを向いてしまった。キッスがとりなすように、リンクにこう小声で伝える。

「あの、お気を悪くなさらないでくださいね。ルージュさん、お礼を言われるの慣れてないんです」

「われらは皆、お前たちに心から感謝している。ハイネス様を助け出し、いつの日かわれわれが楽園に辿り着いた暁には、お前たちもそこに招待しよう」

そう言って残る二人もピット達に会釈し、ルージュを追って去っていった。

 

向こうで彼女たちが近場に落ちていた欠片を拾い上げるのを見届け、それからピットとリンクは背後を振り向く。

そこには、うつぶせになり、足をぴくぴく痙攣させている道化師がいた。

驚いたことに、あれだけ苛烈な攻撃を受けても意識は残っていたらしい。彼らが近づいていくと、流石に疲れ果てた声ながら、マルクがぶつぶつと文句を言っているのが聞こえてきた。

「よってたかって袋だたきなんて、ほーんと面白くないのサ……」

そう言って自力で仰向けになった彼を、ピットとリンクは左右から挟みこむようにして見おろす。

「自業自得ってことじゃない?」

「これで懲りたでしょ。ぼくらはカービィの居場所を知りたいだけなんだ。きみの知ってることを教えてよ」

リンクの呼びかけに、マルクは少しの間口を引き結んでめんどくさそうな顔をしていたが、やがて観念したようにため息をつく。

「ボクがカービィの行き先知ってるって、いったいいつ、そんなこと言ったのサ」

彼は、すねた子供のような表情をしていた。小ばかにしたような笑みはどこにもなく、それでピットたちは、彼の言葉が真実であることを察する。

「え……じゃあ、君は誘拐したり、そそのかしたりも……」

「してない、してない。ま、良いアイディアだとは思うけどサ、肝心のカービィが見当たらないんじゃどうしようもないね」

「そしたらなんで、あんな思わせぶりなことを……?」

あっけにとられた顔で尋ねたピットに、マルクはようやくいつもの意地の悪い笑みを見せた。

「そんなの、面白いからに決まってるのサ! な~んか見慣れないヤツらがうろうろして、カービィを探してるっていうからサ、ちょ~っとからかってみようと思ってねぇ~」

にたにた笑うマルクの顔面に、ナビィがいきなり詰め寄った。

「ちょっとアナタ! リンクも天使クンも真面目にやってるのよ。紛らわしいことしないでよ!」

一方、何事か腕組みをして考え込んでいたリンクは、マルクにこう聞いた。

「でもさ、きみ、さっきノヴァを目指して飛んでたよね。何か叶えたいことでもあったの?」

これに虚を突かれたような顔をし、それからマルクはいじけたように目をそらした。

「そりゃボクだって……」

言いかけた言葉の先は立ち消え、マルクはため息をつくと、足で弾みをつけて立ち上がった。

先ほどの連携攻撃は、見た目ほど堪えていなかったらしい。彼は虚空から呼び出したボールに飛び乗ると、二人に背を向けてこう言った。

「やーめた。がらにもないこと考えるからこうなるんだ。ま、あとはオマエたち、せいぜいがんばってちょーよ」

マルクはそのまま、玉乗りをしながら去っていった。

 

騒動が落ち着いた頃には、すっかりあたりも暗くなっていた。

ワールドツリーは雲突く高さまで伸びているものの、それでもノヴァが周回しているところまではまだまだ届かないらしい。

おりしも頭上の夜空をゆっくりと通り過ぎていった金色の塊を見上げ、ピットは石畳の上にぼんやりと座り込んでいた。背後では気嚢の修理が終わり、ガスを送り込む甲高い音が聞こえている。

「ねえ、リンク。あの飛行船で届くと思う?」

ピットは傍らに立つリンクを見上げた。

「そうだなぁ……何とも言えないや。ノヴァ、あそこから降りてこないからね」

銀河の果ての大彗星、ギャラクティック・ノヴァ。何者かに呼び出されたそれはこのエリアに出現――もとい、ポップスターに接近してきたものの、途中で降下を止めて空を巡り続けるだけになってしまった。

「おーい、お前たち!」

大王の声が掛かり、二人は後ろを振り返る。そこにいたものを見て、二人は思わず目をむいた。

偽ハイネスがあがめていた四つ首の竜とそっくりなドラゴンが、大王とバンダナワドルディの後ろからやってくるのだった。二人が警戒の表情をしているのに気がつき、デデデ大王は目を瞬かせた。

「……何を怖がっておるのだ。こいつはランディアと言ってな、わしらの仲間だぞ」

辺りの暗さで色が分かりにくくなっていたが、確かに言われてみると、その四つ首のドラゴンは体色が黒ではなく赤で、こちらを見つめる緑の瞳にも愛嬌があった。

「大王さまの玉座を探しに行ったら、ローアも見つかったんです。……あっ、ローアっていうのは空を飛ぶ船のことで、もしもそれが動いたらノヴァのところまでひとっとびだったんですけど……」

バンダナワドルディは申し訳なさそうに俯き、その先は大王が続けた。

「――ローアは壊れて動かなくなってたんだそうだ。どうやらあいつもどっかから落っこちたらしいな。だが、船の中にこいつらも一緒にいたんで、バンダナが事情を話して、来てもらったんだ。ピット、リンク、こいつに乗せてもらうぞ」

これを聞きつけてアドレーヌが走ってきた。

「デデのだんな! 待って、アタシたちも連れてって!」

「むぅ……アドレーヌ、悪いがお前たちは乗せられんのだ。ピットたちがお前くらいの身長ならよかったんだがな。あいつらを乗せるとなると、ランディア四匹が力を合わせねば無理だろう。リボンと一緒に、後からついてきてくれんか?」

これを聞いてアドレーヌは、ピットとリンクを見上げる。改めてその身長差を認めてから、仕方ないというように頷く。

「それもそうね……分かったわ。リボンちゃん、行きましょ!」

「ええ、任せて!」

リボンはアドレーヌの背中の辺りをしっかりとつかみ、すいっと飛び上がっていった。

 

ランディアの四つ首の後ろ、翼の間の狭いスペースにどうにかリンクとピットがまたがり、その後ろに大王が乗ろうとしたときだった。

それまで何ともなかったランディアが、大王がまたがった途端に少し沈み込んでしまった。よく見ると翼も足も震えており、立つのがやっとという様子だ。

「デデデ、あなた重いんじゃないの?」

単刀直入に尋ねるナビィ。これを聞いて大王はぎくりと顔をひきつらせた。

「なに?! ……ランディア、昔はわしひとりを一匹で持ち上げられただろう。一体どうしたんだ!」

ランディアは四つの顔で、それぞれに苦しげな声を返すばかり。

ピットは後ろを振り返り、そこにある大王のふくよかなお腹を見つめる。

――昔に比べて太ったってことかな……

心の中で言ったつもりだったが、その視線で何を考えているのか見透かされてしまったらしい。

「こら、どこを見ておるのだ! えぇい、こうなれば仕方がない。リンク、ピット。お前たちのどっちかに降りてもらうぞ」

「え……でも、僕が手紙を渡さなきゃいけないし――」

「――ぼくもピットくんを手伝わなきゃ」

「見たらわかると思うけど、アタシは降りる必要ないわよね」

三人からそう言われ、大王は悔しげに歯を食いしばっていたが、やがて自分の方から折れる。

彼は黙ってランディアの背から降り、しばらく冠を俯かせるようにして顔を下げていた。

一つ、気持ちに整理をつけるように大きく息をつき、ようやく、真剣な表情になってピット達を見上げる。

「お前たち。絶対にあいつを……カービィを連れ戻して来るんだぞ」

 

 

赤い翼を力強くはばたかせ、竜は見る見るうちに高度を上げていく。

見上げる先で夜空はますます黒く透明に澄んでいき、星々の瞬きは珪砂をちりばめたようにきらびやかになり、密度を増していった。

辺りは耳が痛くなるような静けさに満たされていた。竜が時折羽ばたく音のほかは、いかなる音も聞こえてこない。

心なしか身体も軽くなっていき、二人は浮かんでいってしまわないように、竜の胴体を足で挟むようにして身体を固定していた。

「これも全部、にせものの景色なの……?」

沈黙を破って、リンクが言った。彼は顔を仰向かせ、満天の星空をただ見上げるばかりになっていた。

一方、その後ろのピットは背後を、遠ざかっていく大地を見つめていた。

「君たちを閉じ込めるためなら、このくらいのことはするんじゃないかな」

大地は数多の侵略者に細切れにされ、パッチワークのような様相を呈していた。原色の絵の具をまき散らしたような色彩の中、ワールドツリーの大きな桃色の花弁さえも、もはや溶け込んで見えなくなってしまった。

この景色のどこまでが実際に歩いていける領域で、どこからが張りぼてなのだろうか。

ピットがそう考えていた時だった。

「あっ、二人とも! 見て!」

ナビィが声を上げる。彼女の見る方角に目をむけると、その視野をまっすぐに横切るようにして流星が駆けていった。

星型の小さな輝きを宙にまき散らしながら、黄色い軌跡はまっすぐにノヴァの方角へ、ランディアが追いかけている黄金の機械へと向かっていく。

四つ首のドラゴンはそれを認め、四つの声を合わせて呼びかけるように鳴いた。一層翼を大きくはばたかせ、急いで追いつこうとする。

 

 

願いを叶える大彗星、ギャラクティック・ノヴァ。その正体は、黄金に輝く機械仕掛けの星だった。

見上げてもなお頂の見えないほどの巨大な黄金色の構造物が、静けさに満ちた漆黒の宇宙空間に佇む様は荘厳の一言であり、ハイラルを駆け巡った勇者も、三界を飛び回った天使でさえも、ノヴァの桁違いの巨大さに圧倒され、ただただ口をぽかんと開けていた。

そんな彼らを背に乗せて、ランディアは燦然と輝く大彗星を追いかけ、ゆっくりと着実に距離をつめていく。

彗星という名の割に、ノヴァはずいぶん人工的なものを身にまとっていた。風見鶏、ピアノの鍵盤、振り子、望遠鏡……もちろんその一つ一つは桁外れに大きく、一体誰が何のために取り付けたのかと首をかしげたくなるほどのサイズをしている。

じれったくなるほどの時間をかけてようやくノヴァを追い越し、向こう側に開けた夜空が見えてくる。そして、ノヴァの前に立ちはだかる、小さなひとの姿も。

 

黄色い星に乗り、ノヴァをまっすぐに見上げるピンク色の丸いひと。ピットは目を瞬かせ、彼の名を呼ぼうと大きく息を吸った。

その時、辺りの薄い大気を振るわせて低い声が響き渡った。

「ウチュウの果て・とは・なににとっての果て・・でショウか? 定義によりマスが・基本的に・ウチュウに果てはありマセン・・>」

ピットは思わず、ギャラクティック・ノヴァの顔面を振り仰いだ。眠たげな紫色の瞳の下、猫にも似た口元は全く動いていなかったが、先ほどの声は確かにノヴァから発せられたものだった。

一方、星の上に立っているひとは必死の様子で手をばたつかせ、何かを言う。しかし大彗星は、ゆっくりと機械の目を瞬かせてこう答える。

「大変・モウシわけありマセンが・・その願いをカナえることも・不可能デス・・・ベツの願いを・考えて・クダさい・・・>」

そしてそれを最後に、眠ったように目を閉じてしまった。

ランディアはノヴァの前を通り過ぎ、いよいよ彼方のひとに近づきつつあった。

 

桃色のまんまるな体に、丸っこい手足。武器らしいものも、それに類するような特徴も見当たらない。混迷極めたこのエリアの住民がこぞって救いを求め、また胡乱な連中からはことごとく警戒される存在にしてはあまりにも自然体すぎるいでたちだ。

だがそれでも――あるいは、だからこそ、彼は幾多の妨害にもめげず、気の遠くなるほどの時間を掛けてでも自分の意志をまっすぐに突き通したのであろう。彼はまさしく、天真爛漫にして天衣無縫の、ひとりの旅人だった。

 

彼は星型の乗り物の上に立ち、むっとした表情でノヴァを見上げている。

「もう! じゃあ、なんておねがいすればいいの?!」

むきになる彼だったが、ノヴァが答えない様子であるのを見ると、やがてため息をつき、星型の上に座り込んでしまった。

ふと、その青い瞳がこちらに気が付く。

「……あれ? きみたち……」

顔をぶるぶると振り、弾みをつけて再び立ち上がると、彼はピットたちをまっすぐに見つめてこう言った。

「ねえ、きみたち、ずぅっと遠くから来たんでしょ? おねがい、ぼくもそこにつれていって!」

 

ピットから渡された手紙を読んだカービィ。彼はしばらくぽかんと口を開けていたが、やがて代わって現れたのは、明るい笑顔。

彼はそのままピットを見上げ、嬉しそうな顔でこう言った。

「そっか、そういうことだったんだ! 教えてくれてありがとう!」

ピットがあっけにとられて返事もできないのをよそに、カービィはつづけてノヴァの方を振り向く。

「じゃあ、ノヴァ! ほかのみんなのてがみをぼくにちょうだい」

「OK>」

ギャラクティック・ノヴァの巨大な双眸が、ゆっくりと閉じられていく。

「3・2・1・・・GO!>」

最後の声と共に、カービィの頭上、何もなかった空中にぽつりと青い染みが現れた。染みはひとりでにとげを伸ばすようにして広がり、いびつな五芒星となる。

やがて、星型の穴からゆっくりと降りてきたのは二通の封筒。その宛名を見たピットは思わず声を上げてしまった。

「あれって……僕が配った手紙じゃないか」

ピットが驚いている一方で、カービィはそれを当たり前のように受け取って、黄色い星型の乗り物に着地する。

さらには、にわかに四方から星型の輝きが集まったかと思うと、乗り物を眩い輝きで包み込み、小型のチャリオットのような姿へと変形させた。

白い橇にも見えるその乗り物に座り、カービィはピットとリンクの方を向く。

「ふたりとも、後ろに乗って!」

リンクは背後を振り返り、天使に問う。

「ピットくん、どうする?」

状況が飲み込めていないままだったピットは、目を慌ただしく瞬いてリンクを見上げた。

「どうするもこうするも……」

「たぶんだけど、カービィには何か考えがあるんだよ。ついていこう」

リンクの声に半ば引っ張られるように、ピットは頷く。二人のやり取りを見守っていた様子のランディアは、一つ翼をはばたかせるとカービィの待つ乗り物の方へと体を寄せていった。

 

 

乗ってとは言われたものの、その白い橇はほとんど一人用の大きさしかなく、ピット達は左右の縁を掴む恰好となった。地上ははるか遠くにあり、もはや二人の体は重力に捕らえられず、ひとりでにふわふわと浮かんでいた。

「つかまっててね!」

カービィは笑顔で二人にそう言って、真っすぐに前へと向き直る。ひとまず橇の縁を両手で掴んでいたリンクとピットだったが、何の前触れもなく強烈な加速が全身に襲い掛かった。

伸ばした腕は進行方向に、足の方はそれとは反対側に。まるで見えない巨人の手によって思い切り引き伸ばされるようだ。しかもそれが徐々に、際限なく強まっていく。二人はもはや痛さなど感じる余裕もなく、ただただ置いていかれまいと必死の思いでしがみついていた。ナビィもリンクの服の胸元あたりにぴたりと寄り添い、掴まっていた。

 

そんな彼らの周りで、星空は奇妙な変化を見せ始めた。

大きな星も小さな星も、次第に速度を上げながらピットたちを追い越していき、虹色の残像を残しながら進行方向の空へと集まっていく。さらに、細長く引き伸ばされた虹色の輝線は、ある時点からゆっくりと前方に集まり始めた。

操縦者の桃色の頭上、突き進んでいく先で星々はいよいよ互いに近づき合い、いびつで眩しい虹が一点に収束していく。ついに白一色の輝点になるかと思えた次の瞬間、風船を針で突いたように、急に世界の色彩が反転する。

今度は純白の宇宙を背景に、黒い線が幾筋も幾筋も彼らに追い抜かれ、次々と後ろの方へ流されていった。黒い線は次第に密度を上げて白い空を埋め尽くし、塗りつぶしていき――

 

 

 

白い乗り物は四人を乗せ、ゆっくりと緑の大地に降りていく。

その丘のてっぺんには、見慣れたシルエットの白いドームが建っていた。

 

乗り物からひとっとびに降りると、カービィは封筒を掲げて走っていく。

「あ……待って、それ、どうするつもりなの?!」

置いていかれる形となったピットは、慌てて自分も乗り物から降りると、カービィを追って走っていった。

カービィは立ち止まる気配もなく、そのまま自分の家の中に入っていってしまう。再び出てきた時、彼の手には何も握られていなかった。

「ちょっと、カービィ。あれ大事なものなんだけど……」

返してほしいと言いかけたピットだが、カービィはそんな彼を純真な目で見上げてこう言った。

「うん、しってるよ」

それから自分の家の窓を、外からのぞき込んでこう続ける。

「だからずっと前のぼくにわたしたの」

彼につられて窓の方を見たピットは、思わず目を丸くした。

窓辺に顔を見せ、すやすやと呑気に眠っているのはほかならぬ、カービィだったのだ。

「……えっ? どういうこと?」

後ろから追いついたリンクも、二人のやり取りを聞いていたらしい。だがそれでもやはり、窓の中と外とをせわしなく見比べてから、訝しげな顔をしてこうつぶやいていた。

「ここが昔のポップスターだとしても……なんでカービィがふたりもいるんだろう?」

「ああ、『ずっと前』って、昔ってことか――」

リンクの言葉にピットはそう納得しかけ、はたと表情を変える。

「いやいや、だとしてもだよ! これじゃあまずいよ、タイムパラドックスじゃないか!」

「タイムパラドックス……?」

ぽかんとこちらを振り向いたリンクに、何と説明すべきかとピットは頭の後ろをかく。

「パラドックスは――なんていうか、ありえないことが起きるって言うのかな。例えば今もさ、本当はあの手紙、最初は僕がみんなに配るはずだったでしょ? でもカービィは、それよりもずっと前、つまり昔の自分にそれを渡して……たぶん、あとのふたりに配らせようとしてるんだ」

すでに白い橇の方へと走っていっていたカービィが途中で振り返り、「そうだよー!」と元気に返した。

ピットは彼の方を振り向いて声を張り上げた。

「いくらなんでも無茶だよ! 君の手紙に何が書いてあったか知らないけどさ、まだ何も起こってないのにあれを読んでも、きっとたちの悪い冗談か何かだと思うでしょ。絶対信じてくれないよ」

しかしカービィは明るい笑顔のままこう返す。

「だいじょうぶ! ぼくだから分かるんだ。これできっとうまく行くって」

そのまま再び走っていってしまう。ピットは額を抑え、ため息をついてうなだれた。

そんな彼にリンクが問う。

「起きなかったはずのことを起こすってこと? そしたらどうなるの?」

「僕にもわからないよ……」

窓越しに家の中を、平和な寝顔を見せている方のカービィと、机の上に置かれた三通の封筒を気遣わしげに見つめてピットは呟いた。

リンクも同じ方を見ていたが、彼の方は腕を組み、真剣な表情で考え込んでいる。

しばらくして、彼は言った。

「ピットくん、とにかく行ってみよう。カービィには何か考えが……そこまでいかなくても、何か思いついたことがあるんだよ」

天使の手をとり、歩いていこうとする。

「えっ……ちょっと、リンク?!」

後ろ向きに、半ば引きずられる格好で連れていかれるピット。差し伸べた手の向こう側で、彼が配るはずだった手紙はゆっくりと遠ざかっていった。

 

 

再び白い橇はエリアを飛び立ち、またしても宇宙の一点を目掛けて飛び込んでいった。

今度は色彩が反転するほどの速度にはせず、前方に星々が集まる程度に抑えてはいたが、それでも凄まじい速度を出しているのは想像に難くなかった。

相変わらず振り落とされないように必死にしがみついていたが、二度目ともなるとほんの少しだけ心の余裕も出てくる。顔を上げてあたりの空を、ひっつめたように前方へと絞り込まれていく宇宙を眺めていたピットは、どこかでそれと似た光景を見たように思っていた。

記憶を探していたピットは、はたと気づく。

――そうだ、光の戦車に乗った時もこうだったな……

正体不明の敵に操られた女神が神殿に分厚いバリアを展開した時、天使に手を貸した自然王ナチュレが指示したのは、光の戦車に乗って超高速で体当たりするという何とも力ずくの突破法だった。

――……待てよ? そんなものすごい速度で突き進んでるなら、エリアの端っこなんてとっくに通り過ぎちゃっててもおかしくないんじゃないか……?

 それともずっと昔までさかのぼったから、さっきのからしてすでに、エリアに閉じ込められてないころのポップスターにたどり着いてたってこと?

頭の中に疑問符を山ほど浮かべて考え込んでいたピットだったが、答えの出せないうちにカービィの声がこう言った。

「だいたいこのへんかなぁ」

途端に白い橇は減速し、引き伸ばされていた星々は個々の点に戻っていき、星空はゆっくりと膨らむようにして前方から後ろまで行き渡ってゆく。

 

橇がゆっくりと降下していく大地は、今回も一面の緑に包まれていた。

平和そのものの景色に着陸した橇は、カービィが飛び降りたところで何の前触れもなく、いくつもの星屑となって弾け、消えてしまった。

「とうちゃく!」

丘のふもとにむけて元気よく片手を上げるカービィ。

一方でピットもリンクも、そしてその頭の周りでナビィも、辺りを戸惑ったように見渡していた。

「ここは……?」

「さっきのとことだいたい同じ。ほら」

彼が指さした先、確かに背後にある大きな丘の上には彼の家が建っていた。

「でもずっと先だよ。ぼくらがしゅっぱつした時とおんなじくらいかなぁ」

これを聞き、ピットとリンクは何も言えずに丘の向こうを、その先に広がる景色を見ていた。

「ずいぶん様変わりしちゃったわねぇ……」

ナビィが言う。

彼らが見つめる先、そこには本当に平和なポップスターの景色が広がっていた。

三人を取り巻くのは、淡い若草色の、見渡す限りの草原。彼方には海と見まごうほどの湖もあり、日の光を反射して眩しく輝いている。遠くの景色にはところどころ異なる色調に彩られた場所もあるものの、互いに侵食しあうような不安定さもなく、ワールドツリーの上から見下ろした時のような乱雑さも感じられない。色とりどりでありながら、今のポップスターでは全ての風景が調和しているようだった。

青い空のどこかから一陣の春風が吹き抜け、丘に咲く花々をそよがせていく。

「ピットくん、タイムパラドックスってこういうこと?」

リンクの問いかけに、ピットは半ば呆然としたまま頷くことしかできなかった。

 

「まったく、どこにいるかと思ったらまだ家だったのか。今朝出発すると言ったのはお前だろう」

丘のふもとからそんな声が聞こえた。デデデ大王の声だ。

 

それに気づき、カービィはそちらの方を見てこう返す。

「あれ、そうだったっけ?」

「なにをとぼけておるんだ。ほら、行くぞ!」

せかすように腕を大きく振り回し、大王はハンマーを担いで歩き始める。

丘のふもとにはもうひとり、待っている者がいた。

カービィが駆け下りていくと、まだ丘の上を見つめていたメタナイトが問いかける。

「……カービィ、向こうにいる者たちは?」

「ぼくらのともだちだよ。みおぼえあるでしょ?」

「それは…………そうだが」

剣士はもう一度、訝しげな眼差しを二人に向けると、カービィの後について歩み去っていった。

 

取り残された天使と勇者。ピットはあっけにとられた表情で呟く。

「あのひと、僕らのこと忘れちゃったのかな……?」

リンクがそれを聞いてほほ笑み、こう言った。

「『無かったこと』になっちゃったんじゃないかな。侵略者と一緒に」

「そうか、タイムパラドックスか……」

ピットはそう呟いてから、がくりとうなだれる。

「でも、あんなに真剣なバトルしたのに……」

 

 

 

見渡す限りの緑に包まれた丘陵に、オカリナの音色がかすかにこだまする。

最後の音が吸い込まれるように消えていったとき、それに応えるように、彼方から馬のいななきが聞こえてきた。

「あ、来た来た!」

リンクは明るい笑顔を見せ、その方角に向けて大きく手を振る。エポナは、勇者がそれほど急ぎではないのを分かっているのだろう、辺りの景色を楽しむようにのんびりと並足で歩いてきた。

勇者と妖精がごく当たり前の様子でそれを待っている横で、天使はまだキーパーソンの去った方角を向き、困惑しきりの表情をしていた。

「えぇっと……カービィが僕らの到着するよりも前の時間で手紙を配りきっちゃったから、僕らがここに来る必要はなくなるはず。でも、僕らが来なかったらそもそもこのエリアに手紙はやってこない。そうしたら、カービィが配れるものは何もなくなって、あとのふたりがここを出るきっかけも失われて……」

呟きは途中から苛立ち紛れの唸りに変わっていき、彼は両手で髪の毛をくしゃくしゃにする。

「ああもう、訳が分からないよ!」

そんなピットの前を横切るように、ナビィがふわふわと飛んできた。

「そんなに悩むほどのこと? いきさつはどうあれ、なるようになったんだから良いじゃないの」

ピットはそんな妖精を目で追い、それから腕組みをして空を見上げる。

しばらく青空を眺めていたが、やがて彼は肩をすくめてこう返した。

「……まあね」

隣に立っていたリンクも会話に加わる。

「キーパーソン全員に手紙が渡ったみたいだし、みんな、エリアから出発していった。ぼくらにお願いされたことは全部片付いたよ」

労うように言葉を掛けられ、ピットは晴れ空を見上げたまま相槌を打った。

そんな彼につられたようにリンクも、顔を仰向かせて空を眺める。

 

そうしてしばらく二人は、揃って青い空を、流れゆくひつじ雲を見ていたが、やがてピットがぽつりとこうつぶやく。

「……初めてなんだ。『ありがとう』って言われたの」

彼の横顔を、リンクは驚いたように振り向いた。だが、ややあって彼の顔に理解が追いつく。

「手紙のこと?」

「うん」

青空を見上げたまま頷く天使。

「ピットくん。今まで、何人くらいの人に配ったの?」

天使は何も答えず、ただ眉間にしわを寄せた。

それを見て取ったリンクの方はいたたまれない様子で目をそらし、地面の辺りを見つめる。

「そうなんだ……。……そうかも、しれないね」

そのまま、二人は黙り込んでしまう。

そんな彼らの間をふわふわと飛び回っていたナビィが、しばらくして思い出したようにこう言った。

「……天使クン。アタシ、今でも覚えてるわ。リンクがあなたから手紙を受け取ったときのこと。……あんなに呆然としちゃったリンク、初めて見たわよ」

空中で立ち止まることはせず、そのまま天使の頭の周りをまわるようにして、彼女は言葉を継ぐ。

「それでもあなたは、その"シゴト"を続けてるし、これからも続けていく。そうでしょ?」

これを聞き、天使はわずかに口を引き結んだ。

仰向かせていた顔を、視線を地上に戻す。言葉を探す間があって、彼は口を開いた。

「僕はパルテナ様の命の元、地上界のみんなに手紙を配ってる。本当のことを知らせて、みんなを助け出すために」

半ば自分に言い聞かせるようにゆっくりと、彼は言った。

それから、リンクに向き直る。

「――でも、手紙を受け取った人はだいたいみんな、良い顔をしない。最終的にはエリアから出ていくし、僕の助っ人として来る時にはみんな快く協力してくれる。だけど、みんなが手紙を受け取った時の、僕に見せたあの顔がずっと心のどこかに引っかかってるんだ」

これに沈痛な面持ちで頷いていたリンクは、ふと思い出すものがあって目を瞬かせる。

「……もしかして、鏡が割れた後、きみが言ってた"ブラピ"って人も……?」

「そう。僕の……まあ、ライバルっていうか、腐れ縁っていうか。ほんとはブラックピットって言うんだけど――」

ピットがその名前を言ったとき、リンクの耳が反応した。訝しげな顔をし、顎に手を当てて考え込む。しかしピットは彼の方で悩みごとの核心に踏み込みつつあり、リンクの様子には気が付かなかった。

「……彼もいつの間にか地上界のエリアに閉じ込められてて、僕が手紙を渡しに行ったんだ。でもそれを読んだブラピはショック受けちゃったみたいでさ……あれっきり会ってないんだ。またどこかで無茶してなきゃいいけど」

空元気で最後の言葉を付け足し、力なく笑う天使。

「なるほどね。つまりあなた、友達とケンカ別れしちゃってて気まずいのね」

ナビィからさらりとそう言われ、ピットは慌てて言い返した。

「友達じゃないよ!」

「あら、じゃあなんでそんなに落ち込んでるのよ」

わいわいと言い合っている天使と妖精の横で、リンクは一人、じっと黙って考え込んでいた。

やがて、彼は決心し、顔を上げる。

「ピットくん」

こちらを向いた彼の顔には、もう先ほどまでのような陰りはなかった。

「最初はみんな、びっくりすると思うよ。他のみんながどういう手紙を受け取ったのかは分からないけど……きっと、自分のいる場所が作り物だって気づかせるようなことが書いてあったんじゃないかな。それを知って驚かない人はいないと思う。それに、じゃあ自分が閉じ込められたのはいつからなのか、どこからなのかって……ぼくも、それをずっと考えてる」

そこで一旦言葉を区切り、リンクは屈託のない笑顔を見せた。

「でも今のぼくは、きみが手紙を持ってきてくれて良かったって思ってるんだ。本物のハイラルに帰らなきゃいけないって気づかせてくれたから。きみは確かにみんなを助けてる。キーパーソンだけじゃなく、エリアに閉じ込められてる他の人たちも。みんなが本当の居場所に戻るためのきっかけを作ってるんだ。それは間違いないんだから、落ち込まないで、胸を張ってよ」

そう言ってこちらの横に並び、先に進もうというように背中を叩いてくれる。

ピットはここまでまっすぐに励まされるのに慣れていなかったらしい。ややあって照れ隠しのように頭をかいて笑う。

「君からそう言ってもらえるとありがたいけど……」

すると、そこにすかさずナビィがこう付け加えた。

「まあ、これからも手紙を読んでご立腹した人に勝負挑まれるかもしれないけど、めげずに頑張んなさいね」

「あれは違うって言ってたよ?!」

「そうなの? じゃあなんで戦ったのかしら」

「手紙にあったことを確かめたいだって。でも何が書いてあったって言うんだろうなぁ……僕も知りたいくらいだよ……」

これを横から聞いていたリンクも考え込んでいたが、やがて難しい表情をしたままこう切り出した。

「どこまでが本当なのか、確かめたかったんじゃないかな……」

「どこまでが?」

「そう。自分がいつの間にかにせものの場所に閉じ込められてたんだって知らされたら、次に気になるのは『思い出はどこまでが本物なのか』じゃないかな。僕が手紙をもらって『目隠し』が外れたあと、それまで忘れてたことをちょっとずつ思い出してきてるんだけど……」

そこで彼は眉をしかめ、首を横に振った。

「なんだかごちゃごちゃしてて、どこまでが本物で、どこからがにせものの世界でのことなのか、今でもよくわからないんだ」

「じゃあ、彼は思い出した記憶が本物かどうか確かめたかったってこと……? 確かにメタナイトは僕と戦ったあと、なんか納得したような感じだったけど……でも、何に納得したんだろう。そもそも、なんで僕を指名したんだろう?」

 

 

 

勇者は妖精とともに、馬に乗ってエリアから去っていき、天使は一人、丘の上に残っていた。

彼はしばらく、難しい顔をして丘の上に立ち尽くし、あきれかえるほど平和な景色に向かって腕組みをしていた。だが、やがて首を横に振り、肩の宝飾に触れる。

赤く光を灯らせた宝飾に向けて、彼は帰還時の報告を切り出した。

「エインシャントさん、すっごく事情を説明しづらいんですけど……」

言い淀んだピットに対し、穏やかな声がこう返す。

『どうされましたか? 今回も滞りなく全てのキーパーソンに手紙を配り終えているようですが』

まだ半信半疑だったので、彼の言葉が頭に届くまでやや掛かった。

「あれ……ほんとですか? あ、あれでうまくいったんだ……」

続けて、事情を説明する。

「実は、最後のキーパーソンに手紙を渡したら、そのひとが他の二通も回収しちゃって。で、過去の自分に託しちゃったんですよ。昔の自分が配ってくれるはずだって。僕の手を離れちゃったんで、あとの二人にちゃんと渡ったかどうか確認出来てないんですけど」

『こちらから確認できる限りでは、問題は起こっていないようですよ』

まるで驚いた様子もなく、ごく平穏ないつも通りの口調でそう言うエインシャント。

その様子に便乗して、ピットはついこんなことを言ってしまう。

「なんだ、それなら僕が全部配る必要ないじゃないですか。少なくともエリアの誰か一人に渡しちゃえば、後はその人に任せちゃっても良いわけですよね」

エインシャントはこの意見を朗らかに笑い、小さな子供をたしなめるように茶目っ気を含ませてこう答える。

『それは少し違いますよピットさん。最初は必ずあなたが渡さなければならないのです。パルテナさんからもそう言われたでしょう?』

この言葉を聞き、ピットは少しむっとした表情になった。直接仕える相手でもない人から女神の名前を引き合いに出されたのがどうにも納得できなかったのだ。

しかしその感情は言葉には出さず、不承不承答える。

「はぁ……わかりました。でもその理由くらい教えてくれたって良いじゃないですか。なんで必ず、僕が渡さなきゃいけないのか」

エインシャントの声は穏やかでありながらも幾分真剣さを増し、こう告げた。

『焦ることはありません。それはあなたがエリアを巡るうちに自ずと分かってくるものなのです』

それから再び、いつもの柔和な声に戻る。

『ですからほら、早く戻ってきてください。次にあなたに渡っていただくエリアが決まりましたよ』

そういってはぐらかしてしまうエインシャント。通信も切れてしまった。

光を失った肩口の宝飾を、ピットはしばらくの間複雑な表情をして見つめていた。

それからのろのろと彼方の景色に顔を向け、一人、ぼやく。

「そんな……まるで僕が何も知らない子供みたいに言わなくたって良いじゃないか」

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最終更新:2022-02-05

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